2021/06/29

鹿部町文化祭出展 準備編

  例年113日文化の日に「鹿部町文化祭」が開催され、中央公民館で作品展示と舞台での演技披露があります。庭の線路で大沼電鉄の再現を目指すようになってから、いつか文化祭で電車の運転展示をしたいと思っていました。一昨年も昨年も春先に「今年は電車を展示できるかなぁ」と思いながら、秋風が吹くころには「やっぱり無理」とあきらめていました。でも「今年はできそうや」と自信が持てたので、出展申込書を提出しました。後日、教育委員会の担当者が搬入方法や展示場所の検討をするため来訪されました。屋内に搬入すると床を傷める可能性がある一方で、駐車場は出店があるので玄関脇のバルコニー軒下に静態設置することになりました。「子供が喜ぶでしょうね。」「今年の文化祭の目玉になりますね。」と前評判も上々です。

 人様に見ていただくからには電車を完成状態に仕上げなくてはなりません。車番「1」を各妻板と側板に計8ヶ所、社紋を両側板に2ヶ所白色ペイントで書き込みます。大沼電鉄の株券のコピーが入手できたので、そこに描かれていた社紋を写し取り、古い写真から大きさを類推して型紙を作り、マスキングテープを切り抜いて車体に貼り付けました。「大」の字、温泉、レールを組み合わせた社紋を知る人は少なく、歴史再現価値は大きいと思います。側面窓下にサボをぶら下げました。ひと昔前まではポピュラーだった紺色の琺瑯製を想定し、窓ガラスに使った透明塩ビ板に、青地に白字で「部鹿‐園公沼大」と右書きした紙を貼ってあります。

大沼電鉄の株券       と       社紋  

 電車展示の目的は2つあります。まず他の展示と同じく、趣味の紹介とその成果としての作品を来場者に見てもらうこと。もう一つは、地元鹿部でちょうど90年前に開業した大沼電鉄という鉄道があったという事実を広く知ってもらうこと。そのために、電車とともにパネル展示をすることにしました。パネルは約80cm四方の台紙にプリントした写真を貼り付けたものを3種類準備しました。6年の歳月をかけて自宅庭に建設してきた鹿部電鉄の歩み、大沼電鉄の歴史と概要説明(町史や資料からの転載)、大沼電鉄に関する研究成果(主要駅の線路配置等)、です。実はパネルの台紙は、電車の仮屋根として使っていた発泡スチロール板で、あちこち傷ついていたのでありあわせの壁紙を貼ってそれらしくしました。

展示用パネル

運搬手伝い要員への説明手順書
 静態展示するにもやはりレールは必要でしょうし、会場への運搬にも鉄輪のままトラックに載せるわけにはいきません。運搬手順を考えて5.5mの定尺から4m1.5mの枕木付き線路を製作しました。枕木は70mm×70mmとして底から犬釘の先が出ないようにしてあります。電車の重量を実際に計ったことはありませんが計画では約160kg、クレーンなどは使えないので人力でトラックの荷台に積み込まなければなりません。担い棒を台車の下に入れて前と後ろを少しずつ持ち上げてまず1.5mの仮線路に電車を載せ替えます。4mの線路の一端をその前に置いて他端をトラックの荷台に掛け、人力で押して勾配を登らせます。その間に1.5mの方をトラックの荷台に上げて待ち受け、ロープでがんじがらめに荷台固定、と言う作戦です。軽トラックだと後ろに数十cmオーバーハングになりますが、赤い布で目印を付けて法定範囲内に収まります。4mの線路を同時に運搬するためにもう一台軽トラックが必要になります。人夫は運転手と私を含めて合計6人、ご近所さんに協力を求めたところ快く引き受けてくれ、7km先の会場まで運搬してもらえることになりました。

