屋根板貼りが終わったら「進捗その2」を書こうと思っていましたが、なかなか最初の1枚の貼り付けが始まらないので困っておりました。なんでつまづいているのかは「その2」に書きますが、やっと前頭部の3次元曲面のベースになる帯板の仮止めまで行きついたので、とりあえず写真をアップします。この後ネジを緩めて接着剤で固定します。張り下げ部の下端を揃えたら最大の不安であった屋根カーブの裾が期待に近い形状になっていることが確認できたのでひと安心しています。
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| 屋根カーブの裾が期待に近い形状になっています |
6月「妻板ユニットの製作」を投稿した際に「次は屋根の製作に着手する予定です。」と書いておきながら一向に車両製作が捗っていませんでした。8月「今年の夏休み」にその言い訳を書いています。着手したのはウソではありませんし、屋根のベースになる枠を構体に組付けては寸法修正したり、取り外しては作り直したり、こつこつと作業を進めていた間にカレンダーだけがめくられていたわけです。
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| 車体外周に合わせて屋根枠を整形 屋根枠は木ネジと接着剤を併用して_ 組立て、構体にM5ネジ(赤矢印)で固定 |
前にも屋根の構造については2025.3.12の投稿「キハ屋根の製作準備」で説明しています。繰り返すと、車体側板と妻板の上に枠を置き、その上にリブを組付け、ベニヤ板と杉板で3次元曲面を形成、最後はFRPで防水仕上げする作戦です。デ1で体験済みですが、新規技法を取り入れるのと拘りの張り下げ屋根カーブが思惑通りに表現できるか、試行錯誤にいささかの不安も過ります。この屋根は作り付けではなく、側板や妻板同様構体から取り外してそれぞれの塗装や修理整形ができるように計画していますので、接着剤が回りこまないようまたねじで分解が可能なように設計、組立しなければなりません。
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| 屋根の構造と寸法 |
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| ここまで出来ました、今年中に塗装まで辿り着けるでしょうか? |
鹿部電鉄へわざわざ訪ねて来てくださる方がたまにあります。このブログにも時々鉄っちゃんと庭でおしゃべりした話を書いています。どんな方かというともちろんみんな鉄道好きであることは言うまでもありませんが、本当によく来てくださいましたと頭が下がる思いをしたことがありました。
大沼電鉄が懐かしくて奥尻島から息子さんに送ってもらって見に来たという90歳越えの吉岡さんは、かつて折戸川第2発電所の社宅に住んでいて発電所前という臨時乗降場から鹿部小学校前臨時乗降場まで電車で通学していたとのことです。2020.12.26の投稿で紹介した大沼電鉄の知恵袋である加納さん、南部さんの同級生なので当時のことをいかに知っておられるかは推して知るべし。自分で作ったというデ1の模型も持参されていました。
電車の現役運転手が札幌と横浜から来られた時は実際にデ1のハンドルを握っていただきました。「運転操作の感覚は実物と同じです。」とお墨付きをもらった話はここに書きました(2022.2.6)。それぞれのSNSで運転した時の様子を全国の鉄っちゃんに発信していただき、その界隈で一気に知名度が上がったと思っています。
昨年7月ブログのお問い合わせメールに、「福岡の乗り鉄」を名乗る方から見学したいとの意向が寄せられました。遠方から鉄っちゃんがわざわざ北海道の僻地へ来たいとおっしゃるのですからお断りするわけにはいきません。ただその頃、私の前立腺は最悪の状況でガンかもしれないということで検査入院を控えていました。そこで訪問は歓迎しますが何月何日とお約束できないので体調が回復したらあらためてお返事します、と回答しました。さて年が明けて手術を受け、思いのほか元気になったので6月に訪問いただくことにしました。そのやり取りの中で、相手の岡部さんは私よりひと回りくらい下の年齢でRKB毎日という放送局の関係者であることがなんとなくわかりました。
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| インタビューの様子 乗車体験 |
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| RKBホームページの看板 |
