2021/01/27

待避線(余談・雑談) ラジアルトラックという2軸台車

  大沼電鉄の古図面をめくっていて、私にとって長年謎に思いながら忘れかけていた大変興味深いモノを見つけました。大勢いる日本の鉄っちゃんの中でもその名前を知っている人は僅か、それに興味を持っているか詳細を知っている人はほんの一握りではないかと思われるほどマニアックなお話です。

 2軸路面電車が大量に製造された明治末期から昭和初期にかけて、それらの台車はアメリカのブリル社から輸入されたか、国産のコピー品が多く使用されました。一方イギリスのマウンテン&ギブソン(MG)社製のものが一部で使用されていました。ここで特筆すべきは、MG社製の多くはラジアルトラックと称して2軸でありながら軸距が長く、曲線通過時にボギー車のように車輪が進行方向に向かう機能を有していたということです。つまり車軸が曲線の中心方向を向くので”radial(放射状) truck(台車)”と言うのです。神戸市電の300型のうち301330がこの台車を履いていたので、軽快なブリル社製との違いをよく覚えています。ところが私が見た300型は、1930(昭和5)に旧型木造車を鋼製車体に置き換えた時に台車も改造されていて、すでにラジアルトラックではなかったのです。ただその痕跡としてごつい軸受周りが鋼板で塞いであるように見え、おそらく軸受が前後に動くように工夫されたなんらかの仕掛けが組み込まれていたであろうことは想像できました。当時の鉄道雑誌にもこの電車の台車がラジアルトラックであったことが記されてはいたものの、それがどのような機構であったのかはどこにも解説されておらず、謎に包まれていました。神戸市電が廃止されて半世紀、そのこともすっかり忘れていました。

愛知電鉄電2型
名古屋鉄道H.P.
 大沼電鉄が富山電鉄(現富山地方鉄道)から購入した中古電車を1941(昭和16)にデ3型として導入する際、鉄道省に提出した改造認可申請書の参考図として台車構造図が添付されているのを見つけました。この電車の元をただせば、1913(大正2)名古屋電車製作所(現日本車両)製の愛知電鉄(現名古屋鉄道)2型で、1923(大正12)に富山電鉄に譲渡されたとされています。大沼電鉄への譲渡前にブリル社製に交換されたとの説があり、認可申請書にも「参考図」と記されていることからデ3型が大沼電鉄で依然としてMG社製を装備していたかどうかは謎ですが、その詮索は本題から逸れるので別の機会に譲ります。

 台車構造図からは、軸受が動いて曲線部で舵取りをしながら走ることができる仕組みを読み取ることができました。その青写真に描かれているMG社製2軸台車の軸受部を拡大した図と、立体的にその動きを示したイラストを示します。軸受箱上部に2本の吊りリンクがピンで連結され、その下部は緩衝材のようなものを介して台車枠を支えています。つまり台車枠とその上の車体は軸受箱のピンからぶら下がったブランコに乗っているような構造です。

軸受の構造とその動き

軸受と台車枠の関係
 図の矢印が示すように吊りリンクの下部が進行方向に対して斜め(45°)に揺れるようにピンは装着されています。4ヶ所の軸受部についてこの動きを見ると、左の図のようになります。ただし、各車軸の長さは一定なのでそれぞれの軸受は好き勝手に動くのではなく、一方の軸受が斜め前方に移動した時、反対側は斜め後方に移動することになります。言うまでもなく停止中や直進中は吊りリンクは真下にぶら下がって本来の位置で安定しています。

曲線部での軸受の位置


 曲線通過時には車体と台車枠に遠心力が加わり、吊りリンク下端に乗った台車枠は軸受に対して曲線の外側に振れます。逆に各軸受は、台車枠との関係では相対的に右図の矢印方向に移動するため、前後の車軸は舵を切るように向きを変えます。

 理屈の上では固定軸台車に比べて曲線通過が円滑になり、利点が多くなるように思われますが、車輪の位置が変わることに応じたブレーキ装置の複雑化、吊りリンクやピンのメンテナンス、実際の走行性能などに問題があったのでないかと想像されます。そのため多くが台車枠と軸受に手を加えて上下方向のみに振動吸収の自由度を残し、固定軸受に改造されてしまったようです。1980年代に開発された2軸レールバスが装備した1軸台車の他、近年ではボギー台車に操舵機構を組み込んで曲線通過を円滑にする技術が実用化されていますが、マウンテン&ギブソンの先例がなんらかの形でこれらの参考にされたことは想像に難くありません。


