2022/05/16

転轍機の試験

  転轍機と分岐器が繋がってとりあえずはうまく動作するようになりましたが、前回の投稿に挿入した動画ではなんとなくぎこちない動きをしているように見えました。トングレールがスライドするプレートの表面が汚れていたので清掃してから新しいグリスを塗布し、2本のロッドの長さを調整することで定位側と反位側で伸縮筒の動きが均等になりました。

 こうやって試行錯誤の末に新しいモノが出来上がっていきます。世の中で言えば決して新しいどころか100年以上もの昔からあった分岐器ですが、鹿部電鉄にとっては新規開発品です。真っ当な使い方をして期待通りに動作するだけでは開発したとは言えず、想定外の事態に遭遇しても損傷を被ったり危険な状態に陥ったりしないことを検証しておく必要があると思います。と言ってもこれを販売するわけではありませんので、耐久試験や取扱説明書の作成まではやりません。ついうっかりやってしまいそうな「想定外の事態」に備えて安全性の確認だけはしておこうという話です。

 つまり、転轍機を切り替えて閉じた側の線路から車両が逆行した場合でも絶対に破損や脱線が起こらないことを確かめます。理屈の上では伸縮筒が撓んで鎖錠状態の転轍機に無理な力が加わらないようにしてあります。

 もう一つの試験では不完全な切替え操作、つまりレバーを中間の位置で止めてトングレールが基本レールに密着していない状態で車両が進入した場合、どの程度不完全な状態なら脱線に至るのかを確かめます。完璧に密着していなくてもフランジのテーパーのおかげで簡単に脱線しないことは解っていましたが、実は中途半端な状態で進入すると間違いなく脱線するだろうと想像していました。試験結果は動画をご覧ください。

 2本のトングレールの幅と両輪のフランジ間隔がほぼ同じであることが幸いして、両側の車輪は必ず揃ってトングレールのいずれかの側へ転がり、脱線することはありませんでした。結果的に解ったことですが、こういう異常な状況下でもトングレールの幅が狭過ぎず広過ぎないことで脱線を免れる要因が備わっていました。動画の後半ではフランジがトングレール先端に乗り上げる様子が映っています。速いスピードでこういう衝突が起こるとおそらくなんらかの問題が発生することは想像に難くありません。転轍機を操作した時は確実に切り替わっていること、また日常点検で転轍機と分岐器が正常に連動していることを確認しておく重要性をあらためて感じました。

2022/05/06

だるま転轍機 後編

  後編は、実物のだるま転轍機の動作原理に少し触れてから、鹿部バージョンのメカニズムとリンク系について説明します。

 21世紀の今では、だるま転轍機を見る機会はほとんどありません。保存鉄道や使われなくなった側線とか地方私鉄の車庫・工場などで稀に目にすることがある程度でしょう。その構造はシンプルで、レバー(テコ)L型ベルクランクの一端を上げ下げすると他端が水平方向に動いて転轍棒で繋がったトングレールを連動させる、というものです。レバーの支点は2ヶ所あって、レバーの操作方向と分岐方向、設置位置の組み合わせでいずれかを選択できるようになっています。

だるま転轍機の動作原理

 そのシンプルさ故に旅客列車や重量貨物列車が通過する本線で使用するには、安全性の見地から不適と判断されるのだと思います。現在実際に使用されている分岐器では、列車の重量や衝撃で転轍機が破損したり逆動作が起ったりすることがないように、原則として動作と鎖錠の両機能を兼ね備えるようになっています。さらに電気的、電子的(コンピューターシステム)に信号系とインターロックが掛かっていて誤動作、誤進入を防止するように制御されています。一方で閉じている側の線路から分岐器に逆進入(背向または割出し)することを常時可能とする発条転轍機(スプリングポイント)も例外的に存在します。鹿部電鉄での実績で言えば、分岐器が完成してからずっと転轍機はなく、切換えはトングレールを直接手で動かすことで全然問題ありませんでしたから、そんな難しいことを考える必要は全くありません。でもせっかく転轍機を作るのだから単なるダミーではなく、またそれが原因で転轍機が壊れたり脱線事故が起こったりすることがないようには考えておきたいものです。

