2023/02/26

待避線(余談雑談) 庭園鉄道が紡ぐ円満家庭

  「衣食足りて礼節を知る」あらためて説明するまでもなく、生活に余裕があってこそ社会秩序が育まれるということわざです。基本的欲求が満たされて精神的なゆとりが生まれると人は寛容になり周囲と融和する、と言い換えられると思います。

 Gゲージや5インチゲージなどの庭園鉄道を建設した人のSNSを見ていると、家族特に奥さんに反対された、あるいは説得に苦労した、という記述がたくさん見受けられます。実際に険悪な関係になったと言うほどではないにしても一筋縄に行かない理由はいろいろあると思います。線路用地と家人の花壇、菜園が干渉する、通行や庭利用の邪魔になる、世間体が悪い、などが主なトラブルでしょう。世間体云々というのはお互いが家族になる前に解決しておかなければならない問題だと思いますが、まさかその時は庭園鉄道という発想がなかったのでしょうね。さて冒頭の「衣食」を「土地」あるいは「庭」に置き換えると庭園鉄道に関して家族との関係悪化が回避できそうなことは想像に難くありません。16番やNゲージのレイアウトでさえ設置場所を巡って争奪戦があるのですから、15インチゲージ何をか言わんやでしょう。もし将来自宅に庭園鉄道を敷く計画がある、いや夢を持っている、かも知れない、少しは考えておきたい、ならチョッと広めの敷地購入をお薦めします。建売や住宅付き土地を検討する場合は建物と隣地境界の間に1m幅の帯地があり、できるだけ大きな半径(5m以上)で建物の角を曲がれることを確認しておきましょう。

 敷地がとてつもなく広ければ線路用地と花壇菜園の土地争いが起こらないか、と言えばそれは断言できません。「衣食足りて」と言う通りなんでも余るほどあるとろくなことはありません。家族はお互いに分かち合うからその絆が強まるのであって、列車の巻き起こす風に揺らぐ花も畑を横切る線路も、これこそが我が家の光景だと思えば奪い合うという気持ちは起こらないはずです。上に書いた土地の条件を満たしたうえでどんなふうに線路を敷くか、どんな想定の鉄道にするか(トロッコ遊び、実物の再現、運転本位、子供を乗せる)などを考えると同時に、家族が庭をどう使うつもりなのかをよく話し合って理解することが肝要です。極端な話、枯山水の純日本庭園を赤青黄色の遊園地列車が走るのはいただけません。

 鹿部に移住してきた当初は義父母と同居していました(させていただいておりました)。それ以前からコツコツと庭石を入れたり芝生を張ったりしてありましたが、まだまだ手付かずで雑草や灌木が生えている所があり、そういう場所を開墾して線路を敷きました。庭に線路を敷くというとんでもないことを見て初めは驚いていましたが、「この家は駅前徒歩0分の一等地になるよ。」「今度医者に行く時は道路までトロッコで行こうね。」と話している内にそれが当たり前になりました。「北海道は遠いけどウチの自慢の線路を一度見に来てよ。」と親戚や知人に電話する有様でした。もちろんこんな土地を自由に使わせてもらえるありがたさに感謝を伝えることは怠りませんでしたが、何より線路やトロッコを作っている時の私の嬉しそうな顔を見るのが本人以上に嬉しかったと言っています。

 今我が家は二人とも年金受給者ですが、現役時代から夫は外で稼いでくるもの、子育て家事は妻の務め、と言った考えは絶対に持たないことにしていました。互いに得意なことは進んでするけれど、それを義務だとか役割と決めつけると不満の種になります。趣味の世界であっても境界線は引かないに越したことはありません。花壇作りの力仕事を頼まれた時は体力と時間の許す限りは引き受けて、色とりどりの花が咲いたら大いに愛で、畑からお芋が採れたら腕を振るって美味しくいただく、電車遊びを楽しんだらとびっきりの笑顔で喜びを表現する。それぞれにお客様が訪ねてきたら一緒におもてなしに加わる。共有する庭があるからこそ分かちあえるものが生まれるのだと思います。

 と言うのは鹿部電鉄での一つの実例で、明確な境界線を引いて相互不可侵の掟を堅持するもあり、最初から国境も敵国もない世界で生きていくのも有力な選択肢かとは思います。

2023/01/27

分岐器の雪対策

  冬だから寒いのは当たり前ですが、内地ではいつになく大雪に見舞われて各地(特に西日本)で分岐器の動作不良が発生したと、ニュース(2023126)で知りました。凍結したり雪が詰まったりその結果一部の機器が損傷したとのことでした。鹿部電鉄は雪国の鉄道なので対策は万全、と言いたいところですが実は転轍機を設置して初めての雪が降った12月初旬、転轍機を切り替えてもトングレールが途中までしか動かないという不具合に見舞われていました。

電車の留置状況     と      トングレールの様子
 分岐部は駐泊所風の建屋と留置した電車に覆われており、余程横殴りの吹雪でなければトングレールに雪が詰まることはありません。転轍機は屋根の外にあって雪に埋まると困るのでカバー(手箕)を被せていました。

