2026/09/19

屋根製作の進捗

  6月「妻板ユニットの製作」を投稿した際に「次は屋根の製作に着手する予定です。」と書いておきながら一向に車両製作が捗っていませんでした。8月「今年の夏休み」にその言い訳を書いています。着手したのはウソではありませんし、屋根のベースになる枠を構体に組付けては寸法修正したり、取り外しては作り直したり、こつこつと作業を進めていた間にカレンダーだけがめくられていたわけです。

車体外周に合わせて屋根枠を整形     屋根枠は木ネジと接着剤を併用して_
                    組立て、構体にM5ネジ(赤矢印)で固定

 前にも屋根の構造については2025.3.12の投稿「キハ屋根の製作準備」で説明しています。繰り返すと、車体側板と妻板の上に枠を置き、その上にリブを組付け、ベニヤ板と杉板で3次元曲面を形成、最後はFRPで防水仕上げする作戦です。デ1で体験済みですが、新規技法を取り入れるのと拘りの張り下げ屋根カーブが思惑通りに表現できるか、試行錯誤にいささかの不安も過ります。この屋根は作り付けではなく、側板や妻板同様構体から取り外してそれぞれの塗装や修理整形ができるように計画していますので、接着剤が回りこまないようまたねじで分解が可能なように設計、組立しなければなりません。

屋根の構造と寸法
 文章で長々と説明しても解りにくいと思いますので、図面に注釈を入れます。角型鋼管(30×30)で作られた①構体の外側にt12板2枚分の厚さの②側板がM5ネジ(図示なし)で固定されています。その上に幅75と幅30を貼り合わせて外周をテーパー加工(19.2°)した③屋根枠が全周にわたって載せられています。この枠はやはり④M5ネジで構体に固定されており、屋根と車体を分離する必要がある時に車内からこのネジを緩めることで取り外せるようにしてあります。車体前後端は妻板ユニットの上面(木製)に埋め込んだ鬼目ナットにやはりM5ネジで固定します(図示なし)。長手方向の2本の枠の間に600㎜間隔で6個の⑤リブを渡して固定してあります。このリブはボール紙製の型紙で外形をケガいてからジグソーで切り抜いたもので、⑥屋根板材を貼り付けるベースになります。リブの形状決定の過程は「キハ屋根の製作準備」に書いていますが、そこから1年半経過していたことになります。まぁとにかく実行に移されたわけですから前向きに捉えましょう。この先屋根板の貼り付けや仕上げ作業が続きますが、とりあえず辿り着いた現状を写真で報告することにします。
ここまで出来ました、今年中に塗装まで辿り着けるでしょうか?

2026/09/09

マスコミデビュー

  鹿部電鉄へわざわざ訪ねて来てくださる方がたまにあります。このブログにも時々鉄っちゃんと庭でおしゃべりした話を書いています。どんな方かというともちろんみんな鉄道好きであることは言うまでもありませんが、本当によく来てくださいましたと頭が下がる思いをしたことがありました。

 大沼電鉄が懐かしくて奥尻島から息子さんに送ってもらって見に来たという90歳越えの吉岡さんは、かつて折戸川第2発電所の社宅に住んでいて発電所前という臨時乗降場から鹿部小学校前臨時乗降場まで電車で通学していたとのことです。2020.12.26の投稿で紹介した大沼電鉄の知恵袋である加納さん、南部さんの同級生なので当時のことをいかに知っておられるかは推して知るべし。自分で作ったというデ1の模型も持参されていました。

 電車の現役運転手が札幌と横浜から来られた時は実際にデ1のハンドルを握っていただきました。「運転操作の感覚は実物と同じです。」とお墨付きをもらった話はここに書きました(2022.2.6)。それぞれのSNSで運転した時の様子を全国の鉄っちゃんに発信していただき、その界隈で一気に知名度が上がったと思っています。

 昨年7月ブログのお問い合わせメールに、「福岡の乗り鉄」を名乗る方から見学したいとの意向が寄せられました。遠方から鉄っちゃんがわざわざ北海道の僻地へ来たいとおっしゃるのですからお断りするわけにはいきません。ただその頃、私の前立腺は最悪の状況でガンかもしれないということで検査入院を控えていました。そこで訪問は歓迎しますが何月何日とお約束できないので体調が回復したらあらためてお返事します、と回答しました。さて年が明けて手術を受け、思いのほか元気になったので6月に訪問いただくことにしました。そのやり取りの中で、相手の岡部さんは私よりひと回りくらい下の年齢でRKB毎日という放送局の関係者であることがなんとなくわかりました。

インタビューの様子            乗車体験
 その日は夏至の頃だったので午後5時といってもまだ昼間のような明るさの中、レンタカーで到着されると挨拶もそこそこにトランクを開けて「機材を持ってきているのでテストだけさせてください。」とマイクの付いたハンディ録音機を取り出されました。さすがプロの持ち物は本格的だなと思いながら見ていると、「マイクテスト」と言いながらインタビューのまねごとみたいな質問が飛んできました。「ここは鹿部電気鉄道でよかったですか?」「はい」「すごい電車ですね、全部手作りと聞きましたが、」と続き、気が付いた時は20分くらい過ぎていたでしょうか、本番の録音が終わっていました。機材のテストだと言って身構えるスキを与えず、リラックスさせた状態で質問に答えさせる、あらかじめブログを読んで得意になって答えそうな内容の質問を準備する、など用意周到な作戦にまんまと乗せられてしまいした。インタビューの後で隣町の居酒屋に案内したところ、そこは「六角精児の飲み鉄本線日本旅」で立ち寄った店だということがわかり、テレビと同じメニューを注文して岡部さんは大喜びでした。盛り上がった勢いで録音はラジオ番組として放送されることや、前半は空知鉄道さん、後半が鹿部電鉄であること、放送エリアは九州の北部エリアのみであることなどを聞きました。九州の早朝ラジオ番組なら聞いた人が押し寄せることもないかとオンエアを承諾しました。