 前編でも触れたとおり、実物のだるま転轍機のようにトングレールの真横に設置すると操作上不便が生じるので、貨車一両分手前からロッドとリンクで遠隔操作()できるようにします。したがって転轍機側面にL型ベルクランクは取り付けず、独自の機構でレバーの操作と同じ方向にロッドが動くようにしました。機構学用語では揺動スライダークランクと言います。その仕組みは動画をご覧ください。

転轍機設置位置
 転轍機と反対側のロッドの先端は、分岐器の横で水平に置いたL型ベルクランクに係合し、方向を変えてトングレールに伝わります。動画の終わり頃に、ロッドに外力が加わってもレバーが逆動作しない仕組みになっていることを説明していますが、これがこの転轍機における鎖錠機能です。鎖錠されたままの状態で列車が逆進入すると分岐器か転轍機が損傷を受ける可能性があるのでなんらかの対策が必要になります。そこでロッドの途中に過大な外力を吸収する機能を持たせるとともに、転轍機のオーバーアクションでトングレールが確実に基本レールに押し付けられるように、伸縮筒を取り付けます。これは予め圧縮した2個のバネでロッドの一端に付けた円盤を挟み、外力に応じてロッドの全長が伸縮するような構造になっています。いわゆるショックアブソーバーとかダンパーと呼ばれるシリンダーに似ていますが、伸縮はしても減衰力は働かないので微妙に機能が異なります。オイルや高圧ガスを封入するわけではなく、市販の機械部品を組み立てることで製作できるので安価で寿命も心配不要です。 

伸縮筒の構造
ロッドはφ10のミガキ鋼棒で、防錆のために黒色塗装してあります。蹴飛ばしたり踏んづけたりすると変形するおそれがあるので、コンクリートブロックのU字溝でガードしようと考えたのですが、ちょうど良い寸法のものがありませんでした。ホームセンターを捜索して見つけたのがエアコン冷媒配管用の化粧ダクトです。中央部に自重で撓むロッドを受ける溝車(戸車)を取り付け、園芸用のプラスティックペグで地面に固定し、カバーをパチンと嵌め込めば完成です。伸縮筒と転轍棒の動作は下の動画をご覧ください。

ロッドのたわみを受けるローラー

 転轍機が完成して車内から操作する様子です。



2022/04/22

だるま転轍機 前編

  2022年春の屋外作業は、前年に完成した分岐器の転轍機を製作することから始めました。「分岐器の転轍機」って何のこと?と思いますよね。線路が分かれる部分を「分岐器」と呼び、それを切り替える機械を「転轍機」と言うことになっているようです。しかも「器」と「機」を使い分けるのが一般的です(区別していない記述も見受けられます)。分岐器の構造が時代とともに変化していたり、文献やウェブサイトによって各部の名称やその定義(範囲)もまちまちであったり、さらに私自身がその方面の専門家ではないので何が正しいのか判断できず、とりあえず上記のように分類することにしました。

だるま転轍機
Wikipediaより
 転轍機には機能や形状によっていくつもの種類があります。駅の一隅で大きなテコを押し引きするとワイヤーと滑車で遠くの分岐器と同時に腕木式信号機が切り替わる、セピア色の懐かしい光景が瞼に浮かびます。近年は電気や空圧で遠隔操作されるものが主流です。大沼電鉄では、終端駅の機回し線の脇にだるま転轍機が鎮座している写真が残っているので、駅員が線路に降りて手動で切り替えていたのでしょう。だるま転轍機は、錘の付いたテコでL型ベルクランクの一端を上げ下げすることによってトングレールに繋がった転轍棒を水平方向に動かす仕組みになっています。この場合転轍機はトングレールの真横に設置しなければなりません。鹿部電鉄では無蓋車を推進運転することが多く、電車は分岐部の数メートル(貨車1両分)手前で停車するので、一旦車外に出て転轍機を操作する必要に迫られます。そこで電車の扉を開けて車内から操作できるようにしたいと思い、停車位置の近くに設置し、長尺のロッドとリンクを介して転轍棒と連結することにしました。転轍機の機構とリンク結合については後編で説明することにし、前編ではだるま転轍機本体の製作について記します。

 狩勝エコトロッコ鉄道さんがダルマ転轍機を鋼板からレーザー切断して溶接組立製作した、と聞いたので図面を見せてもらいました。機材や技術力で後れを取る鹿部電鉄では木材を成形して鋳物のような質感に仕上げることにしました。スケールは線路や車両に合わせて1/3です。本体部分はt12のクリ材をジグソーで切り出し、t24のスペーサーを挟んでやはりt24のベースに取り付けます。レバー類はt6の帯鋼から金鋸とヤスリで削り出して重量感を持たせることにしました。レールの斜め削りに比べると大して根気のいる作業ではありません。

