2026/08/24

待避線(余談雑談) 今年の夏休み

  当たり前ですが今年も夏が来ました。例年通りの夏と今年特有の夏が入り混じった慌ただしいひと月でした。と、まだ8月20日過ぎですが北海道なのでここで締めくくります。

 例年通りと言えば夏祭り恒例のカッター競漕がありました。実力ではセミプロ集団には及ばないので、今年も仮装して特別賞を稼ぎます。サッカーワールドカップで一躍有名になったノルウェーチームが披露したバイキングローを真似て盛り上がりました。金色の角が付いたヘルメットはボール紙製で、鉄っちゃんの特技を活かして私が手作り指導をしました。8月に入ると東京からの孫や神戸からの旧知のお客さんが鹿部にやって来て庭の電車に乗り、大沼でカヌー遊びしたり、バーベキューしたり、じいじ手作りの飛行機型カート*で坂道を爆走したり。こんなことが連日繰り返されるのでキハの製作は一向に進んでいません。

北海道の夏を満喫する客人たち

 近年北海道も猛暑に晒されることが多くなりましたが、今年は暑くて堪らないというほどのことは一度も有馬温泉でした。昨年購入したエアコンは時々除湿運転する程度で、お客さん達の「北海道はやっぱり涼しいね」と言う妬みに心の底でニンマリしたものでした。

 一方夏が始まってすぐ、背中から肩、腕にかけて酷い痛みに苛まれ、医者に診てもらって薬を処方してもらいましたがあまり効果が見られず、その内お盆休みに入って一斉休診で苦痛と憂鬱に耐える日々を送ることになってしまいました。休み明けに総合病院で検査を受けたところ頸部椎間板ヘルニアとの診断結果でした。前立腺の具合が良くなって喜んでいた矢先、一難去ってまた一難、後期高齢者は暇なく病との闘いを強いられています。こんな病状でも孫やお客さんの接待を怠るわけにはいかないので辛い気持ちでも笑顔を絶やさず接するよう心掛けました。逆にそのおかげで痛みを忘れることができたのは不幸中の幸いだったかもしれません。

 朝夕の冷え込みは本格的になり、日差しが柔らかくなって栗のイガも立派にふくらんできました。夏休みの宿題に追われたトラウマのせいで、なぜかいまだにこの季節は心が押し潰されそうな気分になって嫌いです。

2026/07/31

待避線(余談雑談) 近年の電車のデザインについて

 

八角電車 以下写真はすべてWikipediaより
 「嵐電の新型車に会わなかったのでよかった」と書きました。炎天下、遠路遥々電車を見に行ったのに新型車を見られなかった、若い頃なら臍を噛む思いだったことでしょう。爺さんになってから電車の好みは懐古趣味の傾向が強くなって、書店の棚に並んでいる「新型電車図鑑」の類を手に取るようなことも全くもって有馬温泉。近年の電車の特に先頭部は奇をてらったとしか思えないような、とてもじゃないが美しいとかうっとりするような形状ではなく、「何じゃこりゃ?」的デザインがはびこっているように感じます。それでも雑誌やネットの新車完成予想図には「カッコイイ」とか「近未来的」などと肯定的な言葉が並んでいるので、美的志向が世間の傾向とは違うのか、世の中の大勢はそういう方向に向いているのか、と少なからず悲しくなります。

スイスレーティッシェ鉄道の昆虫顔
 且つてはデザイナーが自由な発想で構想図を描き、有識者や一般大衆の意見を取り入れて魅力的な電車が作られていたものです。そういう時代とは違って、安全性を考慮した構造力学や空力特性が導き出すコンピュータの結論は画一であり、それに裏打ちされた法制化もなされているので、デザイナーはその枠の中で個性を強調することしかできなくなっているのでしょう。結果、どれも同じような顔に行きつくか、さもなければ突拍子もない真っ平や真ん丸が出現するのではないかと想像します。コンピュータが導き出したということは世界的にベースが同じなので、海外の列車が一様にいわゆる昆虫顔になったのと国内の電車が下すぼまり顔になったのは同じ理由に依っているのでしょう。

