2023/01/27

分岐器の雪対策

  冬だから寒いのは当たり前ですが、内地ではいつになく大雪に見舞われて各地(特に西日本)で分岐器の動作不良が発生したと、ニュース(2023126)で知りました。凍結したり雪が詰まったりその結果一部の機器が損傷したとのことでした。鹿部電鉄は雪国の鉄道なので対策は万全、と言いたいところですが実は転轍機を設置して初めての雪が降った12月初旬、転轍機を切り替えてもトングレールが途中までしか動かないという不具合に見舞われていました。

電車の留置状況     と      トングレールの様子
 分岐部は駐泊所風の建屋と留置した電車に覆われており、余程横殴りの吹雪でなければトングレールに雪が詰まることはありません。転轍機は屋根の外にあって雪に埋まると困るのでカバー(手箕)を被せていました。

転轍機の防雪対策
 何が手落ちだったかと言うと、転轍棒に繋がったL型ベルクランクは屋根の下にあるので気を抜いていたところに雪が吹き込んでいたのでした。融けた後再凍結して動作が不完全になっていました。この部分に板を被せて以降問題は発生していません。来シーズンまでには転轍機とL型ベルクランクを覆う正式な構造物を製作することにしました。

L型ベルクランクが凍結してトングレール動作不良発生
転轍機を動かしても伸縮筒のおかげで損傷は免れました

2023/01/13

待避線(余談雑談) 交通政策に思うこと

  -本稿は客観的データや詳細な調査にもとづいて考察した結果ではなく、個人的感想と想像(妄想)から私の鉄道に対する偏狭な愛と願望を述べたものです、その一部でも共感いただければ幸甚です-

鉄道以外に移動手段のない利用者にとって廃止は死活問題
 ご承知のように各地でJR路線の廃止が話題になっています。特に北海道では今後本線級の動脈が寸断されるおそれも報道されているようですが、「いつまでも自家用車の運転ができるわけではないので、鉄道の廃止は生存権のはく奪に等しい。」「バスに置き換えればいいと簡単に言うが、トイレのないバスはキハ40以下だ。」と特に高齢鉄っちゃんの私は考えます。廃止の最大の理由が採算であるとされていますが、鉄道の存廃を論じる時になぜ最初に採算の問題を持ち出すのでしょう。鉄道を維持する必要性の根拠の一因かもしれないけれど、どちらかというと最後の課題ではないかと思うのです。山中のぽつんと一軒家にも電力や道路の便が図られている今の時代、もしその建設や維持について採算が取れないという理由で切断、閉鎖してしまうことがあっても合理的だと許されるでしょうか。建設が続けられている幹線以外の高速道路の採算性は一体どうなっているのでしょうか。

動脈の維持活性化は国の政策として実施すべきだと思う
 JR地方線の存廃は国が総合的な交通政策として決めるべきであるのに、JRと自治体に維持財源を含めてその判断を委ねているのがそもそもおかしな話です。まず利用の低迷をはねかえす地域の活性化を促すのが本来の筋なのに、車両や施設の老朽化やそれに伴う保全不足を理由に間引きダイヤに始まる悪循環でますます利用しにくくなってしまっています。ここに至って不採算の穴埋めをせまった挙句、廃止ありきで自治体(=建前上住民の意思)に答えを出させる猿芝居のようなやり方です。高齢化や過疎化への対応が無策に等しい中でもっともらしい数値を見せつけて、あたかも住民が自ら最善の判断を下したかのような筋書きにする企みに思えてなりません。

 我が家の裏を走るJR函館本線は、数年後に新幹線が札幌まで延伸されると原則的に第三セクターに移管されることになっているようです。沿線自治体は赤字線を押し付けられたくないので、貨物を含めてこぞって第三セクターへの参入回避に動いています。この鉄道は日本の頸動脈ですから、そんな自治体の判断でもし廃止にでもなったら国全体の経済に及ぼす影響は計り知れません。例外的に国有鉄道として復活してはどうかと思うのですが、その節はもう他人事とは言わせない国土交通省直轄にしてほしいものです。

 スイスやドイツで見た山岳地方の鉄道は決して地元の利用者が多いわけではなく、厳しい立地への対策に費用は嵩むはずですが、居住者の生活を重視した手厚い政策に守られています。100年以上の昔に敷かれた線路をただ漫然と利用しているだけではなく、路線の規模に見合った観光客の誘致や雪に埋もれる冬季の移動手段を確保するという目的に沿い、官民が一体となった地域プロジェクトで資金を注いで車両や施設の近代化が行われています。持続可能な交通行政の根本は、利用者特に地元住民の足としての利便性を最優先課題として考えることにあると思います。

