2025/05/15

待避線(余談雑談) 続ゲージの呼称

  日本国内において軌間16.5㎜縮尺1/80をHOゲージと呼ぶことの是非について、私は「どうでもよい」派であると前回の投稿で書きました。その立ち位置についての深掘りはしないつもりですが、なぜ日本でこの16番ゲージがガラパゴス化したのか私なりの推測をしたいと思います。その理由を考えるための切り口は色々あると思うので、ここに書くのはその一断面であるとお考え下さい。

 1872年(明治5年)に初めて鉄道が開通した際のゲージは3’6”( 1067mm)であったことは周知の通りで、その後官営鉄道は全国的にすべてこの軌間で建設されました。これを指示したのはイギリス人技師であるとされていますが、当時のイギリスの鉄道は概ね標準軌(4’8”1/2=1435㎜)であり、3’6”を選択したのにはなんらかの意図があったと思われます。その根拠には諸説あるようですが、当時の国力や地勢が考慮された結果であるとすれば尤もである、と私は考えます。少し時を経て標準軌の私鉄が開業していますが、その車体の大きさは従前とさほど変わりはなく、路面電車として誕生した都市圏の電車の車両限界はむしろ小さいくらいでした。つまり軌間としては2種類(4”6’=1372mmを含めると3種類)あっても車体の大きさはみんな大体同じだったということになります。このお話、新幹線と軽便鉄道は除きます。

左:ドイツ103型電気機関車 右:阪神の881型   いずれも自身撮影
軌間は4’8”1/2(1435㎜)で同じだが車両の大きさがハンパなく異なる

レーティッシェ鉄道Ge6/6II Wikipediaより
 一方海外に目を向ければ、標準軌と言われるだけあって欧米の幹線鉄道の多くは4’8”1/2であり、しかも一般的にプラットホームが低いこともあって車両は見上げるばかりに大きく車内は広々としています。それでも地方に行くと3”6’やメーターゲージ、3”などの鉄道が見られますし、東南アジアでは幹線としてこのような鉄道が敷設されています。これらは軌間に合わせて、標準軌の車両に比べるとひと回り小柄の車体になっています。私の好きな(好きだった)スイスの代表的な私鉄レーティッシェ鉄道(RhB)はメーターゲージで、山岳部を高速走行するためにED級の重連やEF級の電気機関車が使われていました。こんな機関車が何両もの客車を従え、雄大な景観を背にグングン急こう配を上って行くわけですが、時刻表などでは「ナローゲージ(Schmal Spur)」と表記されています。

 つまり日本では軌間にかかわらず車両はほぼ同じ大きさであるのに対して、世界的に見れば軌間に応じて車両サイズが変わるのが一般的であると言えます。そういう視点では、日本の国鉄(JR)はやはりナローゲージに属するのが妥当ではないかと思うのです。ところが、「阪急や近鉄や京急もナローゲージに入れてしまうのか」、「せっかく16.5㎜という便利なレールがあるのに」・・・その他いろんな意見が入り乱れた結果、16番ゲージと言う妥協の産物が出来上がったと思われます。

 その背景には、日本の鉄っちゃんの多くが海外の鉄道に興味を示さないことがあります。あまり接する機会がない、身近な鉄道への愛着が強いが故に他に目が向かない、あるいは恣意的に興味を持たないことなんかもあるようです。悪く言えば島国根性のせいかもしれません。日本型と外国型の模型が同じ線路の上に置かれることは稀で、さらに事情通でなければそれぞれのスケールに違和感を覚えることさえほとんどないでしょう。

「実物の鉄道の線路幅は異なっていても走っている車両の大きさはみんな同じ、模型の線路は(狭軌と標準軌の)どちらにも通用する中間的な幅にしてある、だから仮に外国型の車両を持ってきても同じ線路を走らせることができる。」と多くの日本の模型鉄が思っている(た)ことが、16番ゲージのガラパゴス化を助長した理由ではないかと考えています。私自身が作っていた模型がHOではなく16番というカテゴリーに入るのだということを知ったのは成人してからでしたし、海外の列車に初めて乗車して異次元の鉄道旅に驚きを覚えたのはもっと後のことでした。偉そうに他人のことは言えません。今後は外国の鉄道と接点を持つ人の割合が増えるので、模型の軌間と縮尺の関係に対する考えもますます多様化していくと思います。

