2022/04/06

妄想その後

  今年の冬、札幌は大雪で連日列車運休のニュースが全国的に流されたこともあって知人から「大丈夫か?」と心配の電話が頻繁にかかって来ました。太平洋に面した鹿部は例年になく穏やかで雪かきに忙殺されるようなことはありませんでした。とは言え感染症が怖くてスキーには行かず、買い物のための外出も最小限に抑え、専ら家でパソコンを操りながら春の到来を待っていました。

 妄想トレインはD1040よりキハ40000に傾き、窓割りの詳細をメーカー(日本車両)図面から読み取って1/3の縮尺に落とし込む作業を楽しみました。寸法を割り出すだけではなく、材料や補強構造を考えながら、当時の超軽量設計の車体イメージを損なうことなく安全性や耐久性を確保する方法や、どうやって車内に乗り込んで運転するか(乗降トリックを考えるのは楽しい!) など、色々と思いを巡らせました。同様にTR27型帯鋼組立菱枠台車の1/3スケール設計も進めました。溶接や複雑な機械加工を必要としない構造で作れそうであることも確認できました。庭の雪がなくなったら新線の路盤工事に着手しなければならないのでいつまでも妄想に耽るわけにはいきません。とりあえずここまでのまとめをすべく、車体と台車の図面を仕上げてブログ報告させていただきます。

キハ40000鹿部電鉄バージョン
窓他の詳細寸法
 まず車体というか全体図です。急曲線の鹿部電鉄に導入するにあたって全長をスケールから窓
2個分短縮して約3.4mにします(参考までにデ1の全長は約2.5m)。実物で言うと11.6→10.3mとなり、窓配置は1D8D1です。キハ40000は兄貴分のキハ41000(全長約16.5m)から3.9m短縮されたにもかかわらず動力装置を流用したこともあって、床下面積が不足するために台車の軸距を短くするとともに車端に寄せてあり、独特の雰囲気を醸しています。2021年12月29日投稿の「妄想トレイン前編」を参照ください。オーバーハングがほとんどなくなり、運転手は足の置き場がありませんので正座するか脚を伸ばして運転せざるをえません。またせっかく車体を縮めたのに台車心皿間距離が長くなって急曲線の通過に支障が出る恐れがあります。鹿部電鉄では床下面積の制約がないので逆に台車を思いっきり中央に配置して曲線通過を優先することにします。図の左側運転台の下にある四角形は運転手の足置き場(クラッチペダル、変速レバー設置場所)です。車長が短いのにオーバーハングが大きいのは昔の地方私鉄にあったゲテモノっぽい感じがあり、それはそれでいいかなと思います(個人の感想です)。車体側板や窓枠は、デ1では10mm厚のクリ材を使用しましたが、キハ40000では5mm厚の杉または松材を使おうかと考えています。古い写真ではウィンドウシル・ヘッダーや窓の凹みが見るからに小さく、全体にのっぺりしています。16番模型で普通の車両は0.5mmのボール紙で作るところ、この種の車体は0.3mmのケント紙を使用していましたし、真鍮車体でもエッチングの凹みを0.2~0.3mmくらいにしていたように思います。図面検討では窓の凹み具合まで正確にわからないので、鉄道博物館か各地の保存車で実測することも視野に入れて最終仕様を決めたいと思っています。まだ妄想の段階ですから。

TR27鹿部電鉄バージョン

 自分で撮影した菱枠台車の写真や蔵書に掲載されていた図面はそのほとんどが今手元にないので参考になりそうなものをネットで探してみました。帯鋼の厚さや幅について大体の見当はつきましたが、これも最終的には保存車で確認が必要です。実際の構造と1/3スケールで再現するための手法(材料・組立)もほぼ確立できそうです。一つだけ迷ったのが揺れ枕で、せっかくこのサイズで作るならと意気込んだのですがこの台車の揺れ枕は外からほとんど見えず、想定される苦労の割には見た目の効用に疑問が生じたのでやめました。