転轍機の防雪対策
 何が手落ちだったかと言うと、転轍棒に繋がったL型ベルクランクは屋根の下にあるので気を抜いていたところに雪が吹き込んでいたのでした。融けた後再凍結して動作が不完全になっていました。この部分に板を被せて以降問題は発生していません。来シーズンまでには転轍機とL型ベルクランクを覆う正式な構造物を製作することにしました。

L型ベルクランクが凍結してトングレール動作不良発生
転轍機を動かしても伸縮筒のおかげで損傷は免れました

2023/01/13

待避線(余談雑談) 交通政策に思うこと

  -本稿は客観的データや詳細な調査にもとづいて考察した結果ではなく、個人的感想と想像(妄想)から私の鉄道に対する偏狭な愛と願望を述べたものです、その一部でも共感いただければ幸甚です-

鉄道以外に移動手段のない利用者にとって廃止は死活問題
 ご承知のように各地でJR路線の廃止が話題になっています。特に北海道では今後本線級の動脈が寸断されるおそれも報道されているようですが、「いつまでも自家用車の運転ができるわけではないので、鉄道の廃止は生存権のはく奪に等しい。」「バスに置き換えればいいと簡単に言うが、トイレのないバスはキハ40以下だ。」と特に高齢鉄っちゃんの私は考えます。廃止の最大の理由が採算であるとされていますが、鉄道の存廃を論じる時になぜ最初に採算の問題を持ち出すのでしょう。鉄道を維持する必要性の根拠の一因かもしれないけれど、どちらかというと最後の課題ではないかと思うのです。山中のぽつんと一軒家にも電力や道路の便が図られている今の時代、もしその建設や維持について採算が取れないという理由で切断、閉鎖してしまうことがあっても合理的だと許されるでしょうか。建設が続けられている幹線以外の高速道路の採算性は一体どうなっているのでしょうか。

動脈の維持活性化は国の政策として実施すべきだと思う
 JR地方線の存廃は国が総合的な交通政策として決めるべきであるのに、JRと自治体に維持財源を含めてその判断を委ねているのがそもそもおかしな話です。まず利用の低迷をはねかえす地域の活性化を促すのが本来の筋なのに、車両や施設の老朽化やそれに伴う保全不足を理由に間引きダイヤに始まる悪循環でますます利用しにくくなってしまっています。ここに至って不採算の穴埋めをせまった挙句、廃止ありきで自治体(=建前上住民の意思)に答えを出させる猿芝居のようなやり方です。高齢化や過疎化への対応が無策に等しい中でもっともらしい数値を見せつけて、あたかも住民が自ら最善の判断を下したかのような筋書きにする企みに思えてなりません。

 我が家の裏を走るJR函館本線は、数年後に新幹線が札幌まで延伸されると原則的に第三セクターに移管されることになっているようです。沿線自治体は赤字線を押し付けられたくないので、貨物を含めてこぞって第三セクターへの参入回避に動いています。この鉄道は日本の頸動脈ですから、そんな自治体の判断でもし廃止にでもなったら国全体の経済に及ぼす影響は計り知れません。例外的に国有鉄道として復活してはどうかと思うのですが、その節はもう他人事とは言わせない国土交通省直轄にしてほしいものです。

 スイスやドイツで見た山岳地方の鉄道は決して地元の利用者が多いわけではなく、厳しい立地への対策に費用は嵩むはずですが、居住者の生活を重視した手厚い政策に守られています。100年以上の昔に敷かれた線路をただ漫然と利用しているだけではなく、路線の規模に見合った観光客の誘致や雪に埋もれる冬季の移動手段を確保するという目的に沿い、官民が一体となった地域プロジェクトで資金を注いで車両や施設の近代化が行われています。持続可能な交通行政の根本は、利用者特に地元住民の足としての利便性を最優先課題として考えることにあると思います。

60年以上前に誕生した日本型インターアーバン
LRTを予言するかのような先進的電車だったが
今地下鉄に置き換えられて身を持て余している
          
京阪京津線80型1969年撮影
 廃止される鉄道の話題から一転して新しい鉄道の話をしたいと思います。新しい鉄道と言えば大都市の地下鉄やそこへ乗り入れる私鉄の新線が思い浮かばれますが、私はあまり興味がありません。むしろ地方のコンパクトな電車、具体的には宇都宮や富山の路面電車線の開業や各地の新線計画が気になります。「気になる」と言うのは手放しで喜ばしいという意味ではなくて、近年猫も杓子もLRT(Light rail transit)を看板に掲げていることが気がかりになっています。少し前まで看板はみんな新交通システムでした。それまでになかった新技術を取り入れた運行システムや車両開発をすることで助成金や建設費負担を得ることができ、自治体と企業がタッグを組んで都市交通の利便性を向上するプロジェクトが計画されているようです。LRTは文字通りなら軽軌道ですが、次世代路面電車とかお洒落な都市交通という意味合いが広がり、また確たる定義がないままLRV(Light rail vehicle)と混同されて超低床車や連接車のイメージも一人歩きしています。時として導入の是非が政争の具として使われたり、助成金が割に合わないとそれっきり計画が打ち切られたり、住民を主体と考えていない行政の姿勢が疑われることもあります。バスで輸送量が不足する路線を軌道化する、路面電車の速度向上を図る、あるいは既存の鉄道をスリム化するには超低床型LRTが最適だ、と画一的に結びつけるのはあまりに単純な発想です。そして流線型の超低床連接車こそLRTだという思い込みはすぐに改めるべきだと考えます。