2021/01/24

電車台枠と台車の製作

  台枠はウッドデッキの材料として余分に購入していたクリ材で、無蓋車と同じく「目」の字形に組立てることにしました。ただし妻板の下に見える端梁部分は曲面(1000)に加工する必要があり、電動丸鋸で粗削りした後カンナや木工用ヤスリ、サンドペーパーで仕上げます。この辺りが1/80模型と違うところで、骨が折れるというか、木ではなく気が削れるばかりの作業になります。縦と横の接合部には山形鋼(Lアングル)を当てがって正確に直角を出しました。無蓋車の製作で学習した成果です。

木製台枠
 台車は、モデルのデ1型が当時の2軸電車の典型であるブリル21Eを履いていたのでその形を模したものにしようと考えました。この台車は下の写真に示されている通り、車軸を受けるコの字型の枠を鉄の棒で繋ぎ、バネで車体台枠を支える構造になっています。実物は鍛造により一体成形されているようです。その構造のままスケールダウンするのは困難なので、角型鋼管を溶接してそれらしい形にアレンジします。軸受は車体から見て前後左右方向には動かず、上下方向にのみバネを介して自由度が与えられるようにしなければなりません。実物のブリル21Eではコの字型枠の内部を軸受けが上下に摺動するペデスタル構造になっていますが、この「なんちゃってブリル台車」では軸受けに無蓋車と同じピローブロックを使用し、台車枠に防振ゴムを介して半固定します。その代り車体台枠との間に入るバネの中心にガイドバーを設けて角型鋼管製台車枠ごと上下方向にのみ自由度が与えられる構造にします。疑似円筒案内式とでも名付けましょうか?バネ下重量が大きくなりますが、高速走行するわけでもないので実害はありません。
ブリル21E(函館市電上)となんちゃってブリル(下)

 車輪、車軸は無蓋車と同じ寸法にしますが、動力を組み込む関係でそれぞれにキー溝加工をし、チェーン駆動用のスプロケットを取り付けます。駆動方式が未定のため、両軸駆動になることを想定して2軸とも同じ加工をします。函館市内には造船所もあり金属加工工場がたくさんありますが、各種の加工(切削、板金、溶接、表面処理)に対応できて趣味のものづくりに付き合ってくれる町工場を探しました。その結果柴田工作所が理解を示して、車輪の素材手配を含めて加工に応じてくれることになりました。その後も大物小物の加工で世話になり、無理も聞いてもらって重宝しています。

台車の詳細と組立手順

台車組立経過の実態
 台車枠は角型鋼管60×30×t3を用いた溶接構造です。車体台枠との結合部にあたる台枠板は厚さ4.5mm、幅100mmの平鋼なので、所定の長さに切断し、前記のガイドバー8本を取り付けるためのケガキ、穴あけも自分で行いました。ガイドバーが台車側のガイドの内側をうまく摺動できるように台車側にも穴あけ、タップなどの追加工をしました。バネや軸受とガイド関連の部品は通販で購入、全ての部品が揃ってから組立てました。ところが悲しいかな、ガイドの摺動穴部には直径で2mmの余裕を持たせてあるにもかかわらず、取り付けねじを締め付けると8本のガイドバーが好き勝手に相手側の穴に強く擦れて動かないという事態になりました。元々台車枠の構造上、メジャーと物差しだけを使って精密なケガキをすることが難しいのは事実ですが、粗雑な作業の結果を嘆かわしく思いました。すべてのねじを緩めて可能な限り偏りを修正し、多少の荒療法も交えてなんとか8本のバーがガイドの中を動く状態に辿り着きました。ここでバネを入れて台枠が上下方向に動くことを確認しました。台枠の前後端に体重をかけるとギシギシと鳴るもののバネが撓む様子が感じられ、無蓋車とは全然違う感触を得ることが出来ました。なお運転手が乗る側とその反対側(運転機器のない側)でバネの硬さを変えてあります。バネ定数は、運転手側で約2kg/mm、バネは片側に4本あるので8kg/mmとなり、バネが最大20mm撓んだ時の荷重は160kgということになります。反対側は約1kg/mmで同じく80kg。つまり、運転手の体重を80kgとして車体総重量は最大160kgを想定しています。計算通りに車体が仕上がるでしょうか。