2022/03/25

待避線(余談雑談) 敷居の線路を走ります

  スイスがらみ三題噺の最後です。長男が2歳になった頃、電車のおもちゃを作ったので枕元に黙って置いておきました。目覚めて布団の周りで戯れているうちにそれを見つけると目を輝かせて大喜び、それからしばらくそのおもちゃで遊ぶ日が続きました。しっかりDNAが受け継がれていると喜んだものです。頑丈であることを第1に□35mmの角材の角を落とし、敷居の溝にはまって動かせるように20mm幅の板を足回りにしてあります。1/80スケールにしたのは16番の寸法を真似られるからでした。サーフェーサーで目止めをしてからベルナーオーバーラント鉄道とウェンゲルンアルプ鉄道の色に塗装してあります。子供のおもちゃなので赤とか青にすればいいのに、親の拘りに付き合わされた哀れな息子です。

敷居電車第1号

 その息子のところに生まれた初孫は男の子でした。じいじの家に遊びに来た時に備えて置いておいた色褪せた電車を見せてやると、やっぱりとても喜んで遊んでくれました。家が京浜急行沿線なので、次の年に来る時は新車をプレゼントしてやろうと考えたのが2100型です。ベルナーオーバーラント鉄道に比べるとずいぶん進化してるでしょ。

京急2100型
 実はこの30年余りの間に甥っ子(正確には甥っ子っ子)が生まれ、その子が鉄道好きだと聞くたびに敷居を走る電車を何度も作ってきたからなのです。プラレールを買ってやると喜ぶだろとういう発想は大人の勝手な思い込みで、小さな子供にしてみれば自分で手に持って動かす方が断然楽しいのです。フックで簡単に連結・解放できるようにしてあるのは、幼い頃から鉄ごころを育む企みの一環です。
 中央線E233系       と        阪急新1000型
西武2000型

 こちらは家具工房「わ」の長沢さんのお孫さんにお礼かたがた贈った電車です。

 電車を贈る時はいくらかの線路も添えます。夢が広がるでしょ。


2022/03/12

待避線(余談雑談) 新しい鉄旅の試み

  スイスの小私鉄の車庫で見た3軸車のことを思い出したことから、その写真をウェブで探していたところやっと見つけることができました。1978年に撮影されたという下の写真の左に写っていて、辛うじて車体中央下部に舵取り用の第3軸が確認できます。私が生まれて初めて3軸電車を見たのはこの写真が撮られた数年後のことで右側の一般車と同じクリームと赤の塗色でしたが、すでに事業用に格下げされていたようです。他のメディアも探してはみましたが残念ながら現存しているとの記述を見つけることはできませんでした。
                                         Wikipediaより
 その鉄道はレマン湖畔から山の手の方に路線を延ばすブベイ電気鉄道(CEV)です。ブベイは人口約2万人の地方都市で、南向きの斜面にブドウ畑が広がり、チャップリンが晩年を過ごしたとか世界的企業ネスレの本社があることでもその名を知られています。スイス国鉄(SBB)の駅裏に車庫があったので、そこが今どうなっているのか気になってGoogleマップのストリートビューを開いてみました。向こうに見える白紺赤のダブルデッカー列車がSBBで、手前の線路上で左の方に見えるのがCEVの電車です。線路はここで直角に曲がって山の方に向かいます。
 40年前ここに来た時は周りに誰もいない寂しい所だったのをいいことに、線路に沿って車庫の方に歩いて行きました。ストリートビューでは新しい住宅やらビルの建設工事現場が見えますが、その割にやっぱり人通りは全くありません。かつては左手にあるヤードのようなところに件の3軸電車がポツリと停まっていて、その手前をSBBの標準軌が横切って右手にあった工場へ線路が分岐していたと記憶しています。足元に見える埋まった線路はその名残で、奥の方に日本では見たことがないような腰高で骸骨みたいな凸型電機(貨車移動機)があって驚いたものでした。
 40年という歳月を経た景色を見て懐かしく思うと同時に、遠く離れた異国の様子がありありと窺えるインターネットの威力を改めて認識しました。今は数年前に撮影された断続的な画像を見ることしかできませんが、いずれリアルタイムで裏の裏まで観察できるようになるのもそれほど先のことではないだろうと期待しています。あの時は車庫を訪ねただけでしたが、せっかくストリートビューが利用できるのだからと線路沿いの道路を辿り、あわよくば電車の走行に巡り合うことができないかなと楽しみにしながら終点の山の上まで行くことにしました。ブベイ駅から数百m程進んだ辺りから上り勾配にさしかかって道路から離れ、少しづつ高さを稼ぎ、その先のループトンネルやジグザグルートで丘の上に出て徐々に市街地を離れて行きます。
 なだらかな丘陵地帯を上り続けますが、まだ粘着区間ですから勾配はせいぜい数十‰でしょう。所々道路と交差する辺りに駅があって踏切からその様子が窺えます。駅の近くには住宅が点在し、ヒュッテ風のホテルや集合住宅から生垣に囲まれた大邸宅まで、そこに暮らす人々の優雅でのどかな牧歌的生活が偲ばれます。芦屋か宝塚あたり閑静な住宅地にありそうな光景にも思えます。
 ブベイから約6㎞でかつての分岐駅ブロネイに到達し、ここで粘着区間が終わります。写真の奥から右手に延びる線路を5㎞ほど急登すると終点レプレイアード駅に至ります。一方このまま手前方向に直進するとモントルーオーバーベルヌア鉄道(MOB)のシャンビー駅へ向かう延長3㎞の廃止路線に繋がっています。廃止されたとは言え、ブロネイシャンビー博物館鉄道に所属するスイス内外の歴史的車両の運転に使用される、とWikipediaに書いてあります。
 レプレイアードに向かう線路に沿った道路からはストルプ式ラックレールが線路中央に敷設されているのがわかりますが、この辺りはそれほど急こう配ではありません。左手に広がる平野を見おろしながらグングン登って行くんだろうな、と想像がかき立てられます。
 なかなか走行中の電車に遭遇しないなぁと思っていたら、オンダラリア駅で踏切を通過中の電車発見、かなりの急傾斜ですね。電柱や小屋(駅舎)の柱がほぼ鉛直に写ってるので掛値なしです。この車両は1970年の製造で、京都市電700型の4枚折戸を連想させるモダンで新鮮な「昭和の香り」が漂って来ます。 ペアを組む1976年製造の制御車はパノラミックウィンドウで、これまたイチオシの古き良きスイス型電車です。
                            Wikipediaより

