2026/01/28

待避線(余談雑談) 機械式変速機の話 後編

  前編ではガソリンカーのエンジンがかかるまでの危うい話を書きました。続いてはそれを加速する時のうんちくです。機械式変速機と聞いてオートマチックトランスミッション(AT)ではなくてマニュアルトランスミッション(MT)のことだと多くの方が考えると思いますが、まんざら間違いではありません。ただ、チャップリン時代のそれを引き継いだ機械式気動車は今日の乗用車のMTとは違って、構造はシンプルですがやはり相応に取り扱いがややこしい代物でありました。

旧型気動車の床下 旧佐久鉄道キホハニ50
 その前にまず変速機の原理から説明します。直流モーターやVVVF制御された交流モーターは低速から高速域まで鉄道車両の走行に適したトルクを発生するので、モーター軸と車軸は常に同じ歯車で噛み合っています。一方ガソリン機関やディーゼル機関は、アイドル回転数以下では出力を取り出せない他、車両が低速時には高トルクが必要でありながら高速域まで加速できるような特性が要求されることから、エンジンと車軸の回転を切り離すクラッチと速度に応じて歯車比を変える変速機が必要になります。通常エンジンとクラッチ、変速機は一体に組み立てられて右の写真のように気動車の床下に吊り下げられています。クラッチと変速機の内部を下の模式解説図に示していますのでこれに従って機能を説明します。実際には各機器は複雑な形状なので詳しくは実体図を参照ください。
機械式変速機模式図(左)自身作図      と     実体図(右) 国鉄工作局

スプライン Wikipediaより
 模式図の左側にあるのがクラッチで、円盤がバネで押し付けられてエンジンの回転が右側の変速機に伝わるようになっています。実際には複数の円盤が中心側からと外周側から互い違いに重なって取り付けられています。運転席のクラッチペダルを踏むと円盤同志が離れてエンジンの動力が変速機側へ伝わらなくなります(図はこの状態)。つまりクラッチの右側の円盤はペダル操作で左右に動くようになっていてエンジンから独立して回転したり止まったりできます。この部分の軸は長い歯車のような形状で円盤の内面の歯と噛み合って回転力を伝え、また横滑りして位置を変えられるように作ってあります。このような軸をスプラインと言って、実は右側の変速機の軸も同じ構造になっており、クラッチによって動力が切られた状態で変速レバーを切り替えると横滑りして特定の歯車同士が噛み合うようになっています。もう一つ重要な役割を果たすのがカウンターシャフトで、クラッチの右側にある歯車と常に噛み合っています。この軸と軸上の各歯車は固定されていて滑りません。第4速は歯車を介さずにクラッチと変速機の軸端の爪が噛み合うことで直結状態になります。

 続いて加速時の実際の変速操作について説明します。もう一度模式図を見てください。変速レバーが中立(ニュートラル)でクラッチを切った状態、まさに今から気動車が動き出す準備が整った瞬間を表示しています。ここから変速レバーを第1速に入れるのですが、カウンターシャフトも変速機シャフトも停止していると歯車の側面同志がぶつかって横滑りできず噛み合うことができません。そういう場合はクラッチを少しだけ戻してまた踏み込むとカウンターシャフトが軽く回転するので歯先がぶつかるゴンゴンゴンという音がして止まる直前に歯車が嚙み合います。カウンターシャフトの回転数が上がり過ぎると衝撃が大きくなって噛み合わないので、これには勘どころを押さえるテクニックが必要です。模式図第1速にこの状態を示しています。無事に第1速の歯車が噛み合ったらブレーキを緩め、クラッチペダルを徐々に戻してやると動力が変速機を通じて推進軸に伝わります。赤色破線矢印がその経路です。ここで推進軸と動力車軸の間にある逆転機が中立状態にある場合(エンジン起動後最初の走行時などの場合)は前進側の歯車に繋がるよう運転席の前進後進切換えレバーを回します。推進軸がわずかに回転すればレバーの手応えで切替わりが確認出来ます。この後クラッチをもう一度ゆっくり戻して負荷を加えるとエンジンの回転数が下がるのでスロットルを引いて燃料を送り込んでやらないといけません。自動車学校の実技で初心者がかならずエンストの洗礼を受けるいわゆるクラッチ合わせです。ディーゼルエンジンのようにアイドルガバナーが付いている場合は回転数維持機能が働いて自動的に燃料が制御されるのでクラッチペダルの戻し加減に留意するのみでスロットルの操作は不要です。クラッチが完全に繋がってからスロットルレバーを引くと回転数が上昇して車両は加速します。