だるま転轍機の基本寸法 実物とは形状・動作が異なります

簡易軸受
 本体は、材料の表面に図面から写し取ったケガキ線を描き、線に沿ってジグソーで切り出すのですが、同じ形状のはずの2枚を重ね合わせても外周が全然一致していません。雑な性格がこんなところに現れてしまいます。木ねじを使ってスペーサーをサンドイッチし、木工ヤスリと#80のサンダーで無理やり一体に仕上げます。レバーの軸が通る穴は側面に対して直角になるようにスコヤで確認しながら木工ドリルで加工します。使用頻度が低いとはいえ、木の穴の中で直接ボルトの軸を回転させるのは気になったので、金属製ブッシュを入れようかと思ったのですが、ホームセンターでいいものを見つけました。2個一組で140円、目的外使用ながら使用頻度が低いので充分な効果と耐久性が期待できます。その後得意のコッテリパテを塗り付け、一昼夜乾燥させてからサンドペーパーで表面を整え、黒ラッカースプレーを3回吹いて本体完成です。

  組立前の部品       と    組立て後パテ塗りの状態

 レバーは当初t3の帯鋼を2枚重ねにネジ止めしてしてから加工しようと思っていました。たまたま新規開店したホームセンターの鋼材売り場でt6×32を見つけたので、それを利用することで多少の省力化ができました。所定の位置にM10のタップを立て、そこに寸切りボルトをロックナットで固定して軸にしました。

ドリルレース
 レバーには円盤状で鋼製の錘が付いています。複雑な形状ではありませんが、外注旋盤加工すれば1万円近くの出費になりそうです。後編で転轍機の機構について説明しますが、チョッと工夫がしてあって錘がなくてもレバーが外力で動かないようになっています。ということでこの錘は木製のダミーです。16番模型部品の製作にドリルレースという手法があって、卓上旋盤がなくてもドリルのチャックに真鍮棒をくわえてヤスリで成形すると、ブレーキシリンダーや汽笛など円筒状のものを作ることができます。ドリルレースを応用してこの木製円盤状の錘を作ってみました。φ100と少し大型ですが、ヤスリの代わりにグラインダーを使うことでドリル側の切削負荷を減らし、少しずつ加工したところ見事にそれらしい形状になりました。この錘は白黒に塗り分けられていて、分岐器が定位側に開いている時に上側が白になる、という規則があるそうです。鹿部電鉄ではエンドレス側が定位、終端駅側を反位としています。

塗装完了した鹿部電鉄バージョンだるま転轍機

2022/04/06

妄想その後

  今年の冬、札幌は大雪で連日列車運休のニュースが全国的に流されたこともあって知人から「大丈夫か?」と心配の電話が頻繁にかかって来ました。太平洋に面した鹿部は例年になく穏やかで雪かきに忙殺されるようなことはありませんでした。とは言え感染症が怖くてスキーには行かず、買い物のための外出も最小限に抑え、専ら家でパソコンを操りながら春の到来を待っていました。

 妄想トレインはD1040よりキハ40000に傾き、窓割りの詳細をメーカー(日本車両)図面から読み取って1/3の縮尺に落とし込む作業を楽しみました。寸法を割り出すだけではなく、材料や補強構造を考えながら、当時の超軽量設計の車体イメージを損なうことなく安全性や耐久性を確保する方法や、どうやって車内に乗り込んで運転するか(乗降トリックを考えるのは楽しい!) など、色々と思いを巡らせました。同様にTR27型帯鋼組立菱枠台車の1/3スケール設計も進めました。溶接や複雑な機械加工を必要としない構造で作れそうであることも確認できました。庭の雪がなくなったら新線の路盤工事に着手しなければならないのでいつまでも妄想に耽るわけにはいきません。とりあえずここまでのまとめをすべく、車体と台車の図面を仕上げてブログ報告させていただきます。

