2024/12/09

待避線(余談雑談) 更なる妄想

 

デ1のドローバー
 「なんちゃって電化」を妄想するついでに「なんちゃって連結器一斉交換」※もやっちゃったり、と考えています。妄想ですから実際にできるかは保証の限りではありません。現在デ1とトはドローバーで繋いでいます。デ1の方に開閉可能なフックが付いていて、トの車端にある通しボルトに引っ掛けてから、不用意に開かないようフックの根元にピンを差し込んでいます。形状こそ全く違いますが作動は自動連結器と同じです。こんな貧相なドローバーでも連結してしまえばほとんど見えないのでなんらの差支えはありません。むしろ連結していない面に連結器がないことの方が不自然なんではありますが、これも路面電車っぽい面構えなので部外者から見れば大して違和感はないようです。

ドイツ国鉄のネジ式連結器
自身撮影
 ※1925年(大正14年)国鉄の全列車を運休して、ネジ式連結器を自動連結器に1日で一斉交換した、という歴史的事業。(Wikipedia自動連結器化参照)






デ1の台座付き連結器と日車型簡易連結器
 実物のデ1は木造の小型電車ながら台座付きの立派な自動連結器を装備しています。付随車や貨車を連結することを前提としていたので実際の牽引両数とは無関係に貨車と同じ強度を持ったゴツイ一物を木製台枠に取り付けたのでしょう。それに引き換えキハ40000は極端な軽量設計の簡易連結器と称されるものが取り付けてられています。しかしどれも相互に連結できなければ用を為さないので基本的な寸法形状は同じ基準に依っています(厳密に言うと微妙な差の複数の規格があるようです)。という訳で、鹿部電鉄ではいつかデ1とトには標準型、キハは簡易連結器を取付けようと思っています。

 連結器は車両同士をできるだけそっとですがぶつけて繋ぎますから、静荷重以上の衝撃を受けることになります。だから頑丈な鉄の塊で出来ているわけです。実際には複雑な形状の部品が必要なので、鋳鉄よりも強靭な鋳鋼と呼ばれる鉄の鋳物を機械加工して組立てられています。5インチゲージでは連結器の市販品がありますが、15インチゲージの場合は全部自分で作らなければなりません。と言って鋳鋼の部品はおいそれと発注できませんので、ダミー連結器と割り切れば木製の削り出し部品で作ることが最終選択肢になります。今どきなら3Dプリンターという手もありますが、人に頼んで作ってもらうのなら自分で彫刻したほうが達成感を味わえる、なんて呟いていると老人の言い訳だと謗られるかもしれません。木製や樹脂製の連結器の場合はぶつけた時の「ガッチャーン・チャリーン」という音が響かないのが欠点になりますが、擬音を作り出す妙案を今は思いつきません。しかしダミー連結器でも構造を工夫すればト1両くらいなら牽引可能ではないかと期待できます。

古い資料から割り出した鹿部電鉄仕様連結器寸法
 そもそも手作りするなら寸法を調べなければなりません。JIS規格があると思っていたところ、JISの鉄道関連規格は廃止されてJRISという新規格に切り替えられていることがわかりました。閲覧できそうになかったのでネットで探していると、柴田式自動連結器の古い資料が見つかりました。おそらく著作権の制約はないのでそのまま転載することも可能と思いましたが、1/3の縮尺で描き直してみました。割とラフな図面ですが、手作り連結器用の資料としては十分な情報が入っています。これを基にナックル部と本体部に切り分けて部品図を作成すれば何とかなりそうです。木材部品を削り出しで製作する場合、ナックルの摺動部(摺動面)には金属板を貼り付け、ピンを受ける穴にブッシュを使用することで作動の滑らかさや耐久性を得ることが可能です。

 ダミーとは言えある程度は首振りができるようにしたい、これは連結器ではなく車体側にどう取り付けるかという問題です。運転席の下部には足置き用の箱があるので、あまり長い腕のある連結器は収まりきらず、あるいは両足の間に伸びてきた腕をまたぐように座ることになるかもしれません。ドローバーを取り付けた時はその辺りのことについて深く考えなかったので、本格的な連結器を装備するなら妄想のし甲斐があります。