2025/04/20

待避線(余談雑談) ゲージの呼称

台湾桃園(台北)空港にあった阿里山鉄道のレプリカ
車体は実物の1/2くらいだがゲージは実寸2’6”かな?
               
2007年頃自身撮影

 作り鉄である私の鉄道の軌間はご存知15インチで、メートル法では381㎜です。車体は約1/3で製作しましたが、この軌間に対する縮尺や名称についての国際規格はないようです。というか私が知る範囲で日本型スケールモデルと言えるのは修善寺虹の郷ロムニー鉄道に保管されているC11ぐらいで、その縮尺が如何ほどなのかもわかりません(詳細はしかるべきサイトを参照ください)。自分では「15インチゲージ」と呼んでおり、このブログのタイトルにもそう書いています。

 鉄道模型の大きさは一般的にポピュラーなものとしてNゲージやHOゲージ、私が幼かった頃は鉄道模型といえばOゲージでした。実際にはそのほかにもいろいろな縮尺や軌間で細分化されています。少し詳しい方ならご承知と思いますが、「○○ゲージ」というのは文字通りの線路幅だけではなく、縮尺も含めた名前なのです。日本国内のHOゲージについてその呼称の是非がずいぶん昔から議論されていて、いまだにネットや書籍等で続けられています。上に挙げたN、HO、Oの各ゲージは国際的に縮尺と軌間が統一されていますが、日本型車両の縮尺1/80はHOゲージの国際標準(規格)である縮尺1/87と合致せずガラパゴス化しています。そのため「HOゲージと呼ぶのは間違い」派と「HOゲージとして定着している」派が対立し、その他に「寝た子を起こすな」派や「12㎜(1/87)」派「13㎜(1/80)」派、「無派閥、無関心」層等に分類されます。私は「どうでもよい」派ですが、過去に作った模型は、対立する両派がともに認める16番(ゲージ)という呼び方を使うことで「問題があることは認識していますよ」と暗に装っています。

 私が「どうでもよい」派である根本的理由は、趣味は自由であるべきだと思うことにあります。自分が作る模型の方向性は当然自分で決める、多様性が尊重される時代なので拘りをもって個性あふれる模型に仕上げる、こうすることで満足感のある趣味を楽しむことができるわけです。ただ大切なことは自分の考えを他者に押し付けないこと、あるいは自分の価値観で他者を批判することがないようにすることです。実は自戒の念を込めて言っているのでありまして、えてしていろいろな作品を目にすると、つい言いたいことを呟いてしまうのが私の癖なのです。さいわい誰の耳にも聞こえない独り言なので棘はありませんが、気づく度に「これはその人の個性、自由な発想なのだ」と言い聞かせて事なきを得ています。1/80を「HOゲージと呼ぶのは間違い」論と「HOゲージとして定着している」論、ご尤もと思う文言と言いすぎじゃないのと感じる部分がそれぞれにあって、余計な口出しをして巻き込まれたくないので「どうでもよい」、と言うのが私の立ち位置です。

 15インチゲージがもっとポピュラーになればいいのに、と常々思っています。鹿部電鉄はこういうポリシーでこんなことに拘って建設していこう、と10年余りにわたって試行錯誤を繰り返してきました。しかし後に続く15インチゲージ鉄道がみんな鹿部電鉄に倣ってほしいなどとは思っていません。ただお互いに「こうしたら上手くいくンじゃないの」とか「こんな失敗をしちゃった」、「ここ拘ってるンだよね」というような会話(ネット交信)ができる相手がたくさんいたらもっと楽しいだろうな、と独り言ちています。