話せば長くなりますが釣り好きの話を聞いてください、最後の方で大沼電鉄につながります。
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| これが雨鱒です |
19世紀末ごろ(大沼電鉄発祥の30年以上前)この地に硫黄鉱脈と鉄鉱石鉱脈が発見され、後に開発が進んで1960年(昭和35年)に閉山されるまで採掘が続けられていました。戦後硫黄は石油精製の副産物として安価かつ大量に生産されるようになったため事業は破綻し会社は解散してしまいました。以来止水工事などが行われないまま60年以上強酸性(PH2)の廃水が坑口から流出し続けています。このような「義務者不存在の休廃止鉱山」は全国に100ヶ所以上あるとも言われています。隣の精進川も坑口から流れ出る同様の強酸性水に汚染されています。精進料理では肉や魚が出されないことから、魚の棲まない精進川という名前になったのではないかと聞きました。雨鱒川と精進川が流れ込む折戸川下流部は我が家から一番近い川ですが、ここで竿を出しても魚は釣れず、常々残念に思っていました。
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| 折戸川との合流点の少し上流の雨鱒川の様子 鉱山からの鉄分で川底が赤く変色しています |
数年前、「雨鱒川、精進川の鉱害防止対策」という説明会が鹿部町民向けに開催されました。北海道大学の環境循環システム部門の佐藤教授が両鉱山の歴史や汚染されている現状について解説され、続いて画期的な、しかし実現できるかどうかわからない、水質改善策について研究内容が報告されました。私は折戸川に魚が戻ってくることを期待してどんなことをすれば川がきれいになるのか、本当に実現できるのか耳を傾けました。国の補助金を使って水質改善実験が行われるようになり、その後一年ごとにその進捗報告会が開かれました。私は毎回出席して徐々に具体化する水質浄化事業の足跡と将来の形を見守ってきました。折戸川にアメマスが戻るにはまだまだ年月を待たなければならないけれど、その取り組みは着実に進歩していることが確信できました。
その原理は以下の通りです。小学校の理科室で石灰水に息を吹き込むと白濁する実験をしたことがあると思います。カルシウムなどを含む水が大気と接するとCO2が吸収されて水中で炭酸カルシウムに変わります(白濁します)。カルシウムが多く含まれる水を作るには岩石を水中に入れて溶け出すのを待たなければなりませんが、強酸性の川の水なら数千倍のスピードで溶け出すことがわかっています。つまり玄武岩など地上に無尽蔵にある石を砕いて強酸性の川に撒くと石が速く溶けるとともに河川水が中和されます。さらに溶けた石の成分が大気中のCO2を吸収するという理屈です。
なぜこの強酸性の水を中和する方法が画期的かと言うと、川を浄化するだけでなく近年温暖化の元凶とされるCO2を効率よく吸収すれば、その量に応じてCO2を大量に排出している企業(航空会社、電力会社など)が買取ってくれるので(カーボンクレジット)、結果的に無償で事業を継続できるというのです。場合によっては事業原価を上回る収益を得ることもできる夢のような話です。さらに川に投入する中和剤として岩石の代わりに鹿部町特産のホタテの貝殻や一部の産業廃棄物が利用でき、川を浄化したカルシウムは海にもどって再び貝の成長を促すので一石三鳥、いや四鳥くらいの話なわけです。
過日、北海道大学の研究陣(指導教員、研究に携わる学生、共同研究の他大学((早稲田大学他))の学生達)が雨鱒川で実験(中和剤投入、PH測定)を行っている現場を見せてもらう機会があり参加しました。今にも熊が出没しそうな山奥へ林道を何kmも走ったところに旧坑口があり、胴長靴に濡れながら必死で中和剤を投入する姿や熊に怯えながらサンプルを採取するところを見ました。坑口の近くにはかつて鉱山で働いた人の集落やズリ山があったとのことですが、今では草木に覆われてかすかな地形の変化にそれを偲ぶ程度でした。
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| 道路に転用された大沼電鉄廃線跡 単一半径カーブが線路を偲ばせる この先で雨鱒川を鉄橋で渡ります |
当たり前ですが今年も夏が来ました。例年通りの夏と今年特有の夏が入り混じった慌ただしいひと月でした。と、まだ8月20日過ぎですが北海道なのでここで締めくくります。
