2020/12/26

待避線(余談・雑談) 大沼電鉄の調査

  15インチゲージ鹿部電鉄に旧大沼電鉄の電車を走らせるにあたり、線路の敷設と並行して文献や資料を調べていました。まずは鹿部町の役場へ行き、どうしたらそのようなことを調べることが出来るか尋ねました。教育委員会へ行けば古文書などが保存されていると教えてもらい、事情を説明して倉庫の鍵を開けて入れてもらいました。「電鉄」という分類の文書棚がありましたが、電車の外観や駅の線路配置など図面類のような興味を引くものはありませんでした。今考えるとそれらの文書は鉄道敷設の申請や敷設特許などの貴重な書類ではなかったかと思われます。あらためて調べてみたいと思っています。

 その時に昔の写真は保存されていないのか聞いたところ、電鉄の鹿部駅長の娘さんが持っているかもしれないとのことでお宅を紹介してもらいました。旧大沼電鉄の線路跡沿いに建てられた畑中さんのお家を訪ね、興味深い昔話を聞きながらアルバムを見せてもらったところ何枚かの電車の写真がありました。アルバムを借りてコピーしようかと思いましたが、これらは鹿部町史に転載されているとのことで、あらためて図書館で町史を閲覧することにしました。

デ1とト 鹿部町史写真集から

 さて後日、図書館で件の鹿部町史の写真集を開き電車の写った写真を撮影していると、「何をしているのですか?」と後ろから声を掛けられ「あたかも自分で入手したかのように何かに発表する輩がいるのだが、あなたもその類じゃないのですか?」と厳しく戒められました。その人は、当時鹿部町史の改訂版の編集をされていた教育委員会嘱託の小玉さんで、かつては鹿部町の教育長を務め、その歴史に造詣の深い方です。私は、大沼電鉄の再現のため庭に鉄道の敷設をしていること、そのために資料や写真を集めていることを自己紹介とあわせて説明しました。互いに他意がない事がわかり、むしろ大沼電鉄を含めて鹿部の歴史についてこれを機会に知識を深めていこうと意気投合しました。この出会いこそが、その後の大沼電鉄に関する人の輪を広げて行くきっかけになりました。

 話が前後しますが、畑中さん家を訪ねた後すぐ近くにある大沢商店に立ち寄りました。雑貨店というか食料品から日用品、小学校の近くなので文房具迄あらゆる種類の品物を揃えた昔からある田舎のコンビニです。当然ながら店主夫婦は顔が広くてもの知り、大沼電鉄にも乗ったことがあると言います。「電鉄のことなら南部さんに聞けばいいベサ。」と教えてくれたまではよかったのですが、その人は大学の先生で東京に住んでいる(本当は元大学教授で神奈川在住)とのこと。雲をつかむような話に終わりました。

 それから何日か経って大沢さんから電話があり「いいもの預かってるンだ、あんたなら喜ぶと思うけど、いつでもいいから取りに来な。」と。急いで店へ行くと「札幌の博物館にあったそうだ。」と一枚の紙を見せてくれました。それは「大沼電鉄デ1型四輪電動客車」の竣工図で、大沢さんが南部さんに私のことを電話で伝えたところ送ってきてくれたとのことでした。その図面には電車の主要な寸法や形状が記入されており、その後この電車を作る時におおいに参考になるものでしたが、それよりもそんな貴重な資料があったこと、さらにそれが手元に届いたことに大きな驚きを覚えました。

型式称号デ1 車両竣工図表

 また何日か経って今度は教育委員会の小玉さんから電話があり、「大沼電鉄に詳しい人を連れて訪問したい。」とのこと。待っていると三人の方が車から降りて来られ、まずは庭の線路を見て驚かれました。小玉さんも我が家へは初めての訪問でした。大沼電鉄に詳しい人の一人とは、私にデ1型の図面を下さった南部さんでした。もう一人は南部さんと鹿部高等小学校の同級生で、市立函館博物館の館長も務められた加納さんです。二人は小玉さんの先輩にあたるそうです。小さな町の狭い話題のことですからこんな巡り合わせになるのも当たり前といえばそうかもしれません。

