2022/12/23

待避線(余談雑談) 15インチゲージをすすめる関西人の話

  15インチゲージに踏み出すのにお金の問題が壁になっていると考えている人がいるのではないかと書きました(20219月、20222)。その中で、とりあえず10万円ほどあれば線路とトロッコが入手出来て自家用鉄道を始められること、そして工夫とDIYで楽しめば決して贅沢な趣味ではないことを強調しました。私は、2014年から9年の間に鹿部電鉄の建設にどれだけのお金を使ったかを問われて「軽トラック1台分くらい」と公言しています。まぁざっくり言って100万円です。大体の内訳は線路40万円、無蓋車10万円、電車20万円、建造物等10万円、補修費その他20万円、そのほとんどが材料費で一部外注加工費を含みます。ただしこの中には無償で譲り受けたモーターやバッテリー、電動工具やスパナなどの手工具は含んでいません。庭園鉄道以外の趣味としてカヌーを作り、小屋を建てたり、家内に頼まれて花壇・菜園の造成をしたり、立木の伐採などもしますので、道具や塗料、ネジなどの補材の使用目的は多岐に亘り、その何割かは鉄道の建設・維持に使用していると言えるかもしれません。

 過日設立10周年を迎えた空知鉄道さんは鹿部電鉄より少し規模が大きいようですが、テレビのインタビューでこれまでにつぎ込んできた費用について「まあまあなクルマが新車で1台買えるくらい」と答えていらっしゃいました。勝手な想像ですが3倍から4倍になりますか。電車の駆動がVVVF方式であったり、駅や建造物、標識、通信保安設備などが近代的で実物にこだわった作りになっていたり、とお金がかかっている様子が窺がえます。どんな基準で算定されたかわからないので詮索は止めておきます。

 鹿部電鉄建設にかけたお金がとんでもないというほど高額ではないのは、私が元々関西人であるからと言うことがあります。レールや車輪の購入費用に偽りはありませんが、上に書いたようにうやむやの内に出て行く雑出費を勘定に入れず、あえて純粋な値段を書いたというのも一つの理由です。この投稿が待避線(余談雑談)なので、大阪人を典型として関西人のステレオタイプ的な特徴を面白おかしく紹介したいと思います。テレビならここで「フンワカフンワ♪フンワカフンワ♪」と吉本新喜劇のテーマソングが流れ、道頓堀のネオンが画面に映ります。中年の大阪のオバちゃんが現れて「あんなぁ、この(ブランド)バッグなんぼで買うたと思う?たった1万円やでぇ!」と格安で手に入れたことを自慢します。東京のマダムにしたらブランドアイテムは高いものを買ってこそお値打ちなはずで、仮に安く手に入れることができたらこっそり微笑むことはあっても、それを他人に自慢するなんてありえない話です。実は、オバちゃんはバッグの自慢をしているのではなく、リーズナブルな価格の店、品物の目利き、店員との値段交渉についての知識や技を誇っているのです。大阪商人のケチの本質であるコスパが高いものにこだわる考えにもとづいています。

 だから無蓋車10万円、電車20万円は誰かが何も考えずに作ってその金額で済むという話ではありません。前にも書いた通り、車輪の加工については知り合いの鉄工所や通販サイトの見積り額を比較して、一番安くて信頼のおけるところに発注した結果です。時間だけは持て余すほど自由になるけど収入は年金だけ、しかもお小遣いはヘソクリの取り崩しという境遇の中で導かれた関西人の趣味満喫術の所産です。これが、お金をどんどん使わないと納税額が増えるから値段なんかどうでもいい、という人なら話は別です。そういう場合はオーダーメイドの完成車両を購入するのが手っ取り早いと思います。

 年末ジャンボ宝くじが発売されると聞いて、10億円当たったら何に使おうかと考えました。トイレが気になるから海外旅行は敬遠しよう。どこかに豪邸を建てると引っ越しが大変だ。美味しいものをいっぱい食べると血圧や中性脂肪その他の健康指標に悪影響が出ないか。なかなか有効なお金の使い道が見つけられず、悩んだ挙句の果てに4両編成の20m級電車を庭に走らせようと思いつきました。やっぱり昭和の電車がいいから阪急の2000系、伊豆急の100系も好きだ、クモハ43の関西急行色、例によって延々と妄想が続きます。そして10億円あるから専門業者に発注することになる、金額的には全然問題にならない、細かいところまで凝った電車にすることも可能だろう、と。ところが、そこで我に返りました。10億円を使ってその電車の所有者になることはできても、もはや自分は製作者ではないわけで、そんなものが我が家の庭にあってもデ1を完成させて自分で運転した時の喜びには遠く及ばないことは歴然だ。と思って宝くじを買うのは止めました。


 阪急電鉄の創業者小林一三の名言を紹介します。

「金がないから何もできないという人間は、金があっても何もできない人間である。」

土地がないから、金がないから15インチゲージはできないという人間は、永遠に15インチゲージができない人間である。というのは言い過ぎでしょうか?

2022/12/15

15インチゲージの除雪車は?

ママダンプ
 冬12月になると雪が降り始め、最初の頃は積った雪が融けたりまた積ったりの繰り返しで、道路はツルツル危険極まりない日々が続きますが、やがて根雪になって年末頃にはそれなりの積雪になります。鹿部電鉄は原則周年運転を目指しているので降った日の朝は雪かきをします。玄関から道路へ出る通路、ガレージ前、そして線路の順に大きなプラ製のシャベルとママダンプと呼ばれる人力ブルドーザーで邪魔にならない場所へ運び出し、最後にレール上面をプラ箒で掃いて運転に備えます。ウッドデッキに溜まった雪を無蓋車に積んで雪捨て列車を仕立てると、その先に出現するのは名所鹿部アルペンルートです。

 ご近所さんやYouTubeを見た人から「除雪車かササラ電車を作ったらどう?」とよく言われます。ところがどっこい、それには15インチゲージ鉄道ならではの問題が立ちはだかっているのです。デ1の重量は計ったことがないので正確にはわかりませんが、設計上の計算や何人かで持ち上げた時の感覚から推定すると120kg~150kgではないかと考えています(+運転手の体重70kg)。実物の電車の重量が数十トンあることからすると約1/100以下で、つまり車輪と線路の間に加わる荷重もそれぐらい小さいということです。レールに積った雪の上を列車が通過すると、実物の鉄道では雪は跡形もなく押しつぶされてなくなりますが、同じ雪でも圧力が1/100なら薄っぺらく延されるだけでレールの表面に残ります。これは圧雪なのでアイスバーンと同じく車輪はスリップして動けなくなってしまいます。つまり15インチゲージのラッセル車は排除すべき雪の負荷によってではなく、自身の推進力を失って前に進めないという宿命を背負っているわけです。これを避けるにはレール上面に接触して完全に排雪するラッセル板かササラを装備することが必要になります。これとて思惑通りに働くかどうか疑わしいので手っ取り早く人力で掃いているのが実情です。

 レールの上で延された雪がどんなものかは映像をご覧ください。一度延されるとレールにこびりつくので箒で掃いても取れなくなります。その場合はスクレーパーでこそぎ取ります。このスクレーパーはもともと蛇(マムシ、青大将)が庭に出てきたときに首根っこを押さえつけて捕獲するために作ったものですが、冬場の活躍が主になっています。気温が少し上がってレール上の雪がガサガサに融けて再凍結した時や、湿った雪が冷え込んで固くなった時もスクレーパーを使用します。