 過日鉄研OB会でJR西日本の新快速のデザインが話題になりました。221系。223系、225系(227系)のうち、どのデザインが優れていると思うか(好きか)と問うと、全員が声をそろえて「221」と答えました。塗装か無塗装かというのはさておいて、柔らかい丸み、しかも単一曲率ではなく徐々に変化、窓隅のRの変化しかり、側面と正面のつながり方といい、他の系列にはない柔和さが感じられます。大阪の国電にはなにか且つての流電(モハ52)や半流(モハ43)が優雅な姿を誇っていたのに通じるものがあるように思います。

古いほどエエ感じです

このカーブで胸がキュンとなります
 やっぱりこんな話題で盛り上がるのは爺さんが集まった時だけで、世間の美意識というか美的感覚とは悔しいけれどずれてしまっているのでしょうね。そんな中でもひときわ古い気動車が好きな私は、普通の鉄っちゃんでも興味を持たないキャンバス張りの屋根のカーブ、それもてっぺんから縁部にかけて曲率が変わっていく辺りと最後は側板と不連続に繋がる張り下げ部に痺れるような美しさを覚えるのです。あーもう現代の新型車のデザインを語る資格なんかありません。

2026/07/20

待避線(余談雑談) 関西鉄旅

 鉄研OB会が大阪で開催されるというのでそれに先立って広島へ足を伸ばし、市電のJR広島駅高架乗り入れの様子を見てきました。新幹線を降りて改札を出るともうワクワク感が止まりません。背伸びすると市電乗り場の案内標識が見えるくらいの距離ですが、それより人の波が半端ではありません。特に宮島方面行の乗り場はごった返しているものの整列乗車が徹底していて、近年言われる日本人の公共マナー意識の高さを物語っているみたいで、国際都市の玄関らしいなと感銘を受けました。

 構内は低いながらもプラットホームが築かれていて線路を横断する人はいません。またそこに通じる高架線は専用軌道ながらバラストではなく、コンクリートで固められていました。上に目をやると剛体架線になっており、路面電車とは思えない近代的で豪華なターミナルは大胆で先進的な取り組みが具体化された結果との印象を受けました。

5車体連接車が発着する宮島線乗り場       駅2階への乗り入れ高架線__

 一方でメインストリートに出た電車は折り重なる交通信号と料金決済に手間取る降車客に阻まれてなかなか発車できず結果的に平均速度はかなり抑えられている感じでした。車内での料金収受に代わる方法を採用するか信用乗車を徹底することが今後残された表定速度向上の鍵になるのではないかと思いました。

 広島では路線による差はあるものの、超低床車による運行が約半分を占めているようです。個人的にはこれまで超低床車はデザイン面で好きになれず、「装甲車」とか「助成金泥棒」と悪口をたたいてきましたが、自身の高齢化で足腰が固くなったことから今回乗ってみて「なんと優しい車なんだろう」と評価が一転しました。ただ4輪車(注)は曲線の入り口(および分岐部)で衝撃的な横揺れがあり、一向に改善されていないことから決定的な対策がないのかと思われ残念です。

注記 ボギー車やボギー式連接車ではなく、1両おきに配置した車輪付き車両に中間車体の両端を乗せる方式の連接車において、両輪が車軸で繋がっておらず独立懸架独立駆動されている特殊構造の4輪車。

市内線用の超低床3車体連接車1000型      原爆ドーム前を行く350型____

 せっかく一日乗車券を買ったので全線乗車し、車庫巡りをしました。宮島線の荒手車庫には1960年製で大好きだった2000型(ボギー車)の流れを汲む3100型(3車体連接車)が当時の塗色で留置されており、今にも走りだしそうな姿を見ることができました。

路面電車の停留所とは思えない終点宮島口 荒手車庫で見つけたオリジナル塗色の3100型

臨時ホームに進入する7600型
 翌日はお隣の岡山の市電に何十年ぶりかで乗りました。駅前の旧島式ホームはすでに撤去され、短縮された路線終端に設置された臨時ホームの一面に縦列停車して電車が発着していました。駅前広場への線路の一部は敷設済みでレールの頭部が舗装の表面に見えました。新ホームが設置される場所は塀に囲われて「2027年3月電車がここから発着します」と表示されています。完成予想図を見ると、ドーム状の大屋根ではなくホームのみの上屋になっているようです。広島駅の変貌を目の当たりにした後だけにスケールの違いを見せつけられた感じでした。岡電の社長が「広島にはかなわない」と言ったとか、検討段階であった高架乗り入れ案や地下乗り入れ案が縮小して平面延長にとどまった現実はどんな経緯を辿ったのか気になります。都市規模の問題とする意見もあるようですが、そうであればこそ駅前延長だけでなく路線全体の効用を考えたさらなる利便性の向上に力を注ぐことが得策であると思います。