超低床車でなくてもバリアフリーは可能
エレベーター付き地下道での踏切廃止や
速度向上、連結運転による輸送量増強で
路面電車はLRTに進化することができる
 超低床車でなくても車両の床とホームの段差をなくすことは可能です。路面を走る場合でも停留所の前の線路に車が入って来ると考える必要がないので、線路を少し沈めることで車両の床が下げられます。路面電車であっても交差点で車が横切る部分のみ併用軌道にし、それ以外はバリア付き専用軌道にすることで速度向上と建設保守費用の軽減が可能になります。車両は一般の鉄道よりコンパクトで軽量な従来型路面電車からステップを取り去ったような形状にすることで製造コストが低減できると考えます。つまり台車や車輪、駆動装置は従来の構造を踏襲すればよく、超低床化に伴う複雑で高価な構造を採る必要はありません。運転手は料金収受に関わらず、ホーム入口での
ICカードまたは料金投入によることで乗降時間の短縮(=スピードアップ)が図れます。セキュリティカメラを使えば信用乗車の徹底が期待できますし、乗降扉の配置や数、連結車両数の制約もなくなります。もうお分かりいただけるかと思いますが、荒川線や世田谷線みたいな中量輸送交通機関をもう少し大胆に進化させた新しい鉄道が行き詰った公共交通の救世主になりえると考えます。交差点や交通が輻輳する区間のみ地下や高架にしても地下鉄に比べると建設費は安上がりです。江ノ電や京阪石坂線は郊外型LRTの要素を取り入れることでさらに近代化を進められると思う一方、富士山五合目までの登山電車は既存のスバルライン上を走るとして路面電車スタイルが想定されているようですが、その必然性には疑問を感じます。宇都宮の詳しい事情は知りませんが、既存の路面区間に乗り入れるわけではなければ超低床車である必要はなく、車両に合わせた高いホームか低い線路を建設して対応すべきではなかったかと考えます。

 新技術開発と抱き合わせで膨大な予算を前提とする斬新でお洒落な超低床LRTの導入ではなく、すぐに使えて信頼性の高い従来技術で本当の意味で住民の足になる「ジェネリック鉄道」の実現が待ち望まれます。

2023/01/03

運転手の心遣い

蒸気機関車の運転席
         小樽市総合博物館C126

 電車に乗った時に運転手の所作を見たことがある人は、T字型のハンドルを手前に引けば電車が加速し奥に倒せば停車することぐらいなんとなくわかっていると思います。もしその人を蒸気機関車の機関士の席に着かせたとしても、一体どうしたら機関車が動くのかなんて想像もつかないでしょう。最新と最古の鉄道車両ではこれくらいの違いがあります。いや最新のものはボタンを押すだけで発車し次の駅で自動的に停車しますし、無人で走るものまであります。

 昭和の始めの電車「大沼電鉄デ1」はその中間的な存在で、運転するにはモーター音を聞きながら直接制御器のハンドルを少しずつ回して加速し、ブレーキハンドルを加減してショックがないように停車させなければなりません。ATSなんかありませんから前方の車両や障害物を目視し、勾配や曲線部を通過する際には制限速度以下に制御する必要があります。運転手は計器がなくても速度やモーターの電流、ブレーキの空気圧を体感で把握していて安全に動くように機器操作します。無理な運転をすると次にどんなことが起こるか、その限界までどれくらい余裕があるかなどを、勘を働かせて常に予測します。最新の電車は運転手に代わってコンピューターが安全かつ効率よく加減速するとともに色々な数値をモニター表示し、常に監視していて異常があれば警報を発します。運転手は何も考えずに座っているわけではなく、表示内容から列車運行が安定していることを把握すると同時に、センサーの目が届かない部分、前方や周囲の安全確保に余力を注ぎます。鉄道の運転に限らず、船舶や航空機の操縦方法を含めて世の中のほとんどの仕事の内容が時代とともに変わってきています。

 少し前にネットで「電車の運転が面白くない」という記事を見つけました。憧れの電車の運転手になって初めは嬉しかったけれど、何年も続けているうちに変化のない仕事に疑問を感じるようになった、という運転手の告白です。すべてがコンピューターによって落ち度なく操られるので工夫や技巧を差し挟む余地がなく、働いている時の自身の存在感、勤務を終えた後の達成感や満足感が得られない、というのです。安全で正確な輸送という本来の目的には叶ったものかもしれないけれど、それを担う人間の存在価値というか大げさに言うと尊厳がなくなってしまっているのかもしれません。かつて機械文明を皮肉ったチャップリンのモダンタイムスの再来のようにも思えます。

