2026/01/28

待避線(余談雑談) 機械式変速機の話 後編

  前編ではガソリンカーのエンジンがかかるまでの危うい話を書きました。続いてはそれを加速する時のうんちくです。機械式変速機と聞いてオートマチックトランスミッション(AT)ではなくてマニュアルトランスミッション(MT)のことだと多くの方が考えると思いますが、まんざら間違いではありません。ただ、チャップリン時代のそれを引き継いだ機械式気動車は今日の乗用車のMTとは違って、構造はシンプルですがやはり相応に取り扱いがややこしい代物でありました。

旧型気動車の床下 旧佐久鉄道キホハニ50
 その前にまず変速機の原理から説明します。直流モーターやVVVF制御された交流モーターは低速から高速域まで鉄道車両の走行に適したトルクを発生するので、モーター軸と車軸は常に同じ歯車で噛み合っています。一方ガソリン機関やディーゼル機関は、アイドル回転数以下では出力を取り出せない他、車両が低速時には高トルクが必要でありながら高速域まで加速できるような特性が要求されることから、エンジンと車軸の回転を切り離すクラッチと速度に応じて歯車比を変える変速機が必要になります。通常エンジンとクラッチ、変速機は一体に組み立てられて右の写真のように気動車の床下に吊り下げられています。クラッチと変速機の内部を下の模式解説図に示していますのでこれに従って機能を説明します。実際には各機器は複雑な形状なので詳しくは実体図を参照ください。
機械式変速機模式図(左)自身作図      と     実体図(右) 国鉄工作局

スプライン Wikipediaより
 模式図の左側にあるのがクラッチで、円盤がバネで押し付けられてエンジンの回転が右側の変速機に伝わるようになっています。実際には複数の円盤が中心側からと外周側から互い違いに重なって取り付けられています。運転席のクラッチペダルを踏むと円盤同志が離れてエンジンの動力が変速機側へ伝わらなくなります(図はこの状態)。つまりクラッチの右側の円盤はペダル操作で左右に動くようになっていてエンジンから独立して回転したり止まったりできます。この部分の軸は長い歯車のような形状で円盤の内面の歯と噛み合って回転力を伝え、また横滑りして位置を変えられるように作ってあります。このような軸をスプラインと言って、実は右側の変速機の軸も同じ構造になっており、クラッチによって動力が切られた状態で変速レバーを切り替えると横滑りして特定の歯車同士が噛み合うようになっています。もう一つ重要な役割を果たすのがカウンターシャフトで、クラッチの右側にある歯車と常に噛み合っています。この軸と軸上の各歯車は固定されていて滑りません。第4速は歯車を介さずにクラッチと変速機の軸端の爪が噛み合うことで直結状態になります。

 続いて加速時の実際の変速操作について説明します。もう一度模式図を見てください。変速レバーが中立(ニュートラル)でクラッチを切った状態、まさに今から気動車が動き出す準備が整った瞬間を表示しています。ここから変速レバーを第1速に入れるのですが、カウンターシャフトも変速機シャフトも停止していると歯車の側面同志がぶつかって横滑りできず噛み合うことができません。そういう場合はクラッチを少しだけ戻してまた踏み込むとカウンターシャフトが軽く回転するので歯先がぶつかるゴンゴンゴンという音がして止まる直前に歯車が嚙み合います。カウンターシャフトの回転数が上がり過ぎると衝撃が大きくなって噛み合わないので、これには勘どころを押さえるテクニックが必要です。模式図第1速にこの状態を示しています。無事に第1速の歯車が噛み合ったらブレーキを緩め、クラッチペダルを徐々に戻してやると動力が変速機を通じて推進軸に伝わります。赤色破線矢印がその経路です。ここで推進軸と動力車軸の間にある逆転機が中立状態にある場合(エンジン起動後最初の走行時などの場合)は前進側の歯車に繋がるよう運転席の前進後進切換えレバーを回します。推進軸がわずかに回転すればレバーの手応えで切替わりが確認出来ます。この後クラッチをもう一度ゆっくり戻して負荷を加えるとエンジンの回転数が下がるのでスロットルを引いて燃料を送り込んでやらないといけません。自動車学校の実技で初心者がかならずエンストの洗礼を受けるいわゆるクラッチ合わせです。ディーゼルエンジンのようにアイドルガバナーが付いている場合は回転数維持機能が働いて自動的に燃料が制御されるのでクラッチペダルの戻し加減に留意するのみでスロットルの操作は不要です。クラッチが完全に繋がってからスロットルレバーを引くと回転数が上昇して車両は加速します。