第1速の歯車噛み合い状態と動力伝達経路     第4速の直結状態と動力伝達経路

 第1速で十分に加速したらスロットルレバーを戻すと同時にクラッチペダルを踏みこんで変速機に動力が伝わらないようにし、変速レバーを第1速から中立に戻します。そのまま第2速に入れようとしても歯車のぶつかる音がして入りません。なぜかと言うと第1速での加速中にカウンターシャフトが高速回転していた時の慣性で変速機シャフトの第2速の歯車と周速が合わなくなっているためです。そこでクラッチペダルを瞬時戻してカウンターシャフトの回転数をエンジンアイドル回転数に合わせることで歯車同士の周速が近づくようにしてやるのです。これがダブルクラッチと言われるテクニックです。クラッチペダルの戻し具合はやはり勘と熟練が必要です。と言うのは、第1速で車両が動き出したら車輪が静摩擦状態を脱するので必要以上に加速せず、すぐにクラッチを切って第2速に入れる裏技があるからです。この場合カウンターシャフトの回転数があまり上昇していないのでダブルクラッチに頼らずに変速レバーを押し付ければ軽く第2速に入れることができます。第2速ではスロットルレバーを引いて十分に加速し、ダブルクラッチ操作で第3速に繋ぎます。次は模式図第4速をご覧ください。ここではエンジンの動力(回転)はカウンターシャフトを経由せずにストレートに推進軸に伝わっていることがわかると思います。つまり滑らかに第4速の状態に到達するためにはクラッチを切ったらスロットルレバーの操作でエンジンと推進軸の回転数を合わせ、両軸の爪が噛み合う(変速レバーが第4速に入る)タイミングでクラッチを繋ぐという手順になります。さらにもう一つダブルクラッチ特有のテクニックがあります。平地から勾配区間に入ったり勾配が大きくなって均衡速度が低下してくると、第4速から第3速へあるいは第3速から第2速へシフトダウンしなければならなくなります。この時クラッチを切って変速レバーで低速側の歯車を噛み合わせるわけですが、カウンターシャフトの回転数が低下しているのでクラッチを繋ぎスロットルレバーを引いてエンジン回転数を上げてからもう一度クラッチを切って歯車を噛み合わせるというややこしい操作をしなければなりません。さらにエンジン回転を高めに保持した状態でクラッチが繋がるようにしないと駆動系や乗客に前のめりの衝撃を加えてしまうので注意が必要です。

1952年製造の機械式気動車鹿児島交通キハ101 1972年撮影時にはキユニになっていた 自身撮影

 長々と理屈を書いていますが、運転手は速度計や回転計に頼らず音やレバーから伝わる感覚でその時々に変速機の中で何が起こっているかを知り、順序良くこれらのシーケンスを進めていきます。彼らは機械操作のプロであり、原理を知り経験を積むことで運転技術を磨き、乗客が騒音や衝撃をできるだけ感じないように心配りをすることに誇りを感じていたはずです。同じようなテクニックで昭和のバスやトラックを運転していた人がいましたし、現代ではレーシングカーに要求される複雑で俊敏な加減速操作にこれらの高等技術が駆使されていると聞きます。

ドイツ国鉄VT98型レールバスの総括制御運転台
___________Wikipediaより
 今どきのMTの乗用車がこんな面倒なことをしなくてよいのは、変速機の仕組みが改良されているからです。常時噛み合い式とかシンクロメッシュと呼ばれる方式ではカウンターシャフトと変速機シャフトの歯車が最初から全部噛み合っていてスプライン軸の上を空転しており、必要に応じて(変速レバーの操作によって)クラッチスリーブというリングがスプライン軸と歯車に間にスムーズに入り込んで歯車が選択されるようになっています。ただ大型自動車やトラクターなど負荷が大きい場合には適用が困難なため依然として旧来の機構が踏襲されています。その代わり空圧やコンピュータ制御によってフィンガーシフトと言われる遠隔操作が主流になっていることは近年のバスの運転などを見てご存知かと思います。ドイツでは1950年代に類似の方式でレールバスの総括制御をしていたという記述がWikipediaにあります。