 とはいえ大半の線路は緑化された道路中央部のセンターポールで架線が吊るされており、乗降用ホームも線路の間に設置されて安心して電車を待つことができるようになっています。つまり車両の扉は前後端に配置され、ホームが左右どちらにあっても運転手が客扱いできるようになっています。皮肉なことに広島ほど混雑しておらず、少なくとも私が乗車した時は降車客の料金決済で運行が滞るようなことはありませんでした。

東山車庫で8100型と9200型        緑化された清輝橋線

こんなこともありました
 前に岡山を訪ねたのがいつだったのかはっきり覚えていないのですが、確か元大分交通や元呉市電の非対称扉配置の電車が走っていたのを撮影した記憶があります。調べたらそれは1980年代のことらしく約40年になります。だとしたら路面電車好きとしてはあまりに長すぎるご無沙汰なので、おそらく岡山方面に足を伸ばした際に駅前でスナップ撮影ぐらいはしていたのではないかと記憶を修正しました。

 ここにも超低床車があり、たまたま東山終点から乗車することができました。乗降は楽チンでしたが、座席は丸座布団が置かれた木製であり、やけに座面が高くて尻が痛く座り心地は最悪でした。車輪は独立懸架ではなくボギー台車を車体に弾性固定してあるものの、やはり線路の曲がりで衝撃があり4輪車の技術的限界かなと思いました。

正面はあべのハルカス
 翌日は今回の旅の大義名分で、大阪梅田の27階にある料理屋で久しぶりのOB会が開催されました。夕刻開始ということだったので、昼過ぎに日本橋の模型ショップに出向いて目の保養をしました。今どきのプラ成型模型は本当に細密な表現がしてあって目を見張りました。指の震えが止まらない爺さんにはとてもじゃないが及ぶべくもない見事な細密加工です。時計を見ると少し時間があったので阪堺電車の恵美須町まで歩いてまた路面電車の前面展望を楽しむことにしました。ICカードを使って住吉で乗り換え、天王寺駅前まで均一料金で行けます。

 梅田へ戻ってエレベーターを降りると懐かしい顔がすでに集まっていました。何年前に顔を合わせたか思い出せない御仁もいて、その間の変貌はお互い様と納得。乾杯の後、それぞれの近況や鉄活の報告、持参した模型や写真にまつわる話題で盛り上がりました。その内容たるや他人様には面白くもなんともないので省略します。2次会は地下街の喫茶店の一隅を占拠して鉄談と学生時代の懐談。盛り上がった話題は例えば、リニア地下鉄にはパンタグラフがあるのにリニア新幹線にない、サハシやキシの調理室の窓はなぜかくも高い位置にあるのか、その窓の上縁は塗分け線より上にあるか、等々。

 さらに翌日、一部メンバーが入れ替わって京都鉄道博物館前に集合していました。「鉄博に行くなら」とJRに顔が効くメンバーの一人が事前に話を繋いでくれて館長が直々に案内してくれることになりました。学芸員から車両保存の裏話を聞く一方で、古い車両の改造履歴と展示中の塗色の時代が合わないとか、説明パネルの表示が間違っているとか、模型の車体(1/40製作品)とパンタグラフ(1/45市販品)の縮尺が違うとか、困った見学者のクレームは枚挙にいとまがありません。館長には「東京にはキハ04(41300)があり、九州にはキハ07があり、名古屋にもホジ6014(蒸気動車)があるのに京都に旧型気動車がないのは寂しいじゃないですか。加悦鉄道のキハ101(片ボギー動態保存中)とキハ08(元オハ62)を将来是非誘致できるようにしてください。」と無理なお願いをしておきました。

京都鉄道博物館

鉄旅の〆めは江ノ電塗色の嵐電
 京都はまもなく祇園祭、暑い夏がすでに始まっていました。解散後日差しを避けて地下鉄東西線に避難したら終点の駅名「太秦天神川」が見えて連想ゲームのように「太秦」→「嵐電」が見たくなりました。冷房の効いた車内からまたまた前面展望を楽しみ、終点嵐山で下車して何本かの電車を撮影しましたが、幸か不幸かデザインが気に入らない新型車には会いませんでした。蒸し風呂のような嵐山を後にJR嵯峨野線の快速電車で外国人観光客に揉まれながら京都駅に戻り、今回の関西鉄旅は終わりました。