 それはさておき、YouTube5インチゲージや15インチゲージの動画を見ていると、実物同様VVVF方式の電車が幅を効かせています。中には外見は汽車なのに「プワーン プワーン」と特有の音を発して加速するものまであります。そんな時代に鹿部電鉄のデ1は抵抗制御の直流モーターで動いており、チョッと自慢の一台です。近代的な駆動方式のものと比べてこの電車の運転性能には少し違うところがあります、それは最新式に対して劣っている点でありながら、ある意味失ってしまった物の価値を思い起こさせてくれる貴重な教材であるとも言えるものです。例えばコントローラーハンドルを一段ずつ進めていくと電車は同じように加速していきます。ところが線路に勾配があったり付随車を連結していたりすると、抵抗制御の電車の加速は遅くなり到達速度も低くなるのに、VVVFでは負荷に関わらず常に同じ加速度でノッチ目盛りに応じた最終速度に到達できます。急カーブにさしかかるとデ1のモーターは唸りを立てて速度が低下しますが、負荷限界を越えない限りVVVFではあたかも速度計の針とハンドルが繋がっているかのように運転することができます。昔の運転手はその先に勾配やカーブがある場合は速度低下を先読みしてハンドル操作をしていたのでしょう。下り勾配での電制の効き具合や雨の日の車輪のスリップの回避、脱出術なども体得していないと対応できません。趣味の世界とは言え、ウチのデ1ではそんな不便な運転を実践することができるのです。

路面電車用台車でスキマがある箇所        
      旧福島交通保存車モハ1116
 旧型車が運転されている地方の路面電車などでは今でも体感できることですが、コントローラーの1ノッチが入った瞬間に「ドン」とか「ガン」という音が響いて足元をすくわれることがあります。駆動系の歯車や台車のペデスタル(軸箱守)などのスキマが大きくなっているところに、無負荷のモーターへ一気に電圧が加わることで機械的衝撃が発生するのです。近代的な電車では台車を始めとしてそういうスキマがない構造に設計されており、また電圧がソフトに上昇するようにプログラムされているのでほとんど気になることもありません。ウチのデ1の台車には構造的なスキマはありませんが、停車中に緩んでいたチェーンがピンと張る瞬間に「ドン」が発生します。ある日、鹿部電鉄を訪ねて来た電車の現役運転手さんがデ1のハンドルを握って「1ノッチ『ドン』だ!」と叫んだのでした。「抵抗制御の電車を久しぶりに運転した、本物だ、懐かしい。」と賞賛を頂きました。この衝撃音は今では確かに懐かしいかもしれませんが、本来乗客にとってはないほうがいいことは明らかです。まだ抵抗制御が主流だった頃、発車時のショックを少なくする裏技がありました。動画をご覧ください。

 ブレーキをかけた状態で1ノッチ投入してからブレーキを緩めると、シリンダーの空気圧が抜けていくことで車輪が回転し始めるので衝撃が少なくなるのですが、完全に静かに動き出すわけではありません。スキマの大きさやどの部分にスキマがあるかなどによってその効果が大きかったり全然効かなかったりしますし、ノッチ入とブレーキ緩のタイミングも微妙です。だからすべての運転手が常用するわけではなく、あくまでも必要に応じて繰り出す裏技だったようです。もうひとつの問題は、自動ブレーキ弁では残圧があったりハンドルがユルメ位置になかったりするとインターロックでマスコンが無効化されるようになっていることが多く、これは直接制御器と直通ブレーキの組み合わせ、つまり主に旧式の路面電車限定のテクニックということになります。多くの電車で「ドン」「ガン」が当たり前だった時代に、少しでも乗客に心地よく利用してもらおうという気遣いをしていた運転手がいたということです。他にも経験を積み重ねては色々な裏技や奥の手を心得ることでベテランと呼ばれる域に到達していったのでしょう。鹿部電鉄ではそんな古き良き時代の乗務員に思いを馳せながらデ1の運転を楽しんでいます。

2022/12/23

待避線(余談雑談) 15インチゲージをすすめる関西人の話

  15インチゲージに踏み出すのにお金の問題が壁になっていると考えている人がいるのではないかと書きました(20219月、20222)。その中で、とりあえず10万円ほどあれば線路とトロッコが入手出来て自家用鉄道を始められること、そして工夫とDIYで楽しめば決して贅沢な趣味ではないことを強調しました。私は、2014年から9年の間に鹿部電鉄の建設にどれだけのお金を使ったかを問われて「軽トラック1台分くらい」と公言しています。まぁざっくり言って100万円です。大体の内訳は線路40万円、無蓋車10万円、電車20万円、建造物等10万円、補修費その他20万円、そのほとんどが材料費で一部外注加工費を含みます。ただしこの中には無償で譲り受けたモーターやバッテリー、電動工具やスパナなどの手工具は含んでいません。庭園鉄道以外の趣味としてカヌーを作り、小屋を建てたり、家内に頼まれて花壇・菜園の造成をしたり、立木の伐採などもしますので、道具や塗料、ネジなどの補材の使用目的は多岐に亘り、その何割かは鉄道の建設・維持に使用していると言えるかもしれません。

