2024/01/25

待避線(余談雑談) 15インチゲージを始めて変わったこと

珍しく渓流釣行で撮影した若桜鉄道
           若桜駅近くにて自身撮影
 長い人生ですから鉄道大好きとは言いながら色んなものに興味を持っていました。一番好きなものはもちろん鉄道ですが、どちらかと言うと多趣味な分類に入るのではないかと思います。だからスキーや旅行に行ってもその道すがら必ず電車の写真を撮るという鉄っちゃんの基本行動は忘れません。ただし、渓流釣りに没頭していた50代後半の頃だけは移動に自家用車を使い、頭上の鉄橋を行く電車や気動車を見向きもせずに魚信に集中したものです。定年後は「鹿部前史」(2020/10/8投稿)に書いた通り、徐々に鉄道趣味に戻りました。そこで元々の鉄っちゃんに戻ったかというと、15インチゲージを始めたことで私の鉄道に対する嗜好はかなり変わったように思います。

 若い頃の私は作り鉄と並んで運転鉄、と言っても実物の電車を運転できるはずはなく、正しくは運転妄想鉄でした。好きな電車の運転席で好きな路線を運転している妄想を楽しむわけで、例えば路面電車を運転しながら高架線に乗り入れてぶっ飛ばしたり、逆に地下鉄列車で併用軌道を走ったり、はたまた機械式気動車で手動変速しながら長閑な地方線の交換駅で対向列車を待ったりしていました。運転する車両には好みがあって、電車の制御器では自動進段のマスコンではなく間接非自動、制動装置は直通ブレーキが得意です。この妄想は脳だけでするのではなく、目はつむったり宙を見たりしていますが両ハンドルに合わせて思わず手首が動くことがあります。こんなことするのは私だけだと思っていたら、ある日ロングシートの片隅で目を閉じたまま電車が動いたり止まったりするたびに両手を捻るように動かしている人を見たことがあります。

         好きな電車名鉄モ600のHL制御器とSMEブレーキ弁 旧美濃駅にて自身撮影
    50年以上前の記憶から自身で作画
 19703月大阪万国博覧会が開催されました。どこのパビリオンだったか忘れましたが、コンピューターで鉄道の運転が出来るというウワサを聞いて長い列に並びました。1時間近く待ってやっと会場に入ったところにあったのが、マスコンっぽい箱とブレーキっぽいハンドルが並んだテーブル、そして緑色の画面のテレビモニターでした。その当時おそらくパビリオンを出すくらいの大企業にとってもコンピューターは高価な代物だったのでしょう。1台のコンピューターで鉄道の運転と詰め将棋の対戦が2時間おきに切り替えられるとの表示がありました。その時運転に興じていたのは小学生で、コンパニオンに教えられながらも全然へたくそだったので、妄想運転の得意な私なら急停止も行き過ぎもせずに100点の運転が出来るだろうと自信に満ちていました。ちょうど後2人で順番が回って来るところまで来てドキドキしていたら、「この後コンピューターとの詰め将棋対戦に変わりますが、お客様はどうなさいますか?」と尋ねられました。「いや、電車の運転!」と主張しましたが聞き入れられず、「では次のお客様、前へ。」と冷酷無情の対応に涙を飲みました。

 それから30年近く経って長男が「お父さんの好きなヤツ借りて来たよ。」と、「電車でGO!」を自宅に持って帰って来ました。話に聞いてはいましたが、早速試してみると画面はマニアックで面白く、ワンハンドルコントローラーもよくできている、万博のコンピューターからよくもここまで進化したなぁ、と感心しました。しかし、制限速度調整や定位置への停車はどうしても思い通りにならず、「本当の運転手でもこれはチト難し過ぎるゾ。」と臍を噛みながらギブアップしました。さらにリアルな前面展望と運転操作機器を装備したシミュレーターが各地の博物館などに置かれるようになり、どこも人だかりができたり抽選に当たらないと体験できなかったりという人気を博しているようです。私が幼少の頃には電車の運転方法を知っている子供なんか一人もいなかったのに、ずいぶんな世の中になったものです。

 一昨年大宮の鉄道博物館を訪ねた際にも多種多様のシミュレーターが館内のあちこちにあることを知りました。車掌体験やみどりの窓口発券シミュレーターなんかもあるそうです。そこを訪ねたのは鹿部で15インチゲージのキハ40000を導入しようと考えていた時で最大の目的がそちらに向いていたこともありますが、もう充分にデ1の運転を堪能していたのでいまさらシミュレーターでの運転に興味は湧かず、そのエリアには入りませんでした。電車の運転に憧れていた頃だったら真っ先に見に行き、飽きずに体験を繰り返していたことでしょう。