第1速の歯車噛み合い状態と動力伝達経路     第4速の直結状態と動力伝達経路

 第1速で十分に加速したらスロットルレバーを戻すと同時にクラッチペダルを踏みこんで変速機に動力が伝わらないようにし、変速レバーを第1速から中立に戻します。そのまま第2速に入れようとしても歯車のぶつかる音がして入りません。なぜかと言うと第1速での加速中にカウンターシャフトが高速回転していた時の慣性で変速機シャフトの第2速の歯車と周速が合わなくなっているためです。そこでクラッチペダルを瞬時戻してカウンターシャフトの回転数をエンジンアイドル回転数に合わせることで歯車同士の周速が近づくようにしてやるのです。これがダブルクラッチと言われるテクニックです。クラッチペダルの戻し具合はやはり勘と熟練が必要です。と言うのは、第1速で車両が動き出したら車輪が静摩擦状態を脱するので必要以上に加速せず、すぐにクラッチを切って第2速に入れる裏技があるからです。この場合カウンターシャフトの回転数があまり上昇していないのでダブルクラッチに頼らずに変速レバーを押し付ければ軽く第2速に入れることができます。第2速ではスロットルレバーを引いて十分に加速し、ダブルクラッチ操作で第3速に繋ぎます。次は模式図第4速をご覧ください。ここではエンジンの動力(回転)はカウンターシャフトを経由せずにストレートに推進軸に伝わっていることがわかると思います。つまり滑らかに第4速の状態に到達するためにはクラッチを切ったらスロットルレバーの操作でエンジンと推進軸の回転数を合わせ、両軸の爪が噛み合う(変速レバーが第4速に入る)タイミングでクラッチを繋ぐという手順になります。さらにもう一つダブルクラッチ特有のテクニックがあります。平地から勾配区間に入ったり勾配が大きくなって均衡速度が低下してくると、第4速から第3速へあるいは第3速から第2速へシフトダウンしなければならなくなります。この時クラッチを切って変速レバーで低速側の歯車を噛み合わせるわけですが、カウンターシャフトの回転数が低下しているのでクラッチを繋ぎスロットルレバーを引いてエンジン回転数を上げてからもう一度クラッチを切って歯車を噛み合わせるというややこしい操作をしなければなりません。さらにエンジン回転を高めに保持した状態でクラッチが繋がるようにしないと駆動系や乗客に前のめりの衝撃を加えてしまうので注意が必要です。

1952年製造の機械式気動車鹿児島交通キハ101 1972年撮影時にはキユニになっていた 自身撮影

 長々と理屈を書いていますが、運転手は速度計や回転計に頼らず音やレバーから伝わる感覚でその時々に変速機の中で何が起こっているかを知り、順序良くこれらのシーケンスを進めていきます。彼らは機械操作のプロであり、原理を知り経験を積むことで運転技術を磨き、乗客が騒音や衝撃をできるだけ感じないように心配りをすることに誇りを感じていたはずです。同じようなテクニックで昭和のバスやトラックを運転していた人がいましたし、現代ではレーシングカーに要求される複雑で俊敏な加減速操作にこれらの高等技術が駆使されていると聞きます。

ドイツ国鉄VT98型レールバスの総括制御運転台
___________Wikipediaより
 今どきのMTの乗用車がこんな面倒なことをしなくてよいのは、変速機の仕組みが改良されているからです。常時噛み合い式とかシンクロメッシュと呼ばれる方式ではカウンターシャフトと変速機シャフトの歯車が最初から全部噛み合っていてスプライン軸の上を空転しており、必要に応じて(変速レバーの操作によって)クラッチスリーブというリングがスプライン軸と歯車に間にスムーズに入り込んで歯車が選択されるようになっています。ただ大型自動車やトラクターなど負荷が大きい場合には適用が困難なため依然として旧来の機構が踏襲されています。その代わり空圧やコンピュータ制御によってフィンガーシフトと言われる遠隔操作が主流になっていることは近年のバスの運転などを見てご存知かと思います。ドイツでは1950年代に類似の方式でレールバスの総括制御をしていたという記述がWikipediaにあります。

 我が国で機械式気動車が走り始めて約100年が経過しましたが、今ではその痕跡をたどることさえ難しくなってきました。前編と後編の2回にわたって旧型気動車の取り扱いに関する涙ぐましいまでの苦労を機械工学の浅見にもとづいて全くの想像で書きました。それは元々無機質の金属の塊でありながら、関わる者にとっては時として気まぐれなじゃじゃ馬であり、あるいは心が通う相棒、また可愛い我が子のような存在でもあったのでしょう。だからこそ機械と言葉を交わしながら乗客に安心して利用してもらう努力と工夫を重ねることができたのだと思います。

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