2026/08/29

大沼電鉄と魚釣りの話

  話せば長くなりますが釣り好きの話を聞いてください、最後の方で大沼電鉄につながります。

これが雨鱒です
鹿部町の隣七飯町と 境界に雨鱒川という渓流があります。横津岳(1167m)の中腹から流れ出し、尾根を挟んで流れる精進川と一緒になって大沼から流れ出す折戸川に合流しています。その折戸川は且つての大沼電鉄と並行して鹿部に達し噴火湾に注いでいます。雨鱒川と呼ばれるのは、海からの遡河性渓流魚アメマスが大量に生息していたからだと言われています。遡河性と言うのは、例えばご存知の鮭のように海で育った成魚が生まれ故郷の川を遡って産卵する性質のことで、雨鱒川は魚を介して海と山を繋ぐ役割を果たしていたことになります。ところが今、この川はアメマスどころか昆虫や微生物さえ生息しない死の川になっています。

 19世紀末ごろ(大沼電鉄発祥の30年以上前)この地に硫黄鉱脈と鉄鉱石鉱脈が発見され、後に開発が進んで1960年(昭和35年)に閉山されるまで採掘が続けられていました。戦後硫黄は石油精製の副産物として安価かつ大量に生産されるようになったため事業は破綻し会社は解散してしまいました。以来止水工事などが行われないまま60年以上強酸性(PH2)の廃水が坑口から流出し続けています。このような「義務者不存在の休廃止鉱山」は全国に100ヶ所以上あるとも言われています。隣の精進川も坑口から流れ出る同様の強酸性水に汚染されています。精進料理では肉や魚が出されないことから、魚の棲まない精進川という名前になったのではないかと聞きました。雨鱒川と精進川が流れ込む折戸川下流部は我が家から一番近い川ですが、ここで竿を出しても魚は釣れず、常々残念に思っていました。

折戸川との合流点の少し上流の雨鱒川の様子
鉱山からの鉄分で川底が赤く変色しています

 数年前、「雨鱒川、精進川の鉱害防止対策」という説明会が鹿部町民向けに開催されました。北海道大学の環境循環システム部門の佐藤教授が両鉱山の歴史や汚染されている現状について解説され、続いて画期的な、しかし実現できるかどうかわからない、水質改善策について研究内容が報告されました。私は折戸川に魚が戻ってくることを期待してどんなことをすれば川がきれいになるのか、本当に実現できるのか耳を傾けました。国の補助金を使って水質改善実験が行われるようになり、その後一年ごとにその進捗報告会が開かれました。私は毎回出席して徐々に具体化する水質浄化事業の足跡と将来の形を見守ってきました。折戸川にアメマスが戻るにはまだまだ年月を待たなければならないけれど、その取り組みは着実に進歩していることが確信できました。

 その原理は以下の通りです。小学校の理科室で石灰水に息を吹き込むと白濁する実験をしたことがあると思います。カルシウムなどを含む水が大気と接するとCO2が吸収されて水中で炭酸カルシウムに変わります(白濁します)。カルシウムが多く含まれる水を作るには岩石を水中に入れて溶け出すのを待たなければなりませんが、強酸性の川の水なら数千倍のスピードで溶け出すことがわかっています。つまり玄武岩など地上に無尽蔵にある石を砕いて強酸性の川に撒くと石が速く溶けるとともに河川水が中和されます。さらに溶けた石の成分が大気中のCO2を吸収するという理屈です。

 なぜこの強酸性の水を中和する方法が画期的かと言うと、川を浄化するだけでなく近年温暖化の元凶とされるCO2を効率よく吸収すれば、その量に応じてCO2を大量に排出している企業(航空会社、電力会社など)が買取ってくれるので(カーボンクレジット)、結果的に無償で事業を継続できるというのです。場合によっては事業原価を上回る収益を得ることもできる夢のような話です。さらに川に投入する中和剤として岩石の代わりに鹿部町特産のホタテの貝殻や一部の産業廃棄物が利用でき、川を浄化したカルシウムは海にもどって再び貝の成長を促すので一石三鳥、いや四鳥くらいの話なわけです。

 過日、北海道大学の研究陣(指導教員、研究に携わる学生、共同研究の他大学((早稲田大学他))の学生達)が雨鱒川で実験(中和剤投入、PH測定)を行っている現場を見せてもらう機会があり参加しました。今にも熊が出没しそうな山奥へ林道を何kmも走ったところに旧坑口があり、胴長靴に濡れながら必死で中和剤を投入する姿や熊に怯えながらサンプルを採取するところを見ました。坑口の近くにはかつて鉱山で働いた人の集落やズリ山があったとのことですが、今では草木に覆われてかすかな地形の変化にそれを偲ぶ程度でした。

道路に転用された大沼電鉄廃線跡
単一半径カーブが線路を偲ばせる
この先で雨鱒川を鉄橋で渡ります
 実はこの地点から山麓に向けて索道があり、積み出した硫黄鉱は大沼電鉄の池田園駅近くの選鉱場まで空中を運ばれていたのでした。廃線跡脇には現在もそれらしい建物や構造物が残っています。コンクリートに突き刺さったままの古レールがあるので、金鋸で切り取って持ち帰りたいと思いながら果たせていません。そんな話はさておいて、現場まで車で送迎してくださった客員教授の竹田先生が、「鉱山に関わる人たちの集落や周辺の様子のことも調べていまして、昔この辺りに鉄道があったらしいのですが、詳しいことがわからなくて、、、」と言われたのでした。「何を隠そう私はその鉄道を研究している当の本人でして」と返し、「それは大沼電鉄と言って、昭和4年に開通し、、、」と続けました。「戦時中に廃止になって戦後復活したんですが昭和27年にとうとう廃止されてしまいました。」長々と電鉄の説明やら逸話から近年の北海道のJR不採算路線の廃止問題まで話が拡大していきました。最後に「もし大沼電鉄について詳しくお知りになりたいことがあれば力になりますので。」と名刺交換をしました。
大沼電鉄池田園跡に残るホームの遺構     駅の脇にあるコンクリート造りの小屋
_____________________索道に関係した建物と思われます

1947年(昭和22年)米軍が撮影した池田園周辺の航空写真に説明(赤字)を加えました
廃止された大沼電鉄、国鉄函館本線、その連絡線、索道と鉱物処理施設が見えます
 折戸川でアメマスを釣りたいと思っていたのがきっかけで雨鱒川の水質改善研究事業に興味を持ち、実地見学会に参加したら大沼電鉄との接点がみつかり、わずかなりとも鉱山のバックグラウンド調査の後押しくらいはできたらいいなぁ、と思った次第であります。

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