2024/12/29

待避線(余談雑談) 鉄っちゃんの特技 続編

  ペーパーで長年16番模型を作ってきたのでボール紙工作は私の得意技です。ボール紙を切って貼り付けるだけでは見た目が良くないので、全体および特に継目にパテを塗り込んではサンドペーパーで成形を繰り返し、最後に塗装で仕上げるのが常套手段です。これによって滑らかな曲面を表現することができるのですが、その工程を知らない人はまさかその部分がボール紙で出来ていると想像できません。得意技は鉄道模型製作だけでなく日常生活の中でも役立っています。

100円ショップで買ってきたゴミ箱に荒縄を巻き付け、家の周りに生えている草木を挿して
門松を作ります。塩ビパイプを斜めに切ってボール紙製竹の切り口をはめ込むと完成です。
 いつも年末になると門松を作ります。神戸にいた時は同級生の植木屋さんに頼んで青竹を分けてもらい、節のところで斜めに切って門松の真ん中に挿し込んでいました。これが口を大きく開けた笑い顔に見えることから、一年間楽しく過ごせるようにという願いが込められているのです。北海道に来て門松を作ろうとしたとき、家の裏の雑木林に入るとシダ類や笹をはじめ門松に使える色んな材料が豊富にあるのですが、青竹だけがありません。ホームセンターへ行っても売っておらず、仕方なしに塩ビ管を買ってきて斜めに切り、緑色のスプレーで塗装しましたが切り口が全く竹ではありません。ここで特技を発揮、節の部分を斜め切りして笑い顔を表現したボール紙細工を嵌め込むと塩ビが見事な青竹になって門松が完成するのです。以来10年間繰り返し使っていますが色褪せることなく永遠の蒼を保っています。

カップヌードルで作った優勝カップに、ボール紙製で漆塗り風仕上げの台座と金色の銘板。
 所属しているテニスサークルでは昨年から大会を催しています。当初優勝者には持ち回りの優勝カップを授与することにしていましたが、高齢者ばかりなので預かっている間に運動ができなくなったり引っ越したり紛失したりする可能性があるとのことで対応に行き詰ってしまいました。たまたま私が世話役をしていたので、「格安の優勝カップを作りましょう」と提案したのでした。何のことはないカップヌードルとどん兵衛を重ねただけですが、ボール紙製の台座を漆塗り風に仕上げ、金色塗装した銘板を貼り付けることでパロディとしての価値が上がり、大会当日の表彰式は大いに盛り上がりました。

パリオリンピック金メダル
 今年はオリンピックパリ大会を模した金メダルを作って授与式を執り行いました。リボンを付けて首に掛けると、優勝した当人は「少し重量感が足りない」と感じたようですが、周囲は「偽メダルはどこで入手したの?」「えっ、作った?」「ボール紙?」とまた盛り上がりました。来年の大会には何を作るか、腹案がないわけはありません。

2024/12/26

待避線(余談雑談) 鉄っちゃんの特技

  最初の投稿「事の始まり」(2020年10月8日)で書いた通り、もの心ついた時から鉄っちゃんで、寝ても覚めても電車のことを考えて生きてきました。すべての価値判断の基準が自分の好きな鉄道(電車)にあったので、進学、就職など人生の節目はもちろん日常生活でも色んな影響を受けています。

中学生になって親から借りたカメラで身近な電車を撮影するようになりました

 若い(幼い)頃に読んだ本(雑誌)で鉄道ファンの先輩の博学に憧れ、鉄道に関する知識は何でも取り入れて自分の物にしなければならない、という意識を持ったことがありました。本当は好きでもないSLの形式を覚えようとしたり、有名な鉄道写真家の構図をマネたり。かけだし鉄っちゃんによくあるパターンで、○○線がなくなるとか新線開通の記念切符が発売されると聞くと、自分の気持ちとは裏腹に強迫観念が働いてしまうようなことがあったものです。鉄道評論家になるとか職業として鉄道に関わる場合は別にして、大好きな電車のことを知りたいのなら自分の心が向かう方向にのめり込んで行けばよい、そのことに気付いたのは思春期を過ぎた頃だったと思います。

 テレビニュースなどで地方の風景とともに遠くに路面電車の姿がチラッと見えただけでどこの街かがわかったり、CMに映し出された電車内の光景から窓枠の形を読み解いて××線の△△型だと言い当てたりできるのは、長年好きな電車を追いかけてきたからだと思います。

 最近YouTubeで「昭和の【路面電車】併用軌道から専用軌道に入る全15シーンの路線名を当ててください」という動画を見つけました。よく似た内容ですが続編もあります。

ほぼ全問正解
https://www.youtube.com/watch?v=8vHDej2Pp0Y

https://www.youtube.com/watch?v=Ymnp_t7RQMw

見覚えのある軌道がフィルム動画の前面展望で再現されています。電車とのすれ違いは答えが出るまでありませんから、街並みや特徴的な線路際の構造物などから路線名を推察しなければなりません。画面に映り込んだ前面窓の特徴は大きなヒントになります。一目でわかる江ノ電や京津線は初級者向けですが、私は地方線もほぼ全問正解でした。正直に白状すると、西鉄・筑豊には乗っていなかったのでよくわからず、山を張ったら大当たりでした。

路面電車の専用軌道、鉄道線の併用軌道、どちらも痺れます   自身撮影

 「昭和の路面電車」というのがミソで、これが「平成・令和の東京の地下鉄」なら全然わからないどころか興味も沸かなかったことでしょう。つくづく自分の心が向かう方向にのめり込んだ結果だと思います。いま鉄オタ向けのテレビバラエティがあり、若い鉄っちゃんが喜びそうな内容で新登場の電車や列車が取り上げられています。その最新型電車のデザインは総じて私好みではありませんが、そこで繰り広げられる彼らのトークを見ていると心が向かう方向には共感するところがあります。時代が変わっても世代が違っても求めているものは全く同じなのだなと感心しました。