ボール紙製駅長帽
 文化祭での展示が決まってから準備していたものがもう一つあります。昭和の電車を展示するからには説明員(製作者)はそれなりの格好を整えなければならないと思い、鉄道員の帽子を探しました。ネットでは現在使用されているJRや私鉄の制服や制帽が出品されていますが、昭和初期のものとなるとなかなか見つからず、あってもひどく傷んでいたりとてつもない値段がついていたりします。そこで鹿部電鉄の常套手段として自分で作ることにしました。昭和の駅長さんの写真からそれらしい形を決め、ボール紙を切り抜いて立体的に貼り合わせ、黒、赤、金色の布を被せて仕上げます。国鉄の帽章は桐と動輪ですが、大沼電鉄ではどうだったのかわかりませんので、ボール紙を切り抜いて作った社章を金色に塗装してそれらしくくっ付けました。帽子として気に入る形になるまで何度も作り直し、結構な時間をつぎ込んだおかげでとても良く出来た駅長帽になりました。ついでに詰襟があれば申し分ないので函館の制服専門店に行き、尋ねたところ「今どき詰襟の学生服は販売していませんし、取り寄せるにしても(老人の)体形に合うものはありません。」と断られてしまいました。こうなったら鹿部電鉄の常套手段を使うしかありません。こちらは文化祭当日の写真をご覧ください。
出展を待つデ1


2021/06/23

窓枠と乗降扉

  知り合いや道行く人から「とうとう出来上がりましたねぇ。」と声を掛けられることが多くなりました。もちろん製作過程を知っている人が、以前の無塗装や仮屋根の車体を思い浮かべると確かに完成度は高くなったように見えます。16番模型では屋根上のディテール取り付けが終わったらほぼ完成と言えますが、車体構造の違いからこの電車にはまだ窓枠や扉がついていません。作り鉄がペーパーで車体を作る時、窓枠や扉の凹み具合はもっともこだわる部分です。紙の厚さを微妙に変えたり、2段窓の上下に段差をつけたり、カッターで切り抜く際にテーパー状にしたり、サーフェーサーでの仕上げにも気を遣います。この工程を最後まで残していた理由もそういうところにあります。だから前照灯やポールがついた時も自分では「完成に近づいた」とは思わず、あえて「ここからが勝負」と気合を入れなおしました。

窓枠の構造
 窓枠の製作には薄合板から切り抜くのが簡単で、ジグソーを使えば隅のR加工も問題なくできそうです。そこでまた家具工房「わ」を訪ねて相談に乗ってもらいました。結論は、上下左右の枠を段付き加工して接着組立し、一段凹んだところに窓ガラス(透明塩ビ板)をはめ込むということになりました。お抱え工房ならではの贅沢加工作業です。窓のサイズと構造が側面と妻面、扉で異なるので、何種類もの図面を描き、長沢さんに付きっきりで寸法指示を出しながら加工してもらいました。

 出来上がった窓枠素材の検品をして反っているものを除けたところ、数が足りなくなってしまいました。最初に車体の側板や妻板を加工した時は、それほど不良品は出なかったのですが、今回使った材料は乾燥が不十分だったのか加工して日数が経つと許容できない程に変形するものが多数ありました。延長線路の枕木用として購入したアカシア材を1年以上庭で保管していたところ、覆っていたブルーシートが破れて雨が浸み込み、乾燥したつもりが逆に水漬けになっていたようです。追加加工や修正をしたうえで必要数を揃えて組み立て再スタートです。

窓の仕上がり
 窓枠の段部に接着剤を塗布し、クリップで一昼夜固定固着させます。さらに上の二隅にR加工したコーナー材を接着して窓枠完成です。コーナー材はホールソーでφ30の穴をあけてから四方を切出すと作れます。2mm厚の透明塩ビ板から「窓ガラス」を切出し、周囲6ヶ所に木ネジ用の皿モミ加工をし、塗装した窓枠の3mmの凹みにはめ込んで固定します。塩ビ板の平面度は心配でしたが問題ありません。この窓枠を側板の内側からウィンドウシルのテーパー面に乗るように木ネジで固定します。当面内装はしないつもりなので木ネジや窓枠の端面などは丸出し、車内からはスキマを通して外の光も透けていますが、外部からは良く出来た造作に見えます。

 扉は「日」の字形に組んだ枠の上半分に同様の窓枠を取り付け、下半分はベニヤ板を貼り付けています。この扉を開閉構造にするために、スライドレールという机の引出しなどに使う3段式の伸縮機構を利用します。扉の開口は370mmですが、戸袋部の制約などがあって最大ストロークは約350mmとなります。辛うじて私が出入りできるギリギリの幅で、後に乗降をしやすくするためのカラクリを図ります(「鹿部電鉄の秘密」というYouTubeで公開https://www.youtube.com/watch?v=3ZsPVNWHY0E)