 過日設立10周年を迎えた空知鉄道さんは鹿部電鉄より少し規模が大きいようですが、テレビのインタビューでこれまでにつぎ込んできた費用について「まあまあなクルマが新車で1台買えるくらい」と答えていらっしゃいました。勝手な想像ですが3倍から4倍になりますか。電車の駆動がVVVF方式であったり、駅や建造物、標識、通信保安設備などが近代的で実物にこだわった作りになっていたり、とお金がかかっている様子が窺がえます。どんな基準で算定されたかわからないので詮索は止めておきます。

 鹿部電鉄建設にかけたお金がとんでもないというほど高額ではないのは、私が元々関西人であるからと言うことがあります。レールや車輪の購入費用に偽りはありませんが、上に書いたようにうやむやの内に出て行く雑出費を勘定に入れず、あえて純粋な値段を書いたというのも一つの理由です。この投稿が待避線(余談雑談)なので、大阪人を典型として関西人のステレオタイプ的な特徴を面白おかしく紹介したいと思います。テレビならここで「フンワカフンワ♪フンワカフンワ♪」と吉本新喜劇のテーマソングが流れ、道頓堀のネオンが画面に映ります。中年の大阪のオバちゃんが現れて「あんなぁ、この(ブランド)バッグなんぼで買うたと思う?たった1万円やでぇ!」と格安で手に入れたことを自慢します。東京のマダムにしたらブランドアイテムは高いものを買ってこそお値打ちなはずで、仮に安く手に入れることができたらこっそり微笑むことはあっても、それを他人に自慢するなんてありえない話です。実は、オバちゃんはバッグの自慢をしているのではなく、リーズナブルな価格の店、品物の目利き、店員との値段交渉についての知識や技を誇っているのです。大阪商人のケチの本質であるコスパが高いものにこだわる考えにもとづいています。

 だから無蓋車10万円、電車20万円は誰かが何も考えずに作ってその金額で済むという話ではありません。前にも書いた通り、車輪の加工については知り合いの鉄工所や通販サイトの見積り額を比較して、一番安くて信頼のおけるところに発注した結果です。時間だけは持て余すほど自由になるけど収入は年金だけ、しかもお小遣いはヘソクリの取り崩しという境遇の中で導かれた関西人の趣味満喫術の所産です。これが、お金をどんどん使わないと納税額が増えるから値段なんかどうでもいい、という人なら話は別です。そういう場合はオーダーメイドの完成車両を購入するのが手っ取り早いと思います。

 年末ジャンボ宝くじが発売されると聞いて、10億円当たったら何に使おうかと考えました。トイレが気になるから海外旅行は敬遠しよう。どこかに豪邸を建てると引っ越しが大変だ。美味しいものをいっぱい食べると血圧や中性脂肪その他の健康指標に悪影響が出ないか。なかなか有効なお金の使い道が見つけられず、悩んだ挙句の果てに4両編成の20m級電車を庭に走らせようと思いつきました。やっぱり昭和の電車がいいから阪急の2000系、伊豆急の100系も好きだ、クモハ43の関西急行色、例によって延々と妄想が続きます。そして10億円あるから専門業者に発注することになる、金額的には全然問題にならない、細かいところまで凝った電車にすることも可能だろう、と。ところが、そこで我に返りました。10億円を使ってその電車の所有者になることはできても、もはや自分は製作者ではないわけで、そんなものが我が家の庭にあってもデ1を完成させて自分で運転した時の喜びには遠く及ばないことは歴然だ。と思って宝くじを買うのは止めました。


 阪急電鉄の創業者小林一三の名言を紹介します。

「金がないから何もできないという人間は、金があっても何もできない人間である。」

土地がないから、金がないから15インチゲージはできないという人間は、永遠に15インチゲージができない人間である。というのは言い過ぎでしょうか?

2022/12/15

15インチゲージの除雪車は?

ママダンプ
 冬12月になると雪が降り始め、最初の頃は積った雪が融けたりまた積ったりの繰り返しで、道路はツルツル危険極まりない日々が続きますが、やがて根雪になって年末頃にはそれなりの積雪になります。鹿部電鉄は原則周年運転を目指しているので降った日の朝は雪かきをします。玄関から道路へ出る通路、ガレージ前、そして線路の順に大きなプラ製のシャベルとママダンプと呼ばれる人力ブルドーザーで邪魔にならない場所へ運び出し、最後にレール上面をプラ箒で掃いて運転に備えます。ウッドデッキに溜まった雪を無蓋車に積んで雪捨て列車を仕立てると、その先に出現するのは名所鹿部アルペンルートです。