2024/11/30

待避線(余談雑談) もう一つの妄想

アルペンルートのトロリーバス
         2008年自身撮影
 この原稿を書いている20241130日をもって我が国の営業線からトロリーポールがなくなるとのこと。あれっ?と思われる方がいるかも知れません。京福電鉄叡山線(1978)がいわゆる鉄道での最後で、今般は立山黒部アルペンルートのトロリーバスの話になります。明治村のN電は依然として営業中()なので、厳密な意味で全くなくなってしまったわけではありません。

 私は、京福電車はもちろん京津線や羽後交通、海外の路面電車やトロリーバスに乗ったことがあり、目の前でポールが離線して大きな音と光を発するとともにスパンワイヤーが切れんばかりに揺れる光景を見て驚いたことを覚えています。そんな魅力たっぷりのポール電車は我が家の庭にも走っていて、デ1には前後に2本のポールが装備されて先端には溝付きホイールが取り付けられています。

京福電鉄モボ101                 デ1のポール
1972年頃自身撮影___________ 
 鹿部でデ1を作ろうと考えた時には「架線集電が出来たらいいなぁ」と思っていました。15インチゲージなら寸法的に充分可能であるし先例があったので、実際には解決しなければならない問題はあるかもしれないが努力次第でなんとかなるだろうと考えていました。しかし、知り合いから譲ってもらった中古モーターを使用するとDC100Vを供給しなければならないことがわかり、安全性の面から断念せざるを得なくなりました。だから溝付きホイールはプラスティック製戸車で済ませています。

 電圧の問題は別にして、実際にポール集電するには線路の両脇に架線柱を建て、梁を渡して碍子を取り付け、銅製のトロリ線を張ることになります。架線柱は足場用丸太、梁はLアングル(山形鋼)、碍子は木製を白塗装でごまかす、として最大の課題はトロリ線の形状と材料です。実物のトロリ線は直径10~16mmの硬質銅線で、吊るすための金具が線の両側から挟み込んで取付けられるようにだるま型の断面になっています。15インチゲージ用の架線が市販されているわけではないので、これに代わる吊架方式を考えたうえで材料を探さなければなりません。

JIS E2101 トロリ線の断面寸法
 トロリ線を1/3に縮小するとφ3~5とかなり細くなってしまいます。丸断面ではなく矩形にすることで剛性を稼いでスパン間隔を大きくするとともに吊架方法(金具)を簡便にすることができそうです。地下鉄の剛体架線みたいになると田舎電車らしさが失われるので、実用性と見た目のバランスをどこで妥協するかが考えどころです。現在使用しているバッテリーを外し、何らかの方法による低電圧給電で電車を走らせるとなると全線に亘って架線を張ることになりますが、そんな大層なことはいくら妄想であっても余命わずかな老人にとってあまりにも非現実的でしょう。事の起こりが「日本国内からポール集電がなくなる」ことで、せめて「鹿部電鉄でポール集電の光景を残したい」というのであれば、表の通りから見える直線部だけを見た目と(動画)撮影に耐える程度に「なんちゃって電化」するのもそれなりの意味があるのではないかと思いました。導電性や耐久性、漏電や感電に対する安全対策を考えなくてよいなら気楽な話です。ただし、離線時の対策やポールを上げての逆行を絶対に防止するような具体的な対策、例えば警報やインターロックを装備するくらいのことは考えねばならないでしょう。
大沼電鉄の「電車線路及び軌道構造図」
                  国立公文書館保存資料

 これから冬に向かって暖かい部屋でキハの仕上げについて構想を練ったり図面を描いたり、その延長で電化計画の妄想を膨らませるのはいいかもしれません。

2024/11/21

キハ扉部と側板の製作

  今年の秋は高温が長引いて紅葉が遅れていました。例年10月の下旬には駒ヶ岳が初冠雪するのですが、それも11月にずれ込み、やっと雪化粧したかと思ったら里も白くなって震えあがりました。それでも本格的な冬到来で外の作業が出来なくなる前にキハをそれなりの姿に仕立て上げようと、線路整備や庭の冬支度も脇に置いて車体製作に精出してきました。

