2022/11/27

レール保管庫(カヌー格納庫)

屋根と柱だけだった格納庫
 線路敷設が一段落し、雪が積る前にカヌー格納庫の外壁を完成させるべく作業を進めてきました。着手前は屋根と柱だけで吹きっさらし、辛うじてカヌーが雨に濡れないのと直射日光で表面のニスや樹脂の劣化が進まないようにはなっていました。雪は風に乗って舞い込んでくるので昨冬は屋根の下でもブルーシートで包み込んでいましたが、春先には雪が融けてびしょ濡れ状態でした。密封とまでいかなくても、冬に向けてそれらしい壁を張る必要に迫られていました。カヌー格納庫の話が待避線(余談雑談)でなくて鹿部電鉄本線なのは、来春ここの床をレールの保管場所にしようと考えているからです。202112月投稿の「レールの保管について」で書いた通りレールを雨ざらしで置いておくと腐食が進み、表面が凸凹になって見苦しくなります。カヌー格納庫の奥行きは5.66mで、5.5mの定尺レールが置けるようにしてあります。用途としてはレール保管庫でもあるわけで、その他の長寸資材(木材や山形鋼、パイプ類)も置いておくので雨や雪の直接侵入だけでなく、湿潤も防げるように考慮しなければなりません。

 壁の材質を何にするか選択肢はたくさんあって悩みました。市販の外壁材、木材、波板、ビニールなど(コスト順)ですが、寿命とコストには相関があります。また木材と一口に言っても材質やコストは多岐にわたります。自身で小屋を建てたことがある人に聞いてみましたが、推奨はそれぞれで結論は出ませんでした。結局隣町の製材工場に出向いて相談に乗ってもらった結果、杉板が耐久性、作業性、コストの点で無難とのこと、その場で現金決済して配送してもらうことにしました。

釘は重なっていない
所に1か所だけ打つ
 ネットで「鎧張り」という板壁の施工方法を調べたところ、「釘は幅方向に2ヶ所打ってはダメ」「2ヶ所固定する方が頑丈」「2枚重ね部分に釘を打つな」「重ねて打て」と様々、「塗装した方がよい」「しない方が良い」「どちらでもよい」と何を信じればいいのかわかりません。言っておきますが、このブログは私のやった事実を記しているだけで、それが最良と言うわけではありません、参考としてご理解ください。ネットの記述の中でも理にかなっていて実績のあるものは受け入れることにしました。

 ということで、側面と後面に厚さ12mm、幅180mmの杉板を鎧張りにし、柱部は板の端部が見えないように、そして雨で濡れないように上から別の板で隠しました。これは美観の点からもメリハリが付くというか大層見栄えが良くなり、通りがかりの人が「本格的ですね、プロの技みたいだ。」とお世辞を言ってくれました。なお板を張っている時は一部の素材が変色してマダラになっていたこともあって油性ペイントで塗装しようと思っていましたが、「壁全体がいずれ味のある色合いに変わって行くのはいいものですよ。」というアドバイスを複数の人からもらい、塗装は急いでしなくてもよいという考えになりました。

①縦桟を取り付け      ②鎧張りで外壁を張り ③板の端部を隠すと見栄えが良くなる

扉の計画図(上)と取付が終わった仮扉
 正面はカヌー引出し用のレールがあるため単純な観音扉にできず、3分割の扉を設計しました。向かって左側に人が出入りする床から天井まで開口する幅500mmの扉①、レールの上側はカヌーを引き出す時に開く900×1300mmの大扉②、レール下は普段嵌め殺しで資材の出し入れの時だけ開けられる塞ぎ板③、から構成されます。レールが貫通する部分はとりあえず解放になりますが、面積が小さいので様子を見て塞ぐ必要があれば何らかの対策を考えます。11月の末から12月にかけて初雪が降る見込みで、正規扉の取り付けはまず間に合いそうにありません。家具工房「わ」からもらった廃材を使って仮の扉を取付けて塞ぎ、この状態で越冬することにし、床板張りは寒さ次第で可能ならできる限りの作業をするつもりです。来春雪が融けたら、と言っても5月頃になるでしょうが製作した扉を取り付け、レールを購入して保管することにします。500mm幅の出入口扉についてはチョッと考えているところがあって、やっぱり待避線ではなくて本線の記事にする予定ですので楽しみにしていてください。