 我が国で機械式気動車が走り始めて約100年が経過しましたが、今ではその痕跡をたどることさえ難しくなってきました。前編と後編の2回にわたって旧型気動車の取り扱いに関する涙ぐましいまでの苦労を機械工学の浅見にもとづいて全くの想像で書きました。それは元々無機質の金属の塊でありながら、関わる者にとっては時として気まぐれなじゃじゃ馬であり、あるいは心が通う相棒、また可愛い我が子のような存在でもあったのでしょう。だからこそ機械と言葉を交わしながら乗客に安心して利用してもらう努力と工夫を重ねることができたのだと思います。

2026/01/19

待避線(余談雑談) 機械式変速機の話 前編

マツダK360 Wikipediaより
 ここだけの話ですが、中学生の頃親戚の家に軽トラックがあって田舎の広い原っぱで運転の練習をさせてもらっていました。クラッチペダルを緩めて発進させるのがとても難しく、運転の真似ごとができるようになった時は帰ってから友達に自慢したものでした。メカ好き少年はその時クラッチと変速機の仕組みをなんとなく想像していましたが、後に学校の技術家庭科の授業でトランスミッションの教材模型を見て、「なるほど、こういう構造だったのか」と納得しました

乗用車も今ではオートマチックが主流になり、マニュアルミッション車を探すことが難しい世の中になってきました。私が運転免許を取得した頃はオートマチック車の価格は割高でしかもパワーがない、故障したら修理に時間と費用が嵩むなどで人気がありませんでした。鉄道の気動車も同じ経過をたどって機械式から液体式、そしてハイブリッド式へと変遷しました。

チャップリンのひとコマ 出所不明
 機械式気動車とひとことで言っても長い歴史があり、国内でガソリン動車が使われ始めたのは大正末期から昭和の初め、いわゆる単端式の小型車両で自動車のエンジンとクラッチ、変速機をそのまま積み込んだものと思われます。時代考証をするとチャップリンの無声映画全盛の頃ですから、クランク軸を差し込んで人力でエンジン始動していたのでしょう。やがてエンジンも車両も大型化し、各地の私鉄でガソリンカーが導入され、国鉄では1933年(昭和8年)にキハ36900(後のキハ41000、キハ04)が登場しました。さすがに人力に代わって始動にモーターが使用されたり、両運転台型が標準になったりしましたが、基本構造はその後ディーゼル化されるまで変わっていません。実は戦後ディーゼルエンジンに換装された車両でもエンジン以外は製造時のままだったわけで、私が学生で全国の私鉄を撮り歩いていた頃に走っていたディーゼルカーのメカはチャップリン時代の遺物だったということになります。
1933年製造の元中国鉄道買収気動車 島原鉄道キハ253     1972年自身撮影

 そんな時代のガソリンエンジンは我々がイメージする現代のそれと何が違うのかについて思いつくままに(思い出しながら)説明したいと思います。今どきの乗用車は乗り込んでスタートボタンを押すと(あるいはキーを回してエンジンをかけると)スタンバイ状態になり、ブレーキを踏んでシフトレバーをDモードに入れるとすぐに走り出します。自動車の始業点検は取扱説明書や法令に明記されていますが、実行している人なんかめったに見ませんよね。それに比べると昔のエンジンは動かす前に必ずやらないといけない手順があり、それを省くと始動すらままならないという事情がありました。

 まず運転手は床下周りに油漏れや部品の緩み、脱落などの損傷がないか、燃料や冷却水が適量であるかを点検しなければなりません。まっ、これは現代の鉄道でも同じで、車両基地の検査員とのダブルチェックです。エンジンを始動する前に、キャブレター近くの手動ポンプで燃料管の空気抜きを行います。始動に際してキャブレターに濃い混合気を送って着火しやすくするため、チョーク弁を閉じる操作をします。チョーク弁はキャブレターにあるのですが、運転席近くからワイヤーで操作できるようになっている場合もあります。