扉の下部と車体台枠および扉の上部と構体枠をスライドレールで結合して扉が前後に動くようにします。これを取り付ける際に側板を一旦取り外すのですが、上下のスライドレールを完全に平行にしてスムーズに動くように調整してから側板を再度取り付けると、構体枠が歪んで扉が動きません。4ヶ所とも完全調整することはあきらめました。運転のために乗降するのは1ヶ所だけだからです。扉を取り付けるために側板を外した状態で写真を撮りました、どこかの私鉄にデト〇〇と称するこんな電車があったように思います。

鹿部電鉄デト1
白く光っているのがスライドレール

 あと車番や社紋の書き込みやらディテールの取り付けなどが残っていますが、これでやっとデ1型電車がほぼ完成したという区切りになりました。

名刺裏写真
電車の脇に立ち、三脚を使って記念写真を撮影しました。電車との位置関係を変えて何枚か撮り、名刺の裏に印刷しました。名刺と言ってもビジネスに使う場面はありませんので、くだけた感じで初対面の方に「毎日こんなことして遊んでますねん。」と自己紹介します。表は「鹿部電気鉄道」です。

2021/06/15

トロリーポール

 前照灯がついて動力車らしくなりましたがまだ屋根上は寂しく、セピア色の写真で見たどこかのガソリンカーに似ています。この電車がクラシックに見えるポイントは、木造車体、ダブルルーフ、そしてトロリーポールです。どれも今となっては保存車か博物館の標本を観察するくらいのことしかできません。昔の電車の写真を見てもポールの根元にあるバネの構造は屋根の陰になってよくわかりません。それでも調べてみるとその構造は何種類かあるようで、圧縮バネ1本がポールと反対側に出っ張っているものやバネ2本あるいは4本で引っ張り上げるものなどです。結局大沼電鉄のデ1の詳細はわからず、引っ張りバネ2本タイプで製作することにしました。

伊香保電気軌道保存車のポール       横浜市電博物館の標本 

ポール製作素材
 実は前照灯と同じで、ポールにもこれを使って作ろうと企んでいたモノがあり、早々と準備して物置でずっと保管していました。チョッと心配していたのは、その長さが適切かどうかということでしたが、実物の図面と照合したり屋根の上に載せてバランスを眺めたりしたところこれまたピタリと決まりました。モノとはスキーのストックです。先端に行くほど細くなっていますが、これを一から作るとなると金属やプラスチック類では無理で木材から削り出すしかありません。一方、スキーのストックは形状といい、重量(中空アルミ)といい、このために存在していたのかと思うほど最適な素材でした。ストックは左右どちらかが曲がったり傷んだりすると残りの一本も用済みになります。保管していた2本はそんな事情から対ではなく、微妙に太さが違っていますがパッと見では気になりません。

ポール昇降部組立図面

 博物館で撮った写真や模型の解説図を参考にしながらホームセンターで使えそうな部品を漁ります。回転盤とか回転プレートと呼ばれる台座を利用するとポールの転回(首振り)ができます。先端の集電用溝車は戸車を分解すれば使えそうです。サイズや材質は色々ありますが、鹿部電鉄では電圧の関係で集電は行わないので安価なプラスチック製にしました。ポールの根元にはステンレス製の蝶番を使用して昇降できるようにします。こうやって集めた部品を眺めながら構造図を作成し、ポールの重量や重心位置を実測し、昇降に必要な張力を計算してバネの仕様を決定します。バネは見た目の大きさも考慮して通販のリストから選定しました。一部の部品は鋼板から切り出して穴あけやタップ加工し、黒色塗装してから組立てました。ポールを降ろす時に使うコード(ひも)を配線用クリップで取り付けます。コードは普通ならレトリーバー(Retriever)と呼ばれる巻き取り器に取り込まれるのですが、大沼電鉄の電車にはそれがなくて手すりにグルグルと巻き付けてあったようです。余談ですが、同様に尾灯(テールライト)も当時の大沼電鉄の写真には写っていません。デ1の電気配線図には「尾灯」の記述があり、いくら軌道(路面電車)であっても法的に必要な装備であるはずなので不思議でなりません。

