2020/10/08

鹿部前史

  転機が訪れたのは2009年に定年を迎えた後、嘱託契約になって閑職に就いた頃です。仕事の片手間に老後の過ごし方を考えるようになりました。義父は退職後北海道に別荘を建て、目の前のゴルフ場で夫婦して唯一の趣味に明け暮れる生活をしていました。私はゴルフをしたことはありませんが、趣味に没頭する生活は人生の締めくくりとして最高の過ごし方であると思っていました。私も在職中から度々そこを訪ね、自然豊かでありながらインフラが整備された別荘住宅地の生活に憧れを抱くようになり、少し長めの休暇を取っては義父母とのんびり森の中での暮らしを楽しむようになりました。

 話は変わりますが、201310月に大滝森林鉄道フェスティバルがあり、以前から興味のあったモーターカーに乗ってみたいと、前夜木曽福島で車中泊して会場に乗り込みました。体験乗車の行列に並びましたが受付直前でモーターカーは満席となり、ディーゼル機関車の牽く木造客車の乗車券しか取れませんでした。なぜモーターカーなのかと言うと、狭い車内で目の当たりにクラッチペダルや変速レバーの運転操作が見たかったからでした。ギシギシと軋む木造客車の乗車は貴重な体験ではありましたが、本命を逃した無念から唇を噛んでいたところにあったのが、広場でデモンストレーション中の15インチゲージ鉄道でした。蒸機風の小型機関車が西武色の客車とフラットカーを牽いていました。以前にインターネットの動画で見たことがあるような気はしましたが、15インチゲージの列車を実際に見たのは何十年も前に出張先のイギリスでロムニー・ハイス・ダイムチャーチ鉄道に乗って以来のことでした。その機関車を運転していたのが庭箱鉄道総裁の松田さんで、当時は「じめたもみじ先生」と名乗っていたようです。

庭箱鉄道 9633機関車
 線路や車輪の入手方法や軸受の構造などを根掘り葉掘り聞いた後、電車のような運転操作機器に興味が湧いて質問を続けていると、「運転してみますか?」と尋ねられました。子供の頃から一度でいいから電車の運転がしたかったのにことごとくその夢を実現できなかった不幸な男は、俄かにはその言葉を信じることができませんでした。運転席に座らせてもらいマスコンやブレーキハンドルの説明を聞いていると、長い間忘れていた小さな2000型を運転した夢が頭を過ぎりました。思わず頬が緩み、とうとうここに辿り着いたかという喜びに浸ると同時に、またしてもこれは夢ではないかと少し不安になりました。なぜならその9633機は見るからにおとぎ話の国から抜け出てきたような外観だったからです。

  その頃には退職後北海道の義父母の別荘へ移住する決意をしていたので、そこでの15インチゲージ鉄道の敷設が現実味を帯びる大きなきっかけになりました。別荘の敷地は約800(250)の広さがあり、都会では考えられないような遊びを楽しむことが出来ます。仕事にもどると早速、車両の大きさや運転可能な線路の半径、敷地にどう線路を敷くか、どんな車両、どんな施設を作るかを考え始めました。仕事に戻っていませんね。嘱託雇用契約は翌年の9月まで残り1年を切っていましたが、すぐにでも退職して移住したい気持ちに駆られました。しかし移住先は寒さ厳しい北海道、まもなく大地が雪に覆われようとする時期はどう考えても事始めには向いていません。半年間じっくり計画を練り、準備を整えて春を待つことにしました。

