2025/10/12

キハ扉の製作

  鹿部電鉄の建設製作作業からずいぶん長く遠ざかっていてやっとキハの製作に復帰できそうになったところでまた躓いてしまったのは既報の通りです。キハの製作に関する投稿は1年ぶりで、作業にかかれる時間を探しながらペースを落としてコツコツと進めてきました。

 前にも触れた通り当初の計画ではt3のヒノキ工作材を貼り合わせて扉を形成するつもりでした。強度的な不安があったのと幅広薄板のコストが気になったので、側板と同じt12の板を日の字に組み立てトリマーで6㎜削り込んだ段差に窓枠をはめ込む構造に変更しました。2024/11/21の投稿記事写真には扉が取り付けられていませんが、一年がかりでここに改良型扉が貼り付けられました。仕上がりは他の窓と同じ寸法ですが、かなり頑丈になったと思います。この扉は側板ごとヒンジで構体に取り付けて車体外側に開くようにするため、強度を持たせることが必要になるわけです。

t12の扉枠にt3の窓枠をはめ込む構造に設計変更しました
 上には「日の字に組み立て」と書いていますが、実際にはあらかじめ部材の段階で段差の加工を行っておいてから組み立てます。段差加工の端部に残るR除去および寸法調整は手ノミで行い、四角形の凹部にt3の窓枠および桟を接着するわけですが、組み上がった日の字型枠は微妙な寸法や形状の差が生じているので窓枠は一個ずつ実際の寸法を確認しながら隙間ができないように接着していきます。接着の際にはシリコンオイルをコーティングしたヤトイを用いて直角に組み立て、接着剤が硬化してからヤトイを外します。こういう細かい作業の仕上がりには性格が表れるので恥ずかしい限りです。腰板部は窓枠の代わりにt3の耐水ベニヤ板をはめ込みます。

段差加工を施した扉枠材料(左)をシリコンコーティングしたヤトイにねじ固定して接着
組み上がった扉      側板に取り付けた扉      窓部拡大
 
刃物の回転方向と送り方向
段差加工に関しては初歩的な失敗をしてしまったので少し触れておきます。トリマーの使い方は我流で進めていましたが、なかなか所定の寸法通りに加工できないばかりか切残し(ヒゲ、ケバ)が発生してみっともない仕上がりになっていました。さらにはビット(刃物)が発熱して黒く変色し全然切れなくなってしまいました。取扱説明書やネットの記事を読み直して正しい使用方法を調べたところ、これは極めて基本的なことで刃先の回転による切削方向にトリマーを移動させることが必須であることがわかりました。端的に言えば図示の通りで、切削抵抗がある方向に押して進めると削れるが、刃先の回転反力に押されるままに動かすと削れないどころか摩擦熱が発生して刃物も被削材も焦げてしまいます。

木工用トリマービット(左)と  
    金属用フライスエンドミル(右)

 もう一つ災い転じて福と為す類ですが、熱でナマってしまったビットは金属加工(フライス盤)用のエンドミルに買い換えました。寸法は全く互換で、金属切削用なので耐熱性が高く切れ味も問題ありません。さらに良いのは需要が桁違いなので価格が1/3(3本入りで同価格)である点です。この作業が終わると消耗もなくなるので余ってしまいそうですが。

 扉ができたので次は屋根の加工が待ち受けています。ところが、過日通過した台風によって車庫(駐泊所)の屋根板が吹き飛ばされてしまったのでその前に補修しなければならなくなってしまいました。秋はどんどん深まり、屋外作業もやり辛くなってきました。冬支度も待っています。


2025/09/14

待避線(余談雑談)  鉄っちゃんの特技2025年編

  このブログ始めて以来の長期休稿、2か月を超えて記事を書くのを止めていました。その前も待避線(余談雑談)ばかりで、一向にキハの製作が進んでいません。今年の屋外作業開始は4月になって駅の改修工事を始めたものの、「鉄っちゃんの特技」を買われて(と自分で勝手に思っています)次々と所属コミュニティのモノ作りに時間を費やしていました。さらに終わる見通しの立たない実家のガラクタ整理とその後始末に振り回されている間に体調を崩し、とうとう寝込んでしまったのでした。