運転席の計器、スイッチ、レバー類の配置例
ケーブル類が滅失しているため推測にて記入
_______
旧佐久鉄道キホハニ50自身撮影
 始動用モータースイッチを押して(あるいは回して)、エンジンを始動します。停止直後でなければ一回で着火起動することはまずありませんので、この操作は数回繰り返します。少ない回数で起動を成功させるにはスロットルレバーの位置や動かすタイミングなど経験がモノを言います。また気温や前の運転時の余熱などで成功率が変わります。始動回数があまり多くなると蓄電池の電圧が低下してしまうので、起動が困難な場合は点火栓や高圧電気発生系統(ディストリビューター)に汚れや故障、調整不良がないか調べます。今どきの自動車エンジンの起動信頼性はほぼ100%で、エンジンがかからないなどと心配することはありませんが、当時これは一つのヤマ場であり賭けでもありました、仕業前早めに起動したり、停車中もできるかぎりアイドルで待機したりして遅延や運休を招くことがないように腐心していたようです。

 エンジンが無事着火して起動に成功したらチョーク弁を戻し、スロットルレバーのストッパーまたはアイドルガバナーで、アイドル回転数を調整します。無負荷(変速レバー中立)の状態でスロットルレバーを軽く動かしてエンジン回転数の反応を確認します。タコメーター(回転数計)など付いていませんから全て耳や手指の感覚が頼りです。

 ここまでエンジン起動が終わると暖機のためにしばらく無負荷運転をします、元空気圧、潤滑油圧などを確認し、手歯止め、手動制動ハンドルを解除して初めて、運転が開始できるスタンバイ状態になります。車庫を出て客扱い運用に入る場合はこの他に室内灯や前照灯、尾灯、暖房の投入などがあることは言うまでもありません。

 注記 始動モーターによってエンジンが回転させられる状態を「始動」、始動によって燃料が着火して自立運転が始まった状態を「起動」と記述しています。

1956年式トヨペットクラウン Wikipediaより
 1960年我が家に来たトヨペットクラウンには運転パネルにチョーク弁のツマミがついていました。週末久しぶりにエンジンをかける時はドキドキするもので、結局何回やってもエンジンがかからなくてお出かけをあきらめたことは幾度もあり、日が暮れて出先から帰られなくて情けなくなった思い出があります。今では世界に誇る日本の工業製品の品質がまだ「メイドインジャパン」と揶揄されていた時代のさらにずーうっと前のお話でした。


 

 2023/4/6投稿の「SLの話」で書いたのと同じように、今では当たり前のようにコンピューターが行っているエンジンの複雑な調整やシーケンスの全てを昔は運転手の勘と経験でこなしていたのでした。後編は、現代ではあまり知られていない古典的な機械式変速機の取り扱いについて説明します。

2026/01/03

キクハって?

大分交通キハ104は私鉄版キハ40000
窓のサイズと幕板の幅が少し異なる
1972年頃中津にて自身撮影
  と思われた方いらっしゃるのではないでしょうか。クモハやサハは鉄っちゃんにはポピュラーな形式記号ですが、気動車にもクハやサハに相当する形式が一応あって頭にキが付くと言えばお解りいただけるかと思います。ただし、キクハとキサハにはエンジンが付いていません。
 キクハの本題に入る前にトリヴィアです。モハのハは1、2、3等車をイ、ロ、ハで表していたのが1969年(昭和44年)に等級制廃止となり、グリーン車をロ、普通車をハと標記するようになったことはよく知られているとおりです。モがモーターを表す電動車であることは誰でも頷けます。ではクとサはどんな理由で制御車(運転台付き)と付随車の記号になったか、受け売りで説明します。黎明期の電車は一両で走っていましたが、制御車をクっ付けて2両連結にし、これをクハという形式にしたそうです。3両以上の列車に付随車をサし挟んだのでサハになったということです。諸説あるようでこれが本当かどうかは私にもわかりません。