    ゲージは600mmだとか 自身撮影
 そもそも鉄道博物館が大宮に開館する時にミニ鉄道の体験運転が出来ると聞いて、是非乗ってみたいと思っていたものですが、実際にここを訪ねた時は鹿部電鉄の増備車の参考になればとの期待から車両構造を見に行きはしましたが、やっぱり乗ってみようという気にはなりませんでした。聞くところによるとATSによって先行車に近づくと自動停止するのだとか、子供が運転するには安全かも知れないけれど市電の続行運転のギリギリ停車を見てきた私の目にはなんとも面白くありません。

 以前十勝の陸別鉄道を訪ねた時にディーゼルカーの体験運転が出来ることを知って心躍りましたが、事前予約制であったために「是非再訪して運転するぞ!」と誓いました。ところが鹿部に来てからその思いは徐々に萎んでしまいました。近年各地の鉄道でも構内限定の体験運転イベントが開催されていますが、日常的にデ1の運転をしている身としてはお金を出してまで徐行運転を体験してみたいとは思わなくなってしまっています。そんなわけで、かつて運転妄想鉄だった私はシミュレーターも実車体験運転も全くと言っていいほどに興味を失ってしまいました。
夢がなくなっても、それ以上の現実を手に入れた私は日々幸せを満喫しています。

2024/01/21

待避線(余談雑談) 15インチゲージに思うこと

 15インチゲージ庭園鉄道を作って本当によかったなぁ」とあらためてしみじみ思うことがあります。自分で設計製作した電車を自分で運転して自分で敷いた線路の上を走らせる、こんな夢みたいなことを実現できた人がこの世の中に何人いるでしょうか。もし鉄道会社に運よく採用されて希望通り運転手になっていたとしても、いつもお気に入りの電車を運転できるわけではありません。車両製造会社の設計部門に配属されたからといって勝手な好みの電車を作れるはずもありません。

憧れの電車運転台
 私の場合、模型を作ることでその欲求をある程度疑似的に満たせたようでした。運転に関しては、近年のトレインシミュレータは驚くような進化を見せています。しかし今考えると、いずれも電車に乗り込んでコントローラーとブレーキハンドルを操作した時の実感には遠く及びません。音響や振動、何よりも直の視覚と加速度を感じながらの運転は、他のどんな方法でもそれに代えることができないのです。強いて弱点を言えば1/3スケールでは実物の重厚感に及ばないことでしょうか。もし実物の電車を手に入れて庭で自由に運転することができたら、それはこの上なく楽しいに違いありません。廃止された鉄道の車両を譲り受け、広大な土地に線路を敷き、それらを整備して運転できるように頑張っている人達がいるようです。羨ましいですね。
鹿部電鉄の四季

全部一人でやります
 ただ15インチゲージが実物サイズの鉄道より趣味の対象として優れている点を挙げるなら、車両も線路も全部自分で作れることです。さらにそれが一人で楽しめる限界の大きさであるということです。私の嗜好は、特に鉄道に関して言えば偏狭で拘りが強く、他者と相容れないことが多いため、一人の世界で完結できることは大きな意味を持っています。最初に書いた通り自分だけの意のままの鉄道のオーナーになれる点で、手頃でありながら最高の満足を得られる鉄道趣味だと思います。撮り鉄、乗り鉄、作り鉄と色々ある中でそれらを独り占めする自家鉄と名付けさせてもらいましょうか。

眺めて楽しむこともできます
 自家用鉄道のオーナーになった時、誰しもその鉄道をどう生かしていくかという岐路に立ちます。それまで憧れてきた気持ちと共に車両や線路を大切に維持し続けるか、あるいは近所の子供を招いて社会貢献の手段として利用するかなどの選択肢が思いとして過ぎります。せっかく世にも珍しいミニ鉄道が完成したのだから少しは注目してほしいと願うのは自然な成り行きです。しかし、テレビや新聞で紹介されると大勢の見学者が訪ねてきて困惑する可能性があります。大切な車両が傷ついたり道床の砂利が崩されたり、花壇の植物が荒らされたりすることを考えると黙っていたいようにも思えます。私の場合は、15インチゲージの同好者が興味を持って訪ねられることは大歓迎ですが、単に珍しがって子供連れが乗車目的で来られるといささか戸惑ってしまいます。このことについては早い段階で何を目的に鉄道建設するのか自問して決めておく必要があると思います。最初から一般開放するつもりなら、頑丈な作りにするとか安全を確保する機構を多重装備するなど、それなりの対策を採っておかなければなりません(法律で定められた技術基準があります)




ウチの庭には踏切があります

 目的と併せて目標を定めておくことも大切かと思います。「特定の鉄道や好きな車両の再現」とか、「ガレージと勝手口間の物資運搬用軌道建設」とか、「VVVF駆動装置の試作研究」、「とにかく線路とトロッコ」など、どんな鉄道を作ろうとするのか方向性を決めておくことは重要です。そして「最終形態として自宅を一周する線路を敷設するがとりあえず5m敷設して足掛かりにする」とか、「多種多様な電車を量産するためにまず1両試作してみる」というような最終目標と当面の課題や段階ごとの計画を定めることも大切で、作業にメリハリをつけるマイルストーンになると思います。