2026/06/29

待避線(余談雑談) ブログの不思議な状況

  ブログを開設しているとどれくらいの人が目を通してくれているのか気になります。バズるのはごめんですが誰も見ていないのではないかと思うと虚しい気持ちになります。当ブログを書き始めたのは2020年10月のことでその頃はそれを知る術もわからず、線路を敷き始めた時のことを思い出しながらとにかく原稿を書いていました。その後運営者には閲覧数を確認できるページがあることがわかり、確かめてみると一日平均で6~7回くらいということが判明しました。フォロワー数で言うと全国で10人くらいかなと思いながら、その顔が浮かぶ人のことを想像したものです。それから4年経った2024年10月には月間閲覧数が約1000回に届き、始めた頃の5倍くらいに増えました。

ブログ開設時からの閲覧数の推移

海外からのアクセスが圧倒的に多いという統計
 ところが昨年(2025年)の秋ごろから閲覧数がさらに増えてきてこの6月末には4000回/月を超える勢いになっています。「なぜか急に増えたなぁ。」と思いながら「その他の統計情報」というページを見てびっくりです。「閲覧数上位の国ランキング」という統計が記録されており、直近24時間のアクセス総数484回の内シンガポール281、アメリカ78、香港71と続き日本32・・・となっていました。

 一体これは?と思って調べたところ、ロボットによるアクセスがカウントされている可能性があるそうです。目的は色々あって、というか何のためにかくも大量の無機質閲覧を送り込むのかわからないのが実情のようです。いずれにしてもシンガポールの人がこんなに多く鹿部電鉄に興味を示すはずはなく、国内の閲覧回数はそれらしい値なのでこれを信じるしかありません。1か月に換算すると1000回くらいなので2024年頃に飽和状態になっていると考えるのが妥当ではないかと思います。それにしても見えないところで第三者が触手を伸ばしていると思うと不気味です。今のところ実害はありませんが、なんらかの攻撃が表面化した時にどう対処すればよいのか、前例も経験もないので不安を感じます。

 キハ製作の進捗はありますが、ブログ報告は月1回くらいのペースになると思うので、待避線(余談雑談)のネタでも考えてお茶を濁そうかと。

黙々と次の作業に専念しています

2026/06/22

キハ妻板ユニットの修復

  気がかりな問題を棚上げにしたままデ1の全般検査(再塗装)に没頭していました。実は4月にテニスに興じている時右足首を不意に捻って靭帯の一部断裂(自己診断)を引き起こしてしまい、ずっとテニスサークルを休んでいます。その結果電車作りに費やす時間が増えて今までになく作業がはかどるという皮肉な状況になっています。もちろん痛い足を引きずりながらなので効率はよくありません。まぁそんなわけで前回の投稿でもお約束した通り、引き続いて崩壊したキハの妻板ユニットの修復に力を注ぎました。やはり作り直す気はおこらず、二度と同じ事態を招くことがないように可能な補強(構造)と修理の方法を考えたうえで、歪みを修正し隙間を埋める手立てを実行しました。

崩壊した妻板ユニットの構造
 ユニット崩壊に至ったメカニズムを探るべく構造の復習です(2024/8/12投稿「キハ妻板ユニットの製作 第2編」参照)。妻板は、両側の隅柱にそれぞれ4ヶ所溝を掘り、4枚の補強板(棚板)を嵌め込んでから仮に取り付けた裏板の力を借りて木ネジで固定した目の字型の枠がベースになります。これに木ネジで幕板と腰板を張り付けたら一度分解し、接着剤を塗ってから再組立して、その後接着剤が固まったところでほぼすべての木ネジを取り外すという段取りにしていました。最終的には接着剤の固着力に依存していたわけですが、隅柱の溝が浅く、裏板の組立が不正確であったことが災いして接着強度が期待値に達していなかったと思われます。加えて木ネジを外していたのでヒノキ材の膨潤によって複数の接着部でもろくも割れてしまったのだと推測されます。

