2025/06/23

待避線(余談雑談) キハ40000参考写真その5

 ガラクタ整理から帰って来て10日以上経ちました。留守の間庭に生い茂った草の刈り払いや破れたカバーの下でほぼ雨ざらし状態だったキハの乾燥、さらにカヌー部、渓流釣部、テニス部の例会参加と休む暇なしの日が続き、なかなかお宝を鑑賞する余裕を見つけることができませんでした。あっそうそう、神戸を発つ前日に押入れの奥からスライドビュアーが見つかったので写真と一緒に宅急便で鹿部に送ったのでした。何百枚もあるスライドの中から一枚を取り出し、セットしてスクリーンを覗いてみると、 、 、全面にホコリを被ったような黒いまだら模様が映っていました。擦っても取れないところを見るとカビか化学変化のようで、他のスライドもほぼ同様の状態もしくは部分的に赤や黄に変色していました。肉眼で見た時は超貴重なフィルムがあると思って感激したのですが、糠喜びでした。暇なときに残りの膨大な数の点検をやりますかっ。

 一方で白黒プリントはあまり変色してなさそうでした。ただ無秩序に束ねてあるので撮影時期や場所が飛び飛びで、記憶と結びつかないものがたくさんありました。人間の(いや私の)記憶なんか実に曖昧であると思い知った次第です。「キハ40000参考写真その3」(2025/2/20)で「江若の浜大津構内には1両の気動車も見当たりませんでした」と書いていますが、乗車したキハ52はハフ2を牽いているし、その前か後かにキニ11を撮影しているではありませんか!しかも浜大津だけではなく石山坂本線の錦織車庫で「びわこ号」を撮影し、その前にも叡山線に立ち寄ってポール三昧を楽しんでいた証拠が残っていました。こんな時代があったンですよ。

 加古川では「チョッと残念な写真」(2024/10/7)に「このキハ06を撮影した記憶はなく、『なんで撮っていなかったンだろう?』と悔しく思っています」とヌケヌケ書いています。「ほな、この写真は誰が撮ったンや?」そう言うと夏休みに早起きして重連を撮影したような気がします。同じ頃撮影したキハユニ153も珍しい存在ですが、仕分け業務をしていないときは郵便室が解放されていて、私はそこに乗車したという貴重な経験をしています。


 この他にもめくっていたらキリがなくなるので、1970年頃に関東に足を延ばした際の写真をチョイ出ししておきます。

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