 なんだか15インチゲージ起業コンサルタントのアドバイスみたいになってきましたが、一人でも多くの鉄っちゃんが興味を持って「自分にもできそうだ」と一歩を踏み出してもらうことを期待しているわけです。以前に「15インチゲージのすすめ」で投稿した通り(2021/9/282022/2/132022/12/23)、目の前に立ちはだかる用地、費用、技術の壁は実際には恐れるほど高いものではなく、だれでも工夫次第で必ず乗り越えられます。もちろん悩んだり苦労したりということもありますが、大好きな鉄道を我が物にするためだと思えばそれもやがて楽しみに変わっていくはずです。自分で作った列車に乗りこんで好きなように運転できる鉄道を持つこと、こんなに素晴らしくも誇らしい趣味があるでしょうか。

2024/01/09

キハの構体設計

  暖房の効く工房がないので、冬の間は車両の製作作業が出来ません。そこで外の作業ができない期間は設計に没頭することにしています。その題材はたくさんあって、しっかり図面を描いておかないと材料購入や加工の段階で計算や加工のやり直しに迫られることがあります。キハ関連でざっと考えただけでも、台車の付属部品やブレーキ、駆動部、センターピン、車体構体、側窓と扉、屋根等々。新設車庫とその分岐のほかデ1とトについても自動連結器化はずいぶん前から懸案になったままです。全部のケリをつけようとするとまた何の進展もなくなってしまうので優先順位を考えて着手しなければなりません。キハは最終的にはガソリンエンジンで駆動したいと思っていますが、とりあえず来年中に外観が鑑賞に堪えられる状態になるようにしたいので車体の製作を急ぐことにします。

 キハ40000の実物が半鋼製だったことから、当初実物に倣って木製の側板の表面にブリキ板を貼り付けることを考えていました。これは工作が面倒なうえにきれいな仕上りにする自信が持てなかったことから断念しました。そのかわり鋼製の骨組みに木製の側板を貼り付けることで半鋼製車体とします。工作用ヒノキ角材を使って側板の試作をしたところ、想像以上に実感的な側板を製作できたことに起因しています(2023419日「キハの窓試作」参照)

 その鋼製構体は台車用の素材と一緒に購入した30mmの角型鋼管で製作します。定尺は6000mmですが、運搬の都合上3000mmに切断してあります。車両全長が約3.4mあるのでデ1の時のように四隅に柱を立てるには少し寸足らずです。はしご状に組立てた床構体と天井構体を4本の柱でつなぐために、扉のすぐ外側(車端より窓一個分内側)に柱を隠すように配置します。その前後に妻板ユニット、両側面に側板、さらに屋根を被せて車体を構成します。16番のペーパー模型では側板の上下に補強用角材を貼り、妻板と屋根板を組み合わせて箱型にしますが、この15インチゲージ車両は型鋼で作った骨組に板を貼っていく実物の車両製作に近い工法です。もっとも近年は実物も模型と同じ方法が主流になっていると聞いたことがあります。

車体組立構想

 というわけでまず骨組みの詳細設計に取りかかります。こういう構造物は溶接で結合するのが頑丈であり常道なのですが、鹿部電鉄工場には溶接機がありません。t3程度の鋼材溶接ならDIY用の小型機が販売されており、しかも中古品なら手軽な価格で入手できるようです。私は学生時代の実習を含めて何回か簡単な溶接をした経験があるものの、いずれも酷い仕上がりでなかなか自信が持てません。練習を重ねると上手になれるかも知れませんが、手元に溶接機があっても他に使い道を思いつかないので投資する気になれません。そこで鋼材の結合はガセット(補強材)を用いたボルト締結式として設計を進めます。

角型鋼管をボルト締結する構体組立図

2024/01/01

謹賀新年

 時の過ぎる速さは10年歳取るごとに倍になるように感じます。10歳の頃、「大人(20歳)になるのに今まで生きてきたのと同じだけかかるのか」とうんざりしましたが、実際にはそこまで長い年月ではありませんでした。仕事がいやで、「早く定年退職したいけど会社勤めは永遠に続くのではないか」と思い嘆きましたが、振り返ってみるとすんなり自由の身になっていました。64歳で鹿部に移住し趣味三昧の極楽生活が始まって満10年になりますが、これは本当にアッと言う間でした。

 歳取るとトキめきがないから時間が速く過ぎる、と言う説があります。私はこの10年、それまでに経験したことのないような感動を何度も味わったにもかかわらず、やっぱり時が経つのは速かったと思います。苦痛は長く続き、快楽は一瞬で終わるのかもしれません。残り僅かな人生を、少しでも長くじっくり享受したいと思います。