大沼電鉄の古図面をめくっていて、私にとって長年謎に思いながら忘れかけていた大変興味深いモノを見つけました。大勢いる日本の鉄っちゃんの中でもその名前を知っている人は僅か、それに興味を持っているか詳細を知っている人はほんの一握りではないかと思われるほどマニアックなお話です。
2軸路面電車が大量に製造された明治末期から昭和初期にかけて、それらの台車はアメリカのブリル社から輸入されたか、国産のコピー品が多く使用されました。一方イギリスのマウンテン&ギブソン(MG)社製のものが一部で使用されていました。ここで特筆すべきは、MG社製の多くはラジアルトラックと称して2軸でありながら軸距が長く、曲線通過時にボギー車のように車輪が進行方向に向かう機能を有していたということです。つまり車軸が曲線の中心方向を向くので”radial(放射状) truck(台車)”と言うのです。神戸市電の300型のうち301~330がこの台車を履いていたので、軽快なブリル社製との違いをよく覚えています。ところが私が見た300型は、1930年(昭和5年)に旧型木造車を鋼製車体に置き換えた時に台車も改造されていて、すでにラジアルトラックではなかったのです。ただその痕跡としてごつい軸受周りが鋼板で塞いであるように見え、おそらく軸受が前後に動くように工夫されたなんらかの仕掛けが組み込まれていたであろうことは想像できました。当時の鉄道雑誌にもこの電車の台車がラジアルトラックであったことが記されてはいたものの、それがどのような機構であったのかはどこにも解説されておらず、謎に包まれていました。神戸市電が廃止されて半世紀、そのこともすっかり忘れていました。
愛知電鉄電2型 名古屋鉄道H.P. |
台車構造図からは、軸受が動いて曲線部で舵取りをしながら走ることができる仕組みを読み取ることができました。その青写真に描かれているMG社製2軸台車の軸受部を拡大した図と、立体的にその動きを示したイラストを示します。軸受箱上部に2本の吊りリンクがピンで連結され、その下部は緩衝材のようなものを介して台車枠を支えています。つまり台車枠とその上の車体は軸受箱のピンからぶら下がったブランコに乗っているような構造です。
軸受の構造とその動き |
軸受と台車枠の関係 |
曲線部での軸受の位置 |
曲線通過時には車体と台車枠に遠心力が加わり、吊りリンク下端に乗った台車枠は軸受に対して曲線の外側に振れます。逆に各軸受は、台車枠との関係では相対的に右図の矢印方向に移動するため、前後の車軸は舵を切るように向きを変えます。
理屈の上では固定軸台車に比べて曲線通過が円滑になり、利点が多くなるように思われますが、車輪の位置が変わることに応じたブレーキ装置の複雑化、吊りリンクやピンのメンテナンス、実際の走行性能などに問題があったのでないかと想像されます。そのため多くが台車枠と軸受に手を加えて上下方向のみに振動吸収の自由度を残し、固定軸受に改造されてしまったようです。1980年代に開発された2軸レールバスが装備した1軸台車の他、近年ではボギー台車に操舵機構を組み込んで曲線通過を円滑にする技術が実用化されていますが、マウンテン&ギブソンの先例がなんらかの形でこれらの参考にされたことは想像に難くありません。
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