台枠と台車の完成状態


2021/01/21

電車の基本構想

 2016年はいよいよ電車の製作に着手することになりました。鹿部に来る前から大沼電鉄の2軸電車を作ることは決めていて、すでに外観図も描き上がっていました。作り慣れた16番の模型ならボール紙に線を引いて切り抜きにかかるところですが、15インチゲージの電車は車体、台車、駆動部とも1/80の模型とは全く構造が異なります。異なっていると言うよりも、その構造を自分で決めなければなりません。ボール紙の代わりにベニヤ板から切り抜いて補強部材と貼り合わせるのも一つのやり方ですし、実物のように台枠に骨組みを固定して外板を組み付けていくことも考えられます。鉄道関係の書籍やインターネットで昔の木造電車の車体構造を調べることから始めました。皮肉なことに、野ざらしで朽ちていく車体の写真や廃車を解体する過程で撮影された資料があり、それらをつぶさに観察して参考にすることができました。 

駒ヶ岳をバックに大沼湖畔を走るデ1 絵葉書から
デ1型電車完成図
当時の構想図ではなく電車完成後に作成したもの

 できる限りモデルである大沼電鉄デ1型に倣い、基本的に以下の構造で、設計製作することにしました。あえて書いていませんが、私自身が乗り込んで運転できる電車であることは大前提です。

①木製台枠と木製構体に短冊状の外板(羽目板)を組立てた側板、妻板を貼り付けることとし、取り外し可能な木製屋根を被せる。

②ブリル21E型台車に似せたバネ付き鉄製2軸台車を台枠に取り付ける。

③駆動装置は手持ちの可変速モータ(AC100V40W)を使って試作し、検討する。

④ブレーキはメカニカルリンク式を試作し、検討する。

⑤その他外部に付属する部品はスケールモデルとしての形態を保持しつつ、相当の強度と耐久性を確保する。

⑥庭に敷設した線路(計画中の部分を含む)を支障なく通過するために、車体幅は800mm、ホイールベースは800mmとし、側板の窓2個分を短縮して全長約2500mmとする。

⑦駆動装置およびブレーキは試作検討結果に応じて、将来本格的機構を再設計する。

 設計・製作の順序は以下の通りとしました。ただし、塗装はその都度行います。

①木製台枠

②鉄製台車(外注)

③車輪・車軸(外注)

④ブレーキ試作、試験

⑤駆動部試作、試験

⑥木製構体(枠組)

⑦側板・妻板

⑧屋根

⑨ポール・前照灯・連結器

⑩窓・扉

⑪仕上げ(車番・社章)

図面は組立図、部品図毎に採番して分類
 基本構造と製作方針が決まったら図面にして確定します。自分で作るのだから忘れない程度のメモでよいかとも思いますが、初めてのことなので記録に残して方向がブレないように釘を刺しました(木造車体なので)。こうしないと浮気な性分なので作っているうちにどんどんデザインが変わってしまうおそれがあるからです。また外注加工せざるを得ない部品は図面化が必須ですので、いずれにしても描く必要がありました。図面は部位ごとに親‐子‐孫の番号で区分して採番しますが、趣味の世界なので「まっ、いいか!」で済ましている部分も中にはあります。一方で強度計算や駆動系の出力計算も可能な限り図面番号を付して保存してあります。それは本職ですから。

ここには優雅な時の流れが


 これだけの仕事をして電車を完成させるのにどれほどの時間がかかるのか想像がつきません。ただ春から秋の半年ですべてが終わるとはとても思えません。隠居の身なので時間は自由に使えるのですが、健康維持のための体力作り(ジョギング)、趣味のサークル(テニス、魚釣り)、家や庭のDIY、と電車以外にもすること満載です。宮仕えと違って、8時に始めて昼休み1時間、おやつは3時、などという縛りがないのでついダラダラとしてしまい、気が付いたら一日が終わっているという日常にどっぷり浸かっていました。線路が出来て、無蓋車で遊べるようになったので、次の目標はとりあえず電車の完成ということになります。この分では丸3年はかかりそうだと見積りましたが、果たしてどうでしょう。

