2021/04/25

車体の塗装

  屋根の製作を進めながら側板と妻板の仕上げや塗装を並行したので説明が前後します。ウィンドウシル・ヘッダーや幕板の継目など隙間が目立たないようにコッテリパテで埋めました。水性なので水で溶いて刷毛で上塗りするときれいな平面になります。23日置くとパテが痩せるので削って盛ることを何回か繰り返すと継目はほとんどわからなくなります。#80で粗削りした後、#240で電動サンダー仕上げします。羽目板の部分は節の凹みなどを除いて木目を残すためにできるだけパテを塗らないようにしました。

パテ塗り仕上げ完了

 表面が平滑になったら、削りカスをきれいに拭き取り、油性ペイントを刷毛で塗ります。「ニッペホームペイント、鉄部・建物・トタン用」ですが、もちろん木部にも使用できます。実物はおそらく当時の国鉄客車や電車の標準色、ぶどう色1号だったと考えられます。ニッペの中では「チョコレート」が最もそれらしく、調合済みなので後で買い足しても色調に差が出ないだろうと考えました。屋外使用を前提とした油性ペイントはラッカーより耐候性が強く、塗膜が厚いうえに刷毛塗りでもムラが出にくいというメリットがあります。重ね塗りをすることで塗膜をさらに丈夫にしてムラをなくすことができます。超速乾とは謳っているものの、ラッカーに比べると乾きが遅いので重ね塗りには23置く必要があります。とりあえずは2回塗って、後は1年ごとくらいに塗り重ね、ある程度の塗膜になれば適宜補修するという計画でよいと思っています。

車体塗装完了
 木製車体を組み立ててから約1年無塗装状態でした。直接風雨にさらされないように、作業時と運転時以外はシートを被せていましたが、濡れるとシミができて見苦しくなります。「せっかく木造なんだからニス塗りにしたら?」と冗談で言われたこともありました。確かに函館市電の復元車はキレイな木目車体です。油性ペイントは、塗って数ヶ月くらいは水を弾きますが、その後徐々に撥水性は低下していきます。それでもクリやアカシア材は水に強いので腐るおそれはありません。むしろ濡れることでペイントそのものの色艶の劣化が進むことが心配です。

2021/04/15

屋根の製作

  デ1型電車の屋根はいわゆるダブルルーフと呼ばれるタイプで、明治から大正時代の客車や電車で一般的な構造でした。この電車が製造された1928(昭和3)頃にはシングルルーフの鋼製車体が新造ボギー車の主流になっていました。しかし地方の小私鉄では依然として廉価な小型木造車を必要としていたのでしょう。山形交通モハ100(1926年製)や羽後交通デハ1(1927年製)がダブルルーフの四輪単車で、大沼電鉄とよく似た寸法・形態でした。いずれもこの電車の屋根を製作した前年の2017年現在静態保存されていたので、実物を参考にすることができました。実はその年、鉄道研究会OB会が新潟で開催されたのに便乗して東北地方の保存電車を見学して回ったのでした。その際に大沼電鉄デ1よりも少し古い蒲原鉄道の1923年製木造ボギー車モハ1を間近で車内外から観察することができました。
山形交通モハ103            羽後交通デハ3

  蒲原鉄道モハ1        ダブルルーフの内外形状
 その時ダブルルーフが外部の明かりや空気を車内に取り入れるために巧みに工夫された構造になっていることを知りました。初めて大沼電鉄デ1型を再現すべく図面を描いた時は寸法や構造のことをあまり深く調べず、なんとなくそれらしい形になればいいくらいに考えていました。その後製造元の日本車両の図面を入手するなど詳しい寸法・形状がわかることになるのですが、時すでに遅し。着工していた屋根の製作は初期の計画図に基づいて行い、厳密に言うとスケール通りではなくなってしまいましたが、作った本人さえそんなことに気づかなかったわけですから見た目は立派な()ダブルルーフです。

日の丸自動車法勝寺線
デハ203修復工事中の屋根

後藤工業ホームページから
 電車の基本構造の項目でも書いたように屋根は車体の上に取り外し可能な形で被せるようにします。実は鹿部で走らせる電車のことを空想していた時、小さな車両の屋根から頭を出して運転するとか、屋根を跳ね上げて乗り降りするとかと考えていたことがありました。そんな概念に捕われていたのか、屋根を独立した構造物にすることを当然として計画しました。ただ、前後端部の3次元曲面をどう作るかに関しては具体的な工法を想定してはいませんでした。たまたまネットで見つけた日の丸自動車法勝寺線のデハ203修復工事の記事には、曲面仕上げされた短冊状の板がきれいに並べられている写真が載っており、16番のペーパー車体なら常套手段ですが、このサイズではかなりの難工事が予想され自信を失いかけていました。後に詳述しますが、偶然この問題を解決する画期的な手法に出会い、見事に3次元曲面を作り上げることができました。