 さらに登り詰めると、ブベイから1000m近く標高を稼いだ1348mの終点レプレイアード駅です。周辺はだだっ広い草原で、リフト支柱があることから駅直結のスキー場のようです。夏は眼下に広がる景色を楽しみながら散策する人が見受けられます。折から停車中の電車は、近年よく見る丸っこいデザインの部分低床車、この類ヨーロッパ中で幅を利かしているようですがどうしても好きになれません。いやいや身近にも迫っています。

 画像はスクリーンショットではなく埋め込んでありますので、ズーミングや360°回転ができます。周辺の散策も可能です、お楽しみください。言うまでもありませんが、Googleマップスポット情報の他に衛星写真や3D画像を補完的に活用することでストリートビューの視野を楽しむのに役立てることができます。なお下記YouTubeに同鉄道の前面展望動画があり、先ほど辿ってきた見覚えのある景色が出てきます。また山頂駅付近の他ジェットコースターのような急こう配をラックレールで力強く登る様子が実感できます。

https://www.youtube.com/watch?v=VjD83nZVqMY

 遥かヨーロッパの町ブベイから10㎞あまりのローカル鉄道を、沿線からと車内から楽しむことができ、久しぶりに「スイス鉄」を堪能しました。このご時世でありながら感染のリスクなし、旅行代金不要、過疎地ダイヤでも瞬間移動できて、いつでも中断再開自由といいことづくめの旅でした。

2022/02/25

待避線(余談雑談) スイスの鉄道

 多趣味の私は恥ずかしながら鉄一辺倒ではありません。神戸の自宅の近くに六甲山人工スキー場があったので週末ナイタースキーで足を磨き、社会人になってからは休暇を取って信州などへ遠征していました。その後ゲレンデで知り合った女性と家庭を築いて、現在に至っています。

ベルナーオーバーラント鉄道(BOB)ABDeh4/4
初めて乗った窓が大きくて明るい登山電車

画像はすべてWikipediaより
 新婚旅行先に海外を選ぶカップルが多くなった頃(1981)のことで、スイスへ行くことにしました。パッケージ旅行でオプションがあり、鉄道でユングフラウの展望台に登る日帰りツアーを選びました。インターラーケンから最初に乗車したのがベルナーオーバーラント鉄道(BOB)*です。メーターゲージで車体の大きさも日本の在来線と同じくらい、ところが座席はなんと板張りで、その割に一人分のスペースが大きく感じられ、これがヨーロッパの登山電車かと感心しました。新妻を座席に残したまま車内を観察してまわり、ふと我に返って戻ってくると微笑んではいましたが、寛容な心の表れだったのか呆れていたのかはわかりません。