 子供が他人の真似をして成長していくのは世の倣いですが、素直に自分の心が向かう方向を見極めることこそ大人鉄へ踏み出す第一歩ではないかと思います。

2024/12/17

待避線(余談雑談) 香港旅游

ビクトリアピークからの眺望
  行方不明になっていたチョッと前の鉄道写真フォルダーが見つかったので前後の投稿と何の脈絡もありませんが紹介したいと思います。2007年に香港へ現地駐在員として赴任していた大学の同級生から「遊びにおいで」と声がかかったので仲間を募って2泊3日の海外旅行に出かけました。同行者が本場の中華料理や街歩き観光を楽しんでいる間にトラムやライトレールなどに乗り、エキゾチックな鉄旅を満喫しました。出張中のこっそり鉄と違って誰に気兼ねすることなく心行くまで乗りつぶし、車庫探訪、メカ観察で充実した3日間を過ごしました。もう20年近く前の記録なので、その後路線が延長されたり車両が増備されたりしていると思います、が最新情報はまったく把握していません。

 豪華な空港特急(機場快線)で市内に入ると、オープントップバスに乗ってピークトラム乗り場に連れていかれました。トラムとは言ってもそれはケーブルカーで、途中勾配が大きく変化する箇所があるため線路中央に設置された滑車の下にケーブルが通されていたり、三線軌条や複線区間、車庫の側線みたいな線路があったりと、普段見慣れたケーブルカーの概念からは驚きの光景が連続しました。上下の滑車に挟まれたケーブルがどんな構造で車両と繋がっているのか、これはもうパズルです。

興味が尽きないピークトラム、右下の写真は保存車両でしょうか?

 翌日は香港名物ダブルデッカートラムの最前部に座り込んで路線の端から端まで乗りつぶしです。終点は折り返しではなくループになっていて、電車は両運ながら常に一方向でしか使用しないようです。見た目からして古そうなので直接制御器をガチャガチャ回すのかと思っていたら、意外にもスティックを前後に指で操作していました。稀に近代的なスタイルの車両が走っていて、飛び乗ったところカルダンっぽい音が響いていました。今はVVVF車もあるという噂を聞きました。線路はよく手入れされているというか舗装がはがれたりレールが歪んでいたりというようなところは見当たらず、車両が古くても乗心地が悪いと感じることはありませんでした。

香港と言えば余りにも有名な2階建て路面電車、事故か故障かで渋滞していました 

 午前中トラムに飽きるほど乗ってから郊外電車で屯門まで行き、ライトレールに乗りました。予備知識なしにライトレールという言葉につられてやって来たのですが、路面電車より大型のアメリカっぽい電車が単行か2連で構内をところ狭しと急カーブで転回し、次々と発車していく様を見て日本では見たことのない光景に感動しました。異境のことゆえ電車がどこへ行くのかどこを走っているのかさえ分からないまま運転席の後から線路や駅の構造、すれ違う電車の特徴などを観察しました。途中のターミナル駅では行き先別に分かれたプラットフォームが並んでいるところへ信号待ちも一旦停止もないままいくつもの分岐を渡ってしかるべき線路に進入していきました。超近代的なインターアーバンを見ているようで心が躍ったのを覚えています。ただ好き嫌いを言わせてもらうなら、電車が片運転台でバスのお尻みたいな後ろ姿には幻滅しました。

感動と羨望を覚えた軽鉄(ライトレール)ですが、バスのお尻はいただけません

 3日目は香港島から九龍地区へ渡るのにフェリーに乗りました。道路と鉄道用トンネルがあるのにわざわざ「観光客に人気の船旅」で案内されたのでした。確かに海越しに聳える摩天楼は香港の見納めに印象的な眺めとなりました。

乗船時間10分たらずのスターフェリーは外国人旅行者の利用も多いようでした

2024/12/09

待避線(余談雑談) 更なる妄想

 

デ1のドローバー
 「なんちゃって電化」を妄想するついでに「なんちゃって連結器一斉交換」※もやっちゃったり、と考えています。妄想ですから実際にできるかは保証の限りではありません。現在デ1とトはドローバーで繋いでいます。デ1の方に開閉可能なフックが付いていて、トの車端にある通しボルトに引っ掛けてから、不用意に開かないようフックの根元にピンを差し込んでいます。形状こそ全く違いますが作動は自動連結器と同じです。こんな貧相なドローバーでも連結してしまえばほとんど見えないのでなんらの差支えはありません。むしろ連結していない面に連結器がないことの方が不自然なんではありますが、これも路面電車っぽい面構えなので部外者から見れば大して違和感はないようです。

ドイツ国鉄のネジ式連結器
自身撮影
 ※1925年(大正14年)国鉄の全列車を運休して、ネジ式連結器を自動連結器に1日で一斉交換した、という歴史的事業。(Wikipedia自動連結器化参照)






デ1の台座付き連結器と日車型簡易連結器
 実物のデ1は木造の小型電車ながら台座付きの立派な自動連結器を装備しています。付随車や貨車を連結することを前提としていたので実際の牽引両数とは無関係に貨車と同じ強度を持ったゴツイ一物を木製台枠に取り付けたのでしょう。それに引き換えキハ40000は極端な軽量設計の簡易連結器と称されるものが取り付けてられています。しかしどれも相互に連結できなければ用を為さないので基本的な寸法形状は同じ基準に依っています(厳密に言うと微妙な差の複数の規格があるようです)。という訳で、鹿部電鉄ではいつかデ1とトには標準型、キハは簡易連結器を取付けようと思っています。

 連結器は車両同士をできるだけそっとですがぶつけて繋ぎますから、静荷重以上の衝撃を受けることになります。だから頑丈な鉄の塊で出来ているわけです。実際には複雑な形状の部品が必要なので、鋳鉄よりも強靭な鋳鋼と呼ばれる鉄の鋳物を機械加工して組立てられています。5インチゲージでは連結器の市販品がありますが、15インチゲージの場合は全部自分で作らなければなりません。と言って鋳鋼の部品はおいそれと発注できませんので、ダミー連結器と割り切れば木製の削り出し部品で作ることが最終選択肢になります。今どきなら3Dプリンターという手もありますが、人に頼んで作ってもらうのなら自分で彫刻したほうが達成感を味わえる、なんて呟いていると老人の言い訳だと謗られるかもしれません。木製や樹脂製の連結器の場合はぶつけた時の「ガッチャーン・チャリーン」という音が響かないのが欠点になりますが、擬音を作り出す妙案を今は思いつきません。しかしダミー連結器でも構造を工夫すればト1両くらいなら牽引可能ではないかと期待できます。

