デ1型電車の屋根はいわゆるダブルルーフと呼ばれるタイプで、明治から大正時代の客車や電車で一般的な構造でした。この電車が製造された1928年(昭和3年)頃にはシングルルーフの鋼製車体が新造ボギー車の主流になっていました。しかし地方の小私鉄では依然として廉価な小型木造車を必要としていたのでしょう。山形交通モハ100型(1926年製)や羽後交通デハ1型(1927年製)がダブルルーフの四輪単車で、大沼電鉄とよく似た寸法・形態でした。いずれもこの電車の屋根を製作した前年の2017年現在静態保存されていたので、実物を参考にすることができました。実はその年、鉄道研究会OB会が新潟で開催されたのに便乗して東北地方の保存電車を見学して回ったのでした。その際に大沼電鉄デ1よりも少し古い蒲原鉄道の1923年製木造ボギー車モハ1を間近で車内外から観察することができました。 |
山形交通モハ103 羽後交通デハ3 |
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蒲原鉄道モハ1 ダブルルーフの内外形状 |
その時ダブルルーフが外部の明かりや空気を車内に取り入れるために巧みに工夫された構造になっていることを知りました。初めて大沼電鉄デ1型を再現すべく図面を描いた時は寸法や構造のことをあまり深く調べず、なんとなくそれらしい形になればいいくらいに考えていました。その後製造元の日本車両の図面を入手するなど詳しい寸法・形状がわかることになるのですが、時すでに遅し。着工していた屋根の製作は初期の計画図に基づいて行い、厳密に言うとスケール通りではなくなってしまいましたが、作った本人さえそんなことに気づかなかったわけですから見た目は立派な(?)ダブルルーフです。
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日の丸自動車法勝寺線 デハ203修復工事中の屋根 後藤工業ホームページから |
電車の基本構造の項目でも書いたように屋根は車体の上に取り外し可能な形で被せるようにします。実は鹿部で走らせる電車のことを空想していた時、小さな車両の屋根から頭を出して運転するとか、屋根を跳ね上げて乗り降りするとかと考えていたことがありました。そんな概念に捕われていたのか、屋根を独立した構造物にすることを当然として計画しました。ただ、前後端部の3次元曲面をどう作るかに関しては具体的な工法を想定してはいませんでした。たまたまネットで見つけた日の丸自動車法勝寺線のデハ203修復工事の記事には、曲面仕上げされた短冊状の板がきれいに並べられている写真が載っており、16番のペーパー車体なら常套手段ですが、このサイズではかなりの難工事が予想され自信を失いかけていました。後に詳述しますが、偶然この問題を解決する画期的な手法に出会い、見事に3次元曲面を作り上げることができました。
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屋根の構造図 屋根骨組み |
屋根のユニットは、10×90mmの板で作った、車体(側板と妻板で枠組みを囲ったもの)より全周に渡ってひと回り(5mm)大きい枠に、屋根板を貼り付ける骨組みを載せ、外周に雨樋をはめ込む構造にします。説明を聞くより図面と現物の写真を見る方がよくわかると思います。中央の直線部6か所の骨組みは、20mm厚の板から型紙に沿って切り出した部材を接着剤と木ねじで組み立てたものです。前後の3次元曲面部のベースは大きな角材からチェーンソーや木工ヤスリを使って削り出し、やはり断面ごとの型紙を当てながらカンナで仕上げてあります。削り過ぎた部分はパテで埋めたりもしましたが、この部分は最終的には屋根板で覆われるのであまり丁寧な仕上げは必要ありませんでした。車体より5mm出っ張った板の部分に、10mm幅の溝が切られた雨樋をはめ込みます。キッチリ仕上げられているので木槌でトントンと叩くと気持ちよく収まります。直線部は所々木ねじで固定し、妻板の曲線部は雨樋の裏側からノコギリで切れ目を入れて少しずつ曲げながら40~60mmごとに木ねじで固定します。
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