*すべてのスイスの鉄道はアルファベット2~3文字で略称が標記されます。

 ラウターブルンネンでウェンゲルンアルプ鉄道(WAB)に乗り換え、最後はクライネシャイデックからユングフラウ鉄道(JB)でヨーロッパ最高地駅(3454m)に至りました。これら3つの鉄道はラックレールの方式が異なる他、WABだけが800mmゲージ、JB3相交流電化(架線2)BOBは牽引運転でWABJBは山麓側動力車の固定編成であるなど、ことごとく個性を主張していました。共通しているのは、内装が阪急電車の上を行く気品に溢れた木目調で外観も大変美しいことです。その時以来私はスイス鉄道のファンになってしまいました。いっぱい写真を撮りましたが、ネガもプリントも今は手元にありません。

 仕事で上京した時は必ず洋書店に寄って、スイスの美しい景観の中を走る鉄道写真集や車両図面の載ったガイド本、月刊誌とそのバックナンバー、地図やポスターなどを買い集めました。スイスには鉄道ファンが多いようで、国私鉄の実物から模型まで結構マニアックな書籍が揃っています。それらはドイツ語で書かれていたので、学生時代に使っていた辞書と首っ引きで読みふけりましたが、慣れるまではサッパリ意味が解らず不勉強を後悔しました。挙句は通信講座やドイツ語教室に通うなど費用をかけて自己研鑽に励んだ結果、雑誌に何が書いてあるかぐらいは解るようになりました(専門用語さえ理解すればなんとかなります)。日常会話も少しはできるようになりましたが、ほとんどのスイス人やドイツ人は英語を喋るのでこちらがカタコトでためらっていると英語会話になってしまい、本場ではほとんど役に立ちませんでした。

マルティニシャトラール鉄道(MC) 
右側の電車BDeh 4/4は松本電鉄のモハ10型です
レーティッシュ鉄道(RhB)のABe4/4
京浜急行旧500型の正面貫通車です
 スイスの電車の何が魅力かと言うと、メーターゲージ車両のサイズは日本型に近く、車体の構造やバランス(屋根、窓と側面の比率など)が昭和30年代の憧れのスタイルに似ているのです。というかその頃の日本の新型車はスイスの車両をお手本にしたと言われています。そのまま日本のどこかの地方私鉄に持ってきても通用するかと思うくらいです。標準軌の国鉄(SBB)にも魅力的な車両がありますが、スイスは私鉄王国でありその多くはメーターゲージです。氷河急行で有名なレーティッシュ鉄道(RhB=日本で言うと近鉄かな?)やパノラミック急行のモントルーオーバーベルヌア鉄道(MOB=名鉄か?)に代表されるメジャーから、延長数kmの超ローカルまで私鉄網が発達しています。ヨーロッパ出張中に時間を工面して訪問した小私鉄の車庫では、2軸や3軸の小型車が使われなくなってもきれいに手入されて保管してあったり、片ボギーのクラシック電車の台車の外側には蒸気機関車を思わせるロッドとカウンターウェイトまで付いていたりします。さすがこんなのは日本にはありませんね。そうそう簡単に手が届くところではないので専ら雑誌や写真集を眺めながら、長期滞在してスイス各地の鉄道を巡りたいとか登山電車の線路脇にロッジを建てて移住できたらいいのになぁ、と妄想に耽っていました。

 そんな風にユニークだったスイスの鉄道車両のデザインが、現代的というのかどれも似たような丸っこい流線形になり、部分低床化の影響で窓や扉の不連続配置が強いられるなど、かつて私の心を揺さぶった憧れのスタイルからどんどん乖離していきました。月刊雑誌の定期購読は打ち切り、もっぱら蔵書に目を通す程度になりますが、ときめくようなニュースがなければそんな興味も失せるもので、いつの頃からか本棚は埃をかぶったまま眠りに就いたようになっていました。

 最近のことですが、YouTubeに忘れかけていた懐かしい電車の走行シーンが映っているのを見つけました。古いモノを大切にするお国柄があのロッドを揺らしながら走る片ボギー車の動態復元を成し遂げたとのこと。大好きだった電車が時の流れの中で淘汰されてしまうことを懸念していたのでとても嬉しく、現地を訪れることは多分もうないと思いながらも安堵の念を覚えました。