60年以上前に誕生した日本型インターアーバン
LRTを予言するかのような先進的電車だったが
今地下鉄に置き換えられて身を持て余している
          
京阪京津線80型1969年撮影
 廃止される鉄道の話題から一転して新しい鉄道の話をしたいと思います。新しい鉄道と言えば大都市の地下鉄やそこへ乗り入れる私鉄の新線が思い浮かばれますが、私はあまり興味がありません。むしろ地方のコンパクトな電車、具体的には宇都宮や富山の路面電車線の開業や各地の新線計画が気になります。「気になる」と言うのは手放しで喜ばしいという意味ではなくて、近年猫も杓子もLRT(Light rail transit)を看板に掲げていることが気がかりになっています。少し前まで看板はみんな新交通システムでした。それまでになかった新技術を取り入れた運行システムや車両開発をすることで助成金や建設費負担を得ることができ、自治体と企業がタッグを組んで都市交通の利便性を向上するプロジェクトが計画されているようです。LRTは文字通りなら軽軌道ですが、次世代路面電車とかお洒落な都市交通という意味合いが広がり、また確たる定義がないままLRV(Light rail vehicle)と混同されて超低床車や連接車のイメージも一人歩きしています。時として導入の是非が政争の具として使われたり、助成金が割に合わないとそれっきり計画が打ち切られたり、住民を主体と考えていない行政の姿勢が疑われることもあります。バスで輸送量が不足する路線を軌道化する、路面電車の速度向上を図る、あるいは既存の鉄道をスリム化するには超低床型LRTが最適だ、と画一的に結びつけるのはあまりに単純な発想です。そして流線型の超低床連接車こそLRTだという思い込みはすぐに改めるべきだと考えます。

超低床車でなくてもバリアフリーは可能
エレベーター付き地下道での踏切廃止や
速度向上、連結運転による輸送量増強で
路面電車はLRTに進化することができる
 超低床車でなくても車両の床とホームの段差をなくすことは可能です。路面を走る場合でも停留所の前の線路に車が入って来ると考える必要がないので、線路を少し沈めることで車両の床が下げられます。路面電車であっても交差点で車が横切る部分のみ併用軌道にし、それ以外はバリア付き専用軌道にすることで速度向上と建設保守費用の軽減が可能になります。車両は一般の鉄道よりコンパクトで軽量な従来型路面電車からステップを取り去ったような形状にすることで製造コストが低減できると考えます。つまり台車や車輪、駆動装置は従来の構造を踏襲すればよく、超低床化に伴う複雑で高価な構造を採る必要はありません。運転手は料金収受に関わらず、ホーム入口での
ICカードまたは料金投入によることで乗降時間の短縮(=スピードアップ)が図れます。セキュリティカメラを使えば信用乗車の徹底が期待できますし、乗降扉の配置や数、連結車両数の制約もなくなります。もうお分かりいただけるかと思いますが、荒川線や世田谷線みたいな中量輸送交通機関をもう少し大胆に進化させた新しい鉄道が行き詰った公共交通の救世主になりえると考えます。交差点や交通が輻輳する区間のみ地下や高架にしても地下鉄に比べると建設費は安上がりです。江ノ電や京阪石坂線は郊外型LRTの要素を取り入れることでさらに近代化を進められると思う一方、富士山五合目までの登山電車は既存のスバルライン上を走るとして路面電車スタイルが想定されているようですが、その必然性には疑問を感じます。宇都宮の詳しい事情は知りませんが、既存の路面区間に乗り入れるわけではなければ超低床車である必要はなく、車両に合わせた高いホームか低い線路を建設して対応すべきではなかったかと考えます。

 新技術開発と抱き合わせで膨大な予算を前提とする斬新でお洒落な超低床LRTの導入ではなく、すぐに使えて信頼性の高い従来技術で本当の意味で住民の足になる「ジェネリック鉄道」の実現が待ち望まれます。

2023/01/03

運転手の心遣い

蒸気機関車の運転席
         小樽市総合博物館C126

 電車に乗った時に運転手の所作を見たことがある人は、T字型のハンドルを手前に引けば電車が加速し奥に倒せば停車することぐらいなんとなくわかっていると思います。もしその人を蒸気機関車の機関士の席に着かせたとしても、一体どうしたら機関車が動くのかなんて想像もつかないでしょう。最新と最古の鉄道車両ではこれくらいの違いがあります。いや最新のものはボタンを押すだけで発車し次の駅で自動的に停車しますし、無人で走るものまであります。

 昭和の始めの電車「大沼電鉄デ1」はその中間的な存在で、運転するにはモーター音を聞きながら直接制御器のハンドルを少しずつ回して加速し、ブレーキハンドルを加減してショックがないように停車させなければなりません。ATSなんかありませんから前方の車両や障害物を目視し、勾配や曲線部を通過する際には制限速度以下に制御する必要があります。運転手は計器がなくても速度やモーターの電流、ブレーキの空気圧を体感で把握していて安全に動くように機器操作します。無理な運転をすると次にどんなことが起こるか、その限界までどれくらい余裕があるかなどを、勘を働かせて常に予測します。最新の電車は運転手に代わってコンピューターが安全かつ効率よく加減速するとともに色々な数値をモニター表示し、常に監視していて異常があれば警報を発します。運転手は何も考えずに座っているわけではなく、表示内容から列車運行が安定していることを把握すると同時に、センサーの目が届かない部分、前方や周囲の安全確保に余力を注ぎます。鉄道の運転に限らず、船舶や航空機の操縦方法を含めて世の中のほとんどの仕事の内容が時代とともに変わってきています。