 杉板の鎧張りを実践してみて、少しは様になるDIYだったなと思いました。次に妄想トレインたる鹿部電鉄バージョンのキハ40000を作るにはその保管場所(車庫)も考えておかなければなりませんが、本線留置するわけにはいきませんからエンドレスにヒゲ線を繋いで最低限屋根の付いた小屋を建設することになります。時代設定からすると木造板張りの古風な留置線、地方私鉄のセクションレイアウトでウェザリングしまくったくすんだ車庫のイメージです。あー妄想が止まりません。


2022/11/16

待避線(余談雑談) 職業雑感

  鹿部電鉄は線路も電車も大した進展がないので余談雑談を続けます。子供の頃から電車の運転手になりたかったことは繰り返し書いてきました。運転手になれないなら電車を作る仕事がしたいと思いながらそれも叶いませんでした。その結果鉄道と直接かかわることのない職業に就き、それでもエンジニアとしてしか能がないので定年を過ぎても機械設計技術者として働きましたが、最後まで仕事は好きになれませんでした。元左翼学生の私はずいぶんな年齢になるまで「労働は罪悪だ」「資本家の搾取に手を貸すな」という言葉の影響を受けていて、仕事を家に持ち帰ることは絶対にせず些細なことでも必ず会社で処理して対価を申請していました。逆に、勤務中に人知れず趣味の世界に入り込むことはよくありました。

 もう時効になっているので告白すると、工場の機械を使ってこっそり模型の部品を作ったり、インターネットで鉄道関係のサイトを渡り歩いたり、そう資料室でガスタービン列車の図面を漁ったり、資本家の搾取に対する抵抗は数え上げればキリがありません。上司の目が届かない出張先では乗り鉄、撮り鉄は当たり前、航空機移動の地へ寝台列車旅を楽しみ、東京で遅くなってしまった時は夜行普通列車143Mで東海道を下りました。これが海外出張になるとやりたい放題で、旅程や日数の逸脱もスケールが大きく、終日トラム乗りつぶしをしたり、高級ホテルとグルメと特急列車のハシゴをしたり、リゾートスキーやワイキキの浜辺を楽しんだりもしました。確かにいい思いはしましたが、それを含めてもやっぱり仕事が楽しいとか好きだと思ったことはありません。愉悦に浸っている最中でさえ懸案が頭を過ぎると気が滅入ってしまうわけで、「やっぱり自分は根っから仕事嫌いだな」とつくづく考えるのでした。
 
退職して8年以上経っているのに今でも時々仕事をしている夢を見ます。たいがいは顧客に無理を言われたり、なかなか終わらない問題に悪戦苦闘したり、不愉快な気分で目覚め「給料もらってないのに働いてしまった」とぼやきながら起きます。家内から「本当は好きだったんじゃないの?」とからかわれますが、それは断じてありません。でもこんな疑問が頭に浮かんだことがあります、「もし電車の運転手だったら仕事好きになっていただろうか?」そして「電車を作る仕事で逃げ出したくなるような事態に直面しても、電車のこと嫌いになったりしなかっただろうか?」。知り合いの鉄っちゃんで鉄道会社に就職したのが何人かいますが、だれからも心境が変わったという話は聞きません。鉄道愛があればどんな苦難も乗り越えられるのか、それともその鉄っちゃん個人がたまたま仕事熱心だっただけなのか。「労働は罪悪だ」という観念の影響がある限り仕事を好きになることはできないのか、人生はやり直せないのでその答えをみつけることはできません。
 しかし「過去の『もしも』」なんかもうどうでもよくて、庭に広がる線路を眺め、電車を運転しながら、私はしみじみと老後の幸福を噛みしめます。ここにはうるさい上司も言うこと聞かぬ部下も無理難題を吹っ掛ける顧客もいません。好きな仕事に恵まれなかったからこそ大好きな鉄道と暮らす今がこんなにも素晴らしいのではないかと思います。