アルトシュテッテンガイス鉄道(AG)の片ボギー電車CFe3/3 1948年頃と近年復元後の姿
1911年製木造車で、ピニオン駆動機構は取り外されているが修復が予定されているらしい
 またまた余談ですが、画像の説明で電車の形式が挿入されていますので、簡単に解説しておきます。機関車と動力車(電車)の場合で多少異なり、機関車は最高速度やゲージ等でも区分されます。時代によっても変わっていて、日本では3等制の廃止で「イ」がなくなりましたが、スイスでは3等室を表す「C」がなくなりました。便宜的に「型式」と書きましたが、原語では”Bauart”という用語が使われ「製造様式」を意味します。日本で言うクモハとかキハ二に相当する名前、つまり同じ標記で全然違う車両が存在します。そこで同じ形式(様式)で新しい車両が製造されると後にIとかIIと識別記号が付く場合があります。形式とは別に鉄道会社ごとに車番が付されていますが、通し番号であることも多いようです。国鉄(SBB)車両はヨーロッパ各国に相互乗り入れするので、国際的に統一された規準にもとづいて長ったらしい番号や記号が車体に書いてあります。他に細かい決まりがあるようですし、最近の情勢で変わっているかもしれません、大雑把な説明ですがあしからず。

絶景をバックにラウターブルンネンミューレン山岳鉄道のBe4/4

レーティッシュ鉄道(RhB)のABe4/4IIIが牽引するベルニナ急行

2022/02/13

待避線(余談雑談) 15インチゲージのすすめ続編

  やっぱり15インチゲージには大きな壁があるとお思いの方がいらっしゃると思います。意外に誰でも楽しめる趣味だということを理解していただくためにどれくらいの費用がかかるのか紹介します。その金額を高いと感じるかどうかは人によって違うのが当然として、他のゲージの鉄道模型や他の趣味を楽しむのに必要な費用と比較していただけるように具体的な金額を示したいと思います。

 前にも述べた通り、わたしは基本的に線路も車両もスクラッチビルドで製作しています。部品、部材として購入した際に支払った金額(以下消費税抜き)(実額)と表示します。併せて、組立品として販売されている場合はわかる範囲でカタログ価格(カタログ)と、問い合わせて見積を取った場合の金額(見積)を参考値として記載します。

 1.レール

 レールは定尺(販売時の材料の長さ)5.5mあるので宅配便はもちろん混載便でも扱ってもらえず、仕立便の費用が別途必要になります。購入金額にはそれが転嫁されるので大量に仕入れるほど安くなります。

6kgレール
 6kg軽レール定尺5.5m1本の単価は20145月時点で9800円でした。当時20本分をまとめて仕入れた場合の運賃を含めた購入金額は113300(実額)で、犬釘(@70)、ペーシ/モール(継ぎ目板@550)、枕木(@240)を加えて敷設線路1m当たりでは約6800円となりました。仕入れ数量、枕木の本数、締結方法(犬釘/スクリュー)などで変わります。

 参考までにモデルニクスの直線軌框は1m単価12100(カタログ)です。レールにメッキが施されていたり、枕木が耐候性特殊強化樹脂製であったりということで単純な比較はできません。せんろ商会では長さ1.1mの軌框を販売していますが、価格は要問合せとのことです。多少割高になるかもしれないけれど、最初は少量対応してくれるメーカーの軌框も一つの選択肢になるかと思います。

 2.車輪

 レールに次いで金額が張るのは車輪です。素材もさることながら車軸との正確な嵌め合わせのために旋盤加工が必要で鉄工所に発注することになります。車輪を指定して加工工場から発注してもらうのが手間もコストも省けて最良の方法だと思います。

 φ230チルド車輪軸穴加工(精度H7)4個の金額(20145)は、

A(見積) 75000(車輪@7500+加工@11250 送料別途)    

B(見積) 59520(車輪+加工 内訳不明 送料別途)         

C(実額) 46100(車輪@7650+加工@3875 引取り)         

と幅がありました。

 最終的にC社で加工した車輪に車軸(φ35丸鋼@2882)、軸受(ピローブロック@1648)を加えて24(1両分)の合計(実額)は約58500円となりました。

 一方、D社で車輪/車軸/軸受のセットを販売していて、ほぼ同様の仕様で(見積)68000(送料別途)でした。

軸穴加工済み車輪素材   と     軸受/車軸/車輪組立品

 3.初期費用まとめ

 トロッコを走らせるためにはレールと車輪の他に、台枠や車体を形造る木材やそれを加工するための工具が必要になります。電動丸鋸や電動ドリル、カンナやノミ、ペンチにスパナにドライバー等々。それらが手元になくて新たに購入することになってもDIYでの利用価値が高いので専用の出費と考えないほうがよいでしょう。その先はこの趣味にのめり込んでから揃えてもいいと思います。