 大沼電鉄の歴史は地元でもすでに忘れ去られようとしているのに、他の土地から来た人(私のこと)が興味を持って研究し、それを再現しようと努力していることに感謝と喜びを感じる、と言われたのには恐縮してしまいました。私は単に鉄道マニアとしての視点から失われた鉄道に惹かれているだけで、感謝までされるとは思っていませんでした。むしろ実際に電車に乗り、見聞きした経験のある人から詳しい情報を得ることが出来ることを期待していたので、気恥ずかしくも後ろめたさを覚えるほどでした。いずれにしても異なった角度から大沼電鉄を研究し、意見を交換しながら知見を広げることで今後も親交を深めていくことにしました。

 南部さんからは国立公文書館に大沼電鉄の資料や図面が保存されていることを教えていただくとともに、そのコピーを分けていただきました。加納さんの電鉄に関する記憶は正確で、鉄道マニアから見ても的を得た多くの情報を知ることが出来ました。さらにお二人の知り合いの方々にも引き合わせていただき、書籍やインターネットからだけでは知る由もなかったことが次々と判明しました。

 例えばWikipediaでも大沼電鉄の閉塞方式は空白になっていますが、タブレットの受け渡しが行われていたこと、色灯式信号機は設置されていなかったことなどの証言は大変貴重です。電車は時々国鉄の五稜郭工場に入場して検査や改良工事を行っていたとのことです。

 車輛の塗色についてはカラー写真がないのは当然としてどの文献にも記録がありませんが、「こげ茶色だった」「国鉄の客車と同じ色」との証言を複数の人から得ました。その他の色に関しては「鹿部駅の屋根は赤茶(鉄錆)色だった」「大沼公園駅の屋根は青色で外壁は白っぽい灰色」などの記録はどこにもなく、地元ならでは伝聞情報です。

 また録音記録などが当てにできない警笛は「(現在の)函館市電と同じ『ポー』という音だった」とのことで、「チンチンという音もしていた」のは、警笛と併用していたのか発車の合図かは不明ながらベルを装備していたことを物語っています。その他、駅や線路の位置に関する証言は、主要駅の線路配置を研究する上でとても役に立ちました。

 国立公文書館に保存されていた図面類とこれらの証言をもとに、現在のGoogle衛星写真上に且つての線路や建物の位置を再現した資料を作成して確認してもらったところ、大変貴重な記録になると喜んでいただくことができました。

 これらの情報は、可能な限り忠実に大沼電鉄の特徴を再現することを目標にしている鹿部電鉄の建設に取り入れるとともに、研究成果として報告書(論文)にまとめ、鹿部町の歴史記録として次世代に伝えようと考えています。

2020/12/25

ご近所パワー


  さてここまでは専用軌道でしたが、その先は道路から玄関への通路を横切るので踏切というか併用軌道になります。その構造は至って簡単、ホームセンターで売っている30cm四方のコンクリートタイルをレールの間と両側に並べることで解決できます。ゲージは381mmですから約40mmずつのフランジウェイが確保できますが、そのままだとタイルが動いたり、タイヤと両側のタイルが接触したりする恐れがあるのでレールの両側に角木材を挟み込んで枕木に木ねじで固定します。
踏切(併用軌道)の構造

 この通路は毎日、郵便・宅配便の配達をする人や我が家を訪問してくるご近所の人、時には乗用車やトラックが入ってきます。そう、レールの輸送時は4トン車も玄関先まで来ました。というわけでこの区間の工事は最短時間で済ませる必要があり、通行止めの弊害が出ない工法を考えないといけません。枕木とレールは別の場所で組み立てておいて、突貫工事で整地と砂利入れを行った後、線路とコンクリートタイルを置く方法を取ります。組立てた軌框は、ご近所のお孫さん達が夏休みにトロッコ遊びに来た時に犬釘打ち体験を兼ねて完成させておいたものです。記念として枕木にサインしてあります。人海戦術を執るために予めご近所でお手伝いをしてくれる人に声をかけ、それに合わせて資材の準備などをしておきました。