 ご近所さんやYouTubeを見た人から「除雪車かササラ電車を作ったらどう?」とよく言われます。ところがどっこい、それには15インチゲージ鉄道ならではの問題が立ちはだかっているのです。デ1の重量は計ったことがないので正確にはわかりませんが、設計上の計算や何人かで持ち上げた時の感覚から推定すると120kg~150kgではないかと考えています(+運転手の体重70kg)。実物の電車の重量が数十トンあることからすると約1/100以下で、つまり車輪と線路の間に加わる荷重もそれぐらい小さいということです。レールに積った雪の上を列車が通過すると、実物の鉄道では雪は跡形もなく押しつぶされてなくなりますが、同じ雪でも圧力が1/100なら薄っぺらく延されるだけでレールの表面に残ります。これは圧雪なのでアイスバーンと同じく車輪はスリップして動けなくなってしまいます。つまり15インチゲージのラッセル車は排除すべき雪の負荷によってではなく、自身の推進力を失って前に進めないという宿命を背負っているわけです。これを避けるにはレール上面に接触して完全に排雪するラッセル板かササラを装備することが必要になります。これとて思惑通りに働くかどうか疑わしいので手っ取り早く人力で掃いているのが実情です。

 レールの上で延された雪がどんなものかは映像をご覧ください。一度延されるとレールにこびりつくので箒で掃いても取れなくなります。その場合はスクレーパーでこそぎ取ります。このスクレーパーはもともと蛇(マムシ、青大将)が庭に出てきたときに首根っこを押さえつけて捕獲するために作ったものですが、冬場の活躍が主になっています。気温が少し上がってレール上の雪がガサガサに融けて再凍結した時や、湿った雪が冷え込んで固くなった時もスクレーパーを使用します。

 春先の雪融けの頃はスクレーパーが使えずに運行不能に陥ることがあります。気温が緩んでも地面の下は凍っているので融水の行き場がなく、併用軌道部分ではレールが水没します。この状況で夜間冷え込むと線路は氷中に埋もれ、運休を余儀なくされてしまいます。

 いやはや、真冬の雪は除雪車なしでもなんとかなりますが、降り始めと名残り雪はどうにも手に負えません。

2022/12/07

待避線(余談雑談) スイスレマン湖畔私鉄撮り歩き

  過日海外出張先で撮影した写真をアップしましたが、きっかけは実家からその時のネガが見つかったことでした。ジュネーブを起点にレマン湖北岸に沿うSBB(国鉄)の駅から次々とメーターゲージの私鉄が出ていて、1982年当時スイスの鉄道にぞっこんだった私は秘かに撮り歩きを楽しんだのでした。時々このブログに昔の写真を提供してもらっている鉄研の富田さんにネガのスキャンとポジ化をお願いし、データを送ってもらいました。パソコンに次々と懐かしい電車の姿が蘇り、ワクワクする記憶が呼び覚まされました。かつて私に宿った鉄分のもう一つの源、スイスの電車のお話しに暫しお付き合いください。

 -写真の一部はポジプリントをスマホで撮影して反射光や色合いを修正したものを使用しています-

SBBジュネーブ駅
 スイスの公用語はドイツ語、フランス語とロマンシュ語で、ジュネーブはフランス語圏になりますが、たいがいの場所では英語が通じます。ところが車内検札でフランス語しか喋らない車掌に何か言われ、「英語かドイツ語で話してくれ」と(英語で)言ったらもう一人の車掌を呼んできて二人がかりでフランス語をまくしたてられました。SBBの駅には改札口がなく、車内検札の際に車掌が乗客の席と行先を控えて行くのですが、私が無断で席を替わったことか、途中下車したことを咎めたのではないかと思います。結局切符を没収されることもなかったし、何が問題だったのかわからずじまいで、モヤモヤだけが残りました。もう一つ気を付けなければならないのはプラットフォームが極端に低くてレール上面と同じくらいしかなく、隣り(向かい)のホームへ簡単に行けてしまうことです。しかし遠回りしてでも必ず地下道か跨線橋を利用しなければなりません。優等列車は高速で通過するにもかかわらず、構内はたいがいカーブしていて接近に気づかないからです。安易に線路を横断して駅員に見つかるとこっぴどく叱られます。

 その日はジュネーブのホテルを朝早く出て各駅停車の列車に乗り込みました。すぐに車内検札があり、次の駅に停車するとまた車掌が回って来て新たに乗車した客の検札をします。全員の切符を見るのかと思ってポケットから出しましたが、無視されたので次の駅からは知らん顔することにしました。15分ほどでニヨンに到着、途中下車して駅前に出るとくすんだ赤色の古典車輛が併用軌道上に停まっていました。ニヨン・サンセルグ・モレ鉄道(NStCM)1918(大正7年)製電車です。屋根上に大きなパンタグラフと抵抗器を並べ、車体の下に古風な大型台車と黒くて頑丈そうな台枠が見えます。車体は木造ですが、鋼板を張り付けてあり窓の上隅にはRが付いています。カメラを向けると運転手が手を振ってくれました。後で調べてわかったことですが、架線電圧がDC2200Vでありながら直接制御方式、ただし前後の運転席のハンドルから歯車や長い軸を介して床下の制御器を回していたそうです。ここを訪問した数年後に廃車され、近代的な電車に置き換えられたと雑誌で知りました。