 まだ回復途上というか医師の見立てもはっきりしていなくて通院や検査入院が続いています。そんななかキハの車体製作は体力的負担が大きいので、体を動かせる日に1~2時間限定で手先を動かして作れるハンドクラフトに力を注いでいました。今年もテニスサークルの大会が9月に開催されることになっていたので、誰かに頼まれたわけでもなく対価が支払われるわけでもないのに、特技を発揮しようと密かに企てていたアイデアの具現化に没頭していたのでした。一昨年、昨年はお笑いネタで優勝カップや金メダルを作って喜んでもらいましたが、もう少し真剣にトロフィーらしき物を作ろうと考えていた頃、メジャーリーグのワールドシリーズでドジャーズが優勝した時に「これだ!」とひらめきました。そしてそれは繰り返し優勝者に授与することができる、つまり毎年どんな使い捨てトロフィーを作るのか頭を悩ませる必要がなくなるわけで、それでいて「手作り」らしさをいつまでも残せる逸品にしようと決めました。デザインテーマはパクリですが、盗作ではなくてパロディとして見てもらえる工夫をしました。

 材料は木と竹と紙、切って貼って差し込んで、木工用ボンドや瞬間接着剤を駆使し、得意のパテとサーフェーサーで表面を整え(ごまかし)て、最後に金銀の塗料で仕上げると、ティファニー製トロフィーのレプリカが完成しました。「コミッショナーズトロフィー」で検索すると実物の詳細を知ることができます。あの大谷翔平選手が、メジャーリーグ優勝を果たしたときの画像を添えておきます。

完成した優勝トロフィー

  大谷翔平選手が掲げる本物のトロフィー  テニス大会で優勝者に授与されたレプリカ


2025/07/07

待避線(余談雑談) 初めての鉄道写真

  中学2年生の頃、家にあったハーフサイズカメラを持ち出しては近場で市電や国鉄の写真を撮り始めました。キャノンデミという露出計内蔵式の初心者用カメラでした。その露出計の指針に合うようにレンズのリングを回すとシャッタースピードと絞りが決まるわけですから、流し撮りも焦点深度も選択の余地はありません。にもかかわらず、神戸電鉄鈴蘭台駅の外れで撮ったこの一枚はなんとも迫力溢れる写真に仕上がりました。

 被写体はデ1型、開業時から働き続けていた最古参ですが撮影当時はまだ現役バリバリ。そのいかめしい車体を揺すりながら急坂をノッチオフで下って来た瞬間を見事に捉えたのでした。

 意図せずに素晴らしい写真が撮れたのでとても嬉しかったことを覚えています。何年か経ってから友人に頼んでパネルに仕上げてもらい、コンテストに出品しようかと思ったことがありましたが、応募用紙にでたらめなシャッタースピードや絞りのデータを書くことがためらわれて結局諦めました。


2025/06/23

待避線(余談雑談) キハ40000参考写真その5

 ガラクタ整理から帰って来て10日以上経ちました。留守の間庭に生い茂った草の刈り払いや破れたカバーの下でほぼ雨ざらし状態だったキハの乾燥、さらにカヌー部、渓流釣部、テニス部の例会参加と休む暇なしの日が続き、なかなかお宝を鑑賞する余裕を見つけることができませんでした。あっそうそう、神戸を発つ前日に押入れの奥からスライドビュアーが見つかったので写真と一緒に宅急便で鹿部に送ったのでした。何百枚もあるスライドの中から一枚を取り出し、セットしてスクリーンを覗いてみると、 、 、全面にホコリを被ったような黒いまだら模様が映っていました。擦っても取れないところを見るとカビか化学変化のようで、他のスライドもほぼ同様の状態もしくは部分的に赤や黄に変色していました。肉眼で見た時は超貴重なフィルムがあると思って感激したのですが、糠喜びでした。暇なときに残りの膨大な数の点検をやりますかっ。

