2022/08/06

エンドレス線路延長

 昨日投稿の方針決定により、手持ちのレールを使ってできる限りの線路延長を図ることにしました。レールの在庫としては、新品(かなり錆びてはいますが)の定尺5.5m2本、分岐器製作時の残り4.6m1本、文化祭での展示移送用軌框完成品(直線)4m1.5m1本、合計で約13m分です。軌框として完成しているものはできるかぎり直線部にそのまま使用することにしますが、全体計画図通りに効率よく充当できるかはフタを開けてみないと何とも言えません。それはなぜならレールの曲げ半径というのが結構大雑把である、つまり計算通りにならない一方で、ゲージや継目の位置合わせのためにその場で追加曲げや戻し、切断を行うことがあるからです。

線路延長計画 褐色部分が今回の着工区間 

道床と路盤の構造
 今回の線路延長部は既にある花壇の中を横切ってガレージの裏をかすめ、隣家との境界の方向へ向かっています。庭全体が緩やかな傾斜地になっているので高地にある既設線路は地面を掘り込んで砂利を入れてあり、低地側は築堤状の路盤を造成しなければなりません。庭で穴掘りや整地などをして不要な土が出るとこの線路予定地に持ってきて盛り土にしてきたので、ある程度路盤らしくなっています。78年前に敷設した線路の枕木の一部が腐朽していたことから今後敷設する線路は水はけを考慮することにしました。また春から夏にかけてあっという間に色んな植物が芽を出して成長し、道床の砂利のスキマから葉茎が生えてくることはもとより、延長予定地に置いていた軌框が草に埋もれて廃線跡のようになってしまうことがありました。施肥によって花壇周辺の土壌が栄養豊富になっていることが一因で、雑草特にスギナが繁茂することがないような対応を考えることも必要です。 
掘り込み道床(左)と盛り土道床(右) 右の写真の手前側に盛り土路盤が造成される予定

       延長予定地(ツツジの右側)       廃線跡のようになった仮置き線路

 その対策として

〇第一に枕木の下の砂利の層を厚くする。

〇次に砂利のなかに土が浸入しないように砂利層と路盤の間に分離膜を張り、傾斜を付けて水が滞留しないようにする。

〇この分離膜には防草シートを使用して路盤内部からスギナなどの雑草が成長しないようにする。

 実物の線路、道床、路盤の構造を参考にしようとネットで検索したところ、近年の路盤上面はアスファルトやコンクリートで傾斜(3%)が付けられていることを知りました。理由は書いてありませんでしたが、水はけを良くするためだと思います。枕木下の砂利層の厚さは1級線でも200~250mmですから1/3スケールで70~80mmあれば実物通りになります。防草シートはわずかながら透水性があるので仮に傾斜が不完全であっても水溜りにはならない(であろう)ことが期待できます。防草シートの本来の機能を試すためにスギナの繁茂した箇所に被せてみたところ、数週間後に葉は緑色から黒く変色していました。ただ枯死したわけではなく、地中で越冬しながらも温度と光が整えば重力に逆らってニョキニョキと顔を出すしたたか者ですから、物理的に成長を阻止するためには破れることがないように注意しなければなりません。犬走や盛り土の法面が防草シートむき出しでは美観上味気ないので試験的に人工芝を貼ってみようかと考えています。

水はけ防草対策            路盤造成工事中
  

2022/08/05

今後の方針とタイムスケジュール

  実は過日、義父が他界しました、94歳の大往生でした。このブログにも記している通り線路の敷設を始めた(2014年)頃は同居していましたし、何より鹿部電鉄があるのは彼がここに広い土地と別荘を購入してくれたおかげです。あらためて深い感謝と敬意を表したいと思います。 合掌

 