2025/04/04

待避線(余談雑談) 新幹線札幌延伸

2024年から函館地区で運用開始されたキハ150
一部の乗客が車齢30年超の車両を「新型車だ」
と喜んでいる姿を見て複雑な心境になりました。

  先頃、北海道新幹線のトンネル工事の遅れから札幌延伸開業時期が2038年頃にずれ込むとの見解が、国土交通省有識者会議から出されました。これについて全くの個人的感想ですが、「やれやれ」です。新幹線が開業すると原則として並行在来線は第3セクター化され、その存続是非は地元自治体に委ねられる、と言う少数派住民としては承服しがたい政策がまかり通っています。私の家の最寄りである鹿部駅がある函館本線沿線各自治体は、在来線存続に積極的であるとは言えません。仮に貨物輸送確保のために存続したところで、自家用車の運転ができない未成年や高齢者に優しい旅客列車の運行が行われるかどうかわかりません。だから私にとって新幹線開通は「身近な列車との別れ」を意味するわけです。5年後の2030年にそれが訪れるのはなんとも忍び難いが、13年後ならもう生きていないかもしれない、あるいは列車が走らなくなってもどうせ乗れないのだから同じだ、と諦めがつくというものです。

 個人的な観点だけからの話ではなく、もう一つ災い転じて開業遅れが追い風になるのではないかと思われることがあります。函館市長が提唱している新幹線函館乗り入れについて(注)、札幌延伸と同時開業を前提とすると時間的余裕がなかったのでこれまで雑な議論しかされていませんでした。完工までの期間が倍以上になり、検討、計画、建設に十分な時間を費やすことが可能になりました。例えば在来線の片側のみ3線軌条化する(新幹線は単線)としていましたが、複線化の得失についてもあらためて検討ができると思います。分割乗り入れ列車の長さは3両とされていましたが、先頭車の半分以上を占めるカモノハシ形状も時間をかければ定員を増やす方法を考えられるのではないかと思います。例えば札幌側先頭は切妻とは言わないまでも0系復活とか。もう一つ提案です、新青森で分割、併合することにすれば札幌発着列車は新函館に停車する必要がなくなるので時短が可能になります。
上:新函館北斗(右奥)から発車した函館ライナー__  
下:それを追うように車両基地入庫線を下るはやぶさ

 この函館乗り入れ提案に対してJR北海道、道庁は消極姿勢でしたが、札幌で手持ち無沙汰になる人材や財源を函館に向けるだけでなく、在来線の活性化について真剣に取り組む契機にしてほしいものです。

注記 新函館北斗から函館まで在来線を3線軌条化し、東京からの列車を新函館北斗で分割併合して函館まで乗り入れる、また札幌函館間の直通列車も運転するという計画。トンネルや急曲線などがなく、車両基地(地上)への既設出入庫線を利用して在来線に接続できるので、建設費を抑えてフル規格車両の使用が可能。

2025/03/27

待避線(余談雑談) 続パソコン更新

  パソコンを購入してちょうど2週間、自分一人で立ち上げ作業を完遂できるかというと絶対的な自信があったわけではありません。「初めてでもなければネット情報を見ながらなんとかなるンじゃない。」と言ってくれる人はいましたが、実は初めての体験でした。売り場の店員は1年間面倒を見てくれる安心プランを薦め、本体価格と同じくらいの費用だと言います。店から電話でITに詳しいご近所さんに「今からパソコン買うんだけど、行き詰ったら助けてくれる?」と尋ねたら「どうせ暇だし、何でも聞いて。」と言ってくれたので思い切って決断したのでした。

 メーカーの不手際でプロダクトキー(アプリ無償ダウンロード暗証番号)がわからず1日を棒に振ったのと、旧パソコンのデータ読み出しに日数を要した以外は順調でした。まぁ他にもすることがあるのでとんとん拍子というわけにはいきませんが、それなりにパソコンとして機能するところまで一人の力で漕ぎつけることができました。爺さんやるじゃない。と、突然「ストレージが一杯になったので文書を保存できません。」とメッセージが出てそれ以上先に進めなくなってしまいました。