 春先の雪融けの頃はスクレーパーが使えずに運行不能に陥ることがあります。気温が緩んでも地面の下は凍っているので融水の行き場がなく、併用軌道部分ではレールが水没します。この状況で夜間冷え込むと線路は氷中に埋もれ、運休を余儀なくされてしまいます。

 いやはや、真冬の雪は除雪車なしでもなんとかなりますが、降り始めと名残り雪はどうにも手に負えません。

2022/12/07

待避線(余談雑談) スイスレマン湖畔私鉄撮り歩き

  過日海外出張先で撮影した写真をアップしましたが、きっかけは実家からその時のネガが見つかったことでした。ジュネーブを起点にレマン湖北岸に沿うSBB(国鉄)の駅から次々とメーターゲージの私鉄が出ていて、1982年当時スイスの鉄道にぞっこんだった私は秘かに撮り歩きを楽しんだのでした。時々このブログに昔の写真を提供してもらっている鉄研の富田さんにネガのスキャンとポジ化をお願いし、データを送ってもらいました。パソコンに次々と懐かしい電車の姿が蘇り、ワクワクする記憶が呼び覚まされました。かつて私に宿った鉄分のもう一つの源、スイスの電車のお話しに暫しお付き合いください。

 -写真の一部はポジプリントをスマホで撮影して反射光や色合いを修正したものを使用しています-

SBBジュネーブ駅
 スイスの公用語はドイツ語、フランス語とロマンシュ語で、ジュネーブはフランス語圏になりますが、たいがいの場所では英語が通じます。ところが車内検札でフランス語しか喋らない車掌に何か言われ、「英語かドイツ語で話してくれ」と(英語で)言ったらもう一人の車掌を呼んできて二人がかりでフランス語をまくしたてられました。SBBの駅には改札口がなく、車内検札の際に車掌が乗客の席と行先を控えて行くのですが、私が無断で席を替わったことか、途中下車したことを咎めたのではないかと思います。結局切符を没収されることもなかったし、何が問題だったのかわからずじまいで、モヤモヤだけが残りました。もう一つ気を付けなければならないのはプラットフォームが極端に低くてレール上面と同じくらいしかなく、隣り(向かい)のホームへ簡単に行けてしまうことです。しかし遠回りしてでも必ず地下道か跨線橋を利用しなければなりません。優等列車は高速で通過するにもかかわらず、構内はたいがいカーブしていて接近に気づかないからです。安易に線路を横断して駅員に見つかるとこっぴどく叱られます。

 その日はジュネーブのホテルを朝早く出て各駅停車の列車に乗り込みました。すぐに車内検札があり、次の駅に停車するとまた車掌が回って来て新たに乗車した客の検札をします。全員の切符を見るのかと思ってポケットから出しましたが、無視されたので次の駅からは知らん顔することにしました。15分ほどでニヨンに到着、途中下車して駅前に出るとくすんだ赤色の古典車輛が併用軌道上に停まっていました。ニヨン・サンセルグ・モレ鉄道(NStCM)1918(大正7年)製電車です。屋根上に大きなパンタグラフと抵抗器を並べ、車体の下に古風な大型台車と黒くて頑丈そうな台枠が見えます。車体は木造ですが、鋼板を張り付けてあり窓の上隅にはRが付いています。カメラを向けると運転手が手を振ってくれました。後で調べてわかったことですが、架線電圧がDC2200Vでありながら直接制御方式、ただし前後の運転席のハンドルから歯車や長い軸を介して床下の制御器を回していたそうです。ここを訪問した数年後に廃車され、近代的な電車に置き換えられたと雑誌で知りました。

ニヨン駅前の併用軌道と大正時代の電車

 次の下車駅はモルジュで、ビエール・アプル・モルジュ鉄道(BAM)の起点です。ここに来る半年か一年くらい前の「鉄道ファン」に載った新車のニュースを読んでいたので、運よく見ることができればいいなぁ、と期待していました。ローカル鉄道なので1時間近く列車が来ず、駅に留置されていた貨車や客車を見ていたところにピカピカの電車が入って来ました。停車中の車両に近づいて模型化の参考にするためにここぞとばかりにサイドや細部を撮影しました。メーターゲージの私鉄には特殊な方法でSBBの貨車が乗り入れることがあり、BAMも例外ではありません。標準軌の貨車をメーターゲージのロールボックという小径車輪の付いた台車やフラットカーに載せて固定し、電車や機関車で牽引します。さすがに貨客混合列車はありませんが、電車が何両もの客車を引っ張るのは普通の光景ですから貨車牽引の余力は充分です。この新型電車にも貨車牽引用連結器が装備されていました。

BAMの新型電車  正面右下に付いているカニの爪みたいな金具が標準軌貨車牽引用連結器

元ケーブルカーのラック式鉄道
ローザンヌ・ウーシー鉄道(LO)
 少し大きな町、と言っても人口十数万人のローザンヌには地下鉄があると聞いていました。レマン湖畔から山の手に広がる町は急傾斜地なので、かつて駅と港の間にケーブルカーが敷設されて人や貨物を運搬していたそうです。それがラック式の鉄道になり、さらにゴムタイヤ式のメトロになって現在に至っています。私がここを訪ねた時はラック式の地下鉄の時代で、一部青空が見える区間がありましたが、外部からの撮影はできませんでした。勾配下側の機関車(乗車不可)2両の客車が連結されて割と頻繁に運転されていました。途中まで複線で、と言ってもそれぞれの線を列車が往復する、変則的な運行だったように記憶しています。今のような便利なマップが使える時代ではなかったし、地下鉄の線路がどこにあって駅へ行く道路をどうやって見つけるのか苦労しました。また路面電車やバス、地下鉄などは切符の買い方や乗降の方法がわからず、日本の常識的な判断はまず通用しない前提で、フランス語の案内板を見たり通行人に乗車方法を尋ねたりしました。無賃乗車を指摘されると悪意がなくても高額の罰金を支払わされると聞いていたのでとても緊張しました。ローザンヌにはもう一つローザンヌ・エシャレン・ベルヒャー鉄道(LEB)と言う私鉄があるのですが、探し回っても駅の場所がわからず撮影できませんでした。

 ブベイは20223月の投稿「新しい鉄旅の試み」で紹介しました。その中で駅裏にあるブベイ電気鉄道(CEV)の車庫で3軸車を見たこと、引き込み線の奥に骸骨みたいな凸型電機(貨車移動機)があったことを書きました。それこそこのレマン湖畔私鉄撮り歩きの際のエピソードです。CEVSBBのブベイ駅に乗り入れていて、構内で何種類かの電車の写真を撮ることができました。なんとその内の1枚は車齢70年の古典車輛がプラットフォームで発車を待っているところでした。その後車庫の方へ歩いて行き、誰もいないのをいいことにまた何台かの電車を好きなアングルで観察撮影しました。前の投稿で件の三軸車が赤とクリームの営業車色であったと書きましたがそれは記憶違いで、すでに事業用車の茶色になっていたことが今回判明しました。スイス鉄道写真集で見た現役時代のカラー写真と自身の撮影の記憶が頭の中で重なってしまっていたようです。実は帰国後この車両を模型化しようとして車体は完成したものの、3軸台車の製作でつまずいて未完成のまま箱の中で眠っています。駅からの標準軌が分岐したその先にあったのはスープで有名なクノールの工場でした。原料搬入用の貨車を牽引したと思しき骸骨は見れば見るほど不思議な代物です。印象は凸型ですが機関車としての機器類はどこに付いているのでしょうか、前後で車輪径が違うし、大きい方は松葉スポークになっています。こいつは私の趣味の対象外ですが、ゲテモノ好きにはたまらない逸品でしょうね。