RKBホームページの看板
 8月の夏休み特集として4回に分けて放送されたようです。遠方でもインターネットで聴取できるそうですが、アプリのインストールが面倒に思えたのと放送終了後録音したCDを送ってくださると教えていただいていたので、当日朝5時布団の中で「今頃放送されているんだろうな」と想像していました。後日届いたCDには「RKBラジオ『旅ラジ出発進行!』」と印字されていました。スピーカーに耳を傾けるとRKBきっての鉄っちゃん茅野アナウンサーの進行で、聞き覚えのある岡部さんが登場、そして私の声が流れてきました。あの時喋ったことは大体記憶に残っていたのですが、それにも増してお二人で空知鉄道さんとともに庭園鉄道のすばらしさやそれに魅入っている私たちのことを色々と持ち上げてくださるので気恥ずかしくも嬉しい気持ちになりました。自らCDの編集をされたという茅野アナウンサーには、お礼のメールの中に是非鹿部電鉄を見に来てくださいと書きました。遠路わざわざ僻地を訪問してほしいと願うのは身勝手ではありますが、野球の実況中継で新千歳まで来たついでに寄り道というわけにはいかないものでしょうかね。

2026/08/29

大沼電鉄と魚釣りの話

  話せば長くなりますが釣り好きの話を聞いてください、最後の方で大沼電鉄につながります。

これが雨鱒です
鹿部町の隣七飯町と の境界に雨鱒川という渓流があります。横津岳(1167m)の中腹から流れ出し、尾根を挟んで流れる精進川と一緒になって大沼から流れ出す折戸川に合流しています。その折戸川は且つての大沼電鉄と並行して鹿部に達し噴火湾に注いでいます。雨鱒川と呼ばれるのは、海からの遡河性渓流魚アメマスが大量に生息していたからだと言われています。遡河性と言うのは、例えばご存知の鮭のように海で育った成魚が生まれ故郷の川を遡って産卵する性質のことで、雨鱒川は魚を介して海と山を繋ぐ役割を果たしていたことになります。ところが今、この川はアメマスどころか昆虫や微生物さえ生息しない死の川になっています。

 19世紀末ごろ(大沼電鉄発祥の30年以上前)この地に硫黄鉱脈と鉄鉱石鉱脈が発見され、後に開発が進んで1960年(昭和35年)に閉山されるまで採掘が続けられていました。戦後硫黄は石油精製の副産物として安価かつ大量に生産されるようになったため事業は破綻し会社は解散してしまいました。以来止水工事などが行われないまま60年以上強酸性(PH2)の廃水が坑口から流出し続けています。このような「義務者不存在の休廃止鉱山」は全国に100ヶ所以上あるとも言われています。隣の精進川も坑口から流れ出る同様の強酸性水に汚染されています。精進料理では肉や魚が出されないことから、魚の棲まない精進川という名前になったのではないかと聞きました。雨鱒川と精進川が流れ込む折戸川下流部は我が家から一番近い川ですが、ここで竿を出しても魚は釣れず、常々残念に思っていました。

折戸川との合流点の少し上流の雨鱒川の様子
鉱山からの鉄分で川底が赤く変色しています

 数年前、「雨鱒川、精進川の鉱害防止対策」という説明会が鹿部町民向けに開催されました。北海道大学の環境循環システム部門の佐藤教授が両鉱山の歴史や汚染されている現状について解説され、続いて画期的な、しかし実現できるかどうかわからない、水質改善策について研究内容が報告されました。私は折戸川に魚が戻ってくることを期待してどんなことをすれば川がきれいになるのか、本当に実現できるのか耳を傾けました。国の補助金を使って水質改善実験が行われるようになり、その後一年ごとにその進捗報告会が開かれました。私は毎回出席して徐々に具体化する水質浄化事業の足跡と将来の形を見守ってきました。折戸川にアメマスが戻るにはまだまだ年月を待たなければならないけれど、その取り組みは着実に進歩していることが確信できました。

 その原理は以下の通りです。小学校の理科室で石灰水に息を吹き込むと白濁する実験をしたことがあると思います。カルシウムなどを含む水が大気と接するとCO2が吸収されて水中で炭酸カルシウムに変わります(白濁します)。カルシウムが多く含まれる水を作るには岩石を水中に入れて溶け出すのを待たなければなりませんが、強酸性の川の水なら数千倍のスピードで溶け出すことがわかっています。つまり玄武岩など地上に無尽蔵にある石を砕いて強酸性の川に撒くと石が速く溶けるとともに河川水が中和されます。さらに溶けた石の成分が大気中のCO2を吸収するという理屈です。

 なぜこの強酸性の水を中和する方法が画期的かと言うと、川を浄化するだけでなく近年温暖化の元凶とされるCO2を効率よく吸収すれば、その量に応じてCO2を大量に排出している企業(航空会社、電力会社など)が買取ってくれるので(カーボンクレジット)、結果的に無償で事業を継続できるというのです。場合によっては事業原価を上回る収益を得ることもできる夢のような話です。さらに川に投入する中和剤として岩石の代わりに鹿部町特産のホタテの貝殻や一部の産業廃棄物が利用でき、川を浄化したカルシウムは海にもどって再び貝の成長を促すので一石三鳥、いや四鳥くらいの話なわけです。