 ここからはMicrosoft社に対する愚痴です。読み続けても面白くありませんのでお断りしておきます。

 Windows11からOneDriveというアプリが搭載されていてデータをパソコンに保存すると、自動的にクラウド領域にも保存されるという仕組みになっています。最初は無料ですが一定容量を超えると課金を促され、自分のパソコンへの保存機能も停止してしまいます。Windows10にもOneDriveは搭載されていましたが、デフォルトはオフでした。そのことをあらかじめ知らされていたら後に続く泥沼に苦しむこともなかった、と怒り心頭に発しています。諸悪の根源と思われたアプリをアンインストールしたら、まともに働いていたメールも固まってもうパソコンではなくただの箱になってしまったのです。Microsoftはネットで、この場合課金して容量を増やすことが唯一の解決方法であるかのような解説を展開していますが、本来はその前にアプリを使用するかどうかの選択肢をユーザーに示すべきであると思います。腹立たしい悪戦苦闘の日々を過ごしながら件のご近所さんに助けを求めたところ、手取り足取り教えてくれて時間はかかりましたが無事復旧に成功することができました。

 メーカーの恣意的な誘導が罪深いことは言うまでもありませんが、見栄を張って全部自分で解決しようとせず、できないことは経験者の力を借りることも穏やかに生きていく術であることを悟りました。

2025/03/20

待避線(余談雑談) パソコン更新

  いよいよパソコンの動作が不安定になって、いつダウンしてしまうかわからない不安に駆られ、急遽函館の家電量販店を回りました。最新高機能品は使い切れないので低価格最優先で選んでいると、ちょうど1年前の型落ちが6万円台(ほぼ7万円)で1台だけ残っているとのこと、近辺に並んでいる新製品の最安値のほぼ半額でした。何か問題があるかと尋ねたら、「動画編集するにはメモリーが小さい」とか「CPUが一つ前のバージョン」とか。15年前のパソコンに比べたら誤差の範囲なので迷わず決定です。

 パッケージを開けてびっくりしたのは、小さな段ボールには製品のほかにセーフティインストラクションがペラ1枚入っているだけ、取説も保証書もありません。電源を入れると立ち上げ手順が画面に出てきて作業を進めるわけですが、WordやExcelをダウンロードするためのプロダクトキー(パスワード)がパッケージに貼り付けてある、と表示されました。探してもそれらしい文字は見つけられないまま丸一日近く無駄な時間が過ぎてから、ネット情報でそれがメーカーのミスであることがわかり、そのサイトからOfficeを無事ダウンロードできました。引き続き旧パソコンから写真やドキュメント、メールを移動する作業を行っていますが、吸い上げ動作に時間がかかるのでいつになったら以前の使い方ができるのかとため息をついています。

 そのあかつきには撮りためてあるこま切れ動画を編集してYouTubeに投稿しようと思っています。ドキュメントコピーの待ち時間を利用して動画編集アプリを試してみました。以前はスマホで撮影した1,2分の動画を読み込むのに30分近くかかっていたのが一瞬で完了、切り継ぎはいとも簡単にできました。ただ、サウンドやキャプション、グラフィック効果などいろんなアレンジができるようになっているようで、どこまで使いこなせるか頭を悩ませそうです。

2025/03/12

キハ屋根の製作準備

3月になると少し春めいてバラストが
見えてきますが、線路脇はまだ雪の壁

  屋外作業が出来ない冬季間は翌春からの作業準備、つまり設計や企画をすることにしていましたが、この冬も例年通り大した成果を残すことはできませんでした。連結器の設計や一部区間へのダミー架線の敷設計画など大風呂敷を広げたものの、待避線(余談雑談)の原稿に書いただけで終わりました。一方、キハの屋根の構造設計と扉部の再設計は超スローペースながら自分の尻を叩いて図面作成に漕ぎつけました。