すでに完成して設置を待つ軌框       総出で路盤を掘り込む作業
力を合わせて運搬
 作戦実行当日の朝、私と家内を含めて
総勢9
人が庭に勢ぞろいしました。気心が知れたご近所さんばかりですが年齢は全員60歳以上、安全に留意して無理はしないよう訓示してから作業にかかります。まずは既設の線路との水平を確認しながら路盤を掘り込んで行き、取り除いた土砂は一輪車で将来の延長予定地へ運搬して盛土にします。砂利を入れたらまた水平を確認して、全員で線路を運び込みます。ゼネコンに勤務していた経験のある一人が遠方から直線度を見ながら土木専門用語を交えて指示を出し、テコやハンマーで線路の位置を微調整して接続します。コンクリートタイルをはめ込んだのが昼過ぎで、通行止めが解除されました。一人でコツコツ
休憩中にトロッコ遊び
やっているとひと月近くかかる仕事が半日で終わってしまいました。

 当地は、ほとんどの世帯が現役を退いた後第2の人生を送るために移住してきた方々で占められており、サークルや町内会の活動で多くが普段からお互い顔見知りです。密接した住居でありながら壁一枚向こうの家族構成や職業さえも知らない大都会とは、まるで次元が違うのかと思うほどの世界です。それでいて古い因習に縛られるような田舎の堅苦しさはなく、付かず離れずのほど良い距離を保ったご近所づきあいが根付いています。高齢者が多いので日頃から助け合い、菜園で採れた作物や知り合いの漁師さんからもらった新鮮な魚をお裾分けすることも日常茶飯事になっています。たとえ趣味であれ、線路を敷くのに人手が要るとなるとお助けマンたちが駆けつけてくれる、ありがたいコミュニティだと感謝することしきりです。

 目標である表の道路までもう一息になりました。

コンクリートタイルを置いて踏切(併用軌道)がほぼ完成

2020/12/17

レールを曲げる

  スキー場も3月には雪質が不安定になり、4月になると庭の雪がほとんどなくなって、お天気の良い日には屋外で春を迎える作業が始まります。昨年やり残したウッドデッキの仕上げを急がなければなりません。2015年の目標として、5m余りの線路を表の道路まで延長してトータルで30mにすることにしました。

杭の打ってある所が線路延長予定地

レールベンダー

 線路の予定地には樹木が立ちはだかっているので、S字カーブで避けなければなりません。購入して庭に置いてあったレールを持ち上げてみる(33kg)と意外にユラユラと撓り、地面に置くとまた直線に戻るので、これはいわゆる弾性変形です。これくらいの曲率だと軽く撓ませた状態で犬釘を打っていくことで曲線路を作れます。大概実物の鉄道ではそうやっているのだと思います。一方で、急曲線(概ね半径20m以下)は予めレールを所定のカーブに塑性変形させてから枕木に固定する必要があります。森林鉄道や軽便鉄道では現場でレールを曲げる工具を使うそうで、博物館や写真で見たことがあります。

2個の庭石
 庭の片隅に高さが50cmくらいの石が2個、やはり50cmくらい離れて置かれていました。義父が家を新築した時に、アクセントにしようと造園店から購入して殺風景な庭に置いたものだそうです。結構な重量があって、押しても引いてもビクとも動きません。この2個の石にレールの端をかませて他端を押すか、ロープを掛けて引っ張ると曲がりそうな気がしました。果たして結果は? あのどっしり構えた石が動いてしまってレールは全然曲がりませんでした。小学校の理科の教科書に「テコの原理を使って重い石を動かす絵」が載っていたのを思い出しました。

 次に試したのは2本の立木、その根元にレールをかませてロープで引っ張ったところ、大地に根を張った木はビクともせず、ロープを緩めるとレールは元に戻りますが、わずかながら曲がっているように見えました。どこまで引っ張ったかがわかるように目印を付けて何回か試してみたところ、大きく引けば引くほど戻した時に残っている変形量も大きくなっているようでした。順序が逆ですが、工学部の授業で使っていた材料力学の教科書を読み返して計算したところ、約20kgの力で引っ張った辺りから塑性変形(永久変形)が始まるようです。もちろんこの数値は2本の立木の間隔、ロープを掛ける位置で変わってくるのですが、工夫すれば6kgレールは人の力で曲げられることの証しになりました。

 4本の5.5mのレール端1.5mくらいを同じ条件で曲げて突き合わせるとS字カーブになります。結果的にオフセットは500mm、半径は約5mで計画通りうまく樹木を避けて線路が敷設できそうです。邪魔になる切株を掘り起こして整地し、砂利を敷いて枕木を並べ、S字型にレールを置いて犬釘を打てば、11m分の路線延長が完成しました。