 過日、北海道大学の研究陣(指導教員、研究に携わる学生、共同研究の他大学((早稲田大学他))の学生達)が雨鱒川で実験(中和剤投入、PH測定)を行っている現場を見せてもらう機会があり参加しました。今にも熊が出没しそうな山奥へ林道を何kmも走ったところに旧坑口があり、胴長靴に濡れながら必死で中和剤を投入する姿や熊に怯えながらサンプルを採取するところを見ました。坑口の近くにはかつて鉱山で働いた人の集落やズリ山があったとのことですが、今では草木に覆われてかすかな地形の変化にそれを偲ぶ程度でした。

道路に転用された大沼電鉄廃線跡
単一半径カーブが線路を偲ばせる
この先で雨鱒川を鉄橋で渡ります
 実はこの地点から山麓に向けて索道があり、積み出した硫黄鉱は大沼電鉄の池田園駅近くの選鉱場まで空中を運ばれていたのでした。廃線跡脇には現在もそれらしい建物や構造物が残っています。コンクリートに突き刺さったままの古レールがあるので、金鋸で切り取って持ち帰りたいと思いながら果たせていません。そんな話はさておいて、現場まで車で送迎してくださった客員教授の竹田先生が、「鉱山に関わる人たちの集落や周辺の様子のことも調べていまして、昔この辺りに鉄道があったらしいのですが、詳しいことがわからなくて、、、」と言われたのでした。「何を隠そう私はその鉄道を研究している当の本人でして」と返し、「それは大沼電鉄と言って、昭和4年に開通し、、、」と続けました。「戦時中に廃止になって戦後復活したんですが昭和27年にとうとう廃止されてしまいました。」長々と電鉄の説明やら逸話から近年の北海道のJR不採算路線の廃止問題まで話が拡大していきました。最後に「もし大沼電鉄について詳しくお知りになりたいことがあれば力になりますので。」と名刺交換をしました。
大沼電鉄池田園跡に残るホームの遺構     駅の脇にあるコンクリート造りの小屋
_____________________索道に関係した建物と思われます

1947年(昭和22年)米軍が撮影した池田園周辺の航空写真に説明(赤字)を加えました
廃止された大沼電鉄、国鉄函館本線、その連絡線、索道と鉱物処理施設が見えます
 折戸川でアメマスを釣りたいと思っていたのがきっかけで雨鱒川の水質改善研究事業に興味を持ち、実地見学会に参加したら大沼電鉄との接点がみつかり、わずかなりとも鉱山のバックグラウンド調査の後押しくらいはできたらいいなぁ、と思った次第であります。

2026/08/24

待避線(余談雑談) 今年の夏休み

  当たり前ですが今年も夏が来ました。例年通りの夏と今年特有の夏が入り混じった慌ただしいひと月でした。と、まだ8月20日過ぎですが北海道なのでここで締めくくります。

 例年通りと言えば夏祭り恒例のカッター競漕がありました。実力ではセミプロ集団には及ばないので、今年も仮装して特別賞を稼ぎます。サッカーワールドカップで一躍有名になったノルウェーチームが披露したバイキングローを真似て盛り上がりました。金色の角が付いたヘルメットはボール紙製で、鉄っちゃんの特技を活かして私が手作り指導をしました。8月に入ると東京からの孫や神戸からの旧知のお客さんが鹿部にやって来て庭の電車に乗り、大沼でカヌー遊びしたり、バーベキューしたり、じいじ手作りの飛行機型カート*で坂道を爆走したり。こんなことが連日繰り返されるのでキハの製作は一向に進んでいません。

北海道の夏を満喫する客人たち

 近年北海道も猛暑に晒されることが多くなりましたが、今年は暑くて堪らないというほどのことは一度も有馬温泉でした。昨年購入したエアコンは時々除湿運転する程度で、お客さん達の「北海道はやっぱり涼しいね」と言う妬みに心の底でニンマリしたものでした。

 一方夏が始まってすぐ、背中から肩、腕にかけて酷い痛みに苛まれ、医者に診てもらって薬を処方してもらいましたがあまり効果が見られず、その内お盆休みに入って一斉休診で苦痛と憂鬱に耐える日々を送ることになってしまいました。休み明けに総合病院で検査を受けたところ頸部椎間板ヘルニアとの診断結果でした。前立腺の具合が良くなって喜んでいた矢先、一難去ってまた一難、後期高齢者は暇なく病との闘いを強いられています。こんな病状でも孫やお客さんの接待を怠るわけにはいかないので辛い気持ちでも笑顔を絶やさず接するよう心掛けました。逆にそのおかげで痛みを忘れることができたのは不幸中の幸いだったかもしれません。

 朝夕の冷え込みは本格的になり、日差しが柔らかくなって栗のイガも立派にふくらんできました。夏休みの宿題に追われたトラウマのせいで、なぜかいまだにこの季節は心が押し潰されそうな気分になって嫌いです。

2026/07/31

待避線(余談雑談) 近年の電車のデザインについて

 