当時ブベイでははまだこんな旧型車が見られました。
上左は1913年製荷物室付2・3等合造車、右は少し近代的になった更新車
下左の3軸車の中央には舵取り車輪が見えます、右が正体不明の骸骨電機

 ブベイから5kmほどの隣町モントルーはパノラミックエクスプレスが走るモントルー・オーバーベルヌア鉄道(MOB)の起点です。今ではゴールデンパスラインとして名を馳せていますが、当時は旧型客車から車体更新した初代パノラマカーを荷物電車と連結してプッシュプルで運転していました。それ以外の列車は単独またはMTユニットの電車が何両かの客車を牽引する形をとっています。ここにもBAMと同系の新型電車があって運よく構内に停車していて見ることができました。塗色はどれも青とクリーム系ですが青の色調が車両の製造時期によって違っていて塗り分けラインもそれぞれ異なっており、MOBのロゴデザインにも差がありました。同じ場所に800mmゲージのグリオン・ロシェドネ鉄道(GN)というラック式登山電車の駅があり、ちょうど山から下りて来た電車に遭遇しました。山頂側にトロッコみたいな無蓋車を連結していてスーツケースやスキーはこちらに積み込むようです。鹿部電鉄と同じですが、まさかその時は無蓋車を連結した電車が我が家の庭を走るとは想像もしていませんでした。

モントルーからツバイジンメンへ向かう主力列車 上左3000系 上右4000系
下左当時の最新型5000系         下右はグリオン・ロシェドネ鉄道

 モントルーの先はレマン湖から離れて南下しやがてエグルという町に着きます。この駅前は3つの私鉄のターミナルになっていて、ホームも何もない路面に色とりどりの電車が並んでいました。まずエグル・レイザン鉄道(AL)は薄茶色と白の塗り分けの電動車と制御車がユニットを組んでいます。近くに留置されている同じ色の2軸客車はおそらく旧型車の車体を更新したものと思われ、多客時の増結用でしょう。1kmほど先にエグル・デポという車庫のある駅があり、ここでスイッチバックするので客車を切り離すのか推進運転するのか気になります。

 隣にはエグル・ゼッペイ・ディアブルレ鉄道(ASD)のグレーとクリームに塗り分けられた古典電車がオレンジ色の客車を牽いて待機していました。この電車も1913(大正2)製で木造鋼板張りですが、日本の国鉄で半流形と呼ばれたクモハ42(1933年製)に似た形態をしています。クモハ42は私が好きな電車の一つで、そのルーツがスイスにあったことにこの時気付きました(個人の偏見に基づく推測です)

 そのまた隣は赤と薄グレーのエグル・オロン・モンティ・シャムペリ鉄道(AOMC)です。AOMCALとともにラック式で、やはり途中駅でスイッチバックして急こう配を登って行きます。電磁吸着ブレーキシューが台車に装備されているのが見えます。私が訪ねた時は3社の電車が雑然と並んでいましたが、Googleマップの衛星写真によると現在は各社ごとに上屋の付いたプラットフォームから発着するようになっています。

ALは1㎞程先エグル・デポ駅のスイッチバックで2軸客車を切り離すのでしょうか

ASDのクモハ42と2軸客車 この鉄道は全線粘着式です
AOMCも途中にスイッチバックがあり、その先がラック方式の急こう配線区のようです
 エグルの次に途中下車したのはBexと書いてベーと読む駅です。市街地から少し離れた場所で、駅前は寂しく人や車の気配もほとんどありませんでした。ここから出るのはベー・ビラール・ブルタイユ鉄道(BVB)です。赤い電車と小型の青い電車が停まっていて、青い方は例の3軸車です。この鉄道もラック式登山線ですが、ただでさえ複雑な3軸台車にピニオン駆動装置を組み込むのは無理なので、この小型車は粘着区間専用ながら電磁吸着ブレーキが装備されています。赤い方はGNALにあった正面1枚窓(一つ目小僧)に似たスタイルです。
  ひと気のない駅前の青電と赤電     やがて町の中心部へ向けて走り去りました
  駅の外れに留置された電機       独特の3軸車の下回りがよくわかります

MCの電車はひときわ美しい
 さて最後の訪問地はマルティニ駅、国境を越えてモンブラン山麓のリゾート地シャモニー方面に向かう登山電車のマルティニ・シャトラール鉄道(MC)が出ています。ここの電車は前に松本電鉄のモハ10だと書きましたが似ているのは正面で、側面はバス窓ではなくもっと近代的な一段下降式です。スイスのMTユニットは一般的にT車が小さめ(キハ20とキハ10みたいな感じ)なのですが、この電車はMT車が同サイズで編成美を誇っています。
 さて、スイスの電車にほぼ共通して言える特徴にお気づきでしょうか。どの電車にも乗務員扉が見当たりませんが、運転手はどこから運転室に入るのでしょうか?客室側から入ることも出来ますが、線路から連結器の上に立って正面中央のいわゆる貫通扉を開いて乗り込むようです。車体をよく見るとステップや手すりが付いているのがわかります。一方で先頭車同士が連結されても貫通路として使用されることは稀で、貫通幌が取り付けられて一般の乗客が利用できるのは固定編成に限られます。

 撮り歩きをしたのは今から40年前、クリスマスの直前で一部の写真には雪が降っている様子も写っています。その割には次々と目の前に現れる憧れのスイスの電車に興奮して寒さを感じるどころかウキウキ気分だったことを覚えています。
SBBの各駅停車列車
ところがSBBも含めてほとんどがローカルダイヤなのでこれだけの鉄道を一日で巡ることは難しいはずで、途中どこかで宿泊したのかジュネーブから往復したのか全く記憶がありません。40年と言う年月はそれぞれの鉄道の姿をすっかり変えてしまったようで、主力車両の形式や塗色、鉄道名が変更されたり経営統合が行われたりもしています。どちらかというと閑散線区が多いにもかかわらず、この間に廃止された鉄道がないのはわが国の交通政策との根本的な違いによるものだと思います。Google street viewで現在の駅前の風景を見るとずいぶん近代化されている様子がうかがえる一方で古風な建物がそのまま残っていたりします。
こんなことからも古いものを大切にする国民の文化遺産に対する価値観が垣間見えますし、私が見て来たこれらの車両の一部がCEVの線路や設備を活用したブロネイ・シャンビー博物館鉄道に保存されていることを知ってとても嬉しく思っています。

2022/11/27

レール保管庫(カヌー格納庫)

屋根と柱だけだった格納庫
 線路敷設が一段落し、雪が積る前にカヌー格納庫の外壁を完成させるべく作業を進めてきました。着手前は屋根と柱だけで吹きっさらし、辛うじてカヌーが雨に濡れないのと直射日光で表面のニスや樹脂の劣化が進まないようにはなっていました。雪は風に乗って舞い込んでくるので昨冬は屋根の下でもブルーシートで包み込んでいましたが、春先には雪が融けてびしょ濡れ状態でした。密封とまでいかなくても、冬に向けてそれらしい壁を張る必要に迫られていました。カヌー格納庫の話が待避線(余談雑談)でなくて鹿部電鉄本線なのは、来春ここの床をレールの保管場所にしようと考えているからです。202112月投稿の「レールの保管について」で書いた通りレールを雨ざらしで置いておくと腐食が進み、表面が凸凹になって見苦しくなります。カヌー格納庫の奥行きは5.66mで、5.5mの定尺レールが置けるようにしてあります。用途としてはレール保管庫でもあるわけで、その他の長寸資材(木材や山形鋼、パイプ類)も置いておくので雨や雪の直接侵入だけでなく、湿潤も防げるように考慮しなければなりません。