2021/01/07

駅と車止め

造成中の駅

  本年中の敷設予定である道路まであと少しとなり、目標地点が見えてきました(初めから見えてましたけど)。終端部に駅プラットフォームを作るために土砂の掘削や生垣の移植などをした後、コンクリートブロックやタイルを並べました。将来的に位置の変更ができるようにセメントで固めませんでした。翌年の春にわかるのですが、霜柱の影響や元々地盤が弱いこともあって位置ずれが激しく、ブロックが崩れる恐れが出てきてやり直す羽目になりました。これも火山灰地の特徴なのでしょうか、もともと水はけはよいのですが、いくらきれいに整地しても砂が一緒に沈下していつの間にか石ころだらけになってしまいます。

車止の設計図               完成した車止
注意標識

 大手私鉄のターミナルに設置された大掛かりな車止めは別として、地方の駅の外れにポツンとある寂しそうな車止めは旅情をかきたてるアイテムです。ところがいざ、それはどんな形や構造なのかと言われると具体的に思い出せないものです。ネットで画像検索してもなかなか思い通りのものがヒットしません。レールをグニャリと曲げたものはよく見ますが、これは手作り困難。枕木を材料にしたそれなりの車止めを設計して作り上げたところ、そこそこの出来になり納得です。この部分は敷地内とはいえ道路にかなり接近しているので雪に埋まっている時に除雪車に引っかけられないように注意の看板も作りました。実際には車止めの部分(1m)は雪が降る前に取り外して邪魔にならない場所に退避させるので、まぁこれはご愛嬌です。将来こんな駅名標も建てようと考えています。敷地の奥側にも仮設線路を敷設して総延長は29mになりました。

駅名標

 この間、側板のなかった「名ばかり無蓋車」にアオリ戸を取り付けて「本当の無蓋車」に仕上げました。アオリ戸は、SPF(ツーバイフォー材)t3×38㎜の帯鋼で補強組立し、床板と蝶番で繋いで妻板に打掛錠で固定できるようにしてあります。プラットフォームの横でアオリ戸を開くと水平になって乗降しやすくなります。そんなこともあって無蓋車に簡単な腰掛も取り付けました。趣味が高じて骨董品商を営んでいるご近所の陶片木さんがその腰掛に座って何往復かした後、「いいものに乗せてもらったのでお祝いをしたいけど、何が欲しい?」とおっしゃるので、「JRの放出品で面白そうな物ならなんでもいい。」と言いました。後日、骨董品ネットワークで入手したと言って、楕円形の「車籍日本国有鉄道」と書いた車両銘板をプレゼントしてくれたので、さっそく妻板に取り付けさせてもらいました。

それらしくなった無蓋車         国鉄からの乗り入れ車です

「お召列車」とも言います
 さて12週間に1回程度函館まで買い出しに出かけて帰ってくると、大量の食料品や日用品を庭に停めた車の荷室から玄関先まで、何度も往復しさらに玄関から狭い廊下を台所まで運ぶ必要がありました。道路とウッドデッキを結ぶ線路と無蓋車が完成したおかげで、それらは貨車に満載して一度に直接台所に運び込めるようになりました。足の弱くなった義父母が通院する時も、玄関の段差を気にせずリビングからウッドデッキに出れば無蓋車の腰掛に座って車まで水平移動できるので大変安全になりました。

 こんな便利な自家用鉄道を雪に埋もれたままにするのはもったいないと、この冬は除雪に努めて通年運行することに決めました。例年11月半ばを過ぎると雪が降って一面真っ白のベールに覆われることがありますが、本格的な積雪は12月に入ってからになります。その頃と春先に降る雪は湿っていて重く、融けたら凍るので危険で厄介です。年が明けて冷え込みが強くなるとサラサラの粉雪が積るようになり、嵩の割には軽くて雪かきは適度な運動になります。我が家の場合、玄関やガレージ前に加えて線路の除雪をしなければなりません。毎日雪が降り続くような気候ではありませんが、爆弾低気圧が通過したりすると一晩で5060cmくらいの積雪に見舞われることもあります。そんな場合に備えて無蓋車の腰掛は冬季間取り外しておき、ウッドデッキ上の排雪を空き地まで運ぶのに雪捨て列車が活躍します。

こんな日には            雪捨て列車出動