八角電車 以下写真はすべてWikipediaより
 「嵐電の新型車に会わなかったのでよかった」と書きました。炎天下、遠路遥々電車を見に行ったのに新型車を見られなかった、若い頃なら臍を噛む思いだったことでしょう。爺さんになってから電車の好みは懐古趣味の傾向が強くなって、書店の棚に並んでいる「新型電車図鑑」の類を手に取るようなことも全くもって有馬温泉。近年の電車の特に先頭部は奇をてらったとしか思えないような、とてもじゃないが美しいとかうっとりするような形状ではなく、「何じゃこりゃ?」的デザインがはびこっているように感じます。それでも雑誌やネットの新車完成予想図には「カッコイイ」とか「近未来的」などと肯定的な言葉が並んでいるので、美的志向が世間の傾向とは違うのか、世の中の大勢はそういう方向に向いているのか、と少なからず悲しくなります。

スイスレーティッシェ鉄道の昆虫顔
 且つてはデザイナーが自由な発想で構想図を描き、有識者や一般大衆の意見を取り入れて魅力的な電車が作られていたものです。そういう時代とは違って、安全性を考慮した構造力学や空力特性が導き出すコンピュータの結論は画一であり、それに裏打ちされた法制化もなされているので、デザイナーはその枠の中で個性を強調することしかできなくなっているのでしょう。結果、どれも同じような顔に行きつくか、さもなければ突拍子もない真っ平や真ん丸が出現するのではないかと想像します。コンピュータが導き出したということは世界的にベースが同じなので、海外の列車が一様にいわゆる昆虫顔になったのと国内の電車が下すぼまり顔になったのは同じ理由に依っているのでしょう。

 過日鉄研OB会でJR西日本の新快速のデザインが話題になりました。221系。223系、225系(227系)のうち、どのデザインが優れていると思うか(好きか)と問うと、全員が声をそろえて「221」と答えました。塗装か無塗装かというのはさておいて、柔らかい丸み、しかも単一曲率ではなく徐々に変化、窓隅のRの変化しかり、側面と正面のつながり方といい、他の系列にはない柔和さが感じられます。大阪の国電にはなにか且つての流電(モハ52)や半流(モハ43)が優雅な姿を誇っていたのに通じるものがあるように思います。

古いほどエエ感じです

このカーブで胸がキュンとなります
 やっぱりこんな話題で盛り上がるのは爺さんが集まった時だけで、世間の美意識というか美的感覚とは悔しいけれどずれてしまっているのでしょうね。そんな中でもひときわ古い気動車が好きな私は、普通の鉄っちゃんでも興味を持たないキャンバス張りの屋根のカーブ、それもてっぺんから縁部にかけて曲率が変わっていく辺りと最後は側板と不連続に繋がる張り下げ部に痺れるような美しさを覚えるのです。あーもう現代の新型車のデザインを語る資格なんかありません。

2026/07/20

待避線(余談雑談) 関西鉄旅

 鉄研OB会が大阪で開催されるというのでそれに先立って広島へ足を伸ばし、市電のJR広島駅高架乗り入れの様子を見てきました。新幹線を降りて改札を出るともうワクワク感が止まりません。背伸びすると市電乗り場の案内標識が見えるくらいの距離ですが、それより人の波が半端ではありません。特に宮島方面行の乗り場はごった返しているものの整列乗車が徹底していて、近年言われる日本人の公共マナー意識の高さを物語っているみたいで、国際都市の玄関らしいなと感銘を受けました。

 構内は低いながらもプラットホームが築かれていて線路を横断する人はいません。またそこに通じる高架線は専用軌道ながらバラストではなく、コンクリートで固められていました。上に目をやると剛体架線になっており、路面電車とは思えない近代的で豪華なターミナルは大胆で先進的な取り組みが具体化された結果との印象を受けました。

5車体連接車が発着する宮島線乗り場       駅2階への乗り入れ高架線__

 一方でメインストリートに出た電車は折り重なる交通信号と料金決済に手間取る降車客に阻まれてなかなか発車できず結果的に平均速度はかなり抑えられている感じでした。車内での料金収受に代わる方法を採用するか信用乗車を徹底することが今後残された表定速度向上の鍵になるのではないかと思いました。

 広島では路線による差はあるものの、超低床車による運行が約半分を占めているようです。個人的にはこれまで超低床車はデザイン面で好きになれず、「装甲車」とか「助成金泥棒」と悪口をたたいてきましたが、自身の高齢化で足腰が固くなったことから今回乗ってみて「なんと優しい車なんだろう」と評価が一転しました。ただ4輪車(注)は曲線の入り口(および分岐部)で衝撃的な横揺れがあり、一向に改善されていないことから決定的な対策がないのかと思われ残念です。

注記 ボギー車やボギー式連接車ではなく、1両おきに配置した車輪付き車両に中間車体の両端を乗せる方式の連接車において、両輪が車軸で繋がっておらず独立懸架独立駆動されている特殊構造の4輪車。

市内線用の超低床3車体連接車1000型      原爆ドーム前を行く350型____

 せっかく一日乗車券を買ったので全線乗車し、車庫巡りをしました。宮島線の荒手車庫には1960年製で大好きだった2000型(ボギー車)の流れを汲む3100型(3車体連接車)が当時の塗色で留置されており、今にも走りだしそうな姿を見ることができました。

路面電車の停留所とは思えない終点宮島口 荒手車庫で見つけたオリジナル塗色の3100型

臨時ホームに進入する7600型
 翌日はお隣の岡山の市電に何十年ぶりかで乗りました。駅前の旧島式ホームはすでに撤去され、短縮された路線終端に設置された臨時ホームの一面に縦列停車して電車が発着していました。駅前広場への線路の一部は敷設済みでレールの頭部が舗装の表面に見えました。新ホームが設置される場所は塀に囲われて「2027年3月電車がここから発着します」と表示されています。完成予想図を見ると、ドーム状の大屋根ではなくホームのみの上屋になっているようです。広島駅の変貌を目の当たりにした後だけにスケールの違いを見せつけられた感じでした。岡電の社長が「広島にはかなわない」と言ったとか、検討段階であった高架乗り入れ案や地下乗り入れ案が縮小して平面延長にとどまった現実はどんな経緯を辿ったのか気になります。都市規模の問題とする意見もあるようですが、そうであればこそ駅前延長だけでなく路線全体の効用を考えたさらなる利便性の向上に力を注ぐことが得策であると思います。