敷き終えたS字カーブ

 と言えば簡単な話ですが、少し面白いことがありました。下の写真()を見てください。S字型用地を掘り込んだ路盤に砂利を入れただけなのでレール面は水平なのですが、どう見てもジェットコースターみたいに上下にうねって見えるでしょ。反対側から見ると水平だし、「鹿部ミステリースポット」で売り出そうかと思っていたのですが、枕木とバラストを入れたら普通の線路(写真右)になってしまいました。

本当は左右に振れているだけなのにジェットコースターみたいに見えます

 もう一つ面白い話、このS字カーブを含むレール2本分が繋がれば線路の長さが従来の3倍になります。それを眺めていると、ミステリースポットが「ここを一気に走ると楽しいぜ!」と誘惑してきました。既設の5mで無蓋車に助走をつけてレールを置いただけの新線に突っ込むと、2mも走らないうちに脱線。後にも先にも鹿部電鉄で唯一の「重大インシデント」になりました。レールは枕木に固定してこそ線路、ケガはなかったものの遊び心も過ぎると笑いごとでは済まないという教訓です。

2020/12/02

無蓋車の製作

   車輪、車軸、軸受が揃ったところでこれらを取り付け組み立てる台枠の製作にかかります。材料は枕木を仕入れた時に一緒にウッドデッキ用に発注したクリの70㎜角材です。簡単に言えば「目」の字形に組んだ枠に軸受を取り付けるだけでトロッコ完成です。サスペンションを入れることで線路の歪みに対して脱線しにくくなるうえに乗り心地や騒音も改善されるのですが、一刻も早く走らせたい一念で板バネに見せかけた台形のスペーサーにピローブロックを取り付けることにしました。時間的余裕ができたらバネか防振ゴムに交換して効果を確認しようと思いながらそのままになっています。

無蓋車台枠の図面

 台枠の製作は散々でした。木材の切断に手持ちの丸鋸を用いたことで切断面の直角が正確ではなく、材料そのものの歪みもあって図面通りに組み上がらず、分解しては削り直しを繰り返しました。一方で車輪、車軸、軸受は精密加工のおかげでミクロン単位の嵌め合わせも驚くほどスムーズに行きました。なんとか4輪が線路の上を転がるようになった時は思わず笑みがこぼれました。さっそくトロッコに乗って5mばかりの線路を何往復したことか。はじめてレールが届いた日、枕木にレールを載せて犬釘を打った日、そしてとうとうトロッコを走らせることが出来た日、夢に向かって確実に歩を進めている感激に酔いしれました。

木製台枠

軸受、車軸、車輪の組付作業
 車両もこれだけ大きいと1/801/150の模型とは全然違う動きをします。小さな模型を動かす時、パワーパック(コントローラー)の電圧を上げていくと急に走り出し、電圧を下げると最後はガクンと止まります。これは車輪や歯車の抵抗になる静摩擦力が動摩擦力や慣性力に比べて大きいために起こる現象で、小さな(軽い)模型の宿命です。こんなトロッコでも人が乗ると重量が100kg近くある一方、ボールベアリングや鉄の車輪の転がり摩擦が大変小さいため指一本の力で押すだけで静かに動き出し、一旦動くとその後はいつまでも転がって行くのです。これぞニュートンの慣性の法則。実物の鉄道車両に近い動きが体感できるのも15インチゲージならではの特長です。