隅柱と補強板を仮固定していた裏板の
代替機能を持たせて取り付けた新裏板
 割れた部分に残っていた接着剤を除去して再組立してもほぞの嵌め合い寸法が元通りにならなかったり、どうしても数㎜ぐらいの隙間が埋まらない箇所が現れたりしました。部材がどのように変形したのか不可思議ではありますが、幸いなことに部材そのものが割れたり裂けたりしていたわけではないので、表面を修正したり新たな構造部材を追加することでなんとか修復が可能であろうと判断しました。結果的には組立時に仮に使用した裏板を目立たないような形状に再設計し、常時固定部材として復活させることと木ネジを残すことで強度の維持が期待できる構造に修復できました。

板の継ぎ目に開いてしまった隙間(写真の中央の白い部分)
は薄い木片を詰めて接着、 腰板は補強板に木ネジで固定


 組み上がったユニットの板の継ぎ目、節や板目(不規則な木目)でケバ立った部分にこってりパテを塗り付け、♯80のサンドペーパーで軽く均しました。この段階では削り取るのではなく大雑把に凸部を除去する程度とします。次にパテをドロドロ状に水で溶いて刷毛で塗り付け、乾燥後表面を♯120で平滑に仕上げると、見事にキハ40000特有の4枚窓妻板ユニットが完成しました。ただしこの後経年変化で変形やひび割れが発生しないという保証があるわけではないので、早めに油性塗料(外面)やワニス(内面)による防水処理をする必要があると思っています。

パテ塗布状況 左:隅柱と幕板の段差補正 右:水溶きパテを全面に塗布

 早く構体に取り付けて完成に近づく車体を見たいという気持ちを抑えて、次は屋根の製作に着手する予定です。

2026/06/06

デ1全般検査

内装窓枠等は無塗装だったので
シミで見苦しくなっていました

  デ1は2019年10月に完成しましたが、車体を塗装したのはその約1年前の8月でした。当時のことを次のように書いています。「とりあえずは2回塗って、後は1年ごとくらいに塗り重ね、ある程度の塗膜になれば適宜補修するという計画でよいと思っています」。しかし事実はその時一度塗ったきりでかれこれ8年経過し、塗面のみならず下地の木部にも劣化が進行しているようです。ここ何年かは見るたびに塗り重ねをしなければ、と思いはするものの手が動いていませんでした。キハ妻板の修復をはじめ喫緊の案件が気にはなるとはいえ、これ以上放置すると取り返しがつかなくなりそうです。外装もさることながら、窓枠やその周辺の内装は無塗装のままだったので浸み込んだ雨で木部が黒く変色して見苦しくなっていました。模型の内部は塗装しないのが常だったので、それを踏襲しただけなのですが、屋外保管で徐々に変色が進んでいると気が付いた時はすでに遅しということになっていました。「思い立ったら吉日」と言う通り、一大決心をして外せる部品は全部取り外して再塗装することにしました。Wikipediaで「日本の鉄道車両検査」を調べると、一般の車両は8年ごとに全般検査が行われることになっているそうなので、塗装に関してはそれ相当ということになります。

 そもそもやっとのことで再塗装に思いが至ったきっかけは、運転席の右側面の下部のかき傷がかなりひどくなって見過ごせなくなったことにあります。その元凶はこれで、引っ掻かれた痕はこの通りです。

建築限界を超えて枝が張り出すツツジ(手前)とバラ(奥)   擦れて傷ついた側板____
このツツジも奥のバラも数年前まで電車に接触することはなかったのに、だんだん太い枝が強く擦れるようになって最早許容できなくなってしまいました。それに加えて近々九州から遠路遥々鹿部電鉄の見学をしたいとの申し入れがあって、あまり恥ずかしい姿を見せたくないという気持ちが働いたことがあります。まぁこんなことでもないとなかなか重い腰が上がらないもので、だらだらと変化のない日常を過ごす身にとってはいい刺激になります。

屋根を取り外して脇に置く
 さて全般検査の取っ掛かりは車体の分解から始まります。屋根を固定しているねじを緩めて取り外すといかにも検査中という雰囲気になります。クレーンがないのが辛いところで、怪しい腰使いで隣の作業台まで移動、埃やゴミを拭き取っているとそれらしいメンテを怠っていたことが悔やまれます。傷、シミ、ひび割れ、浮き上がりなど上塗りだけでは修復できそうにない深刻な傷みが見受けられます。サンドペーペーで擦れば目立たなくなりそうなものからパテやシーラントで埋めなければならないものまで症状に合わせて対処することにしました。
屋根樋コーナー部ひび割れから雨水が侵入するおそれ  幕板の経年変化による段差発生