 とはいえ大半の線路は緑化された道路中央部のセンターポールで架線が吊るされており、乗降用ホームも線路の間に設置されて安心して電車を待つことができるようになっています。つまり車両の扉は前後端に配置され、ホームが左右どちらにあっても運転手が客扱いできるようになっています。皮肉なことに広島ほど混雑しておらず、少なくとも私が乗車した時は降車客の料金決済で運行が滞るようなことはありませんでした。

東山車庫で8100型と9200型        緑化された清輝橋線

こんなこともありました
 前に岡山を訪ねたのがいつだったのかはっきり覚えていないのですが、確か元大分交通や元呉市電の非対称扉配置の電車が走っていたのを撮影した記憶があります。調べたらそれは1980年代のことらしく約40年になります。だとしたら路面電車好きとしてはあまりに長すぎるご無沙汰なので、おそらく岡山方面に足を伸ばした際に駅前でスナップ撮影ぐらいはしていたのではないかと記憶を修正しました。

 ここにも超低床車があり、たまたま東山終点から乗車することができました。乗降は楽チンでしたが、座席は丸座布団が置かれた木製であり、やけに座面が高くて尻が痛く座り心地は最悪でした。車輪は独立懸架ではなくボギー台車を車体に弾性固定してあるものの、やはり線路の曲がりで衝撃があり4輪車の技術的限界かなと思いました。

正面はあべのハルカス
 翌日は今回の旅の大義名分で、大阪梅田の27階にある料理屋で久しぶりのOB会が開催されました。夕刻開始ということだったので、昼過ぎに日本橋の模型ショップに出向いて目の保養をしました。今どきのプラ成型模型は本当に細密な表現がしてあって目を見張りました。指の震えが止まらない爺さんにはとてもじゃないが及ぶべくもない見事な細密加工です。時計を見ると少し時間があったので阪堺電車の恵美須町まで歩いてまた路面電車の前面展望を楽しむことにしました。ICカードを使って住吉で乗り換え、天王寺駅前まで均一料金で行けます。

 梅田へ戻ってエレベーターを降りると懐かしい顔がすでに集まっていました。何年前に顔を合わせたか思い出せない御仁もいて、その間の変貌はお互い様と納得。乾杯の後、それぞれの近況や鉄活の報告、持参した模型や写真にまつわる話題で盛り上がりました。その内容たるや他人様には面白くもなんともないので省略します。2次会は地下街の喫茶店の一隅を占拠して鉄談と学生時代の懐談。盛り上がった話題は例えば、リニア地下鉄にはパンタグラフがあるのにリニア新幹線にない、サハシやキシの調理室の窓はなぜかくも高い位置にあるのか、その窓の上縁は塗分け線より上にあるか、等々。

 さらに翌日、一部メンバーが入れ替わって京都鉄道博物館前に集合していました。「鉄博に行くなら」とJRに顔が効くメンバーの一人が事前に話を繋いでくれて館長が直々に案内してくれることになりました。学芸員から車両保存の裏話を聞く一方で、古い車両の改造履歴と展示中の塗色の時代が合わないとか、説明パネルの表示が間違っているとか、模型の車体(1/40製作品)とパンタグラフ(1/45市販品)の縮尺が違うとか、困った見学者のクレームは枚挙にいとまがありません。館長には「東京にはキハ04(41300)があり、九州にはキハ07があり、名古屋にもホジ6014(蒸気動車)があるのに京都に旧型気動車がないのは寂しいじゃないですか。加悦鉄道のキハ101(片ボギー動態保存中)とキハ08(元オハ62)を将来是非誘致できるようにしてください。」と無理なお願いをしておきました。

京都鉄道博物館

鉄旅の〆めは江ノ電塗色の嵐電
 京都はまもなく祇園祭、暑い夏がすでに始まっていました。解散後日差しを避けて地下鉄東西線に避難したら終点の駅名「太秦天神川」が見えて連想ゲームのように「太秦」→「嵐電」が見たくなりました。冷房の効いた車内からまたまた前面展望を楽しみ、終点嵐山で下車して何本かの電車を撮影しましたが、幸か不幸かデザインが気に入らない新型車には会いませんでした。蒸し風呂のような嵐山を後にJR嵯峨野線の快速電車で外国人観光客に揉まれながら京都駅に戻り、今回の関西鉄旅は終わりました。


2026/06/29

待避線(余談雑談) ブログの不思議な状況

  ブログを開設しているとどれくらいの人が目を通してくれているのか気になります。バズるのはごめんですが誰も見ていないのではないかと思うと虚しい気持ちになります。当ブログを書き始めたのは2020年10月のことでその頃はそれを知る術もわからず、線路を敷き始めた時のことを思い出しながらとにかく原稿を書いていました。その後運営者には閲覧数を確認できるページがあることがわかり、確かめてみると一日平均で6~7回くらいということが判明しました。フォロワー数で言うと全国で10人くらいかなと思いながら、その顔が浮かぶ人のことを想像したものです。それから4年経った2024年10月には月間閲覧数が約1000回に届き、始めた頃の5倍くらいに増えました。