ニヨン駅前の併用軌道と大正時代の電車

 次の下車駅はモルジュで、ビエール・アプル・モルジュ鉄道(BAM)の起点です。ここに来る半年か一年くらい前の「鉄道ファン」に載った新車のニュースを読んでいたので、運よく見ることができればいいなぁ、と期待していました。ローカル鉄道なので1時間近く列車が来ず、駅に留置されていた貨車や客車を見ていたところにピカピカの電車が入って来ました。停車中の車両に近づいて模型化の参考にするためにここぞとばかりにサイドや細部を撮影しました。メーターゲージの私鉄には特殊な方法でSBBの貨車が乗り入れることがあり、BAMも例外ではありません。標準軌の貨車をメーターゲージのロールボックという小径車輪の付いた台車やフラットカーに載せて固定し、電車や機関車で牽引します。さすがに貨客混合列車はありませんが、電車が何両もの客車を引っ張るのは普通の光景ですから貨車牽引の余力は充分です。この新型電車にも貨車牽引用連結器が装備されていました。

BAMの新型電車  正面右下に付いているカニの爪みたいな金具が標準軌貨車牽引用連結器

元ケーブルカーのラック式鉄道
ローザンヌ・ウーシー鉄道(LO)
 少し大きな町、と言っても人口十数万人のローザンヌには地下鉄があると聞いていました。レマン湖畔から山の手に広がる町は急傾斜地なので、かつて駅と港の間にケーブルカーが敷設されて人や貨物を運搬していたそうです。それがラック式の鉄道になり、さらにゴムタイヤ式のメトロになって現在に至っています。私がここを訪ねた時はラック式の地下鉄の時代で、一部青空が見える区間がありましたが、外部からの撮影はできませんでした。勾配下側の機関車(乗車不可)2両の客車が連結されて割と頻繁に運転されていました。途中まで複線で、と言ってもそれぞれの線を列車が往復する、変則的な運行だったように記憶しています。今のような便利なマップが使える時代ではなかったし、地下鉄の線路がどこにあって駅へ行く道路をどうやって見つけるのか苦労しました。また路面電車やバス、地下鉄などは切符の買い方や乗降の方法がわからず、日本の常識的な判断はまず通用しない前提で、フランス語の案内板を見たり通行人に乗車方法を尋ねたりしました。無賃乗車を指摘されると悪意がなくても高額の罰金を支払わされると聞いていたのでとても緊張しました。ローザンヌにはもう一つローザンヌ・エシャレン・ベルヒャー鉄道(LEB)と言う私鉄があるのですが、探し回っても駅の場所がわからず撮影できませんでした。

 ブベイは20223月の投稿「新しい鉄旅の試み」で紹介しました。その中で駅裏にあるブベイ電気鉄道(CEV)の車庫で3軸車を見たこと、引き込み線の奥に骸骨みたいな凸型電機(貨車移動機)があったことを書きました。それこそこのレマン湖畔私鉄撮り歩きの際のエピソードです。CEVSBBのブベイ駅に乗り入れていて、構内で何種類かの電車の写真を撮ることができました。なんとその内の1枚は車齢70年の古典車輛がプラットフォームで発車を待っているところでした。その後車庫の方へ歩いて行き、誰もいないのをいいことにまた何台かの電車を好きなアングルで観察撮影しました。前の投稿で件の三軸車が赤とクリームの営業車色であったと書きましたがそれは記憶違いで、すでに事業用車の茶色になっていたことが今回判明しました。スイス鉄道写真集で見た現役時代のカラー写真と自身の撮影の記憶が頭の中で重なってしまっていたようです。実は帰国後この車両を模型化しようとして車体は完成したものの、3軸台車の製作でつまずいて未完成のまま箱の中で眠っています。駅からの標準軌が分岐したその先にあったのはスープで有名なクノールの工場でした。原料搬入用の貨車を牽引したと思しき骸骨は見れば見るほど不思議な代物です。印象は凸型ですが機関車としての機器類はどこに付いているのでしょうか、前後で車輪径が違うし、大きい方は松葉スポークになっています。こいつは私の趣味の対象外ですが、ゲテモノ好きにはたまらない逸品でしょうね。

当時ブベイでははまだこんな旧型車が見られました。
上左は1913年製荷物室付2・3等合造車、右は少し近代的になった更新車
下左の3軸車の中央には舵取り車輪が見えます、右が正体不明の骸骨電機

 ブベイから5kmほどの隣町モントルーはパノラミックエクスプレスが走るモントルー・オーバーベルヌア鉄道(MOB)の起点です。今ではゴールデンパスラインとして名を馳せていますが、当時は旧型客車から車体更新した初代パノラマカーを荷物電車と連結してプッシュプルで運転していました。それ以外の列車は単独またはMTユニットの電車が何両かの客車を牽引する形をとっています。ここにもBAMと同系の新型電車があって運よく構内に停車していて見ることができました。塗色はどれも青とクリーム系ですが青の色調が車両の製造時期によって違っていて塗り分けラインもそれぞれ異なっており、MOBのロゴデザインにも差がありました。同じ場所に800mmゲージのグリオン・ロシェドネ鉄道(GN)というラック式登山電車の駅があり、ちょうど山から下りて来た電車に遭遇しました。山頂側にトロッコみたいな無蓋車を連結していてスーツケースやスキーはこちらに積み込むようです。鹿部電鉄と同じですが、まさかその時は無蓋車を連結した電車が我が家の庭を走るとは想像もしていませんでした。