古い資料から割り出した鹿部電鉄仕様連結器寸法
 そもそも手作りするなら寸法を調べなければなりません。JIS規格があると思っていたところ、JISの鉄道関連規格は廃止されてJRISという新規格に切り替えられていることがわかりました。閲覧できそうになかったのでネットで探していると、柴田式自動連結器の古い資料が見つかりました。おそらく著作権の制約はないのでそのまま転載することも可能と思いましたが、1/3の縮尺で描き直してみました。割とラフな図面ですが、手作り連結器用の資料としては十分な情報が入っています。これを基にナックル部と本体部に切り分けて部品図を作成すれば何とかなりそうです。木材部品を削り出しで製作する場合、ナックルの摺動部(摺動面)には金属板を貼り付け、ピンを受ける穴にブッシュを使用することで作動の滑らかさや耐久性を得ることが可能です。

 ダミーとは言えある程度は首振りができるようにしたい、これは連結器ではなく車体側にどう取り付けるかという問題です。運転席の下部には足置き用の箱があるので、あまり長い腕のある連結器は収まりきらず、あるいは両足の間に伸びてきた腕をまたぐように座ることになるかもしれません。ドローバーを取り付けた時はその辺りのことについて深く考えなかったので、本格的な連結器を装備するなら妄想のし甲斐があります。

2024/11/30

待避線(余談雑談) もう一つの妄想

アルペンルートのトロリーバス
         2008年自身撮影
 この原稿を書いている20241130日をもって我が国の営業線からトロリーポールがなくなるとのこと。あれっ?と思われる方がいるかも知れません。京福電鉄叡山線(1978)がいわゆる鉄道での最後で、今般は立山黒部アルペンルートのトロリーバスの話になります。明治村のN電は依然として営業中()なので、厳密な意味で全くなくなってしまったわけではありません。

 私は、京福電車はもちろん京津線や羽後交通、海外の路面電車やトロリーバスに乗ったことがあり、目の前でポールが離線して大きな音と光を発するとともにスパンワイヤーが切れんばかりに揺れる光景を見て驚いたことを覚えています。そんな魅力たっぷりのポール電車は我が家の庭にも走っていて、デ1には前後に2本のポールが装備されて先端には溝付きホイールが取り付けられています。

京福電鉄モボ101                 デ1のポール
1972年頃自身撮影___________ 
 鹿部でデ1を作ろうと考えた時には「架線集電が出来たらいいなぁ」と思っていました。15インチゲージなら寸法的に充分可能であるし先例があったので、実際には解決しなければならない問題はあるかもしれないが努力次第でなんとかなるだろうと考えていました。しかし、知り合いから譲ってもらった中古モーターを使用するとDC100Vを供給しなければならないことがわかり、安全性の面から断念せざるを得なくなりました。だから溝付きホイールはプラスティック製戸車で済ませています。

 電圧の問題は別にして、実際にポール集電するには線路の両脇に架線柱を建て、梁を渡して碍子を取り付け、銅製のトロリ線を張ることになります。架線柱は足場用丸太、梁はLアングル(山形鋼)、碍子は木製を白塗装でごまかす、として最大の課題はトロリ線の形状と材料です。実物のトロリ線は直径10~16mmの硬質銅線で、吊るすための金具が線の両側から挟み込んで取付けられるようにだるま型の断面になっています。15インチゲージ用の架線が市販されているわけではないので、これに代わる吊架方式を考えたうえで材料を探さなければなりません。

JIS E2101 トロリ線の断面寸法
 トロリ線を1/3に縮小するとφ3~5とかなり細くなってしまいます。丸断面ではなく矩形にすることで剛性を稼いでスパン間隔を大きくするとともに吊架方法(金具)を簡便にすることができそうです。地下鉄の剛体架線みたいになると田舎電車らしさが失われるので、実用性と見た目のバランスをどこで妥協するかが考えどころです。現在使用しているバッテリーを外し、何らかの方法による低電圧給電で電車を走らせるとなると全線に亘って架線を張ることになりますが、そんな大層なことはいくら妄想であっても余命わずかな老人にとってあまりにも非現実的でしょう。事の起こりが「日本国内からポール集電がなくなる」ことで、せめて「鹿部電鉄でポール集電の光景を残したい」というのであれば、表の通りから見える直線部だけを見た目と(動画)撮影に耐える程度に「なんちゃって電化」するのもそれなりの意味があるのではないかと思いました。導電性や耐久性、漏電や感電に対する安全対策を考えなくてよいなら気楽な話です。ただし、離線時の対策やポールを上げての逆行を絶対に防止するような具体的な対策、例えば警報やインターロックを装備するくらいのことは考えねばならないでしょう。
大沼電鉄の「電車線路及び軌道構造図」
                  国立公文書館保存資料

 これから冬に向かって暖かい部屋でキハの仕上げについて構想を練ったり図面を描いたり、その延長で電化計画の妄想を膨らませるのはいいかもしれません。

2024/11/21

キハ扉部と側板の製作

  今年の秋は高温が長引いて紅葉が遅れていました。例年10月の下旬には駒ヶ岳が初冠雪するのですが、それも11月にずれ込み、やっと雪化粧したかと思ったら里も白くなって震えあがりました。それでも本格的な冬到来で外の作業が出来なくなる前にキハをそれなりの姿に仕立て上げようと、線路整備や庭の冬支度も脇に置いて車体製作に精出してきました。