ブログ開設時からの閲覧数の推移

海外からのアクセスが圧倒的に多いという統計
 ところが昨年(2025年)の秋ごろから閲覧数がさらに増えてきてこの6月末には4000回/月を超える勢いになっています。「なぜか急に増えたなぁ。」と思いながら「その他の統計情報」というページを見てびっくりです。「閲覧数上位の国ランキング」という統計が記録されており、直近24時間のアクセス総数484回の内シンガポール281、アメリカ78、香港71と続き日本32・・・となっていました。

 一体これは?と思って調べたところ、ロボットによるアクセスがカウントされている可能性があるそうです。目的は色々あって、というか何のためにかくも大量の無機質閲覧を送り込むのかわからないのが実情のようです。いずれにしてもシンガポールの人がこんなに多く鹿部電鉄に興味を示すはずはなく、国内の閲覧回数はそれらしい値なのでこれを信じるしかありません。1か月に換算すると1000回くらいなので2024年頃に飽和状態になっていると考えるのが妥当ではないかと思います。それにしても見えないところで第三者が触手を伸ばしていると思うと不気味です。今のところ実害はありませんが、なんらかの攻撃が表面化した時にどう対処すればよいのか、前例も経験もないので不安を感じます。

 キハ製作の進捗はありますが、ブログ報告は月1回くらいのペースになると思うので、待避線(余談雑談)のネタでも考えてお茶を濁そうかと。

黙々と次の作業に専念しています

2026/06/22

キハ妻板ユニットの修復

  気がかりな問題を棚上げにしたままデ1の全般検査(再塗装)に没頭していました。実は4月にテニスに興じている時右足首を不意に捻って靭帯の一部断裂(自己診断)を引き起こしてしまい、ずっとテニスサークルを休んでいます。その結果電車作りに費やす時間が増えて今までになく作業がはかどるという皮肉な状況になっています。もちろん痛い足を引きずりながらなので効率はよくありません。まぁそんなわけで前回の投稿でもお約束した通り、引き続いて崩壊したキハの妻板ユニットの修復に力を注ぎました。やはり作り直す気はおこらず、二度と同じ事態を招くことがないように可能な補強(構造)と修理の方法を考えたうえで、歪みを修正し隙間を埋める手立てを実行しました。

崩壊した妻板ユニットの構造
 ユニット崩壊に至ったメカニズムを探るべく構造の復習です(2024/8/12投稿「キハ妻板ユニットの製作 第2編」参照)。妻板は、両側の隅柱にそれぞれ4ヶ所溝を掘り、4枚の補強板(棚板)を嵌め込んでから仮に取り付けた裏板の力を借りて木ネジで固定した目の字型の枠がベースになります。これに木ネジで幕板と腰板を張り付けたら一度分解し、接着剤を塗ってから再組立して、その後接着剤が固まったところでほぼすべての木ネジを取り外すという段取りにしていました。最終的には接着剤の固着力に依存していたわけですが、隅柱の溝が浅く、裏板の組立が不正確であったことが災いして接着強度が期待値に達していなかったと思われます。加えて木ネジを外していたのでヒノキ材の膨潤によって複数の接着部でもろくも割れてしまったのだと推測されます。

隅柱と補強板を仮固定していた裏板の
代替機能を持たせて取り付けた新裏板
 割れた部分に残っていた接着剤を除去して再組立してもほぞの嵌め合い寸法が元通りにならなかったり、どうしても数㎜ぐらいの隙間が埋まらない箇所が現れたりしました。部材がどのように変形したのか不可思議ではありますが、幸いなことに部材そのものが割れたり裂けたりしていたわけではないので、表面を修正したり新たな構造部材を追加することでなんとか修復が可能であろうと判断しました。結果的には組立時に仮に使用した裏板を目立たないような形状に再設計し、常時固定部材として復活させることと木ネジを残すことで強度の維持が期待できる構造に修復できました。

板の継ぎ目に開いてしまった隙間(写真の中央の白い部分)
は薄い木片を詰めて接着、 腰板は補強板に木ネジで固定


 組み上がったユニットの板の継ぎ目、節や板目(不規則な木目)でケバ立った部分にこってりパテを塗り付け、♯80のサンドペーパーで軽く均しました。この段階では削り取るのではなく大雑把に凸部を除去する程度とします。次にパテをドロドロ状に水で溶いて刷毛で塗り付け、乾燥後表面を♯120で平滑に仕上げると、見事にキハ40000特有の4枚窓妻板ユニットが完成しました。ただしこの後経年変化で変形やひび割れが発生しないという保証があるわけではないので、早めに油性塗料(外面)やワニス(内面)による防水処理をする必要があると思っています。

