2024/10/15

独立回転車輪の実験

  妻板ユニットのもう一方を作っていたので進捗状況の更新を怠っていましたが、構体の両端に取り付けて写真撮影をしました。この後内部の仕上げをしてから扉部の製作にかかります。

 構体に被せていたブルーシートを外したついでにちょっとした実験をしました。この車両の車輪は左右が自由に回転できる構造にしてあることは計画段階から触れてきました。つまり急曲線を通過するときに避けられない左右(内外)の車輪の移動量の差によって踏面で生じる滑りをなくして走行抵抗を減らす機能を備えています。まずは下の動画をご覧ください。

 車輪が一回転すると、反対側の車輪と固定された車軸との間でズレが生じることがわかります。もし両車輪が一体に固定されていたとすると、どちらかの踏面とレールの間で余計な摩擦が発生していたということです。曲線を通過する際の内外の車輪の移動量はそれぞれの半径に比例するので、仮に外側の車輪が滑ることなく一回転すると、内側の車輪も一回転しながらより少ない距離を移動しなければなりません。具体的に半径4mのカーブでは

内側車輪の踏面は一回転ごとに75mm分滑ることになります。独立回転車輪では左右(内外)の移動量に応じた回転となり、急曲線をより少ない抵抗で走行できます。

 感覚的には2軸のトより走行抵抗が大きいはずの4軸のキハ構体のほうが滑らかに(軽く)急曲線を通過できているようです。数値測定をしていないのとサスペンションの有無などの影響もあるかもしれないのであくまでも感覚の話です。

2024/10/07

待避線(余談雑談) チョッと残念な写真

 神戸の実家には、中学生から高校生だった頃に撮った写真のアルバムがあり、その一部はスマホで撮影し直して手元で保存しています。アルバムのフィルムが白く反射しているのでまともな写真ではありませんが、時々昔を懐かしんで見ています。

 その中の一枚、1964年(昭和39年)頃ではないかと思うのですが加古川気動車区(機関区)で珍しくC12を撮影しています。まぁ駆け出し鉄っちゃんとしては目の前にSLが停まっていたら撮らないと、と思ったのでしょう。アルバムに貼ってあってもじっくり見ることはありませんでした。しかーし、あらためて目を凝らすと右奥の方にキハ17と並んでキハ06が写り込んでいるではありませんか!ただはるか遠方の被写体をいくら拡大しても、ハーフサイズでセミオートカメラの印画紙上では辛うじてそれらしい陰影を認めることしかできません。

加古川気動車区のC12 236の奥に見えるキハ06
上の拡大画像
 このブログでは、妄想トレインキハ40000に関わるお話として度々加古川線でのキハ06の記憶に触れています。青/薄茶塗装で走っている姿を実際に見たし、何度も乗車しています。とは言えこのキハ06を撮影した記憶はなく、「なんで撮っていなかったンだろう?」と悔しく思っています。そりゃ今でこそ旧型気動車に入れ込んでいますが、親から借りてきたカメラの限られた枚数のフィルムで効率よく車両を撮影するためには、廃車前のオンボロよりキハ20にレンズを向けて当然だったかもしれません。

待機中のオハ31
 その頃のキハ06は朝ラッシュ時にキハ17系、20系の5~6連くらいの最後尾に付随車として連結されていて、単行で働くのは高砂線での運用くらいでした。他の写真を見て驚いたのは、キハ20の背景にダブルルーフでリベットの並んだオハ31が写っていたことでした。やはり気動車列車の増結用として旧型客車が使用されていたのを思い出しました。当時の車両不足の状況が垣間見えますが、その後キハ30系が入線し、キハ06は廃車されました。ATSの装備計画から除外されていたのが理由だったそうです。


注記:加古川区に配属されていたキハ06は、機械式気動車の中でも戦後製で最初からディーゼル機関を装備していたキハ41600が改番されたものです。車体はリベットがなく、それまでの不具合を改良した設計で増備されていました。配置記録によると十数両が加古川区に所属していたようで、一部は液体式総括制御改造がなされていたとのこと。上記の「付随車として連結されていた」というのは誤りかもしれません。

2024/10/02

待避線(余談雑談) またまた危機到来

  今使っているパソコンがかなり時代遅れの骨董品であると書きましたが、操作に対する反応が遅い、あるいは渋停滞する、時としてハングアップしてしまうことがあります。過日動画を見ていて度々画像が途切れるなぁと思っていたら、突然画面が砂嵐になりその後プツンと電源が落ちてしまいました。再度立ち上げても同じ状態が繰り返されるばかり。ここまで深刻な事態は初めてで、いよいよ寿命が尽きたかと諦めたものの、ここ半年ほどファイルのバックアップを取っていなかったこともあり、そちらが気がかりで絶望感に苛まれました。