無蓋車計画図

側板は未装着
 トロッコ遊びに明け暮れる日が暫く続きました。それはそれで楽しいことなのですが、いつまでもトロッコではなく無蓋貨車にグレードアップを図らなければ進歩がありません。実物の写真を参考に何枚かの図面を描き、できるだけ実物のイメージに近い形態に決めました。前後の妻板は手押しの力に耐えられるよう、台枠との結合部に剛性を確保すべくクリ材をステンレス製のスクリューで固定しました。一方床板は、旧ウッドデッキを解体した時の廃材から状態の良い部分を切出した38㎜厚のSPF(ツーバイフォー材)です。雨ざらしにすると寿命は56年ですが、傷んだら交換するつもりで加工性とコストを優先しました。そのため接着剤は一切使用せず、スクリューを緩めれば解体が可能なようにしてあります。まだ側板はありませんが、台枠だけのトロッコよりはそれなりに鉄道車両っぽくなりました。
冬ごもり
 この時点で201410月末です。北海道に移住して来ておよそ半年が経過していました。考えてみればその間、何もないところに線路を敷き、手押しながら無蓋車が走るようになったわけで、かつて経験したことのないような感動を何度も味わいました。それ以外にもウッドデッキや机の製作など密度の濃いいろいろなDIYを体験しました。真夏も屋外で作業が続けられるのは北海道ならではの特権でしょう。ただ11月の声を聞いて裏の北海道駒ケ岳(1131)が雪化粧するような日にはめっきり気温も下がり、指がかじかんで外では仕事にならないこともあります。庭の植栽の雪囲いのついでに無蓋車をブルーシートで包み、初めての冬支度をしました。とりあえず翌年の雪融けまで運休です。
 義父母と家内をフェリーで自宅に送り届け、私一人だけ舞い戻って越冬することにしました。北海道の冬と言っても太平洋に面した道南地方の気候はそれほど厳しいものではなく、積雪量や冷え込みも想像より穏やかです。住宅の断熱構造や暖房設備により、室内温度はほぼ20℃で一定に保たれているため快適な生活を送ることが出来る一方で、適度の降雪があってゲレンデスキーや歩くスキーが楽しめ、屋内コートでテニスや卓球などができるので運動不足の心配もありません。トロッコ遊びはできないけれど、ご近所との交流など満ち足りて心豊かな冬を過ごすことが出来ました。

2020/12/01

車両製作への歩み

  5.5mの線路を敷設したのは20148月のお盆を過ぎた頃です。鹿部では8月に入ってお盆迄の半月ほどが真夏の最も暑い時期になります。とは言え扇風機があればしのげる程度で、その後急に秋の気配が近づいて下旬には肌寒く感じるようになります。北海道に移住して以来、道南から一歩も出ていなかったので月末に秋の旅を楽しむことにしました。行先は道央、高倉健主演の映画「鉄道員(ぽっぽや)」ロケ地である幌舞駅(根室本線幾寅駅)、ダムの渇水時のみ姿を現わす幻のタウシュベツ川橋梁と旧士幌線跡、旧広尾線の愛国駅、幸福駅と鉄道づくしのようですが、家内のリクエストに応えて有名庭園やトマムの雲海や帯広のばんえい競馬も見物します。

道央の旅

 その旅の途中、十勝の新得町にある狩勝高原エコトロッコ鉄道に立ち寄りました。ここはかつて日本三大車窓の一つに数えられた狩勝峠にある旧根室本線の新内駅跡で、キューロク型蒸機と20系客車が保存されている傍らで保線用軌道自転車(エコトロッコ)の運転体験ができるようになっています。二人でエコトロッコを存分に楽しんだ後、「庭園鉄道」と書かれた看板を発見したので係員の方に尋ねると、「運転はしていないが15インチゲージの線路が敷いてあり、車両は倉庫に格納してある。」とのこと。「鹿部の自宅で鉄道建設中であるので是非見せてほしい。」と頼み込み、案内してもらいました。旧北海道拓殖鉄道のキハ1122軸ショーティとそれを運転するためにテニスコートのような場所に延長100mを超えるエンドレスが敷いてありました。個人所有ではなく、新得町の依頼を受けてふるさとの歴史保存を目的として製作されたもののようです。この車両は車内にガソリン発電機を積み、2個のDCモーターで両軸を駆動する機構になっています。何年か前に庭箱鉄道の松田総裁に車両作りのノウハウを根掘り葉掘り聞いたことを思い出しながら、この時はより具体的な質問攻めをしました。後日製作者である増田さんから製作途中の写真を送ってもらい、車両構造設計の際に大いに参考にさせていただきました。その後も線路敷設や車両製作に関して各種のアドバイスをいただいています。ここを訪れたことで鉄道建設や車両の製作については確固たる自信が持てるようになりました。

狩勝園地の15インチゲージ線路と北海道拓殖鉄道キハ112風気動車

 旅行から帰ると車両製作の具体化に着手しました。線路が出来ると一刻も早くその上を走る車両が欲しくなるのは当然の理屈です。最終的には地元の大沼電鉄の電車を計画していることはすでに書きましたが、いきなり電動車では作業ボリュームが大きすぎて早く走らせたいという欲求には耐えられません。とりあえずトロッコで荷物の運搬ができれば見た目も鉄道らしくなると考え、最低限の車輪、車軸、軸受の調達から始めました。