パテ塗布状況 左:隅柱と幕板の段差補正 右:水溶きパテを全面に塗布

 早く構体に取り付けて完成に近づく車体を見たいという気持ちを抑えて、次は屋根の製作に着手する予定です。

2026/06/06

デ1全般検査

内装窓枠等は無塗装だったので
シミで見苦しくなっていました

  デ1は2019年10月に完成しましたが、車体を塗装したのはその約1年前の8月でした。当時のことを次のように書いています。「とりあえずは2回塗って、後は1年ごとくらいに塗り重ね、ある程度の塗膜になれば適宜補修するという計画でよいと思っています」。しかし事実はその時一度塗ったきりでかれこれ8年経過し、塗面のみならず下地の木部にも劣化が進行しているようです。ここ何年かは見るたびに塗り重ねをしなければ、と思いはするものの手が動いていませんでした。キハ妻板の修復をはじめ喫緊の案件が気にはなるとはいえ、これ以上放置すると取り返しがつかなくなりそうです。外装もさることながら、窓枠やその周辺の内装は無塗装のままだったので浸み込んだ雨で木部が黒く変色して見苦しくなっていました。模型の内部は塗装しないのが常だったので、それを踏襲しただけなのですが、屋外保管で徐々に変色が進んでいると気が付いた時はすでに遅しということになっていました。「思い立ったら吉日」と言う通り、一大決心をして外せる部品は全部取り外して再塗装することにしました。Wikipediaで「日本の鉄道車両検査」を調べると、一般の車両は8年ごとに全般検査が行われることになっているそうなので、塗装に関してはそれ相当ということになります。

 そもそもやっとのことで再塗装に思いが至ったきっかけは、運転席の右側面の下部のかき傷がかなりひどくなって見過ごせなくなったことにあります。その元凶はこれで、引っ掻かれた痕はこの通りです。

建築限界を超えて枝が張り出すツツジ(手前)とバラ(奥)   擦れて傷ついた側板____
このツツジも奥のバラも数年前まで電車に接触することはなかったのに、だんだん太い枝が強く擦れるようになって最早許容できなくなってしまいました。それに加えて近々九州から遠路遥々鹿部電鉄の見学をしたいとの申し入れがあって、あまり恥ずかしい姿を見せたくないという気持ちが働いたことがあります。まぁこんなことでもないとなかなか重い腰が上がらないもので、だらだらと変化のない日常を過ごす身にとってはいい刺激になります。

屋根を取り外して脇に置く
 さて全般検査の取っ掛かりは車体の分解から始まります。屋根を固定しているねじを緩めて取り外すといかにも検査中という雰囲気になります。クレーンがないのが辛いところで、怪しい腰使いで隣の作業台まで移動、埃やゴミを拭き取っているとそれらしいメンテを怠っていたことが悔やまれます。傷、シミ、ひび割れ、浮き上がりなど上塗りだけでは修復できそうにない深刻な傷みが見受けられます。サンドペーペーで擦れば目立たなくなりそうなものからパテやシーラントで埋めなければならないものまで症状に合わせて対処することにしました。
屋根樋コーナー部ひび割れから雨水が侵入するおそれ  幕板の経年変化による段差発生

 約1か月をかけてということは実物並みの工期ですが、塗装関係が主でブレーキや駆動部のチェーンなどまで分解はせずに機能点検だけです。とはいえブレーキシューに溜まったホコリとグリースの塊除去や左右のバランス調整、動作代の確認などを行いました。再塗装の様子は以下の写真をご覧ください。

外面油性塗料チョコレートの上塗り 内面はサンダーで汚れを落としてからワニス仕上げ
窓枠も外面は油性チョコレート     内面は取り外して(左)サンダー研磨(右)

ポール、ヘッドライト、台車の塗装完了後車番と社紋をマスキング白入れ_______
________________コントローラーも再び金色(磨いた真鍮色)に輝きます
 この後取り外した窓ガラス(アクリル板)を元の位置に戻すと全般検査完工となりますが、そのアクリル板が白濁変色しているため研磨が必要になります。磨いて透明感が戻ればいいのですが、これはやってみないと簡単に済むのかどうかわかりません。その写真は後日アップする予定です。投稿が途絶えているので読者の方はさぞ「キハの補修に手間取っているのではないか」と考えておられると思います。はい、すぐに取り掛かりますのでキハの復活をお楽しみに。
全般検査完工 窓ガラスのアクリル板白濁は修復できませんでした
磨き上げたコントローラーハンドル

2026/05/05

キハが直面する厄介な問題

この画像では妻板下部もシートで覆われてい
ますが、風でめくれると雨風が入り込みます
 ブルーシートを掛けて冬を越したキハ、実は車体の側板や妻板は取り外して骨組み(構体)だけにしていました。その理由は、一昨冬もシートを掛けていたのに丈が短いので車体木部の下縁が濡れて大変なことになっていたからです。それが判明したのは昨年の春のことですが、修理方法の見当がつかないうえに体調がすぐれなかったことから、一年間見て見ぬふりをしていたわけです。今告白します、妻板下部は修復不能なほど変形崩壊していて全面的に作り直さなければならない状況に陥っています。何度見ても出るのはため息ばかり、最初に作り始めた部分であり、キハ40000の顔なので整形や窓の構造には思い入れがありました。整形した板を、良かれと思って接着組立したことがあだとなって、損傷している部分だけの修理が実に難しそうなのであります。
雨でヒノキ材が膨潤変形して接着部は剝れ、ひび割れが広範囲に伝播、
ほぞ組みは
修復不能に。破損状況は見た目よりも深刻になっています。
破損がこれ以上広がらないよう一部応急処置として補修してあります。

 もう一つ問題があり、鋼体の組み上がり寸法が図面通りになっていませんでした。車体中央部で上下の梁の距離が4~5㎜ほど小さくなっています。組み立て前の部材は寸法通りに加工されており、あらためて30□鋼管の強度計算をしたところ、仮に体重が1ヶ所に集中的に加わったとしても塑性変形するには充分な余裕があることがわかりました。原因はどうやら長寸の梁の製品寸法許容範囲内での変形にありそうだということがわかりました。曲がりの許容値は長さの0.3%以下ということになっており、約3m離れた柱間では最大9㎜まで、上下の梁が逆方向に変形していると18㎜まで間隔が広がったり狭まったりしうることが仕様書から読み取れました。5㎜なら充分ありえる値でしょう。そこで車体中央部左右に梁の間隔を矯正する柱を取り付けることにしました。この問題も1年間寝床でどうしたものかと原因や対策を考えていたのですが、案ずるより産むが易しの言葉通り解決することができました。後付けの柱然としていますが車体内部に隠れるので気にしないことにします。