モントルーからツバイジンメンへ向かう主力列車 上左3000系 上右4000系
下左当時の最新型5000系         下右はグリオン・ロシェドネ鉄道

 モントルーの先はレマン湖から離れて南下しやがてエグルという町に着きます。この駅前は3つの私鉄のターミナルになっていて、ホームも何もない路面に色とりどりの電車が並んでいました。まずエグル・レイザン鉄道(AL)は薄茶色と白の塗り分けの電動車と制御車がユニットを組んでいます。近くに留置されている同じ色の2軸客車はおそらく旧型車の車体を更新したものと思われ、多客時の増結用でしょう。1kmほど先にエグル・デポという車庫のある駅があり、ここでスイッチバックするので客車を切り離すのか推進運転するのか気になります。

 隣にはエグル・ゼッペイ・ディアブルレ鉄道(ASD)のグレーとクリームに塗り分けられた古典電車がオレンジ色の客車を牽いて待機していました。この電車も1913(大正2)製で木造鋼板張りですが、日本の国鉄で半流形と呼ばれたクモハ42(1933年製)に似た形態をしています。クモハ42は私が好きな電車の一つで、そのルーツがスイスにあったことにこの時気付きました(個人の偏見に基づく推測です)

 そのまた隣は赤と薄グレーのエグル・オロン・モンティ・シャムペリ鉄道(AOMC)です。AOMCALとともにラック式で、やはり途中駅でスイッチバックして急こう配を登って行きます。電磁吸着ブレーキシューが台車に装備されているのが見えます。私が訪ねた時は3社の電車が雑然と並んでいましたが、Googleマップの衛星写真によると現在は各社ごとに上屋の付いたプラットフォームから発着するようになっています。

ALは1㎞程先エグル・デポ駅のスイッチバックで2軸客車を切り離すのでしょうか

ASDのクモハ42と2軸客車 この鉄道は全線粘着式です
AOMCも途中にスイッチバックがあり、その先がラック方式の急こう配線区のようです
 エグルの次に途中下車したのはBexと書いてベーと読む駅です。市街地から少し離れた場所で、駅前は寂しく人や車の気配もほとんどありませんでした。ここから出るのはベー・ビラール・ブルタイユ鉄道(BVB)です。赤い電車と小型の青い電車が停まっていて、青い方は例の3軸車です。この鉄道もラック式登山線ですが、ただでさえ複雑な3軸台車にピニオン駆動装置を組み込むのは無理なので、この小型車は粘着区間専用ながら電磁吸着ブレーキが装備されています。赤い方はGNALにあった正面1枚窓(一つ目小僧)に似たスタイルです。
  ひと気のない駅前の青電と赤電     やがて町の中心部へ向けて走り去りました
  駅の外れに留置された電機       独特の3軸車の下回りがよくわかります

MCの電車はひときわ美しい
 さて最後の訪問地はマルティニ駅、国境を越えてモンブラン山麓のリゾート地シャモニー方面に向かう登山電車のマルティニ・シャトラール鉄道(MC)が出ています。ここの電車は前に松本電鉄のモハ10だと書きましたが似ているのは正面で、側面はバス窓ではなくもっと近代的な一段下降式です。スイスのMTユニットは一般的にT車が小さめ(キハ20とキハ10みたいな感じ)なのですが、この電車はMT車が同サイズで編成美を誇っています。
 さて、スイスの電車にほぼ共通して言える特徴にお気づきでしょうか。どの電車にも乗務員扉が見当たりませんが、運転手はどこから運転室に入るのでしょうか?客室側から入ることも出来ますが、線路から連結器の上に立って正面中央のいわゆる貫通扉を開いて乗り込むようです。車体をよく見るとステップや手すりが付いているのがわかります。一方で先頭車同士が連結されても貫通路として使用されることは稀で、貫通幌が取り付けられて一般の乗客が利用できるのは固定編成に限られます。

 撮り歩きをしたのは今から40年前、クリスマスの直前で一部の写真には雪が降っている様子も写っています。その割には次々と目の前に現れる憧れのスイスの電車に興奮して寒さを感じるどころかウキウキ気分だったことを覚えています。
SBBの各駅停車列車
ところがSBBも含めてほとんどがローカルダイヤなのでこれだけの鉄道を一日で巡ることは難しいはずで、途中どこかで宿泊したのかジュネーブから往復したのか全く記憶がありません。40年と言う年月はそれぞれの鉄道の姿をすっかり変えてしまったようで、主力車両の形式や塗色、鉄道名が変更されたり経営統合が行われたりもしています。どちらかというと閑散線区が多いにもかかわらず、この間に廃止された鉄道がないのはわが国の交通政策との根本的な違いによるものだと思います。Google street viewで現在の駅前の風景を見るとずいぶん近代化されている様子がうかがえる一方で古風な建物がそのまま残っていたりします。
こんなことからも古いものを大切にする国民の文化遺産に対する価値観が垣間見えますし、私が見て来たこれらの車両の一部がCEVの線路や設備を活用したブロネイ・シャンビー博物館鉄道に保存されていることを知ってとても嬉しく思っています。