 壁の材質を何にするか選択肢はたくさんあって悩みました。市販の外壁材、木材、波板、ビニールなど(コスト順)ですが、寿命とコストには相関があります。また木材と一口に言っても材質やコストは多岐にわたります。自身で小屋を建てたことがある人に聞いてみましたが、推奨はそれぞれで結論は出ませんでした。結局隣町の製材工場に出向いて相談に乗ってもらった結果、杉板が耐久性、作業性、コストの点で無難とのこと、その場で現金決済して配送してもらうことにしました。

釘は重なっていない
所に1か所だけ打つ
 ネットで「鎧張り」という板壁の施工方法を調べたところ、「釘は幅方向に2ヶ所打ってはダメ」「2ヶ所固定する方が頑丈」「2枚重ね部分に釘を打つな」「重ねて打て」と様々、「塗装した方がよい」「しない方が良い」「どちらでもよい」と何を信じればいいのかわかりません。言っておきますが、このブログは私のやった事実を記しているだけで、それが最良と言うわけではありません、参考としてご理解ください。ネットの記述の中でも理にかなっていて実績のあるものは受け入れることにしました。

 ということで、側面と後面に厚さ12mm、幅180mmの杉板を鎧張りにし、柱部は板の端部が見えないように、そして雨で濡れないように上から別の板で隠しました。これは美観の点からもメリハリが付くというか大層見栄えが良くなり、通りがかりの人が「本格的ですね、プロの技みたいだ。」とお世辞を言ってくれました。なお板を張っている時は一部の素材が変色してマダラになっていたこともあって油性ペイントで塗装しようと思っていましたが、「壁全体がいずれ味のある色合いに変わって行くのはいいものですよ。」というアドバイスを複数の人からもらい、塗装は急いでしなくてもよいという考えになりました。

①縦桟を取り付け      ②鎧張りで外壁を張り ③板の端部を隠すと見栄えが良くなる

扉の計画図(上)と取付が終わった仮扉
 正面はカヌー引出し用のレールがあるため単純な観音扉にできず、3分割の扉を設計しました。向かって左側に人が出入りする床から天井まで開口する幅500mmの扉①、レールの上側はカヌーを引き出す時に開く900×1300mmの大扉②、レール下は普段嵌め殺しで資材の出し入れの時だけ開けられる塞ぎ板③、から構成されます。レールが貫通する部分はとりあえず解放になりますが、面積が小さいので様子を見て塞ぐ必要があれば何らかの対策を考えます。11月の末から12月にかけて初雪が降る見込みで、正規扉の取り付けはまず間に合いそうにありません。家具工房「わ」からもらった廃材を使って仮の扉を取付けて塞ぎ、この状態で越冬することにし、床板張りは寒さ次第で可能ならできる限りの作業をするつもりです。来春雪が融けたら、と言っても5月頃になるでしょうが製作した扉を取り付け、レールを購入して保管することにします。500mm幅の出入口扉についてはチョッと考えているところがあって、やっぱり待避線ではなくて本線の記事にする予定ですので楽しみにしていてください。

 杉板の鎧張りを実践してみて、少しは様になるDIYだったなと思いました。次に妄想トレインたる鹿部電鉄バージョンのキハ40000を作るにはその保管場所(車庫)も考えておかなければなりませんが、本線留置するわけにはいきませんからエンドレスにヒゲ線を繋いで最低限屋根の付いた小屋を建設することになります。時代設定からすると木造板張りの古風な留置線、地方私鉄のセクションレイアウトでウェザリングしまくったくすんだ車庫のイメージです。あー妄想が止まりません。


2022/11/16

待避線(余談雑談) 職業雑感

  鹿部電鉄は線路も電車も大した進展がないので余談雑談を続けます。子供の頃から電車の運転手になりたかったことは繰り返し書いてきました。運転手になれないなら電車を作る仕事がしたいと思いながらそれも叶いませんでした。その結果鉄道と直接かかわることのない職業に就き、それでもエンジニアとしてしか能がないので定年を過ぎても機械設計技術者として働きましたが、最後まで仕事は好きになれませんでした。元左翼学生の私はずいぶんな年齢になるまで「労働は罪悪だ」「資本家の搾取に手を貸すな」という言葉の影響を受けていて、仕事を家に持ち帰ることは絶対にせず些細なことでも必ず会社で処理して対価を申請していました。逆に、勤務中に人知れず趣味の世界に入り込むことはよくありました。

 もう時効になっているので告白すると、工場の機械を使ってこっそり模型の部品を作ったり、インターネットで鉄道関係のサイトを渡り歩いたり、そう資料室でガスタービン列車の図面を漁ったり、資本家の搾取に対する抵抗は数え上げればキリがありません。上司の目が届かない出張先では乗り鉄、撮り鉄は当たり前、航空機移動の地へ寝台列車旅を楽しみ、東京で遅くなってしまった時は夜行普通列車143Mで東海道を下りました。これが海外出張になるとやりたい放題で、旅程や日数の逸脱もスケールが大きく、終日トラム乗りつぶしをしたり、高級ホテルとグルメと特急列車のハシゴをしたり、リゾートスキーやワイキキの浜辺を楽しんだりもしました。確かにいい思いはしましたが、それを含めてもやっぱり仕事が楽しいとか好きだと思ったことはありません。愉悦に浸っている最中でさえ懸案が頭を過ぎると気が滅入ってしまうわけで、「やっぱり自分は根っから仕事嫌いだな」とつくづく考えるのでした。
 
退職して8年以上経っているのに今でも時々仕事をしている夢を見ます。たいがいは顧客に無理を言われたり、なかなか終わらない問題に悪戦苦闘したり、不愉快な気分で目覚め「給料もらってないのに働いてしまった」とぼやきながら起きます。家内から「本当は好きだったんじゃないの?」とからかわれますが、それは断じてありません。でもこんな疑問が頭に浮かんだことがあります、「もし電車の運転手だったら仕事好きになっていただろうか?」そして「電車を作る仕事で逃げ出したくなるような事態に直面しても、電車のこと嫌いになったりしなかっただろうか?」。知り合いの鉄っちゃんで鉄道会社に就職したのが何人かいますが、だれからも心境が変わったという話は聞きません。鉄道愛があればどんな苦難も乗り越えられるのか、それともその鉄っちゃん個人がたまたま仕事熱心だっただけなのか。「労働は罪悪だ」という観念の影響がある限り仕事を好きになることはできないのか、人生はやり直せないのでその答えをみつけることはできません。
 しかし「過去の『もしも』」なんかもうどうでもよくて、庭に広がる線路を眺め、電車を運転しながら、私はしみじみと老後の幸福を噛みしめます。ここにはうるさい上司も言うこと聞かぬ部下も無理難題を吹っ掛ける顧客もいません。好きな仕事に恵まれなかったからこそ大好きな鉄道と暮らす今がこんなにも素晴らしいのではないかと思います。




 海外で撮った写真、ほんの一部ですがご覧ください。

イギリスのミュージアム

イギリス 鉄道ファンツアー
ツアーガイドの女性は鉄道博物館長の娘さんとか
ドイツ デュッセルドルフとフランクフルトのトラム
台湾 阿里山鉄道
側線にあったDIYモーターカーで遊ぶ