 前後の妻板ユニットに引き続いて4か所の扉部の製作を始めました。妻板や側板に合わせたt12の桧板材にt3の薄板を重ねて貼り合わせるように設計していましたが、強度(構造)とコストに問題があり、穴だけあけておいて扉は後から製作して取り付けることにしました。扉まわりの側板の外周には補強および前後の側板との固定を目的とした角材を貼りつけてあります。扉はスライドせず、4か所のうち対角の2ヶ所はヒンジを取り付けて外開きの乗降用扉にし、残りは構体に固定します。デ1の扉は4ヶ所ともスライド開閉しますが、実際の乗降は運転席の左側のみ使用しており、側板の一部を外開きにして開口寸法を稼いでいます。キハも片運転台なので1か所のみ扉が開けば実用には耐えますが、万が一横転してその扉が使えない場合に備えて反対側も開くようにします。ガソリンエンジンの使用を計画しているので安全対策として考慮しました。

扉部の設計図 扉の厚さ(強度)が不足するので再設計することに

デ1とキハの扉比較
 車体材料として桧板t12×75×1000を24枚購入したことを書きましたが、使用量の見積りを誤っていて追加手配が必要になりました。初期手配分は汎用のセット品で75mm幅の節ありでしたが、追加分は同じ厚さで120mm幅節無しにしました。多少割高ですが、表面がきれいで節の穴埋めをすることなく、6枚を貼り合わせて1700×350の腰板を平らに形成することができました。幕板は120mm幅そのままで長手方向の補強材と貼り合わせて使用しました。板材を貼り合わせる際には、接合部の裏面に仮固定用の大型補強部材を木ネジで取り付けてから一旦外します。あらためて接合する板材に接着剤を塗布してから仮固定材にだけシリコンオイルをスプレーし、再度木ネジで同じ位置に固定します。固着後木ネジを緩めると仮固定材はシリコンオイルの効果で簡単に外れてくれます。幕板と腰板は両端を上下方向の補強材で結合し、その間に窓枠をはめ込んでいきます。この作業は窓の試作および妻板の製作で経験済であり、カーブした妻板に比べると数は多くても構造が単純なので時間はかかりますが淡々とこなしていくだけです。
左上:裏両端に補強材取付け     右上:表から窓縦桟取付け
左下:戸袋窓枠製作         右下:窓枠取付け____                  

 「秋の日暮れはつるべ落とし」と言う通り、あっという間に暗くなります。緯度が高く子午線から東に遠く位置しているので、この季節は午後4時過ぎにスケールの目盛りが読み辛いなぁ思ったらすぐ作業終了になります。午後は長い昼休みの後、お茶を飲んだりおやつを食べたり、通りがかりの訪問者とのおしゃべりもあるので2~3時間しか取れませんが、切り上げ時間が早くなると実質的にさらにその半分くらいしか働けません。側板の加工が終わったら構体に仮付けして今年は終了にしようと決めました。ブルーシートは雨が浸透するようなので、この状態で冬を越すためにはその上からビニールを掛けないといけません。もちろん「肉屋のコロッケ紙袋型」にするつもりです。今年は(いや今年も)結局計画通りに進まず、未完成のまま雪の季節を迎えます。去年の今頃のブログを読み返すと、カヌー格納庫の雨漏りと戦いながらTR27の仮組まで漕ぎつけたようでした。思い通りにはならなかったとは言え、遅い春からの半年で台車を完成させ車体の構体と木製車体のパーツをほぼ作り上げたわけで、その実績については自分を褒めてやらなければならないと思います。「老骨に鞭打ってよく頑張ったぞ!」

ここまで出来あがると俄然キハらしくなってきました
この姿を見ると苦労も忘れてうっとりするばかりです

2024/11/01

待避線(余談雑談) 15インチゲージを始めて変わったこと 続編

実物が見られなくなってから作ったキハ26

  自宅に自分が乗り込んで運転できる電車ができてから、実物の電車の運転体験やシミュレーターによる運転に興味がなくなった、と書きました(2024/1/25)。他にもう一つ鉄っちゃんとしての嗜好が変わったことがあります。私は子供の頃から作り鉄で、これまで各種のサイズの鉄道模型を作ってきました。中でも16番は小学生の頃から始め、目や指先の働きが追い付かなくなるまで私のメインスケールでした。自分で作らなくなっても模型店のウィンドウやイベントなどのレイアウトでは目を凝らし、雑誌の製作記事を読んでは秘かに自分の技法や完成度と比べたものです。ところが1/3スケールの大型電車を作るようになってからは、小さな模型の製作記事を食い入るように読んだり、投稿動画に強い興味を持ってそれを視聴したりということがなくなりました。

 あらかじめ断っておきますが、決して小さな模型を作ること、蒐集すること、運転することが面白くないと言うつもりはないし、大きさを基準にしてそういう趣味嗜好を蔑む意図もありません。掌に収まる模型に対する興味と、自分自身を包容してしまう構造体への観念は、次元が異なっているように思えるのです。作り方が全然違う、つまり材料も加工方法も違うし、構造や必要な強度も異なっています。当然作り手が表現しようとする対象への拘りは同じであっても模型化した時の差は歴然としていて、「質感」や「遠近感」といった言葉で説明できるもの以外に、慣性力とか加速度、振動、音響などテーブルの上では考えたこともなかった体に伝わる感覚が現れることを知ってしまったわけです。

音響や振動と共に木の香り漂う車内
 その部分がない鉄道模型は私にとってやはり物足りなさを覚えるのでしょうか。細密表現された模型を見ると私の手抜き工作を恥ずかしく思う一方、縮小模型では再現しきれない実在感が取り残されているように思えてしまいます。桜谷軽便鉄道のオーナーで今は亡き持本さんのように次々と車両を製作されていた方と違って、私は10年経ってやっと3両目を手掛けるのんびりモデラ―です。それでもコツコツと作っている電車は少なからず実物により近い模型であるという自負が一貫していて、そこはおそらく持本さんも同じだったと思います。ただ単にスケールに拘っているということではなく、大きな縮尺であるがゆえに、実は自分自身が意図的にそうしているわけでもないのに、自ずと質感というか重量感が漂って来るわけです。しかもそれはどうにも手に負えないほどに重いものではなく、老人が足を踏ん張れば車輪をレールから浮かせることができる程度にフレンドリーでもあります。