 さて私は今、鹿部電鉄設立以来の岐路に立っています。いやいや分岐器が出来たからと言ってそこに立って線路を眺めているわけではありません。幼い頃からの悲願であった運転手になる夢が実現し、次は自宅を廻るエンドレスを建設するために分岐器を作りました。用地の確保は済み、大部分の築堤の盛り土もできているので、ひたすら線路を延長すればそう遠くないうちに周回軌道が完成するはずでした。ところがいきさつを昨年末来の「妄想トレイン」に書いている通り、根が作り鉄なのでもう1両電車が欲しい、正確に言うと昭和の気動車を作りたいと思うようになってしまったのです。世のすべての作り鉄がそうであるとは言いませんが、移り気に加えて無計画は鉄ごころついた頃からの性分です。ここはしっかりとした計画を立て、着手実行する順序を決めて一つずつ完成させていくことにします。

 優先順位は以下の通りです。

 1.カヌー格納庫の艇移載用線路敷設:床、壁、扉は当面手をつけない。(7月中旬)

 2.エンドレス線路延長:在庫レールが使用できる範囲(13m)で路盤、道床、レールを敷設する。砂利追加手配。(9月中旬)

 3.気動車用走行抵抗改良台車製作:詳細加工設計図作成、外注手配、購入品手配、組立、試運転。(10月末)

 4.カヌー格納庫の床、壁整備:扉製作が降雪に間に合わなければ翌春まで密封。(台車製作と並行して11月末)

 5.レール追加手配:予備含めて20本、ペーシ/モール/スパイキ必要量算定。カヌー格納庫で保管。(20235月、格納庫の雨対策完了が前提)

 6.エンドレス線路延長:路盤造成、橋梁製作、レール敷設。(5項完了後開始)

 7.気動車留置線敷設:路盤造成、レール敷設、横取り装置製作、建屋は別途検討。

 8.気動車車体:設計、材料手配、製作。外観完成を優先。

 9.気動車動力/制動装置:設計、材料手配、製作。

 肝に銘じるべきは、やっている仕事が終わるまで次の作業着手や資材手配に手を染めないことです。天候や段取りの都合で作業を並行あるいは交互に行うことは許容しても、基本は”One by one”を徹底するように心がけます。

 第5項に始まる2023年度以降の計画に完了期限を書いてないのは正直なところ見当がつかないからです。数十メートルの線路敷設にどれだけ手間取っているンだと𠮟咤の声が聞こえて来そうです。折から空知鉄道さんでは一気に45mの延長、分岐器や駅の設置など延伸開業のテレビ放映(道内)等があり、熱意と行動力の差を見せつけられた感があります。1の製作には3年半かかったので、それ相応の期間が必要であると思う一方、そんな長い間の心変わりを抑える自信はありません。それでもデ1とキハ40000が花に埋もれた庭を行き交う光景を想像すると胸の高鳴りを覚えずにはいられません。 

2022/07/12

もう一つの15インチゲージ

庫内線路敷設中

 庭の鹿部電鉄の作業はしばらく止まったままになっています。カヌーシーズンを迎えて格納庫の整備をしているためです。昨年までは雨ざらしのウッドデッキにカヌーを置き、必要な時に無蓋車に載せて道路脇の終点まで押して行き、クルマのルーフキャリアに積み替えていました。昨秋雪が降り始めた頃に格納庫の柱と屋根が完成し、愛艇は雪に埋まることなく冬を越すことができました。まだ壁も床もなく、地面は日当たりが良いのでイタドリが生えてきてチョッとみすぼらしい状況です。

 格納庫はガレージの側壁に隣接して建設したので車とカヌーは平行に置かれるようになっています。それぞれが前進すれば簡単にルーフキャリアに載せ替えられるので、その仕掛けを作っているわけです。格納庫にレールを敷き、台車に載せたカヌーを引き出せば車に横付けという寸法です。計画当初は鹿部電鉄と同じ6kgレールにし、当然ゲージは15インチ、格納庫の裏へ延長してエンドレスに繋げようと企んでいました。格納庫に電車が出入りすることも可能になり、なかなか面白そうな運転が楽しめそうだとウキウキでした。エンドレスからの分岐は頻繁に使うこともないし、レールの斜め切りはもうたくさんという事情もあって、簡易な横取り装置を設けてはどうか、とまたまた妄想の日々を過ごしていました(「横取り装置」についてはネット上に詳しい記事がありますので検索してください)