 一方で白黒プリントはあまり変色してなさそうでした。ただ無秩序に束ねてあるので撮影時期や場所が飛び飛びで、記憶と結びつかないものがたくさんありました。人間の(いや私の)記憶なんか実に曖昧であると思い知った次第です。「キハ40000参考写真その3」(2025/2/20)で「江若の浜大津構内には1両の気動車も見当たりませんでした」と書いていますが、乗車したキハ52はハフ2を牽いているし、その前か後かにキニ11を撮影しているではありませんか!しかも浜大津だけではなく石山坂本線の錦織車庫で「びわこ号」を撮影し、その前にも叡山線に立ち寄ってポール三昧を楽しんでいた証拠が残っていました。こんな時代があったンですよ。

 加古川では「チョッと残念な写真」(2024/10/7)に「このキハ06を撮影した記憶はなく、『なんで撮っていなかったンだろう?』と悔しく思っています」とヌケヌケ書いています。「ほな、この写真は誰が撮ったンや?」そう言うと夏休みに早起きして重連を撮影したような気がします。同じ頃撮影したキハユニ153も珍しい存在ですが、仕分け業務をしていないときは郵便室が解放されていて、私はそこに乗車したという貴重な経験をしています。


 この他にもめくっていたらキリがなくなるので、1970年頃に関東に足を延ばした際の写真をチョイ出ししておきます。

2025/06/07

待避線(余談雑談) お宝発見

  先日来神戸の実家でガラクタの整理をしています。築55年の古家を身内が建て替えることになり、鹿部移住の際に引き払った居宅から避難させていた書籍、雑誌、模型、写真などを「廃棄」「売却」「鹿部移送」に分類しています。鉄道関係だけでなく、タンスや衣類、家族アルバム、釣り具に大工道具、考えただけでもため息が出るばかり。神戸に帰ったのは3年ぶりなので、ご近所さんが歓迎会を催してくれたり、たまたま開催中のお祭りに誘われたり、関西在住の鉄研メンバーと鉄談にふけったり、となかなか手が動きません。それでももう出てこないだろうと諦めていた貴重な写真を大量に発掘できたのは大きな成果でした。モノクロ、カラープリントとカラースライドを合わせて大型の衣装ケースにぎっしり一杯。貧乏学生のスライドは画質より枚数を優先してほとんどがハーフサイズでしたので、老眼では「なんとなく見覚えがある」程度の判定しかできません。スライドビュアーかスキャナーを買って鹿部の冬の楽しみにしようと考えています。

昭和40年代の写真

 お宝の例としては、加古川線のキハ06、走行中の頚城鉄道ホジ3、サンフランシスコのケーブルカー、LRT、BART、各地の私鉄旧型電車気動車。さらに機械式気動車の運転台機器配置メモを見つけたときは感動しました。

レトロ雑誌 マニアックですね

 この作業の目途が立たないと鹿部には帰れない。とはいえ鹿部のキハも待ってくれているだろうし、渓流釣りやカヌー遊びに心が揺れます。雑誌類と模型の箱詰めは終わっており、古い鉄道模型趣味誌を丸ごと引き取ってくれそうな鉄っちゃんのツテが見つかったので返事を待っているところです。今回の作業でケリが付かなければ秋にもう一度最終決戦を予定しなければなりません(たぶんそうなるでしょう)。Wi-Fi環境が窮屈なので報告はこれくらいにしておきます。

こちらもマニアックなOmゲージ(22.5mm₋1/45) Rhätische Bahn

2025/05/27

待避線(余談雑談) 続地域貢献の話

  前回の投稿「駅の改修」のきっかけとなった「鹿部っ子教室」の報告です。昨年9月21日の余談雑談で、私が町内の小学生に講話をすることになって鹿部電鉄を建設するに至った経緯を説明したことを書きました。当初予定されていた見学は住宅地での熊の目撃情報があったために延期されていましたが、危険性が遠のいたと判断されてこの度の実施となりました。

上:大沼電鉄の説明 下:トの手押し体験 ダイワハウス撮影
 参加者は23人、引率補助の中学生やご近所のボランティア、主催の教育委員会やリゾートデベロッパーである大和ハウスのスタッフ合わせて40人以上が一堂に会してイベントが開催されました。小学生は3年生から6年生までが4班に分かれて、バードカービング、家具工房、鹿部電鉄の3か所を巡り、スタンプを集めます。