 私は現在の趣味の対象であるこの重量物がたまらなく好きで、自分の製作能力が及ぶべくもないNゲージや16番を傍らに差し置いて、日夜庭のデ1を愛で、キハ40000の完成を夢見ています。鉄っちゃんであることに変わりはありませんが、その分類たるや「自家鉄」と称する作り鉄の一派で、可能な範囲でスケールに拘りながら加速度を体感することに無上の喜びを見出す日々を送っています。

2024/10/15

独立回転車輪の実験

  妻板ユニットのもう一方を作っていたので進捗状況の更新を怠っていましたが、構体の両端に取り付けて写真撮影をしました。この後内部の仕上げをしてから扉部の製作にかかります。

 構体に被せていたブルーシートを外したついでにちょっとした実験をしました。この車両の車輪は左右が自由に回転できる構造にしてあることは計画段階から触れてきました。つまり急曲線を通過するときに避けられない左右(内外)の車輪の移動量の差によって踏面で生じる滑りをなくして走行抵抗を減らす機能を備えています。まずは下の動画をご覧ください。

 車輪が一回転すると、反対側の車輪と固定された車軸との間でズレが生じることがわかります。もし両車輪が一体に固定されていたとすると、どちらかの踏面とレールの間で余計な摩擦が発生していたということです。曲線を通過する際の内外の車輪の移動量はそれぞれの半径に比例するので、仮に外側の車輪が滑ることなく一回転すると、内側の車輪も一回転しながらより少ない距離を移動しなければなりません。具体的に半径4mのカーブでは

内側車輪の踏面は一回転ごとに75mm分滑ることになります。独立回転車輪では左右(内外)の移動量に応じた回転となり、急曲線をより少ない抵抗で走行できます。

 感覚的には2軸のトより走行抵抗が大きいはずの4軸のキハ構体のほうが滑らかに(軽く)急曲線を通過できているようです。数値測定をしていないのとサスペンションの有無などの影響もあるかもしれないのであくまでも感覚の話です。

2024/10/07

待避線(余談雑談) チョッと残念な写真

 神戸の実家には、中学生から高校生だった頃に撮った写真のアルバムがあり、その一部はスマホで撮影し直して手元で保存しています。アルバムのフィルムが白く反射しているのでまともな写真ではありませんが、時々昔を懐かしんで見ています。

 その中の一枚、1964年(昭和39年)頃ではないかと思うのですが加古川気動車区(機関区)で珍しくC12を撮影しています。まぁ駆け出し鉄っちゃんとしては目の前にSLが停まっていたら撮らないと、と思ったのでしょう。アルバムに貼ってあってもじっくり見ることはありませんでした。しかーし、あらためて目を凝らすと右奥の方にキハ17と並んでキハ06が写り込んでいるではありませんか!ただはるか遠方の被写体をいくら拡大しても、ハーフサイズでセミオートカメラの印画紙上では辛うじてそれらしい陰影を認めることしかできません。

加古川気動車区のC12 236の奥に見えるキハ06
上の拡大画像
 このブログでは、妄想トレインキハ40000に関わるお話として度々加古川線でのキハ06の記憶に触れています。青/薄茶塗装で走っている姿を実際に見たし、何度も乗車しています。とは言えこのキハ06を撮影した記憶はなく、「なんで撮っていなかったンだろう?」と悔しく思っています。そりゃ今でこそ旧型気動車に入れ込んでいますが、親から借りてきたカメラの限られた枚数のフィルムで効率よく車両を撮影するためには、廃車前のオンボロよりキハ20にレンズを向けて当然だったかもしれません。

待機中のオハ31
 その頃のキハ06は朝ラッシュ時にキハ17系、20系の5~6連くらいの最後尾に付随車として連結されていて、単行で働くのは高砂線での運用くらいでした。他の写真を見て驚いたのは、キハ20の背景にダブルルーフでリベットの並んだオハ31が写っていたことでした。やはり気動車列車の増結用として旧型客車が使用されていたのを思い出しました。当時の車両不足の状況が垣間見えますが、その後キハ30系が入線し、キハ06は廃車されました。ATSの装備計画から除外されていたのが理由だったそうです。


注記:加古川区に配属されていたキハ06は、機械式気動車の中でも戦後製で最初からディーゼル機関を装備していたキハ41600が改番されたものです。車体はリベットがなく、それまでの不具合を改良した設計で増備されていました。配置記録によると十数両が加古川区に所属していたようで、一部は液体式総括制御改造がなされていたとのこと。上記の「付随車として連結されていた」というのは誤りかもしれません。

2024/10/02

待避線(余談雑談) またまた危機到来

  今使っているパソコンがかなり時代遅れの骨董品であると書きましたが、操作に対する反応が遅い、あるいは渋停滞する、時としてハングアップしてしまうことがあります。過日動画を見ていて度々画像が途切れるなぁと思っていたら、突然画面が砂嵐になりその後プツンと電源が落ちてしまいました。再度立ち上げても同じ状態が繰り返されるばかり。ここまで深刻な事態は初めてで、いよいよ寿命が尽きたかと諦めたものの、ここ半年ほどファイルのバックアップを取っていなかったこともあり、そちらが気がかりで絶望感に苛まれました。

 パソコンもしっかり休ませてから立ち上げるとリフレッシュすることがある、と聞いていたのでウソかマコトか丸一日手を付けずそっとしておきました。翌日おそるおそる起動ボタンを押してみると、少し時間はかかったものの見慣れたデスクトップの画像が現れたので胸をなでおろしました。その日はまた後悔しないようにバックアップに励みましたが、コピー・ペーストが遅いのでとても手間取りました。ご隠居さんの遊びなのでいくら時間はかかってもいいのですが、会社勤めでのんびりこんなことしていたら叱られそうです。

 今後もしブログが長期に亘って更新されないという事態が発生することがあったら、それはパソコンのダウンが理由だとお考え下さい。

2024/09/21

待避線(余談雑談) 地域貢献の話

  鹿部市街地にある鹿部小学校とリゾート地区は地理的に距離を隔てているので、年に二度「鹿部っ子教室」という名前で子供達とリゾート住民の交流会が開かれます。ゴルフ場で凧揚げをしたり昔の遊びに興じたり、今年は趣味の紹介講演と決まりました。私がその内の一人に指名され、鹿部電鉄について説明をすることになりました。