カヌーを載せた台車とレール拡大写真
車輪横の黒い金具が逸脱防止装置です
 ところがカヌーの重量はたった18kgで、大層なレールを敷くために狭い小屋の中で盛土や砂利撒きをすることを想像するともっと簡便な手段があるだろうと思うようになってきました。ホームセンターで使えそうな物を探した結果、引き戸用のレールと戸車が手頃な価格であるのを見つけ、気が変わらないうちに買って帰りました。片側の戸車は溝付き、もう一方は平車です。両方溝車にするとゲージ管理をする自信が持てませんので、ケーブルカーと同じ構造にしました。この場合何をもってゲージと称するのかよくわかりませんが、戸車の中心線間隔を15インチ(=381mm)にしました。

 1.51.8m間隔の支柱に2本の角材を渡して、一方の中央に半円を引き延ばしたような断面の甲丸レールを打ち付けただけの線路です。余計な力が加わらない限り滑らかに動きますが、サスペンションのない4点支持なので溝車の一個が浮き上がると脱線する可能性があります。仮に脱線しても台車が角材から脱落したり転覆したりすることがないように、台車に逸脱防止装置を取り付けました。新幹線の地震対策と同じです。

この状態でルーフキャリアに移載します

 とりあえずカヌー格納庫の線路が完成したら、壁や床、扉の取り付け作業はその後にして、鹿部電鉄の建設作業に戻ります。5.5mのレールが2本あるので曲げと敷設を行い、引き続きレールを仕入れて線路延伸を行うか、急曲線通過特性を改善したボギー車のキハ増備に力を注ぐか、一人だけの重役会議に建議します。

 余談ですが、格納庫の床は雨水浸入対策をしたうえでレールの保管場所にする予定です。

2022/07/04

待避線(余談雑談) 鉄博で見たダブルルーフの構造

  デ1の屋根製作について2021415日に投稿した記事の中で、「その時ダブルルーフが外部の明かりや空気を車内に取り入れるために巧みに工夫された構造になっていることを知りました。」と書いています。16番模型でダブルルーフ車両を作る時は、2段に加工された市販の屋根板の前後をヤスリとサンドペーパーで削るだけなのでその詳しい構造を知る由もありません。大沼電鉄が開業した昭和初期にはすでにダブルルーフの時代は終焉を迎えていたようで、戦後生まれの私は当然そんな車両の天井を間近で見たことなんてありませんでした。ダブルルーフと称される車両に乗ったことはありますが、キャンバスで屋根全体が覆われてしまってその構造がどうなっているかという疑問さえ抱きませんでした。その古典客車は別府鉄道ハフ7で、現在古巣の相模鉄道(元神中鉄道)かしわ台車両センターで復元保存されているそうです。写真を拡大観察する限りは明り取り窓が復元されているように見えますが、その構造まで忠実に再現されているかは不明です。

 別府鉄道ハフ7 1970年頃 自身撮影       古巣に保存中の元ハフ7 Wikipediaより

蒲原鉄道モハ1の内側窓 上部の金具を引くと開く
鉄道博物館「大正時代の3等客車」カットモデル
 その後、1923年製の蒲原鉄道のモハ1の保存車を見学する機会があったのでじっくりと観察しました。この車両のダブルルーフはほぼ原形と思われる構造を保っており、車内から窓の開閉をすることも可能で、きわめて良好な状態で復元保存されていました。また大沼電鉄デ1の製造元である日本車両の図面集を入手することができ、他の車両を含めて寸法的な推測が可能になりました。過日大宮の鉄道博物館を訪ねた際に、「大正時代の3等客車」という実物のカットモデルが展示してあるのを見て、目の当たりにダブルルーフの構造を知ることができました。これらの観察結果からダブルルーフは単に屋根が2段になっているだけではなく、横長窓が内外2重になっていてそれに挟まれた空間がダクト状の構造になっていることをはっきりと再確認することができました。つまり外側にはベンチレーターが設けられてダクト部に外気が導入され、内側の窓は煽り戸状で車内から開閉できるようになっています。必要に応じて換気が可能ですが、この構造のおかげで横風を受けても雨水が車内に侵入することがないように工夫されているわけです。鹿部電鉄のデ1は外観だけを真似て製作されているので、この部分の窓は2重にはなっておらず、ベンチレーターも構造の検討をしているうちに車体が完成して未装着のままになっています。今後、追々製作するつもりではいますが。