 屋根の基本的な構造は、カヌーの製作技法を応用して薄杉板を貼り付けた曲面で形成することにしました。ただし、屋根中央部は大きなRの2次元曲面であるためにベニヤ板で省力化を図ります。想定通りに上手くいくかはやってみないとわかりませんが、デ1でダブルルーフの製作実績があるので、妙に自信に満ちています。ただ、わずかな記録しか残っていない大沼電鉄と違って、同じ時代のキハ40000 (41000)は比較にならない程色々な角度からの写真を見ることができるので、実物に似ていない下手な仕上がりは許されません。

岩手開発鉄道のキハ40000 張り下げ屋根のカーブがたまりません p. Classic Freightcar Archiveより C.C.ライセンス

 手元にあるRMライブラリー1「キハ41000とその一族」に詳細な車体断面図が掲載されており、そこに屋根のRが記入されています。1/3にスケールダウンし、屋根を支えるリブおよびそのリブと車体構体を結合固定する屋根枠を設計しました。デ1の屋根Rはワイヤーと鉛筆で大半径コンパスを作ってケガキ線を描き入れましたが、鉛筆の持ち方やワイヤーの引張り加減で随分不正確なものになっていました。そこでコンパスを使わなくても正確なケガキが出来るよう、設計図には円弧上に50mmおきに点を設定し、ピタゴラスの計算でXY座標を記入しました。スケールを使って正確にこれらの点を再現し、それぞれを結べば疑似円弧になるという算段です。

 リブと屋根枠の材料は側板、妻板と同じ桧板です。肩の曲面部に使用するのは杉板ですが、デ1の製作でお世話になったカヌー工房の秋田先生はその後高齢で工房の維持ができなくなり、器具や機械類を全部処分されたため薄杉板の製作を依頼することができなくなってしまいました。5mm厚、50mm幅の杉板の両側縁面は専用の機械で凹凸R加工がされていたので、並べて貼り付けると互いに食い込んで表面をツライチにすることができました。凸Rはカンナやサンドペーパーで削ることができますが、凹Rの加工を自分でやるとなるとその方法を考えなくてはなりません。これは製作に着手するまでの宿題です。

デ1の屋根リブと薄杉板貼り付け状況

 屋根部の設計が終わって、屋外作業が可能な季節なら即加工に取りかかるところですが、外はまだ銀世界ですのでもう少し準備作業を進めます。リブの外形はアーチ状で、ジグソーで切り出すためのケガキ線を描き入れなければなりません。部品図を見ながら7枚の板にそれぞれケガキをするのは面倒だし、不均一になりかねませんので、正確な型紙を作ってなぞるほうがよほど合理的でしょう。ということで暖房の効いたリビングで半日がかりの型紙製作に打ち込みました。虫メガネみたいな超老眼鏡を掛け、震える指でボール紙に0.1mm単位の目印を写し取り、ステンレススケールとカッターナイフでケガキ線のガイドを切り抜きました。とてもじゃないが、こんな作業は7回もできません。

リブ製作用型紙

2025/03/03

待避線(余談雑談) キハ40000参考写真その4

静岡鉄道駿遠線廃止の前年撮影したけど乗車せず
 私が地方私鉄に電車や気動車を追っていた頃(1970~1975年)、旧型気動車はまだ全国各地で働いていました。そのうちの幾つかは軽便鉄道(ナローゲージ)で、懐かしく思い出される光景ではありますが、実際問題として老朽化した車両の乗心地や性能はすでに時代遅れであったことは否めません。そうこうしているうちに廃車や廃線が進み、カメラに収める前に、また乗車が叶わぬ間になくなってしまった車両や鉄道がいくつもあります。