5.5mの線路とトロッコ(貨車台枠)
夢の第1歩にこぼれる笑み
 15インチゲージを始めるにあたって最小限必要なものはレール5m程とトロッコ1台とすると、木材やネジ、塗料などの小物を含めて10万円前後で自家用鉄道開業可能ということになります。世の中の一般的な遊びと比べて決して贅沢な道楽ではないと思うのですがどうでしょうか?将来も続ける強い決意があるなら50m分あるいは100m分のレールをまとめて購入しておくことで後々の出費をする必要がなく、トータルでコストを抑えることができます。コツコツと線路を延ばしたり、車両を改良、増備したり、駅や建物や信号といったシーナリーを建設するようになると、趣味としての方向性が定まる段階になります。工夫して費用をかけずに夢を広げることもできるし、スケールの車体に本格的なメカニズムやエレクトロニクスを導入して最先端の鉄道を自宅で再現することも不可能ではありません。15インチゲージ趣味を楽しむことが日常生活の一部になって動力車増備、線路規模拡大を計画するようになると、費用のことはあまり気にならなくなると思います。むしろ家族への感謝や思いやりを忘れず、理解を得られるように努力することが大切になってきます。

 4.アドバイス

森林鉄道の運材車
 私は電車とそれに牽引される貨車の製作を前提にフルサイズの車輪を購入しましたが、トロッコや森林鉄道の運材台車あるいはスケールに拘らないのであれば小径の車輪(φ100150)が手頃で、価格も加工コストも半分以下になると想像します。レールは外観に目をつぶってコストを抑えるなら角型鋼管という手があります。ホームセンターで取り寄せてもらって手頃な長さに切断して持ち帰ることもできるでしょう。枕木との固定方法など解決すべき問題がありますが、将来の目標は別にして「とりあえずトロッコ」という最初の課題を実現する近道にはなるかと思います。

 5.5mのレールは3分割すると約1.8mになり乗用車の車内に積むことができ、車内が無理でもルーフキャリアに載せることは可能です。どうしても自宅に線路を敷くスペースがない場合、空地や河川敷など他者の迷惑にならない場所でトロッコ遊びが楽しめないか考えてみてはどうでしょうか。

 体験からのアドバイスですが、コストを抑えるために木製の線路や車輪という発想はお薦めしません。鉄の線路の上を鉄の車輪で転がってこそ、ニュートンの慣性の法則が体感できるからです。

2022/02/06

空知鉄道さんご来訪

  20145月に鹿部に移住して来てすぐに15インチゲージ鉄道の建設を始めました。そして202010月から約14ヶ月かけて、7年半の建設経過を記録してきました。その記事の内容が建設現況に追いついてしまってネタ切れになり、ここしばらくは「妄想」の話題でお茶を濁していました。雪融けを待って建設再開したところですぐに報告に値する発見や新工法の紹介ができるとは思えません。そんな訳でこの後の新規投稿の頻度はこれまでのように1週間とか10日ペースというわけには行かず、それでも「待避線(余談雑談)」が書けるような話題を思いついたらその都度投稿したいと考えています。

空知鉄道の様子
空知鉄道さん提供
 書き残したことはないか?と思いを巡らせていたら、ありました。分岐器の先に曲線路を延長し建設にケリがついた202110月、「15インチゲージのすすめ」に空知鉄道の金森さんからコメントを頂いたのでした。「いつか鹿部電気鉄道さんへ見学に伺わせていただけたら幸いです。」と書かれていたので「コロナ騒動が収まったら是非お越しください。」とリプライしたのですが、話が盛り上がって11月に来鹿してくださることになりました。