鉄っちゃんになったいきさつを説明中

 まず自己紹介と鉄道ファンになったいきさつ、次に鹿部に大沼電鉄があったこと、最後に鹿部電鉄を作ったこと、写真パネルを使って話しました。当初春先にリゾート内を歩いて鹿部電鉄を見学することが計画されていましたが、住宅地でのヒグマの目撃情報が相次いだことから、子供の安全を優先して延期されていたのでした。それでも今回はお話しだけで、見学は来年まで持ち越しになりました。

 聴衆は小学校3年生から6年生の希望者20名でしたが、3年生は少し退屈そうに見えました(当然個人差はあります)。「子供の頃家の近くに鉄道があって鉄道ファンになりました。」と言いましたが、鹿部の子供たちは普段からほとんど鉄道との接点がなくキョトンとしていました。函館の市電は見たことがあるようで、「鹿部の町の中を電車が走っていたことは想像できますか?」と聞くと、身近な街角と市電のイメージが重なったのかチョコッと頷いたように見えました。最後に女の子の一人から「鹿部電鉄の小さな電車を見たい」という声が挙がったので「是非見に来てください」と期待を持たせておきました。

 さぁ、それまでに崩れそうなプラットホームやめくれ上がった敷石を修復しなければなりません。腐った枕木や散乱した道床の砂利の交換・追加も課題です。こんなことでもないと保線に手が回らないので、いい機会と捉えれば励みになります。

2024/09/12

キハ妻板ユニットの製作 第4編

  妻板ユニットには運転席横の両側板が含まれるので、妻板と同じ要領で小さな側板を作って結合します。つまり窓と同じ幅の幕板、腰板の間に工作用ヒノキ角材の窓枠を接着し、妻板の隅柱に木ネジで固定すれば出来上がりです。コの字型に組上がると立体感が増して妻板だけの時よりはるかに「エエ感じ」になります。寸法確認を兼ねて構体の前に仮に取付け、しげしげ眺めてみました。扉から後(中央寄り)は未完成、屋根も付いてないのでその辺りは得意の妄想で塗装済みの車体を夢見るのですが、デ1の木造ボディを台枠の上に載せた時の光景が脳裏に蘇って、妙に懐かしく感じました。

 今年も7、8月は例年通りサークル活動に加え、祭りやイベントで何かと忙しく、車両製作にあまり時間を割くことができませんでした。こんなのんびりペースでは雪が降るまでに屋根を取り付けるなんてとてもできそうにありません。

ここまで出来ました

2024/08/30

キハ妻板ユニットの製作 第3編

  幕板と腰板の間にヒノキ工作材をはめ込んで窓枠を作ります。できるだけ実物に近い造作に拘り、正面中央向かって右側の運転席窓だけ上下段とも固定で凹ませます。これ以外は上段固定、下段上昇式で、スペーサーを入れて段差のある構造を表現します。上昇式とは言っても実物の窓の話で、鹿部仕様は全部固定して開閉できません。運転席横の両側窓は落とし込み下降式を模しています。乗務員扉がある車両の窓のように車掌や運転手が上半身を乗り出せるよう全開できる構造ですが、もちろん鹿部では閉位置で固定です。ついでに説明しておくと側面の戸袋窓は上下段とも固定で凹んでいません。こんなバリエーションの表現も大型模型ならではで、16番では2段窓も上下面一で作っていました。それはもちろん工作が楽だからということから選択した方法ではありますが、上下の窓枠に段差を設けるとなると0.2mm以下のひ弱なペーパー材料を使用しなければならず、厚い材料では軽量車体のイメージが損なわれてしまうという縛りがあるからなのです。

 妻面の窓枠を取り付ける前に位置決め用として3本の縦桟を仮に取り付けます。そのために幕板と腰板に縦桟の厚みと同じ凹みを加工して、面一で取り付けられるようにしておきます。この加工にはトリマーを使用します。トリマーは、時々家具工房から借用していた便利な電動工具ですが、以前から欲しくてホームセンターに行く度に指をくわえていたものです。通販でお得な価格を見つけたのでとうとう買ってしまいました。加工を初めてすぐに手元に異変を感じて止めたところ、ステンレスの木ネジとビット(切削刃)が接触して刃先が変色変形していることに気付きました。ダイヤモンドヤスリで刃を修正しましたが、切れ味はあまり回復せず、それまで静かに削れていたのに刃先から異音がするようになってしまいました。とりあえず削るという機能は残っているので折を見て交換用ビットを購入することにしました。不注意が招いたいきなりの痛い出費です。

上左:購入したトリマー 上右:縦桟の入る凹みを加工
下:縦桟を取り付けた状態

所定寸法切断済窓枠材料
 窓枠は最初に書いた通り工作用ヒノキ角材で作ります。予め図面を描いて各部材の厚さ、幅、長さを決め、30種類の角材を用意します。それぞれ1両分で2個から12個必要となるので、チップソーに寸法決めの治具をセットしたらスパスパと切っていきます。よく似た形状のものがあり、使用箇所は設計した本人でも頭を傾げるほど複雑、鉛筆で番号を打って図面と突き合わせながら妻板の上に仮置きします。組み合わせが決まったら妻板にはめ込んで寸法を修正し、直角を確認しながら窓枠を接着組立てします。
ジグソーパズルのような窓枠組立て

 四角い窓枠を曲面の妻板にスキマなく組み込むわけですからカンナを使って端部を斜めに削る作業が必要になるのですが、これは設計の段階では想定していなかったので現合加工が避けられません。片方の妻板の窓枠を組立てるのに1週間以上かかってしまいました。ただし拘った窓枠の段差はきれいに表現できたので達成感は得られました。細かいところでの失敗はもう片方の妻板製作時にフィードバックし、要領もわかったので時短も可能かと思います。それにしてももう一個作るのかと思うとチョッとうんざりですが、妻板は車両の顔のような重要な部位ですから手抜きはできません。