岡山臨港鉄道キハ5001運転中の光景  富田さん撮影
 当時旧型気動車に乗った時は必ず運転台の後からあるいは横から運転機器の配置とその操作方法を観察していました。もちろん電車でも同じ場所から観察するのですが、特に機械式気動車の場合はスロットルレバーやブレーキ弁やペダルの配置が車両ごとに違っているので興味深く眺めると同時にメモ帳に記録していました。それは私が根っからのメカ好きで運転好きだったからです。そのメモ帳は半世紀以上経った今行方不明ですが、今朝何食べたか思い出せないのに昔のことはよく覚えている老人の得意技で、記憶の糸を辿りたいと思います。

 過去の鉄道のことを知ったかぶりして色々とこのブログに書いていますが、実際に見た光景以外に出所の多くは雑誌や書籍、ネットの記述にある公知の事実またはそれらから類推した事柄です。これらは公文書や古文書、内部文書や古老からの聞き取りといった自分自身で調べて得た知見とは言えません。ただし、以下に記す機械式気動車の運転操作機器配置に関する調査は珍しく私が独自の視点で行った記録の一端です。写真はほとんど残っておらずメモもなくして怪しい記憶に頼っているので、どこの鉄道の何型であったかをすべてのタイプについて明言できないのが残念でなりません。記録としては不完全で、間違っていることがあるかもしれませんので、お気付きの方がおられましたら右の「お問い合わせ」または下の「コメント」でお知らせください。

 機械式気動車の運転機器配置については2022年10月4日投稿の「機械式気動車の話」の中で触れています。一部重複しますが、代表的な配置パターンの紹介とそれに纏わる逸話を書きます。その前にお断りしておくことがあります。自動車のアクセルに相当するスロットルはガソリンエンジンの吸入混合気量を加減する弁のことで、ディーゼルエンジンにスロットルは本来ありません。ガソリンエンジンをディーゼルに換装した際に運転操作機器をそのまま流用したために、回転数調整(調速)レバーを従前通り「スロットルレバー」と呼んだのではないかと想像します。あるいは「加速桿」と呼ぶ人がいたかもしれません。当時の取扱説明書にどう書いてあったのか、その種の資料がないか調べましたが見つかりませんでした。かろうじて国鉄の運転室明細図面には「燃料テコ」という文字が見えます。ここでは便宜的に「スロットルレバー」(足踏みの場合は「スロットルペダル」)とします。辞典で「スロットル」は「本来はガソリンエンジンの絞り弁を調整するレバーであるが、出力制御レバー全般を指す」とされ、「航空機、船舶、バイク、刈払機などに使用される」とあります。また床下の変速機を切り替える遠隔操作レバーは「シフトレバー」とします。

私鉄標準型運転機器配置 自身作画
 まず、私鉄の機械式気動車でポピュラーであった機器配置を示します。運転席の左前方に、手前に引くとエンジンの回転数が上昇するスロットルレバーがあり、左手で操作します。右前方にブレーキ弁があり、運転席の右横に抜き差し可能になっているシフトレバーを、右前方床上にあるクラッチペダルを踏んで操作します。ブレーキ弁は多くの場合、自車のみの制御を行う直通式で、昭和の路面電車で見られるような小型で簡便なタイプになっています。とりあえずこの運転機器配置を私鉄標準型と呼ぶことにします。と言うのは、日本車両や川崎車両が江若鉄道や中国鉄道(現津山線・吉備線)、芸備鉄道(現芸備線)、播丹鉄道(現加古川線)向けに納入した私鉄型気動車の完成型がこれに相当するからです。製造時期に関わらず同じ配置のものはこれに含めます。