 約1か月をかけてということは実物並みの工期ですが、塗装関係が主でブレーキや駆動部のチェーンなどまで分解はせずに機能点検だけです。とはいえブレーキシューに溜まったホコリとグリースの塊除去や左右のバランス調整、動作代の確認などを行いました。再塗装の様子は以下の写真をご覧ください。

外面油性塗料チョコレートの上塗り 内面はサンダーで汚れを落としてからワニス仕上げ
窓枠も外面は油性チョコレート     内面は取り外して(左)サンダー研磨(右)

ポール、ヘッドライト、台車の塗装完了後車番と社紋をマスキング白入れ_______
________________コントローラーも再び金色(磨いた真鍮色)に輝きます
 この後取り外した窓ガラス(アクリル板)を元の位置に戻すと全般検査完工となりますが、そのアクリル板が白濁変色しているため研磨が必要になります。磨いて透明感が戻ればいいのですが、これはやってみないと簡単に済むのかどうかわかりません。その写真は後日アップする予定です。投稿が途絶えているので読者の方はさぞ「キハの補修に手間取っているのではないか」と考えておられると思います。はい、すぐに取り掛かりますのでキハの復活をお楽しみに。
全般検査完工 窓ガラスのアクリル板白濁は修復できませんでした
磨き上げたコントローラーハンドル

2026/05/05

キハが直面する厄介な問題

この画像では妻板下部もシートで覆われてい
ますが、風でめくれると雨風が入り込みます
 ブルーシートを掛けて冬を越したキハ、実は車体の側板や妻板は取り外して骨組み(構体)だけにしていました。その理由は、一昨冬もシートを掛けていたのに丈が短いので車体木部の下縁が濡れて大変なことになっていたからです。それが判明したのは昨年の春のことですが、修理方法の見当がつかないうえに体調がすぐれなかったことから、一年間見て見ぬふりをしていたわけです。今告白します、妻板下部は修復不能なほど変形崩壊していて全面的に作り直さなければならない状況に陥っています。何度見ても出るのはため息ばかり、最初に作り始めた部分であり、キハ40000の顔なので整形や窓の構造には思い入れがありました。整形した板を、良かれと思って接着組立したことがあだとなって、損傷している部分だけの修理が実に難しそうなのであります。
雨でヒノキ材が膨潤変形して接着部は剝れ、ひび割れが広範囲に伝播、
ほぞ組みは
修復不能に。破損状況は見た目よりも深刻になっています。
破損がこれ以上広がらないよう一部応急処置として補修してあります。

 もう一つ問題があり、鋼体の組み上がり寸法が図面通りになっていませんでした。車体中央部で上下の梁の距離が4~5㎜ほど小さくなっています。組み立て前の部材は寸法通りに加工されており、あらためて30□鋼管の強度計算をしたところ、仮に体重が1ヶ所に集中的に加わったとしても塑性変形するには充分な余裕があることがわかりました。原因はどうやら長寸の梁の製品寸法許容範囲内での変形にありそうだということがわかりました。曲がりの許容値は長さの0.3%以下ということになっており、約3m離れた柱間では最大9㎜まで、上下の梁が逆方向に変形していると18㎜まで間隔が広がったり狭まったりしうることが仕様書から読み取れました。5㎜なら充分ありえる値でしょう。そこで車体中央部左右に梁の間隔を矯正する柱を取り付けることにしました。この問題も1年間寝床でどうしたものかと原因や対策を考えていたのですが、案ずるより産むが易しの言葉通り解決することができました。後付けの柱然としていますが車体内部に隠れるので気にしないことにします。

左:構体の全景  右:中央部で上下梁の間隔測定、設計上は717㎜のところ実測値は713㎜
前後の柱間距離は2745㎜あるにもかかわらず、中間部に支柱がないことが梁変形の原因です。

 さて元の問題に戻って妻板修復をどうするか、一から作り直すと専念しても2ヵ月くらいはかかると思われますが、2ヵ月で元通りになるのなら素直にやればいいとも考えられます。下手な修理でみっともない仕上がりになることを思えばその方がよいかもしれません。しかしせっかくこだわって作った妻板があるのにまた同じ作業を繰り返さなければならないのはどうにも気が乗りません。こんなことでいつまでもくよくよと考え悩むより、一刻も早く決断していずれの方法であってもまず着手することが最良の選択であることは間違い有馬温泉。

ここまで修復できるかが最大の気がかり