 前後の妻板ユニットに引き続いて4か所の扉部の製作を始めました。妻板や側板に合わせたt12の桧板材にt3の薄板を重ねて貼り合わせるように設計していましたが、強度(構造)とコストに問題があり、穴だけあけておいて扉は後から製作して取り付けることにしました。扉まわりの側板の外周には補強および前後の側板との固定を目的とした角材を貼りつけてあります。扉はスライドせず、4か所のうち対角の2ヶ所はヒンジを取り付けて外開きの乗降用扉にし、残りは構体に固定します。デ1の扉は4ヶ所ともスライド開閉しますが、実際の乗降は運転席の左側のみ使用しており、側板の一部を外開きにして開口寸法を稼いでいます。キハも片運転台なので1か所のみ扉が開けば実用には耐えますが、万が一横転してその扉が使えない場合に備えて反対側も開くようにします。ガソリンエンジンの使用を計画しているので安全対策として考慮しました。

扉部の設計図 扉の厚さ(強度)が不足するので再設計することに

デ1とキハの扉比較
 車体材料として桧板t12×75×1000を24枚購入したことを書きましたが、使用量の見積りを誤っていて追加手配が必要になりました。初期手配分は汎用のセット品で75mm幅の節ありでしたが、追加分は同じ厚さで120mm幅節無しにしました。多少割高ですが、表面がきれいで節の穴埋めをすることなく、6枚を貼り合わせて1700×350の腰板を平らに形成することができました。幕板は120mm幅そのままで長手方向の補強材と貼り合わせて使用しました。板材を貼り合わせる際には、接合部の裏面に仮固定用の大型補強部材を木ネジで取り付けてから一旦外します。あらためて接合する板材に接着剤を塗布してから仮固定材にだけシリコンオイルをスプレーし、再度木ネジで同じ位置に固定します。固着後木ネジを緩めると仮固定材はシリコンオイルの効果で簡単に外れてくれます。幕板と腰板は両端を上下方向の補強材で結合し、その間に窓枠をはめ込んでいきます。この作業は窓の試作および妻板の製作で経験済であり、カーブした妻板に比べると数は多くても構造が単純なので時間はかかりますが淡々とこなしていくだけです。
左上:裏両端に補強材取付け     右上:表から窓縦桟取付け
左下:戸袋窓枠製作         右下:窓枠取付け____                  

 「秋の日暮れはつるべ落とし」と言う通り、あっという間に暗くなります。緯度が高く子午線から東に遠く位置しているので、この季節は午後4時過ぎにスケールの目盛りが読み辛いなぁ思ったらすぐ作業終了になります。午後は長い昼休みの後、お茶を飲んだりおやつを食べたり、通りがかりの訪問者とのおしゃべりもあるので2~3時間しか取れませんが、切り上げ時間が早くなると実質的にさらにその半分くらいしか働けません。側板の加工が終わったら構体に仮付けして今年は終了にしようと決めました。ブルーシートは雨が浸透するようなので、この状態で冬を越すためにはその上からビニールを掛けないといけません。もちろん「肉屋のコロッケ紙袋型」にするつもりです。今年は(いや今年も)結局計画通りに進まず、未完成のまま雪の季節を迎えます。去年の今頃のブログを読み返すと、カヌー格納庫の雨漏りと戦いながらTR27の仮組まで漕ぎつけたようでした。思い通りにはならなかったとは言え、遅い春からの半年で台車を完成させ車体の構体と木製車体のパーツをほぼ作り上げたわけで、その実績については自分を褒めてやらなければならないと思います。「老骨に鞭打ってよく頑張ったぞ!」