左:構体の全景  右:中央部で上下梁の間隔測定、設計上は717㎜のところ実測値は713㎜
前後の柱間距離は2745㎜あるにもかかわらず、中間部に支柱がないことが梁変形の原因です。

 さて元の問題に戻って妻板修復をどうするか、一から作り直すと専念しても2ヵ月くらいはかかると思われますが、2ヵ月で元通りになるのなら素直にやればいいとも考えられます。下手な修理でみっともない仕上がりになることを思えばその方がよいかもしれません。しかしせっかくこだわって作った妻板があるのにまた同じ作業を繰り返さなければならないのはどうにも気が乗りません。こんなことでいつまでもくよくよと考え悩むより、一刻も早く決断していずれの方法であってもまず着手することが最良の選択であることは間違い有馬温泉。

ここまで修復できるかが最大の気がかり

2026/04/19

待避線(余談雑談) 久しぶりの鉄旅

スタートは函館本線森駅
 体調が回復したのでかねてより計画していた札幌方面へ2泊3日の鉄旅に出かけました。家内同伴だったので純鉄ではなくて観光やグルメも織り交ぜ、それでいて単独行動時はどっぷり鉄にハマる半鉄旅でした。

 まずは岩見沢の空知鉄道訪問です。2021年11月に空知鉄道さんが鹿部電鉄を訪問下さり、その時に「是非空知鉄道さんへも見学に行きます」と約束しておきながらコロナ騒動や私の体調不良が原因で果たすことができず、ずっと心残りになっていたのでした。その間に空知鉄道さんには2両連結の赤い電車(国鉄711系がモチーフ)が増備され、新しい車両基地や線路の延長がされていました。6月には延伸開業式典もあるとかで、訪問時はその準備に忙しくされているところでした。レイアウトが大幅に変わっても鉄道はPoint to pointであるべきだとの拘りは持ち続けているそうで、私はループで無限運転を夢見ているのですが、気持ちは大いに理解できるところです。興味のない人からすれば何がそんなに面白いんだと言われそうな話題で盛り上がりながらも、気が付けば次のスケジュールが迫っていたのでお暇しました。

 札幌市交通資料館という交通局の市電・地下鉄・バス博物館があり、そこには私の大好きなディーゼル路面電車D1040が保存展示されています。実は鹿部に移住してくる以前の2010年に見学したことがあってこちらに来てからもずっと再訪したかったのですが、2017年からリニューアル工事で長期閉館していたのでした。お目当てのD1040がなくなったかもしれないという情報があって心配していたのですが、健在(?)が確認出来てひと安心。退色や発錆があるものの、今でも時代を感じさせないどころかあらためて現代の電車に見習ってほしいと思うような端麗なデザインにうっとりしてしまいました。一部の車両が入れ替えられていて近年廃車された親子電車のM101が追加保存されていました。ただしTc1と離れた場所に置かれているのは博物館として思慮不足(資金不足?)としか思えません。

再会できたD1040     と     M101と簡易密着連結器

 もう一つ久しぶりの市電に変化があったのがすすきの付近での路線ループ化です。と言っても2015年のことで、この目で見るのは初めてになります。札幌駅前通をサイドリザベーションで南北に電車が走り、ニッカウヰスキーのヒゲのおじさんの前を大回りして月寒通に向かいます。すすきの電停の西側に路面電車としては珍しい引き上げ線が増設され、さらに渡り線までありますが一体この線はどのように使われるのか興味が尽きません。ここからまず内回りの電車(3車体ポラリス)で循環線を所要55分で1周、お好みの電車に乗り換えてさらに3周しました。日が暮れてこの日の鉄活は終了です。

__外回り線の大カーブ         すすきの電停西寄りの引上げ線

 札幌からは特急でさっさと帰りたがる家内の説得に成功し、廃止バス転換が決定された山線での普通列車の旅を楽しむことにしました。”DECMO”の愛称で呼ばれるH100型気動車に乗るのは初めての体験です。鹿部電鉄で製作中(計画中)のキハ40000と同じディーゼルエレクトリックなので、どんな音がするのか、どんな運転操作なのか、と興味津々です。結局床面から聞こえるエンジンの騒音はキハ40以上に耳障りで、運転操作は電車と同じワンハンドル、圧力と速度以外のメーター類はモニター上に選択表示されてほぼすべてがコンピュータ制御されていることが窺えました。今どき珍しくなったクロスシートの座り心地はどうかと言うと、座面の奥行きは浅くクッションは硬い、その割に尻が痛いとか疲れるということはなく、むしろ足元が広い感じがして旅情を楽しむのには適していると思いました。倶知安に近づくと羊蹄山の威容が車窓に迫り、鉄旅は最高潮に達します。車内は地元客と通学生が多くを占めており、新幹線が開通したら在来線を廃止するという理屈の妥当性は全くもって理解できません。

札幌から小樽まではロングシートの733系   小樽からは一部クロスシートのH100

残雪が美しい羊蹄山
 というわけで、まずは近場のお試し旅行は全くトラブルなしの大成功。次は津軽海峡を渡って青森からリアス海岸めぐりかなとか、想いを巡らしています。