デ1の車内

 私には16番模型製作の習性が残っていて1/3スケールの車両でも車内の作り込みには手をこまねいています。これまで模型の車両内部は塗装すらしたことがなく、椅子や吊革に凝る人の作品を見ては「覗き込まなければわからないのに」と思っていました。乗り込める大型車両の場合はそうも言っていられない事情があって、無塗装どころか木質の退化退色や外板の塗料が窓枠から回り込んで垂れている状況に後ろめたさを感じているのが実情です。ダブルルーフには採光に加えて通風機能があることを得意げに説明しておきながら、窓が一重でしかもガラス(アクリル)を固定する木ネジがむき出しのままであることも手抜き丸出しで、もし待避線でもあったら隠れてしまいたいくらいに恥ずかしく思っています。

2022/06/25

待避線(余談雑談) なぞなぞあるある

  鉄道に関する質問で一般の人がよく間違える問題があります。鉄っちゃん相手では釈迦に説法なので多くは語りません。

1.アプト式

 「急こう配を登るために鉄道の線路と車両の間で歯車をかみ合わせる方式を何というでしょうか?」

 正解は「ラックレール方式」ですが、多くの人は「アプト式」と答えます。何種類もあるラックレール方式の中で日本の国鉄が採用したのがアプト式であったために、これが有名になってしまったことが誤答の多くなる理由でしょう。

2.出発進行

「出発信号、進行」
 「『出発進行』とはどういう意味でしょうか?」

①「発車して列車が進むので気を付けてください。」という乗客に対する案内

②機関士が助手に告げる発車の合図の名残

③「気を引き締めて運転するぞ」という掛け声

④出発(信号)が進行()になっているという確認

 テレビ番組などでは「発車の掛け声」的な意味合いで使われることが多いので、正しく理解している人が少ないのかも知れません。

3.汽車汽車シュッポシュッポ

 「子供が機関車のマネをして腰の両側に当てた腕を動かす仕草で正しいのはどれ?」

①左右を同じように前後に動かす

②左右を交互に動かす

③いずれかを少しずらせて動かす

 そもそも左右の動輪を同時に見ることはできないので、ロッドピンの位相が90°ずれていることを知っている人は少ないと思われます。SLの模型を持っている人なら見たことがあるかもしれませんが、おもちゃの機関車はそこまで正確に作ってあるか疑問です。

2022/06/19

妄想か現実か

 この投稿は、2021.12.29「妄想トレイン前編」、2022.1.19「妄想トレイン後編」、2022.1.22「妄想トレイン続編」、2022.4.6「妄想その後」に続く後日談です。

鹿部電鉄へキハ40000導入の妄想

 OB会参加のために内地(本州)へ渡った際に神戸の実家以外にも色んな所へ寄り道をしました。大宮の鉄道博物館は入場制限をしているので事前に入場券を購入しておかなければならないとは聞いていましたが、コンビニに置いてあるイベントチケット販売機(予約機)で手続きをするなんてつゆぞ知りませんでした。タッチ画面を悪戦苦闘しながら操作し続けると最後に機械から申し込み券が出てきて、料金を添えて渡すと入場券が購入できました。