ここまで出来あがると俄然キハらしくなってきました
この姿を見ると苦労も忘れてうっとりするばかりです

2024/11/01

待避線(余談雑談) 15インチゲージを始めて変わったこと 続編

実物が見られなくなってから作ったキハ26

  自宅に自分が乗り込んで運転できる電車ができてから、実物の電車の運転体験やシミュレーターによる運転に興味がなくなった、と書きました(2024/1/25)。他にもう一つ鉄っちゃんとしての嗜好が変わったことがあります。私は子供の頃から作り鉄で、これまで各種のサイズの鉄道模型を作ってきました。中でも16番は小学生の頃から始め、目や指先の働きが追い付かなくなるまで私のメインスケールでした。自分で作らなくなっても模型店のウィンドウやイベントなどのレイアウトでは目を凝らし、雑誌の製作記事を読んでは秘かに自分の技法や完成度と比べたものです。ところが1/3スケールの大型電車を作るようになってからは、小さな模型の製作記事を食い入るように読んだり、投稿動画に強い興味を持ってそれを視聴したりということがなくなりました。

 あらかじめ断っておきますが、決して小さな模型を作ること、蒐集すること、運転することが面白くないと言うつもりはないし、大きさを基準にしてそういう趣味嗜好を蔑む意図もありません。掌に収まる模型に対する興味と、自分自身を包容してしまう構造体への観念は、次元が異なっているように思えるのです。作り方が全然違う、つまり材料も加工方法も違うし、構造や必要な強度も異なっています。当然作り手が表現しようとする対象への拘りは同じであっても模型化した時の差は歴然としていて、「質感」や「遠近感」といった言葉で説明できるもの以外に、慣性力とか加速度、振動、音響などテーブルの上では考えたこともなかった体に伝わる感覚が現れることを知ってしまったわけです。

音響や振動と共に木の香り漂う車内
 その部分がない鉄道模型は私にとってやはり物足りなさを覚えるのでしょうか。細密表現された模型を見ると私の手抜き工作を恥ずかしく思う一方、縮小模型では再現しきれない実在感が取り残されているように思えてしまいます。桜谷軽便鉄道のオーナーで今は亡き持本さんのように次々と車両を製作されていた方と違って、私は10年経ってやっと3両目を手掛けるのんびりモデラ―です。それでもコツコツと作っている電車は少なからず実物により近い模型であるという自負が一貫していて、そこはおそらく持本さんも同じだったと思います。ただ単にスケールに拘っているということではなく、大きな縮尺であるがゆえに、実は自分自身が意図的にそうしているわけでもないのに、自ずと質感というか重量感が漂って来るわけです。しかもそれはどうにも手に負えないほどに重いものではなく、老人が足を踏ん張れば車輪をレールから浮かせることができる程度にフレンドリーでもあります。

 私は現在の趣味の対象であるこの重量物がたまらなく好きで、自分の製作能力が及ぶべくもないNゲージや16番を傍らに差し置いて、日夜庭のデ1を愛で、キハ40000の完成を夢見ています。鉄っちゃんであることに変わりはありませんが、その分類たるや「自家鉄」と称する作り鉄の一派で、可能な範囲でスケールに拘りながら加速度を体感することに無上の喜びを見出す日々を送っています。

2024/10/15

独立回転車輪の実験

  妻板ユニットのもう一方を作っていたので進捗状況の更新を怠っていましたが、構体の両端に取り付けて写真撮影をしました。この後内部の仕上げをしてから扉部の製作にかかります。

 構体に被せていたブルーシートを外したついでにちょっとした実験をしました。この車両の車輪は左右が自由に回転できる構造にしてあることは計画段階から触れてきました。つまり急曲線を通過するときに避けられない左右(内外)の車輪の移動量の差によって踏面で生じる滑りをなくして走行抵抗を減らす機能を備えています。まずは下の動画をご覧ください。

 車輪が一回転すると、反対側の車輪と固定された車軸との間でズレが生じることがわかります。もし両車輪が一体に固定されていたとすると、どちらかの踏面とレールの間で余計な摩擦が発生していたということです。曲線を通過する際の内外の車輪の移動量はそれぞれの半径に比例するので、仮に外側の車輪が滑ることなく一回転すると、内側の車輪も一回転しながらより少ない距離を移動しなければなりません。具体的に半径4mのカーブでは

内側車輪の踏面は一回転ごとに75mm分滑ることになります。独立回転車輪では左右(内外)の移動量に応じた回転となり、急曲線をより少ない抵抗で走行できます。

 感覚的には2軸のトより走行抵抗が大きいはずの4軸のキハ構体のほうが滑らかに(軽く)急曲線を通過できているようです。数値測定をしていないのとサスペンションの有無などの影響もあるかもしれないのであくまでも感覚の話です。