スイス レマン湖畔私鉄乗り歩き
レマン湖畔の古典車とSBB(国鉄)列車

2022/11/05

待避線(余談雑談) ガスタービンエンジンの話

  ディーゼルエンジンで話が脱線したついでに、いや脱線したわけではなく側線に入っただけですが、ガスタービン列車の話をします。私が川崎重工に就職して配属された先はジェットエンジン事業部設計部でした。当時純国産の産業用ガスタービンの生産を始める一方で、アメリカのメーカーのライセンス下で製造していた航空用ガスタービンを鉄道に転用するプロジェクトがありました。

 ガスタービンはディーゼルエンジンなどと同じ内燃機関の一種で、吸入した空気を高速回転するコンプレッサーで圧縮し、高圧燃料を噴霧して燃焼したガスをノズルで膨張させ、タービンで回転力として取り出します。つまり吸入、圧縮、燃焼(膨張)、排気というレシプロエンジン(ガソリン、ディーゼル)と同じ行程があるわけですが、シリンダーの中で順番に繰り返されるのではなく、高速回転軸に沿った専用の部位で連続的、持続的に実行されるのが特徴です。メリットとして、出力に比して軽量小型、往復運動部位がなく振動が小さい、冷却水が不要、急激な負荷変動に強いなどがあります。一方で燃費が良くない、特に低負荷での燃料消費が多い、エンジン回転数が高いため減速機が必要、航空転用型は高コスト、などのデメリットがあります。

 1967(昭和42)頃国鉄では非電化亜幹線の高速化を計画しており、軽量で大出力が得られるガスタービンに着目していました。欧米ではすでに試験されたり実用化されたりしていて、国鉄のキハ07を改造した試験車では実用化の足掛かりとなるデータが得られていました。

16番のキハ07901
      自身製作
 この試験には石川島播磨重工製と川崎重工製の2種類のエンジンが試用され、その後試作されたキハ391の高速試験でもそれぞれの比較が行われる予定でしたが、電化が進んだことに加えてオイルショックの追い打ちがあって1973年には試験計画が打ち切られてしまいました。私が就職したのはその2年後で、プロジェクトは実質的にはほとんど休止状態でした。それでも調べものをするふりをして資料室に入れば、そこに至るまでの企画書や計算書、図面、試験データ、海外の実例文献などがファイルされており、食い入るようにしてページをめくりました。ガスタービンで車両を動かすには直接駆動、トルクコンバーター駆動、発電機を介した電気式等色々な方式が考えられ、それぞれに一長一短があって比較検討した資料には図面が挟んでありました。川崎重工には車両事業部があってガスタービンを搭載した車両の計画図を添えて国鉄に提案したのでしょう。非電化区間で電車に増結する両運型自走ガスタービン電源車、ボンネットに高速小型発電ユニット(小型減速機で高周波発電機を駆動)を搭載した特急型電車、床下に発電ユニットを装備した急行型電車など、結果的には日の目を見なかったけれどどれをとっても魅力的な車両の数々でした。もし実現していたら、どこの線区を何という列車がどんな塗色で走っていただろう、と資料室でひとり妄想に耽るのでした。
ガスタービン列車が実現したらこんなスタイルに
側面の吸気口と屋根上の大きな消音器が特徴です

 あれから半世紀を経てガスタービンの弱点であった燃費は排熱の有効回収や最適負荷制御で改善され、製造・メンテナンスコストは簡略構造の量産効果で大幅に低減されています。VVVF方式に象徴される半導体技術が飛躍的に発達して超高速発電機も実用化されました。今はディーゼル発電機とバッテリーを搭載したハイブリッド電車が非電化区間を走行する時代、その先は水素をエネルギー源とする超小型のガスタービン発電機と高性能バッテリーのユニットが電車に搭載されればガスタービン動車復活の日も夢ではなくなるかもしれません。

2022/10/30

待避線(余談雑談) ディーゼルエンジンの話

  話は脇道、いや待避線のさらに側線に逸れてしまいますが、片足は本線に残して置くように努めます。鉄道用ディーゼルエンジンにまつわる色々なお話です。

1.回転数(速度)制御

 ガソリンエンジンとディーゼルエンジンには多くの共通点と相違点があります。すべてを語ると一冊の本が書けるくらい、いえとても一冊くらいじゃ書ききることはできないでしょう。どちらもシリンダーの中で燃料を燃焼させてピストンを動かし、クランクシャフトを介して回転力として出力するという基本原理を同じくする内燃機関と呼ばれる原動機です。両者の根本的な違いは、片や気化しやすいガソリンを使用するのと、他方軽油や重油といった低揮発性油を燃料にしていることです。それに起因してその燃料をシリンダーに送り込む付随機器の種類や構造が全く異なるとともに、シリンダー内部での着火原理、燃焼現象、出力特性などに明らかな差異が生じます。

 今どきの自動車用エンジンはガソリンもディーゼルも電子制御方式が主流になっており、それに伴って燃料を送り込むための機器類も電気信号による駆動に適したものに進化しています。ひと昔前までは自動車や船舶、もちろん鉄道車両用を含めてほぼすべてがメカニカルな機構で制御されていました。例えば回転数を一定に保つためのガバナーは調速機と呼ばれ、エンジンに限らず時計、オルゴール、蓄音機、エレベーターなどに同じ原理の機構が組み込まれています(した)。回転数が目標値より高くなると錘の遠心力が大きくなることを利用して、その力で燃料を絞ったりブレーキをかけたりして元の速度に戻す働きをします。回転数が低下した時は逆の動作をします。

 ガソリンエンジンの回転数は元々安定した特性を持っていて、吸気口のスロットルバルブを開けば流入空気とともにより多くの燃料が吸い込まれて回転数が増加した状態で安定します。これは自動車のアクセルペダルを踏み込むと加速できることで実感できると思います。ディーゼルエンジンの場合は吸入空気が圧縮されて高圧高温になったシリンダー内にさらに高圧の燃料を噴霧するために、エンジンで駆動されるプランジャーポンプ(強力な水鉄砲の先が噴霧器になっていると想像してください)が装備されています。このポンプの有効ストロークを長くすると噴射される燃料量が増えるので回転数が高くなりますが、それに伴って燃料量が増えることになるのでさらに加速してしまいます。つまり想定以上に増速してしまうのですぐにストロークを短くしないと思い通りの回転数に落ち着きません。この操作を自動で行ってくれるのがガバナーで、ディーゼルエンジンには必須の機構ということになります。バネを介して錘の遠心力と釣り合う外力を与えることで自在に所定の回転数を得ることができます。機械式気動車の運転台にあるスロットルレバーはディーゼル化された後もガソリンカー時代の名称を引き継いでいますが、その先はガバナーに繋がっています。スロットルレバーを挟んで、アイドル回転数を保つ低速ガバナーレバーと最高回転数を抑える高速ガバナーレバーが3連で並んでいる車両もあります。なお電動式燃料ポンプを電子制御する方式でも、回路の誤動作や電源喪失に備えてバックアップのためのメカニカルオーバースピードガバナーや緊急停止機構が装備されています。


