2024/10/07

待避線(余談雑談) チョッと残念な写真

 神戸の実家には、中学生から高校生だった頃に撮った写真のアルバムがあり、その一部はスマホで撮影し直して手元で保存しています。アルバムのフィルムが白く反射しているのでまともな写真ではありませんが、時々昔を懐かしんで見ています。

 その中の一枚、1964年(昭和39年)頃ではないかと思うのですが加古川気動車区(機関区)で珍しくC12を撮影しています。まぁ駆け出し鉄っちゃんとしては目の前にSLが停まっていたら撮らないと、と思ったのでしょう。アルバムに貼ってあってもじっくり見ることはありませんでした。しかーし、あらためて目を凝らすと右奥の方にキハ17と並んでキハ06が写り込んでいるではありませんか!ただはるか遠方の被写体をいくら拡大しても、ハーフサイズでセミオートカメラの印画紙上では辛うじてそれらしい陰影を認めることしかできません。

加古川気動車区のC12 236の奥に見えるキハ06
上の拡大画像
 このブログでは、妄想トレインキハ40000に関わるお話として度々加古川線でのキハ06の記憶に触れています。青/薄茶塗装で走っている姿を実際に見たし、何度も乗車しています。とは言えこのキハ06を撮影した記憶はなく、「なんで撮っていなかったンだろう?」と悔しく思っています。そりゃ今でこそ旧型気動車に入れ込んでいますが、親から借りてきたカメラの限られた枚数のフィルムで効率よく車両を撮影するためには、廃車前のオンボロよりキハ20にレンズを向けて当然だったかもしれません。

待機中のオハ31
 その頃のキハ06は朝ラッシュ時にキハ17系、20系の5~6連くらいの最後尾に付随車として連結されていて、単行で働くのは高砂線での運用くらいでした。他の写真を見て驚いたのは、キハ20の背景にダブルルーフでリベットの並んだオハ31が写っていたことでした。やはり気動車列車の増結用として旧型客車が使用されていたのを思い出しました。当時の車両不足の状況が垣間見えますが、その後キハ30系が入線し、キハ06は廃車されました。ATSの装備計画から除外されていたのが理由だったそうです。


注記:加古川区に配属されていたキハ06は、機械式気動車の中でも戦後製で最初からディーゼル機関を装備していたキハ41600が改番されたものです。車体はリベットがなく、それまでの不具合を改良した設計で増備されていました。配置記録によると十数両が加古川区に所属していたようで、一部は液体式総括制御改造がなされていたとのこと。上記の「付随車として連結されていた」というのは誤りかもしれません。

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