例年通りと言えば夏祭り恒例のカッター競漕がありました。実力ではセミプロ集団には及ばないので、今年も仮装して特別賞を稼ぎます。サッカーワールドカップで一躍有名になったノルウェーチームが披露したバイキングローを真似て盛り上がりました。金色の角が付いたヘルメットはボール紙製で、鉄っちゃんの特技を活かして私が手作り指導をしました。8月に入ると東京からの孫や神戸からの旧知のお客さんが鹿部にやって来て庭の電車に乗り、大沼でカヌー遊びしたり、バーベキューしたり、じいじ手作りの飛行機型カート*で坂道を爆走したり。こんなことが連日繰り返されるのでキハの製作は一向に進んでいません。
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| 北海道の夏を満喫する客人たち |
近年北海道も猛暑に晒されることが多くなりましたが、今年は暑くて堪らないというほどのことは一度も有馬温泉でした。昨年購入したエアコンは時々除湿運転する程度で、お客さん達の「北海道はやっぱり涼しいね」と言う妬みに心の底でニンマリしたものでした。
一方夏が始まってすぐ、背中から肩、腕にかけて酷い痛みに苛まれ、医者に診てもらって薬を処方してもらいましたがあまり効果が見られず、その内お盆休みに入って一斉休診で苦痛と憂鬱に耐える日々を送ることになってしまいました。休み明けに総合病院で検査を受けたところ頸部椎間板ヘルニアとの診断結果でした。前立腺の具合が良くなって喜んでいた矢先、一難去ってまた一難、後期高齢者は暇なく病との闘いを強いられています。こんな病状でも孫やお客さんの接待を怠るわけにはいかないので辛い気持ちでも笑顔を絶やさず接するよう心掛けました。逆にそのおかげで痛みを忘れることができたのは不幸中の幸いだったかもしれません。
朝夕の冷え込みは本格的になり、日差しが柔らかくなって栗のイガも立派にふくらんできました。夏休みの宿題に追われたトラウマのせいで、なぜかいまだにこの季節は心が押し潰されそうな気分になって嫌いです。
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| 八角電車 以下写真はすべてWikipediaより |
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| スイスレーティッシェ鉄道の昆虫顔 |
過日鉄研OB会でJR西日本の新快速のデザインが話題になりました。221系。223系、225系(227系)のうち、どのデザインが優れていると思うか(好きか)と問うと、全員が声をそろえて「221」と答えました。塗装か無塗装かというのはさておいて、柔らかい丸み、しかも単一曲率ではなく徐々に変化、窓隅のRの変化しかり、側面と正面のつながり方といい、他の系列にはない柔和さが感じられます。大阪の国電にはなにか且つての流電(モハ52)や半流(モハ43)が優雅な姿を誇っていたのに通じるものがあるように思います。
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| 古いほどエエ感じです |
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| このカーブで胸がキュンとなります |
鉄研OB会が大阪で開催されるというのでそれに先立って広島へ足を伸ばし、市電のJR広島駅高架乗り入れの様子を見てきました。新幹線を降りて改札を出るともうワクワク感が止まりません。背伸びすると市電乗り場の案内標識が見えるくらいの距離ですが、それより人の波が半端ではありません。特に宮島方面行の乗り場はごった返しているものの整列乗車が徹底していて、近年言われる日本人の公共マナー意識の高さを物語っているみたいで、国際都市の玄関らしいなと感銘を受けました。
構内は低いながらもプラットホームが築かれていて線路を横断する人はいません。またそこに通じる高架線は専用軌道ながらバラストではなく、コンクリートで固められていました。上に目をやると剛体架線になっており、路面電車とは思えない近代的で豪華なターミナルは大胆で先進的な取り組みが具体化された結果との印象を受けました。
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| 5車体連接車が発着する宮島線乗り場 駅2階への乗り入れ高架線__ |
一方でメインストリートに出た電車は折り重なる交通信号と料金決済に手間取る降車客に阻まれてなかなか発車できず結果的に平均速度はかなり抑えられている感じでした。車内での料金収受に代わる方法を採用するか信用乗車を徹底することが今後残された表定速度向上の鍵になるのではないかと思いました。