 パソコンもしっかり休ませてから立ち上げるとリフレッシュすることがある、と聞いていたのでウソかマコトか丸一日手を付けずそっとしておきました。翌日おそるおそる起動ボタンを押してみると、少し時間はかかったものの見慣れたデスクトップの画像が現れたので胸をなでおろしました。その日はまた後悔しないようにバックアップに励みましたが、コピー・ペーストが遅いのでとても手間取りました。ご隠居さんの遊びなのでいくら時間はかかってもいいのですが、会社勤めでのんびりこんなことしていたら叱られそうです。

 今後もしブログが長期に亘って更新されないという事態が発生することがあったら、それはパソコンのダウンが理由だとお考え下さい。

2024/09/21

待避線(余談雑談) 地域貢献の話

  鹿部市街地にある鹿部小学校とリゾート地区は地理的に距離を隔てているので、年に二度「鹿部っ子教室」という名前で子供達とリゾート住民の交流会が開かれます。ゴルフ場で凧揚げをしたり昔の遊びに興じたり、今年は趣味の紹介講演と決まりました。私がその内の一人に指名され、鹿部電鉄について説明をすることになりました。

鉄っちゃんになったいきさつを説明中

 まず自己紹介と鉄道ファンになったいきさつ、次に鹿部に大沼電鉄があったこと、最後に鹿部電鉄を作ったこと、写真パネルを使って話しました。当初春先にリゾート内を歩いて鹿部電鉄を見学することが計画されていましたが、住宅地でのヒグマの目撃情報が相次いだことから、子供の安全を優先して延期されていたのでした。それでも今回はお話しだけで、見学は来年まで持ち越しになりました。

 聴衆は小学校3年生から6年生の希望者20名でしたが、3年生は少し退屈そうに見えました(当然個人差はあります)。「子供の頃家の近くに鉄道があって鉄道ファンになりました。」と言いましたが、鹿部の子供たちは普段からほとんど鉄道との接点がなくキョトンとしていました。函館の市電は見たことがあるようで、「鹿部の町の中を電車が走っていたことは想像できますか?」と聞くと、身近な街角と市電のイメージが重なったのかチョコッと頷いたように見えました。最後に女の子の一人から「鹿部電鉄の小さな電車を見たい」という声が挙がったので「是非見に来てください」と期待を持たせておきました。

 さぁ、それまでに崩れそうなプラットホームやめくれ上がった敷石を修復しなければなりません。腐った枕木や散乱した道床の砂利の交換・追加も課題です。こんなことでもないと保線に手が回らないので、いい機会と捉えれば励みになります。

2024/09/12

キハ妻板ユニットの製作 第4編

  妻板ユニットには運転席横の両側板が含まれるので、妻板と同じ要領で小さな側板を作って結合します。つまり窓と同じ幅の幕板、腰板の間に工作用ヒノキ角材の窓枠を接着し、妻板の隅柱に木ネジで固定すれば出来上がりです。コの字型に組上がると立体感が増して妻板だけの時よりはるかに「エエ感じ」になります。寸法確認を兼ねて構体の前に仮に取付け、しげしげ眺めてみました。扉から後(中央寄り)は未完成、屋根も付いてないのでその辺りは得意の妄想で塗装済みの車体を夢見るのですが、デ1の木造ボディを台枠の上に載せた時の光景が脳裏に蘇って、妙に懐かしく感じました。

 今年も7、8月は例年通りサークル活動に加え、祭りやイベントで何かと忙しく、車両製作にあまり時間を割くことができませんでした。こんなのんびりペースでは雪が降るまでに屋根を取り付けるなんてとてもできそうにありません。

ここまで出来ました

2024/08/30

キハ妻板ユニットの製作 第3編

  幕板と腰板の間にヒノキ工作材をはめ込んで窓枠を作ります。できるだけ実物に近い造作に拘り、正面中央向かって右側の運転席窓だけ上下段とも固定で凹ませます。これ以外は上段固定、下段上昇式で、スペーサーを入れて段差のある構造を表現します。上昇式とは言っても実物の窓の話で、鹿部仕様は全部固定して開閉できません。運転席横の両側窓は落とし込み下降式を模しています。乗務員扉がある車両の窓のように車掌や運転手が上半身を乗り出せるよう全開できる構造ですが、もちろん鹿部では閉位置で固定です。ついでに説明しておくと側面の戸袋窓は上下段とも固定で凹んでいません。こんなバリエーションの表現も大型模型ならではで、16番では2段窓も上下面一で作っていました。それはもちろん工作が楽だからということから選択した方法ではありますが、上下の窓枠に段差を設けるとなると0.2mm以下のひ弱なペーパー材料を使用しなければならず、厚い材料では軽量車体のイメージが損なわれてしまうという縛りがあるからなのです。