 さて妄想から作り始めたキハ40000は昨年ほとんど進捗がありませんでした。今年こそはと思いながら動力装置を含めて一気に完成させることは不可能なので、とりあえず見た目だけでも鑑賞に堪える状態まで持ち込みたいと思っています。車体はウィンドウシル・ヘッダーを巻き付け、リベットを植込んで濃紺と薄茶色に塗装します。耐水ベニヤと薄杉板で3次元曲面を形成して昭和初期のキハを印象付ける張下げ屋根を被せます(着脱可)。扉は乗降の容易さを考慮して蝶番で側板ごと外開きとし、ディテールとして手すり、ベンチレーター、ヘッドライト、テールライト、連結器、窓ガラスを取り付けたいですね。 

 妄想トレイン過去記事(2022/1/22)に書いた動力装置は少し大掛かりなのでその先に延ばすとして、上に書いた状態までたどり着くとまさにキクハと呼んで恥ずかしくない仕上がりになるでしょう。キクハとキサハの外観上の違いはヘッドライトの有無になるのでなんとしてもそれを取り付けて今年の〆めにしたいものです。

 庭にキハ40000が走る姿を早く見たくて1/80スケールの水島臨海鉄道キハ310を貼り付けてみました。ステッカーアプリが思い通りに機能しない(iphoneが古いからか)のでペイントでの手修正です、お粗末!

この光景を今年中に見られるようにがんばります

2026/01/01

謹賀新年2026

  2025年は鹿部電鉄としていささか不本意な一年でありました。その前の年にキハ40000の台車や車体の製作がある程度整い、一気にキクハとしての完成を見るかと思いきや体調不良に見舞われて目立った進展は有馬温泉でした。それでも神戸の実家の家財整理に伴い、貴重な写真や書籍、模型が手元に戻ってきたのは不幸中の幸いと思っています。

 本年は早々にロボット支援レーザー手術を受けることにしており、リハビリが順調に進めば車両製作、線路延長、(ストリートビューではない)リアル鉄旅再開、 、 、と捲土重来を目論んでいます。



2025/12/31

待避線(余談雑談) 続スイスの鉄道書籍

  特定の鉄道や列車の写真集も発行されています。例えば前回も紹介したモントルーオーバーベルヌア鉄道およびレーティッシェ鉄道、それぞれの看板列車を主役にした光景が紙面を飾っています。

Panoramic express     Glacier express    Bernina express(Schweers+Wall)
 “PNORAMIC EXPRESS”(出版:Schweers+Wall) GLACIER EXPRESS(同左) Bernina Express(同左)「パノラミックエクスプレス」「グレッシャー(氷河)エクスプレス」「ベルニナエクスプレス」は同じ出版社なので内容の構成はほぼ同じで、まず路線の概要やダイヤおよび見どころの説明、さらにそれぞれの列車が世界的に有名になるまでの前身の紹介など、モノクロ写真を交えた活字のページが続きます。そしてカラーページでは雄大な背景の中を優雅に走りはたまた力強く勾配を登って行く姿が次々と続きます。当時はいずれも今のように専用の固定編成列車がなかったのでバラエティに富んだ動力車と客車の組み合わせが興味を惹きます。特に氷河急行はフルカオーバーアルプ鉄道の車両が併結されていたり普通列車用のグリーン塗装車が混ざっていたりします。最後の1/3は歴代車両の図面付き解説でまとめてあります。この図面がいわゆる設計図ではなくてどちらかと言うとイラストっぽいタッチになっており、この後他の書籍の説明でもそのことについて触れます。

Die elektrischen und Diesel-Triebefahrzeug
 schweizerisher Eisenbahnen(Verlag Eisenbahn)
 “Die elektrischen und Diesel-Triebefahrzeug schweizerisher Eisenbahnen  Die Raetische bahn”「スイスの鉄道の電動車およびディーゼル動車 レーティッシェ鉄道編」という長たらしい名前の本です。たまたまレーティッシェ鉄道編だけ入手しましたが、シリーズ本のようです。この本は19世紀末期に製造されたロッド式2軸電気機関車に始まり、グレッシャーエクスプレスに代表される近代的な機関車、電車、客車(1973年現在)までを網羅した車両中心の解説書です。タイトルと違って貨車や事業用車を含む全車両が取り上げられているようです。かつて私が京急の旧600型と形容した湘南顔の電車(制御車)が表紙を飾っています。車両群ごとに詳しい塗色の変遷にも触れられていますが、全編モノクロ写真で占められているのは少なからず残念です。この鉄道は山岳線でありながら、ラック区間がない代わりにループ橋やトンネルで険しい地形を克服し、長大な急行列車が窓外の景色を楽しませて観光客を魅了してきました。