国鉄型運転機器配置 自身作画
 次は国鉄キハ04やキハ07あるいはその譲渡車の場合です。機関車と同じく左手で操作する自動ブレーキ弁があり、シフトレバーは右手で扱います。クラッチペダルは左足、スロットルペダルは右足で踏みます。機関車の場合は入れ替え作業時に窓から身を乗り出してブレーキ操作するので電車と違って左側にあるのだという話を聞いたことがありました。気動車のブレーキ弁がなぜ左にあるのかずっと疑問に思っていましたが、ある日ふとその答えに気付きました。地方線区に気動車が導入された時、その運転を任されたのは電車運転手ではなく蒸気機関車の機関士ですから、同じ左手で扱うのが自然な成り行きだったのでしょう。(注) 国鉄型のブレーキは連結運転に備えて直通式と自動ブレーキ式が切り替えられるようになっているとの記述がWikipediaにあるように、弁の外形は円筒状で直通式の弁より少し大型になっています。この配置は1954年から1956年(昭和29年から31年)に製造されたレールバスキハ01~03にも受け継がれています。
 注記 この原稿を公開した後で蒸気機関車のブレーキは右手で操作する位置にあることに気付きました。電気機関車やディーゼル機関車は左手操作です。と言うことで「蒸気機関車の操作に合わせたのだろう」という推論は誤りで、この疑問は振り出しに戻りました。

 _小樽市総合博物館キハ031         南部縦貫鉄道キハ101___
 同じレールバスでも南部縦貫鉄道のキハ101,102の場合は上記私鉄型配置に準じているもののクラッチペダルを左足で踏み込むようになっています。数少ない現在に残る機械式気動車なので運転中の動画が投稿されていますが、注目すべきはスロットルレバーを引く前に窓外の景色が動き出すこと、つまりクラッチペダル操作だけで起動し、完全に動力が繋がってからスロットルで加速していることがわかります。よく「マニュアルミッションの自動車と同じ」と解説されることが多いようですが、こういう操作を切れ目なく進める高度なテクニックが必要になります。

 ブログ「地方私鉄1960年代の回想」で遠州鉄道奥山線のキハ1802,1803の写真を見つけたので、管理人のKatsuさんにお願いして引用許諾をいただきました。さすがに元エンジニアだけあって床のペダル迄画角に入れた運転台の完璧な写真です。シフトレバーが運転席の左側にあります。この場合、左手でスロットルレバーが扱えないために、おそらく右手でスロットルとブレーキの両方を操作するようになっていたのでしょう。加速と減速を同時にすることはないので、不可能ではありませんがやりにくい操作だと思います。ところが右足元を見ると国鉄型の如くスロットルペダルがあって、運転席正面のスロットルレバーは固定されているように見えるところから、使い勝手を考慮して改造されたのではないかと想像します。尾小屋鉄道に譲渡されてその後動態保存運転されている動画で確認すると、運転手は両手でシフトレバーとブレーキハンドルを握ったまま加速しているので右足でスロットルペダルを踏んでいるのだと思われます。

遠州鉄道奥山線 左:キハ1802 右:キハ1803 スロットルレバーは使われていない模様
_________________________   地方私鉄1960年代の回想より許可を得て転載

国鉄型に類似した頚城鉄道ホジ3 Wikipediaより
 頚城鉄道のホジ3は見るからに謎に満ちた車両ですが、シフトレバーが運転席の左側にあること以外、機器配置は国鉄型に準じています。つまり左手でブレーキとシフト操作の両方を行わなければなりません。加速中に急ブレーキをかけるような事態が発生した時に多少の影響はあるかもしれない、程度に考えたのでしょう。それよりこの車両が特殊なのは、シフトレバーが抜き差し構造になっていなくて、後位の無人運転席でシフトレバーが勝手に動くという不思議な光景が見られるとのことです。また運転席から前進/後進の切替え操作が出来るようになっておらず、いちいち下車して駆動軸の逆転器を手動で切り替え操作しなければなりません。動態復元されて動画が公開されているので知る人ぞ知る事実になっているようです。

 気動車を導入した各私鉄独自の注文仕様なのかメーカーの都合なのかわかりませんが、後に鉄道会社間で車両譲渡が繰り返されると同じ鉄道でありながら色々なタイプの運転台が混在することになり、運転や保守を担当する者にとってはややこしかったと思います。今やワンハンドルコントローラーしか見たことがない鉄っちゃんが普通にいる時代、スロットルレバーを手前に引けば加速するのは理解できるとして、まさか奥に倒せばブレーキがかかると思ってはいないでしょうね。