 妻面の窓枠を取り付ける前に位置決め用として3本の縦桟を仮に取り付けます。そのために幕板と腰板に縦桟の厚みと同じ凹みを加工して、面一で取り付けられるようにしておきます。この加工にはトリマーを使用します。トリマーは、時々家具工房から借用していた便利な電動工具ですが、以前から欲しくてホームセンターに行く度に指をくわえていたものです。通販でお得な価格を見つけたのでとうとう買ってしまいました。加工を初めてすぐに手元に異変を感じて止めたところ、ステンレスの木ネジとビット(切削刃)が接触して刃先が変色変形していることに気付きました。ダイヤモンドヤスリで刃を修正しましたが、切れ味はあまり回復せず、それまで静かに削れていたのに刃先から異音がするようになってしまいました。とりあえず削るという機能は残っているので折を見て交換用ビットを購入することにしました。不注意が招いたいきなりの痛い出費です。

上左:購入したトリマー 上右:縦桟の入る凹みを加工
下:縦桟を取り付けた状態

所定寸法切断済窓枠材料
 窓枠は最初に書いた通り工作用ヒノキ角材で作ります。予め図面を描いて各部材の厚さ、幅、長さを決め、30種類の角材を用意します。それぞれ1両分で2個から12個必要となるので、チップソーに寸法決めの治具をセットしたらスパスパと切っていきます。よく似た形状のものがあり、使用箇所は設計した本人でも頭を傾げるほど複雑、鉛筆で番号を打って図面と突き合わせながら妻板の上に仮置きします。組み合わせが決まったら妻板にはめ込んで寸法を修正し、直角を確認しながら窓枠を接着組立てします。
ジグソーパズルのような窓枠組立て

 四角い窓枠を曲面の妻板にスキマなく組み込むわけですからカンナを使って端部を斜めに削る作業が必要になるのですが、これは設計の段階では想定していなかったので現合加工が避けられません。片方の妻板の窓枠を組立てるのに1週間以上かかってしまいました。ただし拘った窓枠の段差はきれいに表現できたので達成感は得られました。細かいところでの失敗はもう片方の妻板製作時にフィードバックし、要領もわかったので時短も可能かと思います。それにしてももう一個作るのかと思うとチョッとうんざりですが、妻板は車両の顔のような重要な部位ですから手抜きはできません。

「ウーン、なかなかエエ感じ」です
車内側もそれらしく仕上がっています

2024/08/25

待避線(余談雑談) ある日車型軽量気動車の話

              神戸電鉄クハ131          自身撮影

   右の写真は、私が昭和40年頃に神戸電鉄鈴蘭台駅のはずれで撮影したクハ131です。近くにいた駅員か乗務員にひと言声をかけてから線路に降りて撮ったはずですが、今では考えられないような時代でした。

 まぁそんなことは本題ではなくて、この車両クハと称しているものの、元は神中鉄道(現相模鉄道)の気動車キハ30型、1935-1936年(昭和10-11年)製造、戦時中に2両が神戸有馬電鉄に譲渡されて(電車の)制御車になった変わり種です。そう思って見るといかにも日車製気動車で、車体幅は狭く、窓まわりが薄っぺらで、乗務員扉がありません。運転台は左片隅にあり、その右側は妻板まで客席が迫っています。台車は元の帯鋼製菱枠型を電車型(おそらく改造を手掛けた川崎車両製D-16)に履き替えているようです。全長はキハ40000とほぼ同じ12mです。

            クハ151                自身撮影
 神戸電鉄は母方の実家が沿線にあったので幼い頃からよく乗っていました。先頭の席に座った時は窓を開き、身を乗り出して線路が足元に流れる様子を目の当たりにしたものです。側窓と違って手や頭を出しても特に危険があるわけではないので真横にいる運転手から注意されることはありませんでした。クハ151もやはり元神中鉄道の気動車で、こちらは少し大型のびわこ型流線形車体でした。先頭に展望席があるのは同じで、私は子供ながらにこれらが他の電車と違うことを認識していたので、乗り込んだら真っ先に前へ走っていました。もう少し大きくなってからのことですが、コンビを組んでいるもう一両(電動車)と車幅や車高が違うことが気になり、なんとはなしに異端車に見えたのはすでに鉄ごころが芽生えていたためだったからかもしれません。もしこの車両が凸凹ユニットの制御車ではなく、気動車のままであったり単行の電車であったりしたなら、スマートでキュートな存在に見えたことだろうと思います。そんなわけで、当時この日車型軽量気動車は展望席以外あまり興味をそそられることはありませんでした。

 そう思わせたもう一つの理由は、はるかに強く心揺さぶる新型車両が目の前に現れたことでした。それはデ301で、フカフカのクロスシート、アルミサッシや美しい内装、ゆったりとした車体の揺れ方、カルダン駆動のヒューンという加速音、ツートンカラーの外装と湘南型の2枚窓正面など、すべてがそれまでの田舎電車神有(神戸有馬電鉄)のイメージを一新する装備でした。何年か前の遠足で山陽の2000型に乗って受けた衝撃を思い出させる出来事でありながら、より身近な場所での新型電車との遭遇は、今思うと自分の家の庭に好きな電車が走るような幸福感にも匹敵する喜びでした。

              デ301              自身撮影