 海外で撮った写真、ほんの一部ですがご覧ください。

イギリスのミュージアム

イギリス 鉄道ファンツアー
ツアーガイドの女性は鉄道博物館長の娘さんとか
ドイツ デュッセルドルフとフランクフルトのトラム
台湾 阿里山鉄道
側線にあったDIYモーターカーで遊ぶ

スイス レマン湖畔私鉄乗り歩き
レマン湖畔の古典車とSBB(国鉄)列車

2022/11/05

待避線(余談雑談) ガスタービンエンジンの話

  ディーゼルエンジンで話が脱線したついでに、いや脱線したわけではなく側線に入っただけですが、ガスタービン列車の話をします。私が川崎重工に就職して配属された先はジェットエンジン事業部設計部でした。当時純国産の産業用ガスタービンの生産を始める一方で、アメリカのメーカーのライセンス下で製造していた航空用ガスタービンを鉄道に転用するプロジェクトがありました。

 ガスタービンはディーゼルエンジンなどと同じ内燃機関の一種で、吸入した空気を高速回転するコンプレッサーで圧縮し、高圧燃料を噴霧して燃焼したガスをノズルで膨張させ、タービンで回転力として取り出します。つまり吸入、圧縮、燃焼(膨張)、排気というレシプロエンジン(ガソリン、ディーゼル)と同じ行程があるわけですが、シリンダーの中で順番に繰り返されるのではなく、高速回転軸に沿った専用の部位で連続的、持続的に実行されるのが特徴です。メリットとして、出力に比して軽量小型、往復運動部位がなく振動が小さい、冷却水が不要、急激な負荷変動に強いなどがあります。一方で燃費が良くない、特に低負荷での燃料消費が多い、エンジン回転数が高いため減速機が必要、航空転用型は高コスト、などのデメリットがあります。

 1967(昭和42)頃国鉄では非電化亜幹線の高速化を計画しており、軽量で大出力が得られるガスタービンに着目していました。欧米ではすでに試験されたり実用化されたりしていて、国鉄のキハ07を改造した試験車では実用化の足掛かりとなるデータが得られていました。

16番のキハ07901
      自身製作
 この試験には石川島播磨重工製と川崎重工製の2種類のエンジンが試用され、その後試作されたキハ391の高速試験でもそれぞれの比較が行われる予定でしたが、電化が進んだことに加えてオイルショックの追い打ちがあって1973年には試験計画が打ち切られてしまいました。私が就職したのはその2年後で、プロジェクトは実質的にはほとんど休止状態でした。それでも調べものをするふりをして資料室に入れば、そこに至るまでの企画書や計算書、図面、試験データ、海外の実例文献などがファイルされており、食い入るようにしてページをめくりました。ガスタービンで車両を動かすには直接駆動、トルクコンバーター駆動、発電機を介した電気式等色々な方式が考えられ、それぞれに一長一短があって比較検討した資料には図面が挟んでありました。川崎重工には車両事業部があってガスタービンを搭載した車両の計画図を添えて国鉄に提案したのでしょう。非電化区間で電車に増結する両運型自走ガスタービン電源車、ボンネットに高速小型発電ユニット(小型減速機で高周波発電機を駆動)を搭載した特急型電車、床下に発電ユニットを装備した急行型電車など、結果的には日の目を見なかったけれどどれをとっても魅力的な車両の数々でした。もし実現していたら、どこの線区を何という列車がどんな塗色で走っていただろう、と資料室でひとり妄想に耽るのでした。
ガスタービン列車が実現したらこんなスタイルに
側面の吸気口と屋根上の大きな消音器が特徴です

 あれから半世紀を経てガスタービンの弱点であった燃費は排熱の有効回収や最適負荷制御で改善され、製造・メンテナンスコストは簡略構造の量産効果で大幅に低減されています。VVVF方式に象徴される半導体技術が飛躍的に発達して超高速発電機も実用化されました。今はディーゼル発電機とバッテリーを搭載したハイブリッド電車が非電化区間を走行する時代、その先は水素をエネルギー源とする超小型のガスタービン発電機と高性能バッテリーのユニットが電車に搭載されればガスタービン動車復活の日も夢ではなくなるかもしれません。