屋根の構造図              屋根骨組み

 屋根のユニットは、10×90mmの板で作った、車体(側板と妻板で枠組みを囲ったもの)より全周に渡ってひと回り(5mm)大きい枠に、屋根板を貼り付ける骨組みを載せ、外周に雨樋をはめ込む構造にします。説明を聞くより図面と現物の写真を見る方がよくわかると思います。中央の直線部6か所の骨組みは、20mm厚の板から型紙に沿って切り出した部材を接着剤と木ねじで組み立てたものです。前後の3次元曲面部のベースは大きな角材からチェーンソーや木工ヤスリを使って削り出し、やはり断面ごとの型紙を当てながらカンナで仕上げてあります。削り過ぎた部分はパテで埋めたりもしましたが、この部分は最終的には屋根板で覆われるのであまり丁寧な仕上げは必要ありませんでした。車体より5mm出っ張った板の部分に、10mm幅の溝が切られた雨樋をはめ込みます。キッチリ仕上げられているので木槌でトントンと叩くと気持ちよく収まります。直線部は所々木ねじで固定し、妻板の曲線部は雨樋の裏側からノコギリで切れ目を入れて少しずつ曲げながら4060mmごとに木ねじで固定します。

2021/04/09

その後の進化

  電車にモーターや制御器が取り付けられて実感的な運転ができるようになると、やっぱりまたそれに夢中になって作る方の手が止まってしまいます。それでも少しずつですが、電車は進化を遂げます。

少し引き締まった感じになりました
 側板と妻板は最初ノッペラボーでしたが、幅広の側窓中央に縦桟を追加して小窓に分割し、ウィンドウシル・ヘッダー(窓上下の帯板)を取り付けて、少し引き締まった顔立ちになりました。妻板のシル・ヘッダーは裏側からノコギリで切れ目を入れて少しずつ曲げながら木ねじで固定します。クリ材は硬いので何か所かひび割れしてしまいました。ウィンドウシルは古典車輛らしく2段にしてメリハリをつけようと試作を試みました。窓桟の間にキッチリはまり込むように切れ目を入れるのは指物師の仕事みたいで難しく、技術の及ばないところはコッテリパテで埋めるという最終手段に頼らざるを得ません。目立たないところですが、側板のステップ部(戸袋の部分)と中央部の羽目板長さが異なる段差にRを付けて切り取りました。
ウィンドウシルの構造と部品図

制御器ハンドル
 制御器は「起動」「運転」の2段だったところ、日本橋のパーツ屋で買って来たロータリスイッチに交換して「起動」「加速」「運転」の3段になり加速がスムーズになりました。それに伴って電流の変動が小さくなり、無理なノッチ進段でスリップすることもなくなりました。スイッチのツマミでは味気がないので、マスコン風の木製ハンドルを金色(真鍮色)に塗装したものを接着し、雰囲気を盛り上げました。

バッテリーユニット



 バッテリーは最終的に8ユニット直列とし、定格96Vで使用することにしました。満充電だと110V以上になります。電圧が70Vまで低下すると充電済のものと総入れ替えします。一個ずつ扱うのは煩わしいうえに断線・ショートの恐れもあるので、8個のユニットが収まる箱を作って車内に置いておくことにしました。それでも安定がイマイチよろしくないのでもう少し取り扱いやすいものに改良しようと考えています。

 無蓋車を牽引するために連結器を取り付けました。実物は自動連結器ですが、模型の電車で編成物の中間部に使用されるドローバータイプにしました。電車側は端梁にボルトを通して首を振るように取付け、無蓋車のピンにドローバーの穴を引っ掛けるようにしてあります。ドローバーという言葉は昔から聞いたことがありましたが、これを作って初めて語源がおそらく”Draw bar”「牽引棒」だということに気付きました。路面電車が故障した際に救援用電車で牽引するために、両端に穴の空いた棒を差し込んで連結していたことを思い出しました。いずれ鹿部電鉄の車両には見た目も本格的な連結器を装備したいと思っています。実物同様の鋳鋼製というわけにはいきませんが、ナックルが動いて連結・開放ができたら楽しいだろうなぁと考え、各地で保存されている旧型車両の自動連結器を近くで見た時には構造や寸法をメモしたり写真に収めたりしています。

   ドローバー           いずれ自動連結器を