 さて鉄道博物館のターゲットはキハ41000。

何はともあれここに急行
 概略寸法はメーカー図面から読み取れるものの、軽量化設計された窓枠の厚さや台車の鋼材寸法などは実測に頼らざるを得ないと考え、アクセスの利便性から大宮に白羽の矢が立ったというわけです。予めメジャー、物差し、ノギスと寸法測定箇所の一覧表を準備して手際よく作業を始めました。
寸法測定と観察の重点箇所
 側板(窓柱)から窓枠までの凹み寸法、上下窓枠の段差や窓枠の幅、同様に扉の段差などは車体材料の選定にどうしても必要なデータです。ウィンドウシル・ヘッダーの幅と厚さ、扉部のRやリベットのサイズ、ピッチなども測定しなければなりません。床下の鋼帯組立菱枠台車の部材寸法は写真から大体の見当をつけていましたが、鋼材の幅や厚さは実測でどうしても確認したいところです。車体上部の高い部分や床下に手を伸ばし、かがみ込んで車体の裏側の寸法を測るのは硬くなった老体には堪え難い苦痛であり、次々とやって来る親子連れから送られる奇異のまなざしはそれ以上に厳しいものがあります。車体の下にも潜り込んで手の届く限り観察したいところですが、立ち入り禁止の柵があるので、上半身だけ乗り出して車体鋼板の厚さをノギスで測ったりもしました。なにぶん古い車両なので塗料が何層にも固まっており、測る場所によって数値が定まらず、塗料の薄い部分や剥がれている箇所を探し出し、JIS規格と照合して鋼板の厚さを推定しました。
昭和の香り漂う車内
 2時間近くかけて心ゆくまで観察し、隣にあったクモハ40も比較参考のために測定しましたが、両車の測定結果からはキハの軽量化に向けた当時の設計陣による努力の跡が偲ばれました。
         これまた昭和の代表選手        彫りの深さ車体の大きさ歴然

 キハ40000の鹿部電鉄への導入は妄想であったはずですが、鉄道博物館を訪れたことでかなりその実現性が高まりました。今年はエンドレスを完成させるための線路の延長を最優先課題としていたのに、詳細寸法が明らかになったことで車体製作の構想が具体化してきました。ホームセンターでヒノキ製材を見つけたこともそれに拍車をかけました。各種寸法に仕上げられた角材や板材があり、複雑な2段窓を忠実に再現できる目途が立ち、ヒノキ風呂に使用されているように耐水性も期待できることから、車体材料に適していると思えてきました。加えて簡易的に独立回転車輪を実現する方法も思い付き、鋼帯組立菱枠台車を早く試作したいと強く思うようになりました。

 キハ増備の火に油を注いだのがこの本の発掘です。1999年初版発行RMライブラリーの1号と2号が「キハ41000とその一族」というタイトルで、幼い頃に加古川線での乗車体験を持つ私は迷わずにその2冊を購入していたのでした。神戸の実家で本箱から探し出しあらためてページをめくると、各種の写真に加えて詳細な構造図などが掲載されていることを思い出しました。屋根のR寸法などが書き込まれているのを見ると、鉄道博物館での計測結果と併せて、もう鹿部の庭に1/3スケールで再現するしかないと思い詰めるまでになりました。

 線路延長か車両増備か、いずれかを優先して他方を当面犠牲にする、あるいは両方並行して進める、悩ましい問題が目の前に出現してしまいました。過日線路の砂利清掃の際に一部の枕木が腐朽しているのが発覚し、今後は後ろ向きのメンテナンス作業が増えそうな予感もします。あれもこれもと欲張りすぎると結局みんな中途半端に終わってしまうことは経験済みです。単なる作業の選択だけではなく、どちらに転んでもレールや材料の仕入れに影響があるので真剣に計画を立て直さなければなりません。

2022/06/16

待避線(余談雑談) 本家15インチゲージ

  5月末から3年ぶりに内地(本州)方面へ出かけていました。最大の目的は長らく延期になっていた鉄道研究会のOB会への出席です。本来は2020年に青森で開催し、五能線や津軽鉄道の乗車や撮影をした後宴会で盛り上がる予定でした。移動や会食が憚られるようになり、それでもなんとか開催できないかと相談してきた結果、できるだけ参加者の居住地からの移動距離合計を短くし、鉄談中のディスタンス確保を前提に、開催場所を滋賀県長浜のリゾートホテルにすることで落ち着きました。そのOB会はいつも通り、各自鉄活動の近況報告、持参した模型の自慢、写真集出版の野望、鉄の将来展望、鉄機密情報の暴露など飽きることなく深夜まで続きました。

 さて翌朝解散後私は神戸の実家へ向かい、そこで保管していた書籍や写真の中から鹿部電鉄建設に必要なものを探し出しました。その中にイギリスのロムニー・ハイス・ダイムチャーチ鉄道の写真がありました。タイトルを「元祖15インチゲージ」と書こうかと思いましたが、この鉄道が歴史的に一番古い15インチゲージでないことは明らかです。しかし、営業距離の長さや擁する車両の規模、世界的な知名度から言って「本家」「聖地」「最高峰」と言えるのではないかと思います。