 空知鉄道も同じ北海道の岩見沢郊外(鹿部から約300km)で建設途上にある15インチゲージです。鹿部電鉄と線路延長や車両数、開設時期等がよく似ていて、かねてからテレビ報道やTwitter(https://twitter.com/soratetu1910)でその様子はうかがい知っていました。オーナーが強いこだわりを抱いて建設しているのも同じで、実際にお目にかかるまで「チョッと変わった人だな。」と思っていました(猿の尻笑いです)11月に入ると雪が降る日があり天気予報にも雪マークが付いていましたが、幸運にも恵まれたコンディションの下で電車や線路を見ていただくことができました。本職の電車運転手さんにコントローラーとブレーキを試してもらい、「運転操作・感覚は本物の電車と同じです。」とお墨付きを頂戴できたのはこの上ない喜びでした。苦労して完成させた分岐器にはこだわりが詰まっており、自慢や失敗の裏話、作業の苦労や喜びにはお互いに通じるものがあってうなずき合いました。感染症流行で久しく鉄研のメンバーと会っていなかった私にとって、鉄っちゃんならではの偏った話題は鈍った脳への刺激が強くまた快い癒しにもなりました。単に「庭の電車だ」と驚かれるのと違って、こだわった部分を評価してもらえると苦労して作った甲斐があったと納得できるものです。決して人に見てもらうためにやっているわけではないし所詮は独りよがりなのですが、作り鉄の喜びってそんなものだとつくづく思いました。多くの学びも得ながら時間の過ぎるのを忘れて話し込み、次は空知鉄道にお邪魔させていただく約束をして帰り支度が始まった頃にはもうすっかり暗くなっていました。

 その日のうちにTwitterに鹿部訪問の報告をアップされ、ブログやYouTubeの紹介までしていただきました。後日当ブログの統計情報をチェックしたところ、翌日の閲覧数が史上空前の500回越えを記録しており、空知鉄道のフォロワーさんへの影響力の大きさに驚きました。また私と違って職業に就きながら休日のみの作業で成果を積み上げるなど、そのバイタリティにはただ脱帽です。訪問がいつになるかわかりませんが、楽しみにしたいと思います。

 最初に書いたような事情で今後当面は不定期投稿になる見通しですので、あしからずご了解を頂きたいと思っています。

2022/01/31

妄想ステーション

  次期増備車両(導入時期予測困難)の妄想もさることがら、鹿部電鉄建設開始以来予定していながら未だ実現していない駅舎、建物の建築計画があります。

 北海道へ移住して来てまだ間のない頃、札幌へ足を延ばした際に北海道銘菓の製造元である石屋製菓の「白い恋人パーク」に立ち寄りました。そこには「白い恋人鉄道」という550mmゲージのミニ鉄道があったのでつぶさに観察させてもらいました(これは202110月営業終了)。それはそれで大いに参考になったのですが、その近くに子供が遊べるミニハウス広場があり、サイズ的に15インチゲージ鉄道のシーナリーにピッタリだとインスピレーションを感じました。その後家内のリクエストで帯広郊外の「紫竹ガーデン」という庭園を訪ねたところそこにもミニハウスがあり、嬉々として子供が出入りする微笑ましい光景を目の当たりにして「いつか線路脇にミニハウスを建てるぞ。」と決意したのでした。
白い恋人パークのミニハウス(上と左下)および紫竹ガーデン(右下)
大沼公園駅舎設計図 寸法は後で追記
 帰宅後国立公文書館の所蔵書類の中に電鉄大沼(公園)停留場の新設工事設計図として建物の図面があることがわかり、コピーを入手しました。建物内部の寸法まで記入された貴重な資料です。国鉄大沼公園駅に対抗するかのように山小屋風の三角屋根を誇る洒落た建物で、「ミニハウスを建てるならこれだ。」と決めました。現役時代の写真こそありませんが、鉄道廃止後駅舎は熱烈な大沼電鉄愛好者に譲渡され、薬局に改装してしばらく存続した後そのまま20mほど東に牽引移動(曳家)したそうです。そのご子息から当時の建物の様子について伺うことができました。駅や電車の写真をいっぱい収めたアルバムがあるはずだったがなくなってしまったと残念がられ、それでもわずかに残っていた写真を示しながら、屋根は青色、壁は灰白色であったとの説明を聞くことができました。ここまで解れば1/3スケールの駅舎は作ることができます。
薬局として移築後の元大沼公園駅舎