2.ディーゼルエンジンの熱力学的特徴

 ガソリンエンジンとディーゼルエンジンの違いの話に戻ります。石油ストーブを扱ったことがある人は御存知かと思いますが、灯油はなかなか火が点き難いもので、軽油や重油はなおさらです。一旦点火して炎が上がると勢いよく燃えてくれます。つまりガソリンは常温でも火元があると引火するのに対して、灯油、軽油、重油などの低質油は周囲温度がある程度高くないと燃えません。しかし発火点と言われるさらに高い温度に晒すと自ら発火します。ディーゼルエンジンではシリンダーに吸い込んだ空気の体積を20分の1近くまで瞬時に圧縮することによって数百℃程度(理論的には約700)に温度を上昇させ、そこに燃料を噴霧することで燃焼が起こります。

ガソリンとディーゼルエンジンの比較
 ガソリンエンジンでは空気とガソリンの均等な混合気が吸入されている所に点火栓で着火させるので、一気に爆発してシリンダー内の圧力が瞬間的に上昇し、ピストンを押戻しながら容積が大きくなるにつれて内圧が下がっていきます。これを断熱膨張と言います。一方ディーゼルエンジンでは噴霧された燃料が持続的に燃え、等圧膨張というほぼ一定の大きな力でピストンを押し続ける現象が起き、燃焼が終わった後は断熱膨張でピストンを押し下げます。少し難しい話になりますが、圧縮および燃焼膨張行程における圧力と容積変化の関係を図示したP-V線図を右に示します。それぞれの線で囲まれた面積が出力となり、ディーゼルエンジンの方が同じ排気量でより大きな出力を発揮できることがわかります。
と口で言うのは簡単ですがこの燃焼とピストンの動きは都合よく理屈通りになるものではなく、両者を整合させながら効率よくコントロールし、同時に有害物質の排出をも低減するためにエンジン開発技術者は日夜頭を悩ませているのです。

3.圧縮発火原理

20馬力のディーゼルエンジン
 滋賀県長浜市にヤンマーミュージアムという施設があります。ヤン坊マー坊でおなじみ、「小さなものから大きなものまで動かす力のヤンマーディーゼル」の博物館です。エントランスホールには天井に届くかと思われるほど大型で世界最古級(1899年製)のドイツ製ディーゼルエンジンのレプリカが展示されていますが、これはたった20馬力だそうです。ヤンマーOBの同級生がここを案内してくれた際に、ディーゼルエンジンの発火原理実験を特別に見せてもらいました。内径1cmくらいのABS樹脂管の底に綿の玉(燃料の代わり)を置き、この管にピストンを差し込んで一気に押し込むと内圧が上がり、一瞬綿がピカッと光って燃えるのです。熱が外に逃げる間もなく一気に押し込むのがコツで、断熱圧縮という現象を体験的に理解できる実験でした。ジワジワと遠慮しながら圧縮しても火は点きません。この投稿を機に当時の山本館長にお願いしてその動画を提供していただきました。

 こぼれ話を聞いてまた驚きです。時期は不詳ながら古くから東南アジアでこの着火法が使われており、お土産として持ち帰った器具で葉巻に火を点けるのを見たルドルフ ディーゼルが「高圧内燃機関を発明するのに、もっとも大きな刺激となった」と語ったとのことです。

4.出力の表示について

 気動車と一口で言っても黎明期の単端式2軸車から最新型で「モハ」を名乗るハイブリッドタイプまで新旧大小さまざまな車両が存在します(した)。両極端は除外して、キハ40000には100PS(馬力)GMF13型ガソリンエンジンが搭載されていました。JR北海道の特急用キハ261系はDMF13系ディーゼルエンジン450PS2台搭載しています。エンジン形式の最初の2文字GMはガソリン、DMはディーゼル、次のF6気筒、13は排気量13L(13000CC)を表しています。同じ排気量でありながら昭和の初期から平成にかけて5倍近くまで出力増強がなされたことを物語っています。(初期のGMF13とキハ261系に搭載されているDMF13HZHは全く別物です)

JR北海道キハ261系特急気動車

 ところで日本を代表するスポーツカーニッサンフェアレディZは今どき珍しいハイブリッド機構を有しない純ガソリンエンジン車ですが、そのカタログのエンジン主要諸元を見ると排気量2997CC(3L)、最高出力405PSと書いてあります。排気量がキハの1/4なのに馬力はほぼ同じレベル?

 数字に偽りはないものの出力の意味が異なっているのです。鉄道車両用機関の場合は「連続定格出力」で表示されるのに対して通常自動車のカタログには(瞬時)最高出力が記載されます。それはエンジンの使われ方が異なるためで、鉄道では最高速度到達まで加速に時間を要したり長い勾配を登り続けたりするために連続して発揮できる出力を標記します。冷却系や動力伝達系への影響、機関や車両の寿命が考慮された数値になります。一方自動車では急転回や追い越しといった短時間に急加速するために必要な瞬発力が重要な性能として記載されるわけです。決して鉄道用機関の性能が劣っていることを意味しているわけではありません。

5.DMH17エンジンの逸話

 インドは鉄道王国です。今でも続いているのか知りませんが、扉や連結面に人がぶら下がり、屋根の上にも大勢乗っている映像を見たことがあります。学生時代のことですが、インド国鉄の技術者が研究室に訪ねて来るという話を聞いて楽しみにしていました。結局教授と面会しただけで、私たち学生にはお土産として分厚い論文集が置いて帰られました。後で聞いたところによると、その技術者は結構身分の高い人らしく1年間の期限で日本の鉄道技術を勉強するために家族連れで東京に居宅を用意され自由気ままな生活を堪能していたが、帰国時期が近付いてきたにもかかわらず報告に値するような成果が得られなかったので教授のところに泣きついてきたとのことでした。詳しいいきさつは知る由もなく、聞こえて来た事情はおもしろく脚色されていた可能性もあるので事実と相違していたかもしれません。

 その置き土産は、国鉄の技術研究所などから寄稿された何本かの学術論文をまとめた「DMH17型ディーゼル機関発達史」というようなタイトルで、開発の経緯から分類、採用された車両の種類や性能、問題点と改良の詳細などから構成されていました。もちろん日本語の論文なので件の技術者が目を通して内容が理解できるようにするには英語への翻訳が必要でした。そこで研究室の学生が手分けして英語に翻訳することになったのですが、単純に頭割りしても一人数十ページ、研究分野が関連した学生の応援を頼んでも相当な負担になりました。今のような便利な翻訳手法があるわけはなく、振り返って当時の私の英語力は酷いものでしたが、どんな論文が割り当てられるのか楽しみでした。後日受け取った論文のタイトルもその内容もすっかり忘れたものの、1週間くらい嬉々として翻訳に取り組んだことを覚えています。英文の作成には苦労したけど論文の内容を理解するのは全然難しい話ではありませんでした。それだけに乏しい英語表現力で内容を充分に書き留めることができないもどかしさを感じました。そんなことより鉄道のことを全く知らない人がどんな翻訳をしたのか気になり、他の学生に聞くと「どうせ他人の褌で相撲を取ろうと言うような人やから格好さえついてれば中身はどうでもエエンやない?」とクールでした。

 その後彼がどんな報告書を作り、どんな評価を受けたのか、果たしてインド国鉄の技術向上に貢献することができたのか、何の連絡もありませんでした。

2022/10/24

鹿部の深まる秋

窓辺に電車が見える日常

 季節が進むと色んな事が起こります。若い頃から秋はなんとなくもの悲しくてあまり好きではありませんでした。夏休みの終わりが近づいてくるとセミの鳴き声が変わって、たまった宿題をどうやって片付けるのか、何十年経ってもあの憂鬱に胸が押しつぶされた辛い記憶は消えません。だんだん日差しが低くなって日暮れが早まってくるとやっぱり何かに急かされているような息苦しさを感じます。会社勤めをしていた頃は毎年秋になると何かしら体調不良に悩まされ、寝込んだリ入院したりもしていました。ところが大好きな電車と暮らす今は、老化に伴う足腰の不自由以外には大したストレスもなく充実した日々を送っています。