車両グループに分けて特徴や技術的解説があり、外観写真に加えて主要寸法の記入された形式図が挿入されています。興味を惹くのはフルカオーバーアルプ鉄道と同仕様でありながらラックレールと噛み合う歯車駆動機構がない動力車があることで、中でも電気式ディーゼル機関車はフルカオーバーアルプ鉄道では架線工事用として使用された一方、レーティッシェ鉄道ではパンタグラフを装備して架線電圧の異なる線区へ乗り入れる運用に使用されたようです。この鉄道に限らず、スイスには何両もの客車や制御車を従えて勾配を登って行く機関車並みのパワーを持ったスーパー電車があってページを埋めています。

Ge4/6 Nr.351
BCe4/4
 “Die Fahrzeug der Furka-Oberalp-Bahn”(出版:Schweers+Wall)「フルカオーバーアルプ鉄道の車両」も車両を主にした前書より少し新しい解説書です。上にも書いたようにレーティッシェ鉄道と氷河急行を共同運行していることもあり、同系の動力車や客車が使用されています。この本ではSL時代から当時の最新パノラマ客車までをイラスト風図面を交えて写真と図面で詳しく紹介しています。純粋な図面ではなく陰影の付いた細密イラストはこの本に限った話ではありませんが、特に巻頭と末尾には主要な車両を彩色したものが掲載されているので、絵本を楽しむような気分になります。余談ですが、かつて(半世紀以上昔)「鉄道模型趣味」誌で故片野正巳さんによる独特のタッチのペン画「陸蒸気からこだままで」が連載されていたのを思い出しました。列車の側面が図面のように正確でありながら、描き手の思いが加わることで立体感が醸し出されるのでしょうか、魔術のようですね。
Die Fahrzeug der Furka-Oberalp-Bahn(Schweers+Wall)

 “Tradition & Fortschritt der Appenzeller Bahnen AB/SGA”(出版:Appenzeller Bahnen)「アペンツェルの鉄道の伝統と進歩」は旧アペンツェル鉄道(AB)と旧ザンクトガレン - ガイス - アペンツェル - アルトシュテッテン鉄道(SGA)の合併(1988年)に際してそれらの歴史と合併後の発展計画をまとめた、少し特殊な記念広報書籍と思われます。

Tradition & Fortschritt der Appenzeller Bahnen AB/SGA”(Appenzeller Bahnen)

元をたどれば19世紀に遡り、この後も周辺の鉄道との合併を繰り返して今ではスイスで4番目に大きなメーターゲージネットワークになっているようです。長ったらしい名前のSGAは、2022/2/25投稿の「スイスの鉄道」でロッド式片ボギー車の復元について喜びを書いたあの鉄道です。この本も列車のイラスト風図面が掲載されており、模型鉄にはうれしい寸法まで記入されています。さらに駅や車庫の線路配置もイラスト図面化されています。3つの路線が集まるガイス駅では、ザンクトガレンからの線路が半径20から30mぐらいの急曲線でアペンツェル方面へ180°曲がって行く様子が窺えます。現在の衛星写真と比べると分岐器の配置が少し変わっているようですが、急カーブはそのままです。

MTユニット車のイラストとガイス駅線路配置

またまた余談ですが、我が鹿部町の人口は約3500人で年間平均100人近く減少し続けているのに対してガイス村の人口は約3100人で年々増加しているとのこと(Wikipedia)、昼間7時間列車が来ない町と30分間隔で6車体連接車が往来する村の活気の違いを見せつけられます。「過疎が進んだから鉄道の運営が維持できない」という論法と「鉄道の近代化を図って来たから過疎化を防げた」という現実、どちらが正しいか考えてほしいと思います。