1/3スケールの大沼公園駅舎

昭和5年(1930年)新築再建直後の鹿部駅舎
絵葉書
 大沼電鉄の終点鹿部停留場(後の鹿部温泉駅)は開業半年後に駒ケ岳の大噴火によって大破し、翌年新築再建されました。田舎の村の駅にしてはモダンで大きな赤い三角屋根、内部は3階建てであったようです。こちらは建物の図面類が見当たらずスケールダウンは叶いませんが、チョッと考えがあってこの三角屋根をモチーフにした倉庫の建築を思いつきました。ガレージに車を入れても奥に1mほど余裕があるので、スキーやキャンプ、カヌー用品を置いてあるのですが、かねてからDIYの材料や道具類に加えてボール盤作業が出来るくらいのスペースが欲しいと思っていました。無粋な鼠色トタン波板の造りも気になっていたので、ガレージの前に赤い三角屋根の小屋を置き、前面を入母屋風にして何枚かの折戸をシャッター代わりにすれば鹿部温泉駅の雰囲気を醸し出すことができるのではないかと考えました。車を入口側に停めれば奥2~3mを倉庫スペースとして十分な広さが確保できます。
ガレージの前に鹿部温泉駅をイメージした小屋を建てる
階上は資材置き場にして外の梯子と窓を使って出入する
 私の拘りで大沼電鉄の駅に執着しているわけですが、そうでなければこれらは単なる小屋でしかありません。鹿部にいて最も身近な駅と言えばこのリゾート内にあるJR鹿部駅です。大多数の住民は自家用車を持っているので、実際にJRを利用するのはほとんどが鹿部中心部から函館などに通学する学生です。とはいえ、リゾート住民がキノコ狩りや歩くスキーに行く時の集合場所にしたり、散歩の途中で休憩に立ち寄ったりとちょっとした鹿部のランドマークになっています。おなじミニチュアハウスであっても、赤く深い屋根にクリーム色の壁、ピンクの帯の建物はだれが見ても「鹿部駅だ」と気づくはずです。戦時中(1945)の新築以来80年近く経過しており、20年ぐらい前までは暗赤一色だったのですが、少なくともリゾート住民の大多数は現在の色調を鹿部駅だと認識しています。その他に大木から切り出した駅名標やなぜか屋根の櫓の上で回り続ける風力計など、そんな特徴をちりばめたJR鹿部駅の1/3モデルを線路際に置けばインパクト強そうだなと思ったりします。
          夏のJR鹿部駅(2010年頃)   原木に書き込んだ駅名標と屋根上の風力計
建物実測値から作成したJR鹿部駅3面図 1/3スケールにするとちょうど人の背丈ほどになる
 国定公園大沼の湛水は銚子口の水門から大沼電鉄と並行して鹿部に向かう折戸川を流れ、噴火湾に至るまで3ヵ所の発電所で電力を作り出していました。1965年にその水は函館側の七飯発電所へ暗渠で導かれ、折戸川沿いの3発電所は稼働停止するとともに流量は激減しました。現在各発電所は牧場の倉庫として利用されたり廃墟となって放置されたりしていますが、荒廃したと言えど辛うじてその姿を遺しているのがせめてもの救いです。このレンガ造りの発電所の建物を規模縮小して鹿部電鉄の線路脇に建てたいと思っています。元の建物が大きいのでスケールダウンしても人が立ったまま出入りできる倉庫あるいは作業場として使用できそうです。コツコツとレンガを積んで建てることができればいいだろうなぁと思う反面、レンガも1/3のスケールにしなければ迫力に欠けるのではないかと悩ましく思い、小さなレンガ風の外壁材を貼り付けてそれらしくする簡便法でごまかす手も考えました。タービンや発電機を搬入した大型扉やアーチ形の窓に格子状の窓桟、石造りの角柱などどうやって表現するか考え始めると止まらなくなってしまいます。
大沼電鉄に電力供給していた頃の折戸川第二発電所  と    その遺構       
  いずれの建造物も外観がそれなりの存在感を示すわけですが、内部の待合室や改札口、切符の販売窓口も再現したいものです。一方で神戸の実家に置いてきた大量の鉄道関係蔵書(鉄道模型趣味、鉄道ファン、ピクトリアル、海外鉄道写真集他)と模型をいずれ鹿部に持って来た時の保管場所にしようかとも考えています。できればレンガ造りの発電所に線路を引き込み、壁一面に本棚と模型展示棚を作り付け、一角に薪ストーブを置き、旧型客車を彷彿とさせる直角座席に腰かけて傍らのデ1を眺めながら、昔懐かしい駅売りの土瓶に入ったお茶を飲んだら(酒は飲めないので)楽しいだろうなぁ、とまたまた妄想を逞しくしています。