 あらためて庭箱鉄道の9633機やロムニー・ハイス・ダイムチャーチ鉄道の動画を見たり、その他の15インチゲージ鉄道の情報収集をしたり、と本格的に庭園鉄道の建設計画を始めました。漠然と自分が乗れる電車のことを考えていた頃とは違い、パーツの構造やそれに使用する部品の入手や加工の方法などを考えながら具体的な全体像を練っていきました。まず車両は電車と決めました。それはやはり、電車の運転手になりたいという子供の頃からの夢を実現するために必然の成り行きでした。しかし、あの山陽2000型の2両連結スケールモデルはおそらく無理だろうと早々にあきらめ、あまり無理をしないで作るためには2軸の路面電車が現実的であろうと考えました。候補は子供の頃からなじみ深い神戸市電の300型か400型、あるいは1150型のショーティ、大好きな札幌市電のD1040型ショーティなどです。札幌を作るなら路面シリーズで地元(近隣)函館市電も視野に入ります。こういう想像をするのは実に楽しく、取りとめもない妄想が広がっていきます。パソコンで図面や写真を切り貼りしてショーティのイメージを作ることはそれほど難しい作業ではありません。D1040は気動車なので、電動ではなく小型ガソリンエンジンを動力にすることも面白い選択肢でした。並行して庭の線路のレイアウト、駅や車庫の場所と分岐の配置、路面電車ならトラバーサーがあったほうがいいとか、架線柱や信号機の形態など考えなければならないことが次々と出てきます。これらもパソコンを使うことで簡単に描いては消すことができるので楽しい作業でした。

神戸と札幌のショーティが半径3mの曲線を問題なく通過できるかという検討

 その少し前のことですが、移住を予定していた鹿部にはかつて電鉄があったことをインターネットで知りました。昭和のはじめから戦後にかけて、観光地の大沼と温泉のあった鹿部を結ぶ鉄道に2軸電車が走っており、市立函館博物館発行の歴史資料に大沼電鉄敷設特許の申請から廃止に至るまでの詳細が記述されていました。鉄道ピクトリアルの19653月号には車両の種類や寸法と性能の諸元、図面や写真の他、廃止後茨城交通に主力車両が譲渡されたことなどが記されていました。また廃線跡や遺構についても説明があり、その一部が今でも現認できることを知って深い興味を持つことになりました。廃止されてから年月を経ているため不明なことが多く、色々と調べている内にそこを走っていた2軸電車を復元したいという願望が強くなっていきました。

鹿部川橋をゆく電車          鹿部停車場構内
鹿部町史写真集から
 ところで私の職業は機械設計技師であり、製図技能については国家試験で厚生労働大臣から1級のお墨付きをもらっています。ただ現役で製図をしていたのは製図板の上でドラフターというパンタグラフみたいな道具を使って鉛筆や特殊なペンで手描きしていた時代で、いわゆるコンピューター製図(CAD)が一般化した頃には私は管理職として働いておりほとんどCAD作図経験がありません。正直なところCADは苦手なので、パソコンのWordExcelの描画機能を使って手描き図面に似た手法で作図するのが得意でした。まず件の鉄道ピクトリアルの写真やデータ等を参考にして1/3にスケールダウンした電車の外観図を作りました。そこに私自身が等身大で乗り込んだ姿を描き込み、運転姿勢や前方の視野が無理なく確保できるか、計画している曲線を通過することができるか、などを確認しました。そのような検討をしたうえで多少の修正を加え、大沼電鉄デ1型電動客車の総組立図が完成しました。あらためてその形状を眺めると、居住性(運転姿勢)重視の一般的な15インチゲージ車両と比べて、極めて実物に近いスタイルバランスが保たれ、またボギー車のショーティよりもはるかにスケール感(実物感)が溢れて「作り鉄」の本領が発揮できそうな手応えを感じました。もう嘱託雇用契約満了を待つこともできず、20143月末で退職を願い出て移住準備にかかりました。

デ1型電動客車の運転姿勢検討図と外観図
 移住のための出発は520日と決めたので退職後ひと月余りしかありません。夏の間だけ北海道で暮らす義父母と私たち夫婦が乗用車に乗ってフェリーで移動することにしました。生活用品は別荘にひと通りあり、神戸の我が家はそのまま残しておくことにしたので引っ越し荷物はトラックを雇うほどはなく、ワゴン車の屋根上や荷室に詰め込んで運びました。とは言え、あまり余裕のないスケジュールの中で職場やご近所の知人、旧知の友人などが次々と送別会を開いてくれるので、新生活の準備に慌ただしい日々を過ごすことになりました。乗用車に積みきれない普段着と愛読書、鉄道作りに必要と思われる道具類を整理仕分けして宅急便で送り出した後、23日の船旅で北海道を目指しました。

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