2025/02/07

待避線(余談雑談) キハ40000参考写真その2

  国鉄から私鉄に譲渡されたキハ41000は67両、キハ40000は10両 (RMライブラリーキハ41000とその一族による)とのこと。製造数がそれぞれ190両と30両であったので、同じような比率で約1/3が私鉄に渡ったことになるようです。なおキハ40000に関しては半数の15両が外地へ供出された他、戦災やキサハ化などにより国鉄ではほぼ使われていなかった模様です。一方私鉄にはコピー設計した新造車両があって、微妙に国鉄車と違っているのが興味を惹きます。

 1951年(昭和26年)宇都宮車両(→富士重工→SUBARU)で製造された常磐炭鉱キハ21はキハ40000に準じた寸法ですが、車体上部は張り上げ屋根になっていて国鉄車より幾分モダンなスタイルになっています。原型は低いプラットフォームに合わせて乗降口が2段になっており、外観は路面電車のようにステップ部が大きく垂れ下がっていたようです。その後岡山臨港鉄道に移籍した際にステップは一般的な寸法に変更されています。羽後交通には片側にバケット(荷物台)を備えたキハ41000ベースの3両の張り上げ屋根車がありました。最初に登場したキハ1は常磐炭鉱向けより1年早く竣工していて、当時の写真(白黒)では車体長とバケット以外そっくりです。後に続くキハ2とキハ3は川崎車両製で、こちらは湘南顔になっていて金太郎塗りでした。私は1970年(昭和45年)に横手を訪ねていますが、臙脂とライトブルーの塗装が美しかったことを覚えています。残念なことにキハ1は火災で短命に終わり、雑誌やネットにもほとんど取り上げられていません。宇都宮車両は片上鉄道にもキハ41000タイプの張り上げ屋根車キハ311、312を納入しています。こちらは正面が2枚窓ですが傾斜がないので湘南型にはなりきれていませんし、せっかく雨樋がないのにその後車体と屋根が塗り分けられてスマートさに欠けてしまいもったいない感じがします(個人の好みによります)。現代でこそ張り上げ屋根なんか珍しくもありませんが、全金属製車両が登場する以前は側面と屋根の構造が異なっていたため、張り上げ屋根にするには少し面倒な工事が必要だったようです。当時の屋根は木の板を並べて曲面にした上にキャンバスを張り、コールタールを塗って防水するのが一般的でした。一方で側面は1.6mm(電車・客車は2.3mm)の鋼板を骨組みにリベットで打ち付けてあるので、外板を屋根まで延長するには屋根の骨組みの寸法まで変更しなければならないのでした。今鹿部電鉄で製作中のキハ40000は側板と妻板を構体に取り付けた後、別に組み立てた屋根を被せる方法を採ろうとしていますが、何を隠そう昔ながらの製作法に倣っているわけです。宇都宮車両や川崎車両がどのような工法を採用したのかその詳細は知る由もありませんが、おそらくは側面から屋根部まで一体の構体(骨組み)に同じ鋼板を貼り付けて行ったのではないかと想像します。すでに溶接による車体組立てや全金属製車体の製造に踏み出していた時代背景があったからではないかと想像します。

 張り上げ屋根ではない大多数の旧様式の気動車の車体側板と屋根の境目がどうなっているかと言うと、これがまた興味深くいくつかに分類できます。

 キハ41000とキハ40000の製造当初は屋根のキャンバスを側板に被せて鋲で止めてありました。言ってみれば張り下げ屋根です。これでは雨が落ちてくるので扉の上だけ水切りを設けて乗降時に濡れにくくしてあります。私の嗜好を言わせてもらうなら、この樋なし屋根がもっともスマートに見えて大好きです。鹿部電鉄ではこのタイプにすべく屋根の設計をしています。

 一部の私鉄では車体全周に張り下げたキャンバスの継目を隠すかのように水切りを巻いた車両がありました。一見樋のように見えますが、溝状になっていないので雨を流す機能はありません。

 コンパクトな鋼製の雨樋を巻いた車両もあります。なぜかキハ42000には新製時もしくはその後早い時期から鋼製雨樋がついており、この形式については鉄道会社や時代に関係なく他の構造に改造した例をほとんど見たことがありません。ただし鹿児島交通や夕張鉄道の自社発注車は正面のみ張り上げで樋がありません。水島臨海鉄道のキハ310(元中国鉄道買収気動車)はキハ41000タイプですが、雨樋がスリムな鋼製であるだけで他の車両と比べてとてもスマートに見えました。もちろん一般の利用者はそんなことには全く気を留めません。

鋼製雨樋付き九州鉄道記念館のキハ07(42000)と正面張り上げの鹿児島交通キハ100 鉄研富田さん撮影

 キハ41000タイプで最も多いのが木製雨樋です。前の投稿で北丹鉄道の「何の変哲もない」キハ04の写真をご覧ください。金属物資が不足した戦時中に限って木材を使用したのならわからなくもありませんが、戦後にせっかくノーリベットで登場したキハ41600(後のキハ06)が不細工で太いハチマキを巻いて3ヶ月の間に50両も量産されたのは不思議でなりません。晩年、休車や廃車で保守が行き届かないまま放置された時に真っ先に朽ちるのは木部であり、車庫の外れで痛ましい姿を晒しながら最期を待っている老体をやるせない気持ちで見送ったのも一度や二度ではありません。

 旧型気動車の張り上げ屋根と雨樋の余談雑談でした。余程の好き者でないと面白くもなんともない内容です、はいわかっています。

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