「ウーン、なかなかエエ感じ」です
車内側もそれらしく仕上がっています

2024/08/25

待避線(余談雑談) ある日車型軽量気動車の話

              神戸電鉄クハ131          自身撮影

   右の写真は、私が昭和40年頃に神戸電鉄鈴蘭台駅のはずれで撮影したクハ131です。近くにいた駅員か乗務員にひと言声をかけてから線路に降りて撮ったはずですが、今では考えられないような時代でした。

 まぁそんなことは本題ではなくて、この車両クハと称しているものの、元は神中鉄道(現相模鉄道)の気動車キハ30型、1935-1936年(昭和10-11年)製造、戦時中に2両が神戸有馬電鉄に譲渡されて(電車の)制御車になった変わり種です。そう思って見るといかにも日車製気動車で、車体幅は狭く、窓まわりが薄っぺらで、乗務員扉がありません。運転台は左片隅にあり、その右側は妻板まで客席が迫っています。台車は元の帯鋼製菱枠型を電車型(おそらく改造を手掛けた川崎車両製D-16)に履き替えているようです。全長はキハ40000とほぼ同じ12mです。

            クハ151                自身撮影
 神戸電鉄は母方の実家が沿線にあったので幼い頃からよく乗っていました。先頭の席に座った時は窓を開き、身を乗り出して線路が足元に流れる様子を目の当たりにしたものです。側窓と違って手や頭を出しても特に危険があるわけではないので真横にいる運転手から注意されることはありませんでした。クハ151もやはり元神中鉄道の気動車で、こちらは少し大型のびわこ型流線形車体でした。先頭に展望席があるのは同じで、私は子供ながらにこれらが他の電車と違うことを認識していたので、乗り込んだら真っ先に前へ走っていました。もう少し大きくなってからのことですが、コンビを組んでいるもう一両(電動車)と車幅や車高が違うことが気になり、なんとはなしに異端車に見えたのはすでに鉄ごころが芽生えていたためだったからかもしれません。もしこの車両が凸凹ユニットの制御車ではなく、気動車のままであったり単行の電車であったりしたなら、スマートでキュートな存在に見えたことだろうと思います。そんなわけで、当時この日車型軽量気動車は展望席以外あまり興味をそそられることはありませんでした。

 そう思わせたもう一つの理由は、はるかに強く心揺さぶる新型車両が目の前に現れたことでした。それはデ301で、フカフカのクロスシート、アルミサッシや美しい内装、ゆったりとした車体の揺れ方、カルダン駆動のヒューンという加速音、ツートンカラーの外装と湘南型の2枚窓正面など、すべてがそれまでの田舎電車神有(神戸有馬電鉄)のイメージを一新する装備でした。何年か前の遠足で山陽の2000型に乗って受けた衝撃を思い出させる出来事でありながら、より身近な場所での新型電車との遭遇は、今思うと自分の家の庭に好きな電車が走るような幸福感にも匹敵する喜びでした。

              デ301              自身撮影

2024/08/12

キハ妻板ユニットの製作 第2編

  隅柱は図に示すように少し複雑な形状です。4枚の妻板・腰板補強板がはめ込まれる溝が成形されており、本箱の棚板のような構造です。ただし本格的なほぞ組みであれば打ち込んだだけで直立するはずですが、溝は位置決め程度の深さしか取っていませんので、箱状で自立するように仮組みする必要があります。直角を確認しながら余っていた節だらけの板を裏側に当てがって隅柱と補強板を木ネジで本箱状に仮固定します。この段階は接着剤を使わず、これに貼り付ける幕板や腰板の寸法確認と加工を行うための準備作業です。

車体隅柱の図面(上)
加工中の様子(下左)と完成品(下右)
雇いの裏板を取り付けて組上げた本箱状態の妻板枠

4枚の幕板をピタリと取付け
 補強板が固定されたらその上に4枚の幕板と11枚の腰板を貼り付けます。補強板の加工時に残されたケガキ線と幕板および腰板が正確に合致するよう1枚ずつ原物合わせで幅を確定します。この時、隣り合う板の面がスキマなく密着するように側面の角度もカンナで修正し、形状が決まったら木ネジで補強板に取り付けます。デ1の腰板は凹凸をはめこんで繋いでいく板継ぎ構造だったのでスキマはあまり気にしなくてよかったのですが、キハ40000は木製車体の表面を鋼板に見せる必要があるので部材の継目のスキマが残るのは禁物です。最終的には接着してからパテを塗ってツルツルに仕上げる計画ですが。


 幕板、腰板の取付けが終わったら、R900の曲面を手のひらで感触を確かめながらカンナとサンダーで仕上げていきます。カヌーの曲面を成形した時の手法の応用です。これも柔らかいヒノキ材ならではのテクニックと言えます。ただし素材が柾目ではないので場所によってはクセの強い板目(不規則な年輪模様)が現れることがあり、カンナをかけたときに逆目でささくれ立った面も出てきます。こういう部分はサンダーをかけても凹凸が消えないことがありますが、最後はパテが隠してくれるので、あまり気にせずそこそこにしておきます。

 幕板と腰板の寸法合わせと仕上げが終わったら一旦木ネジを緩めて部品を取り外し、一ヶ所ずつ木工ボンドを塗布してから再度ネジで固定し、位置ズレや歪みがないことを確かめたうえで接着剤が固まるのを待ちます。同じ要領で11枚の腰板を取り付け、翌日以降に接着剤が乾燥してから木ネジは全部抜き取ります。ウィンドウシル・ヘッダーで隠れないネジ穴は後ほどパテで埋めます。

 淡々と組立て手順を書いていますが、最初からこの筋書き通りに作業できたわけではなく、実は雇いの裏板を木ネジで固定して箱状に自立させることも試行錯誤の末に寝床で考えた方法です。「よし、明日はこのやり方を試してみよう」と楽しみにしながら眠りに就くと、夢見も目覚めもいいようです。

2024/08/01

キハ妻板ユニットの製作 第1編

  やっとキハ木製車体製作の途中経過報告ができるところまで漕ぎつけました。と言ってもまだ部品加工の段階です。材料調達や道具の調整に時間を費やしていたことに加えて、組立ての核になる隅柱の加工が家具工房の順番待ちなどで遅くなってしまいました。

 車体製作の工程(計画)は以下の通りです。

1.鋼製構体 (完了)

