2022/11/16

待避線(余談雑談) 職業雑感

  鹿部電鉄は線路も電車も大した進展がないので余談雑談を続けます。子供の頃から電車の運転手になりたかったことは繰り返し書いてきました。運転手になれないなら電車を作る仕事がしたいと思いながらそれも叶いませんでした。その結果鉄道と直接かかわることのない職業に就き、それでもエンジニアとしてしか能がないので定年を過ぎても機械設計技術者として働きましたが、最後まで仕事は好きになれませんでした。元左翼学生の私はずいぶんな年齢になるまで「労働は罪悪だ」「資本家の搾取に手を貸すな」という言葉の影響を受けていて、仕事を家に持ち帰ることは絶対にせず些細なことでも必ず会社で処理して対価を申請していました。逆に、勤務中に人知れず趣味の世界に入り込むことはよくありました。

 もう時効になっているので告白すると、工場の機械を使ってこっそり模型の部品を作ったり、インターネットで鉄道関係のサイトを渡り歩いたり、そう資料室でガスタービン列車の図面を漁ったり、資本家の搾取に対する抵抗は数え上げればキリがありません。上司の目が届かない出張先では乗り鉄、撮り鉄は当たり前、航空機移動の地へ寝台列車旅を楽しみ、東京で遅くなってしまった時は夜行普通列車143Mで東海道を下りました。これが海外出張になるとやりたい放題で、旅程や日数の逸脱もスケールが大きく、終日トラム乗りつぶしをしたり、高級ホテルとグルメと特急列車のハシゴをしたり、リゾートスキーやワイキキの浜辺を楽しんだりもしました。確かにいい思いはしましたが、それを含めてもやっぱり仕事が楽しいとか好きだと思ったことはありません。愉悦に浸っている最中でさえ懸案が頭を過ぎると気が滅入ってしまうわけで、「やっぱり自分は根っから仕事嫌いだな」とつくづく考えるのでした。
 
退職して8年以上経っているのに今でも時々仕事をしている夢を見ます。たいがいは顧客に無理を言われたり、なかなか終わらない問題に悪戦苦闘したり、不愉快な気分で目覚め「給料もらってないのに働いてしまった」とぼやきながら起きます。家内から「本当は好きだったんじゃないの?」とからかわれますが、それは断じてありません。でもこんな疑問が頭に浮かんだことがあります、「もし電車の運転手だったら仕事好きになっていただろうか?」そして「電車を作る仕事で逃げ出したくなるような事態に直面しても、電車のこと嫌いになったりしなかっただろうか?」。知り合いの鉄っちゃんで鉄道会社に就職したのが何人かいますが、だれからも心境が変わったという話は聞きません。鉄道愛があればどんな苦難も乗り越えられるのか、それともその鉄っちゃん個人がたまたま仕事熱心だっただけなのか。「労働は罪悪だ」という観念の影響がある限り仕事を好きになることはできないのか、人生はやり直せないのでその答えをみつけることはできません。
 しかし「過去の『もしも』」なんかもうどうでもよくて、庭に広がる線路を眺め、電車を運転しながら、私はしみじみと老後の幸福を噛みしめます。ここにはうるさい上司も言うこと聞かぬ部下も無理難題を吹っ掛ける顧客もいません。好きな仕事に恵まれなかったからこそ大好きな鉄道と暮らす今がこんなにも素晴らしいのではないかと思います。




 海外で撮った写真、ほんの一部ですがご覧ください。

イギリスのミュージアム

イギリス 鉄道ファンツアー
ツアーガイドの女性は鉄道博物館長の娘さんとか
ドイツ デュッセルドルフとフランクフルトのトラム
台湾 阿里山鉄道
側線にあったDIYモーターカーで遊ぶ

スイス レマン湖畔私鉄乗り歩き
レマン湖畔の古典車とSBB(国鉄)列車

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