 車輪はチルド車輪という鋳鉄製のものを使用します。チルド鋳鉄というのはやや専門的になりますが、融けた鉄を鋳型で固化させる際に表面の冷却温度を急速に下げることで車輪の踏面の硬度と耐久性を高くするとともに内部は粘りのある性質を持たせた鋳物です。メーカーは国内に数社あるようですが、個人への直接販売はしてもらえず、販売代理店か金属加工会社経由でしか入手できません。

 永瀬工場のカタログを見ると直径数十ミリから各種の寸法のものがあります。実物の車輪の標準的な直径はφ860ですから1/3にすると約φ290になります。多くの15インチゲージでは運転者の居住性確保のために床を低くする必要があるからかφ100程度を採用しているようです。車輪直径が大きくなると曲線通過時の抵抗も多少大きくなると想像されますが、スケールを重視したいので低床型路面電車(いわゆるLRVと呼ばれる今どきの超低床車ではなく、それ以前の一般的路面電車)の標準径であるφ6601/3に近いφ230を使用することにしました。

チルド車輪のサイズ表
 実物の車両の車軸は正確なゲージを確保するために段付き加工されたうえで車輪を加熱圧入して組み立てられています。今回はゲージを車輪基準にするか線路基準にするか確定しておらず、自由度を残すことが出来るように車軸は丸棒のまま使用し、車輪に正確な穴あけと固定用のねじ加工をすることにしました。鋳物の下穴はφ30なので仕上げ径はφ35にします。固定用ねじ穴は必ず2ヶ所設けないと緩むので重要事項です。この加工には旋盤が必要なので外注加工することになります。

車輪の加工図面

 この少し前に大学卒業以来40年ぶりに同窓会があり、その席で同級生が家業の鉄工所を継いで社長をしていることを知ったので、相談を持ちかけると快く引き受けてくれました。こちらは趣味でやっているのだし、「手空きの時に適当な精度で気楽に加工してくれたらいいよ。」と言ったのですが、「今どきの旋盤は材料をセットしたら、芯出しから最終仕上げまで自動的に高精度で加工が進むので、雑な仕事でいいと言われても手を抜くことはできない。」とのこと。職人が目を凝らしながら旋盤のハンドルを微妙な手つきで操作するイメージは、それこそ彼と一緒に工学部で実習体験していた時代ならともかく、この世界もアナログから脱してデジタル化が進んでいることを知りました。とはいえ、やはり人が付きっきりの特注加工になるので人件費はバカになりません。また加工が終わった重い車輪を兵庫県の工場から北海道まで送るのに結構な費用がかかったこともあり、次回加工時のコスト低減課題となりました。

 一方で車軸はミガキ丸鋼という正確な研磨仕上げをした材料を所定の寸法に切断したものを購入しました。JIS規格に定められた直径寸法と材質および長さを指定すれば目方で値段が決まるというイージーオーダーで、レールの仕入れ先と同じ函館の藤光鋼材に発注したら数日で届きました。もし、ゲージに合わせて段付き軸の加工を特注で行ったなら桁違いの金額になったと思われます。

 そもそも車輪の軸穴の径はφ35と言いましたが、正確に表現すると直径35mmちょうどから35.025mmの範囲の間に仕上げられており、軸側は直径34.975mmから34.991mmになっています。穴径から軸径を引くとスキマが計算できますが、つまり9ミクロンから最大で50ミクロンということになります。50ミクロンは少し細めの髪の毛の太さに相当します。どれくらいのスキマにするか、どれくらいの精度で加工するかはJIS規格で選択できるようになっていますが、旋盤を使って金属加工をすると一般的にこれくらいの精度でものづくりができます。前にも書いたように昔は職人が技を磨いて精度を上げていたのが、今ではすべて世の習い通りコンピューターが簡単にそれをやってのける時代になっています。

ピローブロック

 軸受は、ピローブロックと呼ばれるボールベアリングを組み込んだフレームをねじで台に取り付けることが出来る部品を通販で購入しました。タイプにもよりますが、精密加工したものが1個千円以下で入手できます。コストを抑えるには市販の汎用部品を使うことと可能な限り自分で加工することに尽きます。