ポール完成状態
コード未装着

 屋根上に歩み板を並べ、ポール先端が車体よりすこし出っ張るくらいの位置になるように台座を取り付けました。コードを巻き付ける手すりはアルミパイプを曲げて正面窓下に取り付けてあります。コードが全部出払ってもポールが車庫の梁に接触しない高さに括っておきます。これは非常に重要なことで、うっかり前側のポールを高々と上げたまま車庫に進入したりするとポールや屋根に深刻な損傷が発生する可能性があります。まぁそんなことが起こらないように、写真撮影でもない限り普段は常にポールは下げてフックに引っ掛けた状態にしています。集電しないので実用上は全然問題ありません。


2021/06/07

前照灯(ヘッドライト)

  鹿部電気鉄道改め鹿部造船所で早々とカヌーが完成し、電車はいささか遅れを取ってしまいました。それでも車体とともに屋根にも塗装が施されているとやはり鉄道車両らしく見え、以前に比べると庭での存在感はかなりインパクトがアップしました。近くのリゾートホテル宿泊者が散歩で我が家の前を通りかかった折に足を止めてしげしげと眺めて行くことがあります。まぁ、庭に線路やトロッコがあるだけでも初めて見た人は「あれっ?」と立ち止まるようです。それはさておき、大沼電鉄にはデ1型と全く同型同寸の付随客車フ1型がありました。前照灯と集電用ポールを装備していなかったので現状はまさにフ1です。

 鹿部町史写真集に駒ケ岳をバックに大沼湖畔を走るデ1の姿があります。この写真では、前照灯は路面電車っぽく正面窓の下に取り付けてあります(おへそライト)。同じく鹿部停留場に停車中のデ2の写真には雨樋の上、つまり郊外電車のように屋根に取り付けられている様子が写っています(おでこライト)。「デ1とデ2で取り付け位置が違っていた」という説と「撮影時期の違いによる」という説がありますが、どちらも決定的な根拠や言説があるわけではありません。

おへそライトのデ1       と     おでこライトのデ2
 鉄道省へ提出された車両竣工図および製造元の日本車両で作成された組立図では、いずれも前照灯は屋根上に取り付けられています。路線は大沼公園駅前をはじめ併用軌道区間が点在するとともに山間部でシカやキツネが生息する雑木林の間を通っていたので、遠近両方を照射する必要があったことは想像できます。鹿部電鉄では無蓋車を推進運転することがあるので屋根上に取り付けることにしました。とは言っても、夜間に運転することはまずないでしょう。

素材:非常用ライト
(実際に使用したものではありません)
 この電車のヘッドライトはあるモノを利用して作ろう、ということを随分前から考えていました。「あるモノ」とは非常用懐中電灯です。ホームセンターや家電量販店で山積みして、乾電池が4個付いて1300円くらいで売っていました。おそらく外国製で、スイッチ接点兼用の板バネがすぐに弾力を失って点灯しなくなるのが目に見えています。しかし使うのはレンズと反射板とその外周部だけ、いずれ作る必要があるので買っておくべきでした。というのは、20189月に発生した胆振東部地震の影響で、北海道では乾電池や懐中電灯が店先から消えて久しい状況が続いていたのでした。翌年になってやっとの思いで見つけたのはなんとも無粋なLEDライト、そもそもたたき売りをしていた理由が旧式の電球タイプだったためとその時気付きました。その後、執念で探し出した11000円近い価格の非常用懐中電灯を躊躇することなく2個買い求めました。

 懐中電灯を分解して先端部の構造と寸法を調べ、どうやって前照灯らしく改造するか検討しました。胴部は塩ビ管から切り出し、後部の蓋は木製とするものの、旋盤は使えないのでジグソーと木工用ヤスリ、サンダーなどを駆使して成形、最後は接着剤と木ネジで組み立てることにしました。アルミ押し出し材2×10を折り曲げてステーを作り、木ネジで屋根に固定してあります。

 前照灯のサイズは実物の採寸から割り出したわけではなく、非常用懐中電灯を利用する発想から始まったにもかかわらず、車体とのバランスは本当に計ったようにピタリと決まって、一気に電車らしくなりました。難を言えば、昔の電車の灯りはトローンと黄色味を帯びてどことなく眠そうに見えたものですが、アルミ蒸着した反射鏡がキラキラと輝いていかにも近代的過ぎることでしょうか。

完成した前照灯             前照灯取付