キハ40000鹿部電鉄バージョン
窓他の詳細寸法
 まず車体というか全体図です。急曲線の鹿部電鉄に導入するにあたって全長をスケールから窓
2個分短縮して約3.4mにします(参考までにデ1の全長は約2.5m)。実物で言うと11.6→10.3mとなり、窓配置は1D8D1です。キハ40000は兄貴分のキハ41000(全長約16.5m)から3.9m短縮されたにもかかわらず動力装置を流用したこともあって、床下面積が不足するために台車の軸距を短くするとともに車端に寄せてあり、独特の雰囲気を醸しています。2021年12月29日投稿の「妄想トレイン前編」を参照ください。オーバーハングがほとんどなくなり、運転手は足の置き場がありませんので正座するか脚を伸ばして運転せざるをえません。またせっかく車体を縮めたのに台車心皿間距離が長くなって急曲線の通過に支障が出る恐れがあります。鹿部電鉄では床下面積の制約がないので逆に台車を思いっきり中央に配置して曲線通過を優先することにします。図の左側運転台の下にある四角形は運転手の足置き場(クラッチペダル、変速レバー設置場所)です。車長が短いのにオーバーハングが大きいのは昔の地方私鉄にあったゲテモノっぽい感じがあり、それはそれでいいかなと思います(個人の感想です)。車体側板や窓枠は、デ1では10mm厚のクリ材を使用しましたが、キハ40000では5mm厚の杉または松材を使おうかと考えています。古い写真ではウィンドウシル・ヘッダーや窓の凹みが見るからに小さく、全体にのっぺりしています。16番模型で普通の車両は0.5mmのボール紙で作るところ、この種の車体は0.3mmのケント紙を使用していましたし、真鍮車体でもエッチングの凹みを0.2~0.3mmくらいにしていたように思います。図面検討では窓の凹み具合まで正確にわからないので、鉄道博物館か各地の保存車で実測することも視野に入れて最終仕様を決めたいと思っています。まだ妄想の段階ですから。

TR27鹿部電鉄バージョン

 自分で撮影した菱枠台車の写真や蔵書に掲載されていた図面はそのほとんどが今手元にないので参考になりそうなものをネットで探してみました。帯鋼の厚さや幅について大体の見当はつきましたが、これも最終的には保存車で確認が必要です。実際の構造と1/3スケールで再現するための手法(材料・組立)もほぼ確立できそうです。一つだけ迷ったのが揺れ枕で、せっかくこのサイズで作るならと意気込んだのですがこの台車の揺れ枕は外からほとんど見えず、想定される苦労の割には見た目の効用に疑問が生じたのでやめました。

2022/03/25

待避線(余談雑談) 敷居の線路を走ります

  スイスがらみ三題噺の最後です。長男が2歳になった頃、電車のおもちゃを作ったので枕元に黙って置いておきました。目覚めて布団の周りで戯れているうちにそれを見つけると目を輝かせて大喜び、それからしばらくそのおもちゃで遊ぶ日が続きました。しっかりDNAが受け継がれていると喜んだものです。頑丈であることを第1に□35mmの角材の角を落とし、敷居の溝にはまって動かせるように20mm幅の板を足回りにしてあります。1/80スケールにしたのは16番の寸法を真似られるからでした。サーフェーサーで目止めをしてからベルナーオーバーラント鉄道とウェンゲルンアルプ鉄道の色に塗装してあります。子供のおもちゃなので赤とか青にすればいいのに、親の拘りに付き合わされた哀れな息子です。

敷居電車第1号

 その息子のところに生まれた初孫は男の子でした。じいじの家に遊びに来た時に備えて置いておいた色褪せた電車を見せてやると、やっぱりとても喜んで遊んでくれました。家が京浜急行沿線なので、次の年に来る時は新車をプレゼントしてやろうと考えたのが2100型です。ベルナーオーバーラント鉄道に比べるとずいぶん進化してるでしょ。

京急2100型
 実はこの30年余りの間に甥っ子(正確には甥っ子っ子)が生まれ、その子が鉄道好きだと聞くたびに敷居を走る電車を何度も作ってきたからなのです。プラレールを買ってやると喜ぶだろとういう発想は大人の勝手な思い込みで、小さな子供にしてみれば自分で手に持って動かす方が断然楽しいのです。フックで簡単に連結・解放できるようにしてあるのは、幼い頃から鉄ごころを育む企みの一環です。
 中央線E233系       と        阪急新1000型
西武2000型