2.妻板ユニット(製作中)

3.扉ユニット

4.側板(扉間)

5.屋根

6.ディテール(ベンチレーター、灯火類、連結器)

妻板ユニット
 鋼体に各ユニットを取り付けて行くという段取りで、完成後も改造や修理の際にはユニットごとに取り外すことが可能となるよう設計してあります。ここまで今年の雪が降り始める頃に完成できれば、と考えていますが計画通りに終わった試しがありません。

妻板寸法





 まずは妻板ユニットの部材加工から着手しました。すでに設計は終わっていましたが、あらためてサインコサインピタゴラスで詳細寸法を計算して部品図に記入し、よく切れる道具でできるだけ正確に加工しました。デ1の材料であるクリ材に比べて柔らかいヒノキ材はカンナの食いつきもよく、ノギスを使って寸法を確認すれば0.2mm程度の精度が出せるようです。購入した板の幅は75mmなので、例えば120mmの幕板は75mmと45mm幅の板に接着剤(木工用ボンド)を塗布し、クランプで挟んで一昼夜待ってから加工します。そうやって準備した素材は部品図および組立図に従って外寸を仕上げた後、正面の幕板および腰板表面がR900になるよう仕上げ代1mm程度を残して大雑把にカンナで削っておきます。

幕板補強板の詳細加工寸法

片側の妻面幕板は素材4枚を補強板に取付けて曲面を構成
 さてそうこうしている内に家具工房に依頼していた隅柱の加工が始まりましたので、機械に貼り付いて図面の説明をしました。次編に続く。

2024/07/20

各種資材搬入

  キハの車体製作が始まりました。木製車体は主にヒノキ材から製作します。2023年4月19日投稿の「キハの窓試作」に書いた通り、ホームセンターで入手できる工作用ヒノキ角材を使えば日車製軽量気動車の窓まわりが実感的に表現できることに起因しています。窓以外の部分も同じ材質にすることで温度や湿度による歪みや反りを低減できるのではないかと期待しているわけです。ヒノキは風呂の浴槽に使われるくらいですから耐水性、耐久性に優れている一方、柔らかい性質もあって加工性が良い反面、当て傷や掻き傷ができやすいという弱点があります。節のない柾目の材料を使えばきれいな仕上げ面が得られますが、大きな部材はびっくりするような値段になります。色々と悩んだ結果、窓まわり以外の幕板や腰板、屋根のリブ等の構造部材は12mm厚75mm幅の表面仕上げ材を通販で購入することにしました。節なしだと値段が10倍以上に跳ね上がるのでイチかバチか節ありを選びました。どうせ切り継ぎするので表面に節の部分を避けて使えば何とかなるだろうとの見込みです。

工作用ヒノキ角材で試作した窓

節のないきれいな上4枚と節や外皮の残った下2枚
 通販サイトからヒノキ製材長さ2mの24枚セットを注文したところ、価格7800円に対して送料のほうがはるかに高い見積が返ってきたので一旦キャンセルし、長さを1mにして48枚注文したところ送料は2800円と普通の宅配便の料金になったので内容変更して発注し直しました。数日後届いた梱包を開くとほとんど節のないきれいな板が入っていました。「これは儲けた」と勇んで1枚めくるとやっぱり節なし板、しかしもう1枚下からはあちこちに穴の空いた板が出てきてまぁまぁ想定の範囲に落ち着きました。因みに購入した製材はプレーナー仕上げ乾燥済み品でした。表面は組立て後塗装前にパテを塗ってサンダーで仕上げるのでどうでもいいのですが、乾燥材であることは必須条件です。

妻板ユニット用に購入した工作用角材

 車体の工作は手始めに妻板ユニットである正面と運転台横の窓部を作ります。窓枠やウィンドウシル・ヘッダーは工作用角材を使うのでホームセンターで所定の寸法の材料を揃えました。函館には3系列の大手ホームセンターがありそれぞれの価格比較をしました。A店は「同一品が他社より高い場合はさらに10%引きにします」と謳うだけあって一番安く、サイズによって他店の70~50%程度の価格でした。一般的に考えて細い角材ほど加工費(メーカーコスト)は高くなると思うのですが、単純に寸法(体積)に比例したような価格(ユーザーバリュー)が付けられているようで驚きました。ちなみに3×3×900は単価19円でした。

 そうこうしている内に6kgレールの配送連絡がありました。6月に届くとのことでしたが、天候の関係で船積みが滞って遅くなっていました。道路と生垣の間(セットバック用地)に枕木を置いて待っていると、なんとユニッククレーン付きの12t車が家の前に横付けされました。最初の時も4t車で驚きましたが、よほどやりくりがつかなかったのでしょう、送り状には「694kg」と書いてありました。想定外の大型車だったので国道へ出る曲がり角が心配でしたが、難なく帰って行きました。

大型トラックに恥ずかしいような積み荷

 本州各地で梅雨の豪雨被害が出ている中、当地はお天気続きで早速レール踏面の防錆処理(クリアラッカー塗装)をしました。翌日カヌー格納庫に保管する作業を始めました。暑さをしのぎながら(と言っても本州の酷暑とは桁違い)半分ほど(十数本)入れた時点で床が歪んでこれ以上運び込むと底が抜けるかも、という状態になりました。枕木は2本敷いただけだったので荷重が集中していたのでした。さらに翌日、作業効率を考えてカヌー移動用レールを撤去し、一旦全部運び出してから床に枕木を50cm間隔に敷き直しました。レールは3.6mと短めですがそれでも1本20kg以上あり、一人で狭い場所への出し入れで腰への負担は限界に達していましたし、熱中症の恐れもあって作業は半日で中止。次の日は午前4時起床して涼しいうちに開始、日が差す頃にはカヌーレールの復旧を含めて全部の作業を終えました。

左:防錆処理をして格納庫まで一人で入れたり出したり、ここまで3日がかり      、                
                   右:翌早朝から作業して合計32本搬入完了     

 このレールが日の目を見るのはキハの製作が一段落してから、軽快にデやキハが走る日を夢見ながらしばらくここで眠ってもらいます。