 9月に入ると庭の片隅にある栗の木のイガが大きく膨らみ、下旬にかけて実が弾けて落ちて来ます。毎日のように手カゴ一杯の収穫があり、栗きんとんや栗ご飯にして秋を満喫します。自然の恵みは狩猟本能にも似て田舎暮らしで育まれた野生の心をくすぐるようです。

自然の恵み

 栗と並んでキノコも季節の恵みです。ところが北海道の気候が内地と違うためか松茸はほとんど見かけません(全くないわけではないようです)。山に入れば何種類かの食用キノコが採れますが、それ以外のほとんどは毒性があると言われています。庭のアチコチでニョキニョキと生えてくる姿を観察するだけならいくら楽しんでも中毒にはなりません。16番の庭園鉄道ではこれだけのサイズがはびこると運転に支障を来たしますが、15インチゲージならへっちゃらです。

ところかまわず生えてきます

 見て楽しむと言えば秋は紅葉です。庭には何本かの色づく木々があり、「晩秋の鹿部電鉄」というタイトルでYouTube投稿しました。太陽の角度が低くなると鮮やかな彩りで撮影するのが難しく苦労しました。今年線路延長したおかげで紅葉と電車を同じフレームで撮ることができるようになりました。


鹿部はすっかり秋色に染まっています

2022/10/11

エンドレス線路延長 本年度最終編

廃枕木を利用した土留め
 918日投稿の「タイムスケジュール変更」で「多分まだひと月くらいはかかりそう」と書きましたが、できれば2週間ぐらいでケリをつけられたらとも思っていました。枕木とレールを置いて犬釘を打つだけならまぁそんなもんかもしれません。実際には道床の盛り土をするために裏庭の高地の土砂を削ったり、土留め用の廃材(朽ちかけた廃枕木)を運搬設置したりと想定外の作業が待ち受けていました。彼岸を過ぎると日に日に日没時刻が早まるのと相まって手指が冷たくて作業がはかどらないことがあります。夕刻近くなっても蚊の襲来がなくなったのはありがたいことですけど。

 出来上がった路盤に防草シートを敷き、砂利を入れ、枕木を並べ、レールを置いていきます。レールの曲げは同じ作業の繰り返しなので面倒だけれどひたすら続ければとにかく済ませられます。ところが花壇を越えて曲がったレールを一人で設置場所まで運ぶのは実に厄介で、バランスを崩せば転倒負傷しかねません。実際足のつま先近くに落下させてしまい危うくケガをするところでした。無理をせず、あらためて安全第一を心掛けることにしました。植栽を傷めることなく引きずりながら、あるいは片端を持ち上げるだけで移動できるルートを拓いてから少しずつ運搬するようにやり方を変えました。

 例によって内外のレール長の調整と継ぎ目板固定用の穴あけを行い、マルタイならぬ人力シングルタイタンパーで最終的にレール上面の高さ修正を行ってから枕木間に砂利を詰めると新規線路敷設はほぼ完了です。ホースで余計な砂利と泥を洗い流すと雨上がりみたいな何とも言えぬ風情の光景が現れます。わたしはなぜか濡れた線路が大好きです。手押し無蓋車で数往復、常に4輪がレールに接していることを確認してから、いよいよ動力車を乗り入れます。試運転は最徐行で行うものですが、1ノッチや2ノッチで急カーブに入ると止まってしまうので大胆にも3ノッチで力行します。




シリコンスプレーとグリススプレー

 新たに得た教訓です。枕木には当然のことながら丸い下穴が明けられていて四角断面の犬釘を打ち込むわけですが、滑りをよくするためにこれまでは釘の表面にグリススプレーを吹き付けていました。今回初めての試みとしてシリコンスプレーを吹いてみました。網戸や雨戸のきしみが一発で解消しウソのように滑りが改善されることを体験済みでしたし、テレビの
DIY番組で大工さんがほぞ組みが入りにくい時にシリコン塗布するとスパっと入るという実演をしていたので、一度試してみたいと思っていたのでした。果たして結果は、打ち込みはスムーズでしたが、他の釘を打つ振動で先に打ち込んだ釘が浮いてくるので最後までレールが固定できません。一旦抜いて釘と穴を溶剤洗浄し、打ちなおすとしっかり止りました。こんなことではほぞ組みの意味がありませんね、いい加減なDIY情報には注意しましょう。

 いやとうとうエンドレスの約1/3周分が完成しました。2階の窓から眺めると、よくここまで辿り着いたなぁというのが実感です。このペースだと来年中に全部が繋がるのは難しそうです。例の妄想が頭をもたげている限り線路敷設にばかり注力できそうもありません。

2階の窓からの俯瞰


2022/10/04

待避線(余談雑談) 機械式気動車の話

機械式気動車 紀州鉄道キハ40801(元芸備鉄道)
                鉄研OB富田さん提供
 心を揺する妄想トレイン、キハ40000は以前にも書いた通り機械式気動車と呼ばれる前世紀の遺物です。もちろん現役を退いて久しく、南部縦貫鉄道、頚城鉄道他等で動態保存された車両が細々とイベントで運転されているに過ぎません。基本原理は自動車と同じですが、製造時期が昭和初期(1920~1950年)であるため今どきの乗用車とは比較にならず、誰でも簡単に扱えるという代物ではありません。チャップリンの無声映画に出て来る自動車をご覧になったことがあるかと思います、あの自動車のメカが鉄道車両に転用されたと考えればだいたいどんな代物か想像できるでしょう。例えば車両重量が何十トンもあるのにエンジン出力はたった数十から百馬力程度、変速機にシンクロ(歯車を嚙み合わせる際に周速を合わせる機構)が付いていないために特殊なクラッチ操作が必要、前後の運転台から長い連結棒で機関制御や変速を行う等コツを要する体力操作をしなければなりません。というわけで、鹿部電鉄建設とは直接関係ない昔気動車についてとりとめのない余談雑談をします。興味のない人には全然面白くないし、何のことか理解しづらいかと思います。

 その多くは戦前製で新造時はガソリン機関を搭載していたものが、1940年の重大火災事故(転覆で漏れたガソリンに引火して多数の死傷者発生)を契機に戦後ディーゼル機関に換装されています。両者は機関回転数の制御方法や出力特性が大きく異なるためおそらくスロットルとクラッチの扱いが違ったのではないかと想像しています。その頃のディーゼル機関は出力軸から減速駆動された高圧燃料噴射ポンプを内蔵していて、プランジャ―ストローク(噴射量)を的確に制御してやらないと回転数がハンチング(不安定変動)したりオーバースピード(暴走)してしまったりするのでメカニカルガバナー(調速機)を装備していました。運転台にあるスロットルレバーはこのガバナーの設定速度を変化させることで機関回転数を制御します。

車体下に吊り下げられたディーゼルエンジンとクラッチ、変速機など
一部の部品は逸失していますが、各機器は運転台の操作レバーやペダ
から連結棒で制御される様子がわかります  旧佐久鉄道保存車キホハニ56

 私は機械式気動車を含めて実物の鉄道車両を運転したことがないので、今から50年以上前に各地の地方私鉄で乗車中に運転手の操作を観察した結果と機関や駆動系に関する知見から、想像で機械式ディーゼル動車の運転操作方法について説明します。もし間違いや補足すべきことにお気付きの節は、右側の「お問い合わせメール」または下の「コメント」でご教示いただければ幸甚です。