 こちらは家具工房「わ」の長沢さんのお孫さんにお礼かたがた贈った電車です。

 電車を贈る時はいくらかの線路も添えます。夢が広がるでしょ。


2022/03/12

待避線(余談雑談) 新しい鉄旅の試み

  スイスの小私鉄の車庫で見た3軸車のことを思い出したことから、その写真をウェブで探していたところやっと見つけることができました。1978年に撮影されたという下の写真の左に写っていて、辛うじて車体中央下部に舵取り用の第3軸が確認できます。私が生まれて初めて3軸電車を見たのはこの写真が撮られた数年後のことで右側の一般車と同じクリームと赤の塗色でしたが、すでに事業用に格下げされていたようです。他のメディアも探してはみましたが残念ながら現存しているとの記述を見つけることはできませんでした。
                                         Wikipediaより
 その鉄道はレマン湖畔から山の手の方に路線を延ばすブベイ電気鉄道(CEV)です。ブベイは人口約2万人の地方都市で、南向きの斜面にブドウ畑が広がり、チャップリンが晩年を過ごしたとか世界的企業ネスレの本社があることでもその名を知られています。スイス国鉄(SBB)の駅裏に車庫があったので、そこが今どうなっているのか気になってGoogleマップのストリートビューを開いてみました。向こうに見える白紺赤のダブルデッカー列車がSBBで、手前の線路上で左の方に見えるのがCEVの電車です。線路はここで直角に曲がって山の方に向かいます。
 40年前ここに来た時は周りに誰もいない寂しい所だったのをいいことに、線路に沿って車庫の方に歩いて行きました。ストリートビューでは新しい住宅やらビルの建設工事現場が見えますが、その割にやっぱり人通りは全くありません。かつては左手にあるヤードのようなところに件の3軸電車がポツリと停まっていて、その手前をSBBの標準軌が横切って右手にあった工場へ線路が分岐していたと記憶しています。足元に見える埋まった線路はその名残で、奥の方に日本では見たことがないような腰高で骸骨みたいな凸型電機(貨車移動機)があって驚いたものでした。
 40年という歳月を経た景色を見て懐かしく思うと同時に、遠く離れた異国の様子がありありと窺えるインターネットの威力を改めて認識しました。今は数年前に撮影された断続的な画像を見ることしかできませんが、いずれリアルタイムで裏の裏まで観察できるようになるのもそれほど先のことではないだろうと期待しています。あの時は車庫を訪ねただけでしたが、せっかくストリートビューが利用できるのだからと線路沿いの道路を辿り、あわよくば電車の走行に巡り合うことができないかなと楽しみにしながら終点の山の上まで行くことにしました。ブベイ駅から数百m程進んだ辺りから上り勾配にさしかかって道路から離れ、少しづつ高さを稼ぎ、その先のループトンネルやジグザグルートで丘の上に出て徐々に市街地を離れて行きます。
 なだらかな丘陵地帯を上り続けますが、まだ粘着区間ですから勾配はせいぜい数十‰でしょう。所々道路と交差する辺りに駅があって踏切からその様子が窺えます。駅の近くには住宅が点在し、ヒュッテ風のホテルや集合住宅から生垣に囲まれた大邸宅まで、そこに暮らす人々の優雅でのどかな牧歌的生活が偲ばれます。芦屋か宝塚あたり閑静な住宅地にありそうな光景にも思えます。
 ブベイから約6㎞でかつての分岐駅ブロネイに到達し、ここで粘着区間が終わります。写真の奥から右手に延びる線路を5㎞ほど急登すると終点レプレイアード駅に至ります。一方このまま手前方向に直進するとモントルーオーバーベルヌア鉄道(MOB)のシャンビー駅へ向かう延長3㎞の廃止路線に繋がっています。廃止されたとは言え、ブロネイシャンビー博物館鉄道に所属するスイス内外の歴史的車両の運転に使用される、とWikipediaに書いてあります。
 レプレイアードに向かう線路に沿った道路からはストルプ式ラックレールが線路中央に敷設されているのがわかりますが、この辺りはそれほど急こう配ではありません。左手に広がる平野を見おろしながらグングン登って行くんだろうな、と想像がかき立てられます。
 なかなか走行中の電車に遭遇しないなぁと思っていたら、オンダラリア駅で踏切を通過中の電車発見、かなりの急傾斜ですね。電柱や小屋(駅舎)の柱がほぼ鉛直に写ってるので掛値なしです。この車両は1970年の製造で、京都市電700型の4枚折戸を連想させるモダンで新鮮な「昭和の香り」が漂って来ます。 ペアを組む1976年製造の制御車はパノラミックウィンドウで、これまたイチオシの古き良きスイス型電車です。
                            Wikipediaより