 少し前にネットで「電車の運転が面白くない」という記事を見つけました。憧れの電車の運転手になって初めは嬉しかったけれど、何年も続けているうちに変化のない仕事に疑問を感じるようになった、という運転手の告白です。すべてがコンピューターによって落ち度なく操られるので工夫や技巧を差し挟む余地がなく、働いている時の自身の存在感、勤務を終えた後の達成感や満足感が得られない、というのです。安全で正確な輸送という本来の目的には叶ったものかもしれないけれど、それを担う人間の存在価値というか大げさに言うと尊厳がなくなってしまっているのかもしれません。かつて機械文明を皮肉ったチャップリンのモダンタイムスの再来のようにも思えます。

 それはさておき、YouTube5インチゲージや15インチゲージの動画を見ていると、実物同様VVVF方式の電車が幅を効かせています。中には外見は汽車なのに「プワーン プワーン」と特有の音を発して加速するものまであります。そんな時代に鹿部電鉄のデ1は抵抗制御の直流モーターで動いており、チョッと自慢の一台です。近代的な駆動方式のものと比べてこの電車の運転性能には少し違うところがあります、それは最新式に対して劣っている点でありながら、ある意味失ってしまった物の価値を思い起こさせてくれる貴重な教材であるとも言えるものです。例えばコントローラーハンドルを一段ずつ進めていくと電車は同じように加速していきます。ところが線路に勾配があったり付随車を連結していたりすると、抵抗制御の電車の加速は遅くなり到達速度も低くなるのに、VVVFでは負荷に関わらず常に同じ加速度でノッチ目盛りに応じた最終速度に到達できます。急カーブにさしかかるとデ1のモーターは唸りを立てて速度が低下しますが、負荷限界を越えない限りVVVFではあたかも速度計の針とハンドルが繋がっているかのように運転することができます。昔の運転手はその先に勾配やカーブがある場合は速度低下を先読みしてハンドル操作をしていたのでしょう。下り勾配での電制の効き具合や雨の日の車輪のスリップの回避、脱出術なども体得していないと対応できません。趣味の世界とは言え、ウチのデ1ではそんな不便な運転を実践することができるのです。

路面電車用台車でスキマがある箇所        
      旧福島交通保存車モハ1116
 旧型車が運転されている地方の路面電車などでは今でも体感できることですが、コントローラーの1ノッチが入った瞬間に「ドン」とか「ガン」という音が響いて足元をすくわれることがあります。駆動系の歯車や台車のペデスタル(軸箱守)などのスキマが大きくなっているところに、無負荷のモーターへ一気に電圧が加わることで機械的衝撃が発生するのです。近代的な電車では台車を始めとしてそういうスキマがない構造に設計されており、また電圧がソフトに上昇するようにプログラムされているのでほとんど気になることもありません。ウチのデ1の台車には構造的なスキマはありませんが、停車中に緩んでいたチェーンがピンと張る瞬間に「ドン」が発生します。ある日、鹿部電鉄を訪ねて来た電車の現役運転手さんがデ1のハンドルを握って「1ノッチ『ドン』だ!」と叫んだのでした。「抵抗制御の電車を久しぶりに運転した、本物だ、懐かしい。」と賞賛を頂きました。この衝撃音は今では確かに懐かしいかもしれませんが、本来乗客にとってはないほうがいいことは明らかです。まだ抵抗制御が主流だった頃、発車時のショックを少なくする裏技がありました。動画をご覧ください。

 ブレーキをかけた状態で1ノッチ投入してからブレーキを緩めると、シリンダーの空気圧が抜けていくことで車輪が回転し始めるので衝撃が少なくなるのですが、完全に静かに動き出すわけではありません。スキマの大きさやどの部分にスキマがあるかなどによってその効果が大きかったり全然効かなかったりしますし、ノッチ入とブレーキ緩のタイミングも微妙です。だからすべての運転手が常用するわけではなく、あくまでも必要に応じて繰り出す裏技だったようです。もうひとつの問題は、自動ブレーキ弁では残圧があったりハンドルがユルメ位置になかったりするとインターロックでマスコンが無効化されるようになっていることが多く、これは直接制御器と直通ブレーキの組み合わせ、つまり主に旧式の路面電車限定のテクニックということになります。多くの電車で「ドン」「ガン」が当たり前だった時代に、少しでも乗客に心地よく利用してもらおうという気遣いをしていた運転手がいたということです。他にも経験を積み重ねては色々な裏技や奥の手を心得ることでベテランと呼ばれる域に到達していったのでしょう。鹿部電鉄ではそんな古き良き時代の乗務員に思いを馳せながらデ1の運転を楽しんでいます。