広島では路線による差はあるものの、超低床車による運行が約半分を占めているようです。個人的にはこれまで超低床車はデザイン面で好きになれず、「装甲車」とか「助成金泥棒」と悪口をたたいてきましたが、自身の高齢化で足腰が固くなったことから今回乗ってみて「なんと優しい車なんだろう」と評価が一転しました。ただ4輪車(注)は曲線の入り口(および分岐部)で衝撃的な横揺れがあり、一向に改善されていないことから決定的な対策がないのかと思われ残念です。
注記 ボギー車やボギー式連接車ではなく、1両おきに配置した車輪付き車両に中間車体の両端を乗せる方式の連接車において、両輪が車軸で繋がっておらず独立懸架独立駆動されている特殊構造の4輪車。
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| 市内線用の超低床3車体連接車1000型 原爆ドーム前を行く350型____ |
せっかく一日乗車券を買ったので全線乗車し、車庫巡りをしました。宮島線の荒手車庫には1960年製で大好きだった2000型(ボギー車)の流れを汲む3100型(3車体連接車)が当時の塗色で留置されており、今にも走りだしそうな姿を見ることができました。
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| 路面電車の停留所とは思えない終点宮島口 荒手車庫で見つけたオリジナル塗色の3100型 |
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| 臨時ホームに進入する7600型 |
とはいえ大半の線路は緑化された道路中央部のセンターポールで架線が吊るされており、乗降用ホームも線路の間に設置されて安心して電車を待つことができるようになっています。つまり車両の扉は前後端に配置され、ホームが左右どちらにあっても運転手が客扱いできるようになっています。皮肉なことに広島ほど混雑しておらず、少なくとも私が乗車した時は降車客の料金決済で運行が滞るようなことはありませんでした。
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| 東山車庫で8100型と9200型 緑化された清輝橋線 |
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| こんなこともありました |
ここにも超低床車があり、たまたま東山終点から乗車することができました。乗降は楽チンでしたが、座席は丸座布団が置かれた木製であり、やけに座面が高くて尻が痛く座り心地は最悪でした。車輪は独立懸架ではなくボギー台車を車体に弾性固定してあるものの、やはり線路の曲がりで衝撃があり4輪車の技術的限界かなと思いました。
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| 正面はあべのハルカス |
梅田へ戻ってエレベーターを降りると懐かしい顔がすでに集まっていました。何年前に顔を合わせたか思い出せない御仁もいて、その間の変貌はお互い様と納得。乾杯の後、それぞれの近況や鉄活の報告、持参した模型や写真にまつわる話題で盛り上がりました。その内容たるや他人様には面白くもなんともないので省略します。2次会は地下街の喫茶店の一隅を占拠して鉄談と学生時代の懐談。盛り上がった話題は例えば、リニア地下鉄にはパンタグラフがあるのにリニア新幹線にない、サハシやキシの調理室の窓はなぜかくも高い位置にあるのか、その窓の上縁は塗分け線より上にあるか、等々。
さらに翌日、一部メンバーが入れ替わって京都鉄道博物館前に集合していました。「鉄博に行くなら」とJRに顔が効くメンバーの一人が事前に話を繋いでくれて館長が直々に案内してくれることになりました。学芸員から車両保存の裏話を聞く一方で、古い車両の改造履歴と展示中の塗色の時代が合わないとか、説明パネルの表示が間違っているとか、模型の車体(1/40製作品)とパンタグラフ(1/45市販品)の縮尺が違うとか、困った見学者のクレームは枚挙にいとまがありません。館長には「東京にはキハ04(41300)があり、九州にはキハ07があり、名古屋にもホジ6014(蒸気動車)があるのに京都に旧型気動車がないのは寂しいじゃないですか。加悦鉄道のキハ101(片ボギー動態保存中)とキハ08(元オハ62)を将来是非誘致できるようにしてください。」と無理なお願いをしておきました。
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| 京都鉄道博物館 |
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| 鉄旅の〆めは江ノ電塗色の嵐電 |