総延長20㎞超の鉄道は15インチゲージであっても庭園鉄道とは異次元です

 ここを訪ねたのは1979年の8月だったと記憶しています。初めての海外出張先がロールスロイス社、半年間の英会話研修の成果が試されることになりました。飛行機に乗るのも人生初体験で、国際線ビジネスクラス航空券には往復料金76万円と印字されていました。約一ヶ月の滞在で日本人とイギリス人の働き方に対する考えの違いにまず驚きました。細かい話はさて置いて、私が鉄っちゃんであることを聞きつけたあるマネージャに呼ばれて執務室(部課長クラスは個室で仕事をしていました)に行くと何枚もの写真を見せてくれました。自宅の庭にライブスティームの鉄道を走らせており、よかったら一度遊びにおいでと誘ってくれました。おそらく7.5インチか10.5インチゲージだと思うのですが、「アルミの引き抜きレールは見た目リアルだが、摩耗するので鉄の角材をレールにしている。」と言っていました。彼がもう一つ教えてくれたのがロムニー・ハイス・ダイムチャーチ鉄道で、滞在していたイングランド中部のコベントリーからドーバー海峡に面したハイスまで直線距離で200kmほど、日帰りで行けるからとパンフレットをくれました。次の週末、どうやってそこに辿り着いたか記憶が定かではありませんが、15インチゲージ列車の乗客になっていました。

 前にも記しましたが私はあまりSLには興味がなく、この時も胸ときめかせて列車の到着と乗車を待ちわびると言うほどのことはありませんでした。ただ目の前に現れた色鮮やかな蒸気機関車が力強く煙と蒸気を噴き上げるのを見て、2フィート6インチ(762mm)のタンク機関車よりもやっぱり迫力あるなぁと思いました。日本のSLの汽笛が和音でボーッと鳴るのに対してイギリスでは本線の大型機関車でもピーッと言う甲高い音なので少し拍子抜けします。遊園地の列車と違って客車は屋根が一体になった構造で、乗り込むまでは窮屈そうに見えましたが乗ってみると座っている限り頭がつかえるようなことはありませんでした。走り出すと「カタンカタン」と軽快なジョイント音が聞こえ、実際の速度はわからないものの視線が低いのでかなりのスピード感が味わえました。往復約2時間の車窓からは草原、砂丘に加えておとぎ話に出て来るような暖炉の煙突が付いた家々が見え、いかにも異境の鉄道で旅していることを実感しました。

下の車両はダイニングカーのようです

客車はかなりの大きさ
 途中駅で停車中に車外へ出て車両の観察をしました。客車は実車のスケールダウンではなく乗降と居住性を考慮したスタイルになっています。一方、機関車は実在する(した)名機のスケールモデルのようで、標準軌との比率から推定すると、381/14351/3.8となりますが、これはあくまで便宜的な計算で個々の機関車でスケールには差があるようです。パンフレットの写真を見ても機関士が屋根の上から頭を出していたり、キャブの側面から乗り出して前方を見ていたりします。記念撮影した写真では客車の全高と私の背丈が同じくらいですからこちらのスケールは1/2.5前後相当ではないかと思います。レールはゲージに比して太く、枕木も異常なほど幅広で頑丈そうに感じました。機関車がスケールに忠実に作られているのに、それ以外の車両や施設のスケールが統一されていないのはやはり実用鉄道として機能させる必要があるためでしょうか。イギリス出張中にはこの鉄道以外にも週末ごとに鉄道博物館や路面電車博物館、鉄道ファンツアーなど各地を訪ねて鉄三昧に明け暮れました。そういう意味でロムニー・ハイス・ダイムチャーチ鉄道もそれらの内の一つということで、鉄道模型や庭園鉄道といった特別に作り鉄の興味をそそり立てるような対象にはなりませんでした。もし今再訪したら、当時とは全く違った視線でその鉄道を観察することになると思います。