 さらに登り詰めると、ブベイから1000m近く標高を稼いだ1348mの終点レプレイアード駅です。周辺はだだっ広い草原で、リフト支柱があることから駅直結のスキー場のようです。夏は眼下に広がる景色を楽しみながら散策する人が見受けられます。折から停車中の電車は、近年よく見る丸っこいデザインの部分低床車、この類ヨーロッパ中で幅を利かしているようですがどうしても好きになれません。いやいや身近にも迫っています。

 画像はスクリーンショットではなく埋め込んでありますので、ズーミングや360°回転ができます。周辺の散策も可能です、お楽しみください。言うまでもありませんが、Googleマップスポット情報の他に衛星写真や3D画像を補完的に活用することでストリートビューの視野を楽しむのに役立てることができます。なお下記YouTubeに同鉄道の前面展望動画があり、先ほど辿ってきた見覚えのある景色が出てきます。また山頂駅付近の他ジェットコースターのような急こう配をラックレールで力強く登る様子が実感できます。

https://www.youtube.com/watch?v=VjD83nZVqMY

 遥かヨーロッパの町ブベイから10㎞あまりのローカル鉄道を、沿線からと車内から楽しむことができ、久しぶりに「スイス鉄」を堪能しました。このご時世でありながら感染のリスクなし、旅行代金不要、過疎地ダイヤでも瞬間移動できて、いつでも中断再開自由といいことづくめの旅でした。

2022/02/25

待避線(余談雑談) スイスの鉄道

 多趣味の私は恥ずかしながら鉄一辺倒ではありません。神戸の自宅の近くに六甲山人工スキー場があったので週末ナイタースキーで足を磨き、社会人になってからは休暇を取って信州などへ遠征していました。その後ゲレンデで知り合った女性と家庭を築いて、現在に至っています。

ベルナーオーバーラント鉄道(BOB)ABDeh4/4
初めて乗った窓が大きくて明るい登山電車

画像はすべてWikipediaより
 新婚旅行先に海外を選ぶカップルが多くなった頃(1981)のことで、スイスへ行くことにしました。パッケージ旅行でオプションがあり、鉄道でユングフラウの展望台に登る日帰りツアーを選びました。インターラーケンから最初に乗車したのがベルナーオーバーラント鉄道(BOB)*です。メーターゲージで車体の大きさも日本の在来線と同じくらい、ところが座席はなんと板張りで、その割に一人分のスペースが大きく感じられ、これがヨーロッパの登山電車かと感心しました。新妻を座席に残したまま車内を観察してまわり、ふと我に返って戻ってくると微笑んではいましたが、寛容な心の表れだったのか呆れていたのかはわかりません。

*すべてのスイスの鉄道はアルファベット2~3文字で略称が標記されます。

 ラウターブルンネンでウェンゲルンアルプ鉄道(WAB)に乗り換え、最後はクライネシャイデックからユングフラウ鉄道(JB)でヨーロッパ最高地駅(3454m)に至りました。これら3つの鉄道はラックレールの方式が異なる他、WABだけが800mmゲージ、JB3相交流電化(架線2)BOBは牽引運転でWABJBは山麓側動力車の固定編成であるなど、ことごとく個性を主張していました。共通しているのは、内装が阪急電車の上を行く気品に溢れた木目調で外観も大変美しいことです。その時以来私はスイス鉄道のファンになってしまいました。いっぱい写真を撮りましたが、ネガもプリントも今は手元にありません。

 仕事で上京した時は必ず洋書店に寄って、スイスの美しい景観の中を走る鉄道写真集や車両図面の載ったガイド本、月刊誌とそのバックナンバー、地図やポスターなどを買い集めました。スイスには鉄道ファンが多いようで、国私鉄の実物から模型まで結構マニアックな書籍が揃っています。それらはドイツ語で書かれていたので、学生時代に使っていた辞書と首っ引きで読みふけりましたが、慣れるまではサッパリ意味が解らず不勉強を後悔しました。挙句は通信講座やドイツ語教室に通うなど費用をかけて自己研鑽に励んだ結果、雑誌に何が書いてあるかぐらいは解るようになりました(専門用語さえ理解すればなんとかなります)。日常会話も少しはできるようになりましたが、ほとんどのスイス人やドイツ人は英語を喋るのでこちらがカタコトでためらっていると英語会話になってしまい、本場ではほとんど役に立ちませんでした。

