2024/11/01

待避線(余談雑談) 15インチゲージを始めて変わったこと 続編

実物が見られなくなってから作ったキハ26

  自宅に自分が乗り込んで運転できる電車ができてから、実物の電車の運転体験やシミュレーターによる運転に興味がなくなった、と書きました(2024/1/25)。他にもう一つ鉄っちゃんとしての嗜好が変わったことがあります。私は子供の頃から作り鉄で、これまで各種のサイズの鉄道模型を作ってきました。中でも16番は小学生の頃から始め、目や指先の働きが追い付かなくなるまで私のメインスケールでした。自分で作らなくなっても模型店のウィンドウやイベントなどのレイアウトでは目を凝らし、雑誌の製作記事を読んでは秘かに自分の技法や完成度と比べたものです。ところが1/3スケールの大型電車を作るようになってからは、小さな模型の製作記事を食い入るように読んだり、投稿動画に強い興味を持ってそれを視聴したりということがなくなりました。

 あらかじめ断っておきますが、決して小さな模型を作ること、蒐集すること、運転することが面白くないと言うつもりはないし、大きさを基準にしてそういう趣味嗜好を蔑む意図もありません。掌に収まる模型に対する興味と、自分自身を包容してしまう構造体への観念は、次元が異なっているように思えるのです。作り方が全然違う、つまり材料も加工方法も違うし、構造や必要な強度も異なっています。当然作り手が表現しようとする対象への拘りは同じであっても模型化した時の差は歴然としていて、「質感」や「遠近感」といった言葉で説明できるもの以外に、慣性力とか加速度、振動、音響などテーブルの上では考えたこともなかった体に伝わる感覚が現れることを知ってしまったわけです。

音響や振動と共に木の香り漂う車内
 その部分がない鉄道模型は私にとってやはり物足りなさを覚えるのでしょうか。細密表現された模型を見ると私の手抜き工作を恥ずかしく思う一方、縮小模型では再現しきれない実在感が取り残されているように思えてしまいます。桜谷軽便鉄道のオーナーで今は亡き持本さんのように次々と車両を製作されていた方と違って、私は10年経ってやっと3両目を手掛けるのんびりモデラ―です。それでもコツコツと作っている電車は少なからず実物により近い模型であるという自負が一貫していて、そこはおそらく持本さんも同じだったと思います。ただ単にスケールに拘っているということではなく、大きな縮尺であるがゆえに、実は自分自身が意図的にそうしているわけでもないのに、自ずと質感というか重量感が漂って来るわけです。しかもそれはどうにも手に負えないほどに重いものではなく、老人が足を踏ん張れば車輪をレールから浮かせることができる程度にフレンドリーでもあります。

 私は現在の趣味の対象であるこの重量物がたまらなく好きで、自分の製作能力が及ぶべくもないNゲージや16番を傍らに差し置いて、日夜庭のデ1を愛で、キハ40000の完成を夢見ています。鉄っちゃんであることに変わりはありませんが、その分類たるや「自家鉄」と称する作り鉄の一派で、可能な範囲でスケールに拘りながら加速度を体感することに無上の喜びを見出す日々を送っています。