 運転台の操作機器配置は車両によってまちまちで、電車のように左がコントローラー(マスコン)右がブレーキ弁というような決まりはありません。ただ装備されている機器と機能はほぼ共通と考えていいでしょう。

            運転台操作機器配置例  旧佐久鉄道保存車キホハニ56 

1.スロットルレバー:機関の速度(回転数)を制御します。運転席の正面にあって左手で手前に引くと増速するのが地方私鉄では一般的ですが、国鉄型は右足元のペダルを踏みます。

2.クラッチペダル:多くは右足で踏み込むとクラッチが解放されるタイプです。国鉄では左足の位置にペダルがあります。

3.ブレーキ弁:単行を前提としているので路面電車と同様右手操作の直通ブレーキが多いようです。国鉄型は左側に自動ブレーキ風の弁を装備しています。機関車のブレーキ弁は入替時に窓から身体を乗り出して操作するために左側にあると言われていますが、なぜ国鉄の気動車がそうなったのかわかりません。

4.変速機レバー:加速時にスロットル操作する手と反対側にないと扱い難いので、多くは運転席の右側にあります。スロットルレバーが右手操作の場合は運転席の左側になります。レバーは抜き差しできるようになっていて方向転換した時は反対側の運転席に持って行きます。レバーが抜けないタイプの場合は、無人の後位側で運転席に連動してレバーが動きます。

5.上記以外の操作機器として、アイドル(低速)ガバナー、オーバースピード(高速)ガバナー、前後進切替レバー、手動ブレーキハンドル、スタータースイッチ、ブザーなどがありますが、すべてが装備されているとは限りませんし、運転席から離れた場所に設置されていることもあります。計器類としては空気圧計、油圧計などがあり、意外にも速度計がついていない場合が多いのに驚きます。

運転中の様子 岡山臨港鉄道
           鉄研OB富田さん提供
 続いて運転方法です。始業点検、機関始動、暖機運転までが終わった状態で気動車を動かすところから説明します。まず発車の際にはクラッチペダルを踏み込んで変速レバーを第1速に入れます。クラッチペダルを徐々に戻すと機関出力軸と変速機の間にあるクラッチが摩擦しながら回転力を伝え始めます。この負荷によって機関回転数が下がるので今にもエンストしそうになると同時に、出力軸のトルクムラによる振動で車両全体から「ガガガガーン」と大音響を発します。マニュアルトランスミッションの自動車を運転した経験のある人は、クラッチを繋ぐ前にアクセルペダルを少し踏み込んで回転数を上げておくことでこの現象を回避できると考えるでしょう。しかしディーゼル機関の場合は回転数が一時的に下がってもガバナーの働きによって燃料噴射量が自動的に増やされ元の回転数に戻ります。スロットルレバーを引くなど意図的に回転数を上げる操作はクラッチの摩耗を増進させ、過負荷の原因になるおそれもあるので禁物です。エンストしない程度に微妙なクラッチペダル操作をしながら、アイドル(最低)回転数のまま完全にクラッチが繋がるまで待ってからスロットルレバーを引いて加速します。第1速では機関速度が最大近くまで上がっても車両がやっと動いたという程度でしかありません。静摩擦状態から抜け出すことが第1速の役割です。

 そこまで加速できたらスロットルレバーを戻すと同時にクラッチペダルを踏み込みます。ここで変速レバーを第2速に入れようとしても異音がするだけで歯車は嚙み合いません。一旦中立(ニュートラル)位置で保持し、一時的にクラッチペダルを戻してから再度踏み込んで第2速の位置にレバーを動かします。レバーから軽く「ゴンゴンゴン」と歯車がぶつかる感覚が伝わるのに続いて第2速の位置にスムーズに入ります。いわゆるダブルクラッチというテクニックです。これは変速の前後で大きく異なる歯車の周速を同期させるために行われるもので、昭和の大型トラックやバスでは普通に行われていた操作です。その原理やメカニズムはネット検索すると動画の解説でも見ることができます。同じ要領で第3速、第4速と加速し、平坦路で安定速度に達したらクラッチペダルを踏んで変速レバーを中立位置にし、惰行運転に移ります。

 第1速での起動しやすさや第4速での均衡速度は、車両重量と機関出力によって変わってきます。当然運転線区の勾配によっても影響を受け、客車や貨車を牽引すれば自ずと限界があります。いずれにしても当時のひ弱なエンジンとシンプルなメカニズムで巨大な車両を安定して動かすのは並大抵のことではなかったであろうと想像できます。

水島臨海鉄道キハ311(元国鉄) 鉄研OB小林さん提供
 この煩雑な操作の一部を自動化した気動車に乗ったことがありました。いえいえ、トルクコンバーター付きの液体式気動車ではありません。1970年頃の水島臨海鉄道キハ311で、元国鉄キハ04の譲渡車です。この車両は発車時にエンストしないように運転手が勘を働かせながらクラッチペダルを徐々に戻す必要がなく、一気にペダルを戻してもクラッチが一定のタイミングでゆっくりと繋がる仕組みになっていました。その機構を実際に見ることができないので想像するしかなかったのですが、ペダルを踏んだ時は普通にクラッチが切れながら逆方向にはゆっくり動作するドアクローザーのようなメカニズムが組み込まれているのではないかと思っていました。もちろんこの仕組みがあっても第1速でクラッチが繋がる時の大音響と振動がなくなるわけではありませんし、
ドアクローザー
運転手の労力が特段軽減されているようにも見えませんでした。第2速以降への切替え時のダブルクラッチ操作がどうであったのかは観察不足で説明できません。この改造が国鉄時代に行われていたのかあるいは水島臨海で採用されたのか、他の車両(当時4両の気動車が在籍していました)も同様に装備していたのかずっと不明でした。その後色々と調べていると、国鉄で戦後ディーゼル機関に換装した車両で発車時(1)のトルクが大きくなって車輪や車軸の破損事故が多発したという記述を見つけました。その対策としてガバナーの作動速度向上と併せて空気圧動作でクラッチ接着が遅くなるよう自動化する改良がなされたと書いてありました。この事故は重連運転が頻繁に行われた車両でよく見られたとのこと、協調のタイミングが合っていなかったり混雑で過負荷になっていたりしたのでしょうか、取り扱いの荒っぽい運転手がいたのかもしれません。技術研究所で詳しい解析を行い、機関と車輪の間で自励振動(共振)が発生していたという結論から辿り着いた解決策がこの自動化だったそうです。機械式気動車にプレート車輪が多く使われているのも併せて実施された対策の結果とのことです。そんな問題を抱えながら機械式気動車は地方私鉄というフィールドで細々と生き長らえて来たのでした。

 近年の大型バスやトラックでは乗心地の向上や運転手の負担軽減を図るためにスイッチ操作によってギヤチェンジが行えるようになっており、当然ながら発車時の大音響なんか聞こえるはずもありません。もしこんな技術が機械式気動車に導入されていたなら静粛で快適なレールバスでローカル旅ができたと思うのですが、鉄道車両としての気動車は液体変速機という総括制御に適したメカニズムを取り入れて発達していきました。最新の気動車は発電機や蓄電池を効率よく組み合わせ、電車と同一の駆動系を装備していて、電化区間では架線から集電するなど多様な機能を持つようになっています。それはもはや気動車という範疇が鉄道からなくなってしまうかもしれないことを意味しています。