マルティニシャトラール鉄道(MC) 
右側の電車BDeh 4/4は松本電鉄のモハ10型です
レーティッシュ鉄道(RhB)のABe4/4
京浜急行旧500型の正面貫通車です
 スイスの電車の何が魅力かと言うと、メーターゲージ車両のサイズは日本型に近く、車体の構造やバランス(屋根、窓と側面の比率など)が昭和30年代の憧れのスタイルに似ているのです。というかその頃の日本の新型車はスイスの車両をお手本にしたと言われています。そのまま日本のどこかの地方私鉄に持ってきても通用するかと思うくらいです。標準軌の国鉄(SBB)にも魅力的な車両がありますが、スイスは私鉄王国でありその多くはメーターゲージです。氷河急行で有名なレーティッシュ鉄道(RhB=日本で言うと近鉄かな?)やパノラミック急行のモントルーオーバーベルヌア鉄道(MOB=名鉄か?)に代表されるメジャーから、延長数kmの超ローカルまで私鉄網が発達しています。ヨーロッパ出張中に時間を工面して訪問した小私鉄の車庫では、2軸や3軸の小型車が使われなくなってもきれいに手入されて保管してあったり、片ボギーのクラシック電車の台車の外側には蒸気機関車を思わせるロッドとカウンターウェイトまで付いていたりします。さすがこんなのは日本にはありませんね。そうそう簡単に手が届くところではないので専ら雑誌や写真集を眺めながら、長期滞在してスイス各地の鉄道を巡りたいとか登山電車の線路脇にロッジを建てて移住できたらいいのになぁ、と妄想に耽っていました。

 そんな風にユニークだったスイスの鉄道車両のデザインが、現代的というのかどれも似たような丸っこい流線形になり、部分低床化の影響で窓や扉の不連続配置が強いられるなど、かつて私の心を揺さぶった憧れのスタイルからどんどん乖離していきました。月刊雑誌の定期購読は打ち切り、もっぱら蔵書に目を通す程度になりますが、ときめくようなニュースがなければそんな興味も失せるもので、いつの頃からか本棚は埃をかぶったまま眠りに就いたようになっていました。

 最近のことですが、YouTubeに忘れかけていた懐かしい電車の走行シーンが映っているのを見つけました。古いモノを大切にするお国柄があのロッドを揺らしながら走る片ボギー車の動態復元を成し遂げたとのこと。大好きだった電車が時の流れの中で淘汰されてしまうことを懸念していたのでとても嬉しく、現地を訪れることは多分もうないと思いながらも安堵の念を覚えました。

アルトシュテッテンガイス鉄道(AG)の片ボギー電車CFe3/3 1948年頃と近年復元後の姿
1911年製木造車で、ピニオン駆動機構は取り外されているが修復が予定されているらしい
 またまた余談ですが、画像の説明で電車の形式が挿入されていますので、簡単に解説しておきます。機関車と動力車(電車)の場合で多少異なり、機関車は最高速度やゲージ等でも区分されます。時代によっても変わっていて、日本では3等制の廃止で「イ」がなくなりましたが、スイスでは3等室を表す「C」がなくなりました。便宜的に「型式」と書きましたが、原語では”Bauart”という用語が使われ「製造様式」を意味します。日本で言うクモハとかキハ二に相当する名前、つまり同じ標記で全然違う車両が存在します。そこで同じ形式(様式)で新しい車両が製造されると後にIとかIIと識別記号が付く場合があります。形式とは別に鉄道会社ごとに車番が付されていますが、通し番号であることも多いようです。国鉄(SBB)車両はヨーロッパ各国に相互乗り入れするので、国際的に統一された規準にもとづいて長ったらしい番号や記号が車体に書いてあります。他に細かい決まりがあるようですし、最近の情勢で変わっているかもしれません、大雑把な説明ですがあしからず。

絶景をバックにラウターブルンネンミューレン山岳鉄道のBe4/4

レーティッシュ鉄道(RhB)のABe4/4IIIが牽引するベルニナ急行