 鹿部電鉄ではまず、100年近く前に大沼から鹿部まで鉄道があったこと、電車は今あるホームセンターの駐車場を横切り、コンビニの裏手を通り、郵便局の前で川を渡って、バス車庫の近くにあった終点の鹿部駅まで走っていたこと、集電するためにポールが付いていること、サボの文字は右から左に書かれていること、などを説明してからデ1を運転しました。曰く「電車が鹿部の町の中を走っているのを想像しながら見てくださいねー。」 次に転轍機の役割の説明に続いて操作体験をします。最後はみんなが乗ったトを交代で1人が押すという実験をしました。子供の指1本で4、5人が乗った貨車を動かすことができ、動き出したら手を放してもそのまま走る、という「鉄道は少ないエネルギーで多くの人や貨物を運ぶことができるエコな乗り物」を体感してもらいました。ほとんどの子供がJRや市電に乗った経験がないのが現実なので、「『今日、鉄道はいいな』と思った人は、今度函館に行くときJRで家族が向かい合わせの席に座ってオヤツやお弁当を食べながらおしゃべりしてはどうでしょう?」と語りかけて終わりました。


模造硬券 よくできています
 万が一を考えて動力運転での乗車を避けたので不満が出るかと心配したのですが、手押し乗車体験が好評で「最高に楽しかった!」と言ってくれました。スタンプを押す際に、ボール紙にパソコンで印刷した硬券の復刻切符を1枚ずつ手渡しました。都会でも今どきは切符を見たことがない子供がいるとかで反応が不安でしたが、スタンプ台帳に貼り付けたり大事にポケットに仕舞い込んだりして想定外に喜んでくれたのは驚きでした。事故なく終われたことは何よりの成果で、帰りのバスを見送った後ドッと疲れが出ました。

2025/05/24

駅の改修

改修前の駅プラットホーム
段差や傾きの様子が見えます

         Googleストリートビュー
 昨年9月21日投稿の「地域貢献の話」で書いた通り、春になって「鹿部っ子教室」で子供たちが鹿部電鉄の見学に来ることが決まりましたので、崩れかけたプラットホームの土台であるコンクリートブロックとめくれ上がった敷石の改修をすることにしました。5月24日(土)の実施日まで日数はあったのですが、春はサークル活動のイベントやその他の準備作業が目白押し、渓流釣りや山菜採りシーズンも始まるのでなかなか着手できません。いや着手はしたけど進展がなかったというのが正しいでしょう。駅を作った時から10年の時を経て自身の体が年老いて重いブロックを持ち上げるにもテキパキと進まないことをあらためて思い知りました。実はこのブロックは地面に置いただけでモルタル固定していなかったため、雨水の浸透や冬季の霜柱によって少しずつ移動、変形していたのでした。過去に積み直したことがあり、いずれ固定する必要があることは認識していたものの、左官仕事の経験がないので道具もありませんでした。

とりあえずは改修に着手
 なにはともあれ現状のブロックを崩し、さらにジェット水で洗浄して準備は完了。YouTubeでモルタルの扱いを勉強してからホームセンターでバケツやコテ、水糸を購入しました。プロの手捌きを見ると誰でも簡単にできそうだったので試しに少しだけセメントを練ってブロックに塗り付けてみましたが、見るとするのは大違い、戦意喪失してさてどうしたものかと中断を余儀なくされてしまいました。右の写真撮影から下の写真の状態になるまでに約40日が経過して草が茂っています。





老体に鞭打ってブロックにモルタルを塗り付けます
 悩んでいても始まらないのでとにかく見様見真似でそれなりの作業を続け、なんとか期限の2日前に完工することができました。見たところ敷石はきれいに並んでいますが、素人仕事なのでブロック同士がしっかりくっ付いているか全く自信がありません。
  ヘタクソなりにブロック積みを経験して知ったことは次の通りです。何事もやってみないと身には付かない。最初は職人の技を真似するだけでも難しい。上手に、手際よく、見た目も立派に、なんぞは基本をマスターしてからの話。回数(個数)を重ねると上達できることは間違いない。左官仕事は奥が深い。エンドレスを完成させるには裏の低部に橋梁を架けることになりますが、その橋台はブロック積みを計画しています。今回はそのいい練習になりました。
駅改修完了、鹿部っ子教室の開催を待ちます
 「鹿部っ子教室」の様子はあらためて投稿します。