2024/10/07

待避線(余談雑談) チョッと残念な写真

 神戸の実家には、中学生から高校生だった頃に撮った写真のアルバムがあり、その一部はスマホで撮影し直して手元で保存しています。アルバムのフィルムが白く反射しているのでまともな写真ではありませんが、時々昔を懐かしんで見ています。

 その中の一枚、1964年(昭和39年)頃ではないかと思うのですが加古川気動車区(機関区)で珍しくC12を撮影しています。まぁ駆け出し鉄っちゃんとしては目の前にSLが停まっていたら撮らないと、と思ったのでしょう。アルバムに貼ってあってもじっくり見ることはありませんでした。しかーし、あらためて目を凝らすと右奥の方にキハ17と並んでキハ06が写り込んでいるではありませんか!ただはるか遠方の被写体をいくら拡大しても、ハーフサイズでセミオートカメラの印画紙上では辛うじてそれらしい陰影を認めることしかできません。

加古川気動車区のC12 236の奥に見えるキハ06
上の拡大画像
 このブログでは、妄想トレインキハ40000に関わるお話として度々加古川線でのキハ06の記憶に触れています。青/薄茶塗装で走っている姿を実際に見たし、何度も乗車しています。とは言えこのキハ06を撮影した記憶はなく、「なんで撮っていなかったンだろう?」と悔しく思っています。そりゃ今でこそ旧型気動車に入れ込んでいますが、親から借りてきたカメラの限られた枚数のフィルムで効率よく車両を撮影するためには、廃車前のオンボロよりキハ20にレンズを向けて当然だったかもしれません。

待機中のオハ31
 その頃のキハ06は朝ラッシュ時にキハ17系、20系の5~6連くらいの最後尾に付随車として連結されていて、単行で働くのは高砂線での運用くらいでした。他の写真を見て驚いたのは、キハ20の背景にダブルルーフでリベットの並んだオハ31が写っていたことでした。やはり気動車列車の増結用として旧型客車が使用されていたのを思い出しました。当時の車両不足の状況が垣間見えますが、その後キハ30系が入線し、キハ06は廃車されました。ATSの装備計画から除外されていたのが理由だったそうです。


注記:加古川区に配属されていたキハ06は、機械式気動車の中でも戦後製で最初からディーゼル機関を装備していたキハ41600が改番されたものです。車体はリベットがなく、それまでの不具合を改良した設計で増備されていました。配置記録によると十数両が加古川区に所属していたようで、一部は液体式総括制御改造がなされていたとのこと。上記の「付随車として連結されていた」というのは誤りかもしれません。

2024/10/02

待避線(余談雑談) またまた危機到来

  今使っているパソコンがかなり時代遅れの骨董品であると書きましたが、操作に対する反応が遅い、あるいは渋停滞する、時としてハングアップしてしまうことがあります。過日動画を見ていて度々画像が途切れるなぁと思っていたら、突然画面が砂嵐になりその後プツンと電源が落ちてしまいました。再度立ち上げても同じ状態が繰り返されるばかり。ここまで深刻な事態は初めてで、いよいよ寿命が尽きたかと諦めたものの、ここ半年ほどファイルのバックアップを取っていなかったこともあり、そちらが気がかりで絶望感に苛まれました。

 パソコンもしっかり休ませてから立ち上げるとリフレッシュすることがある、と聞いていたのでウソかマコトか丸一日手を付けずそっとしておきました。翌日おそるおそる起動ボタンを押してみると、少し時間はかかったものの見慣れたデスクトップの画像が現れたので胸をなでおろしました。その日はまた後悔しないようにバックアップに励みましたが、コピー・ペーストが遅いのでとても手間取りました。ご隠居さんの遊びなのでいくら時間はかかってもいいのですが、会社勤めでのんびりこんなことしていたら叱られそうです。

 今後もしブログが長期に亘って更新されないという事態が発生することがあったら、それはパソコンのダウンが理由だとお考え下さい。