 “Gleisplaene der Raetischen Bahn (Stammnetz)”(出版:BEMO)「レーティッシェ鉄道(本線)の線路配置」という一風変わった本です。出版元のBEMOはドイツにあるHOm(メーターゲージのHOスケールで軌間が12㎜)模型メーカーです。模型を買ってレイアウトを作る時の参考書として出版販売されているようです。他のメーターゲージの鉄道版もあるようです。前のアペンツェル鉄道本にも駅の線路配置図が掲載されていることからして、スイスの作り鉄は駅に強い興味を持つ人が多いのかもしれません。精密機械加工技術が発達したヨーロッパには他のゲージの模型メーカーがあり、一方で日本の積水金属もKATO EUのブランドでスイス型メーターゲージ車両を販売していることから、車両を買ってレイアウトは自分で作るのがトレンドになっているのではないかと思います(個人の想像です)。

Gleisplaene der Raetischen Bahn (Stammnetz)”(BEMO)

La Punt-Chamues-ch   /   Madulain

線路配置だけではなく、建造物や周囲の地形もわかるような表現がしてあり、駅舎の写真やイラスト図面が添えられている駅もあります。





 

Bahnhoefe der Schweiz”(GeraMond)

 

 “Bahnhoefe der Schweiz”(出版:GeraMond)「スイスの駅」副題として「模型鉄道のための最も美しい駅と線路配置」と付記されています。本編はスイス全土にわたってゲージに関係なく多くの駅の写真と線路配置図、さらにかなり詳しい解説がつけられています。どの駅も大きく立派な建物で、単に列車が停まるというだけではなく鉄道運行に関わる業務、つまり郵便バスや貨物の集積、住民の生活を支える営みが行われていたことを窺わせます。ひょっとしてホテルだったら楽しいだろうになと妄想が膨らみます。第2部は美しい駅特集として線路配置図がない代わりにカラーで駅舎の紹介がされています。その多く(ほとんど)が山小屋風の建物で窓辺には花が飾られていているのがスイスらしさを感じさせます。第3部は多様な停留所として単線一面の駅舎(待合室)の写真が集められています。無人の秘境駅を思わせる木造小屋、トイレかと間違いそうな石積みの待合所、廃車になった貨車の再利用から超モダンな真っ赤なキャビンまで小型レイアウトには持って来いのストラクチャー素材が満載です。

表紙のユングフラウ鉄道クライネシャイデック駅の線路配置図(左)_______                  ________と           小さな駅の待合所の写真(右)

TTmスケールで作ったBOBとJBの電車
 これらの駅本を書店で見た時はスイス型メーターゲージの車両を1/120スケール(軌間9㎜)で作っていた頃でした。ベルナーオーバーラント鉄道やユングフラウ鉄道の車両を走らせるレイアウトを製作中だったのでなんのためらいもなく手に取ったのを覚えています。その後レイアウトはホコリを被って廃却しましたが、作りかけの車両は実家の整理時に箱に詰められた状態で発掘しました。

 紹介した書籍以外に他の私鉄、路面電車やSBBの車両ハンドブックなどがあり、最初は全部ここに書こうと意気込んでいたものの、どれも同じような説明になってしまいそうなので今回はこの辺りで止めておきます。


2025/12/17

待避線(余談雑談) スイスの鉄道書籍

  好きな電車は何ですか?」と聞かれたら、「昭和40年(1965年)頃の電車」と答えます。それから「路面電車と戦前の旧型気動車(機械式気動車)も好き」で、もう一つ「スイスの電車がお気に入り」だったことは何度かここで書いています。

スイス版鉄道ファン創刊号
 過日神戸の実家に置いていた大量の鉄道雑誌、書籍を処分した際にショッキングなことがありました。後生大事に取り置いていた1960年代からの「鉄道模型趣味」「鉄道ピクトリアル」「鉄道ファン」などの雑誌は古書として引き取れない、と言われたのです。さらにスイス版鉄道ファン「Schweizer Eisenbahn Revue」の初版を含む200冊余を洋書系古書店に見積依頼したところ、英語の古書なら買い手があるがドイツ語は売れないので、と断られました。結局雑誌類は資源(古紙)として廃棄するしかなく、「Schweizer・・・」だけは大阪市にある交通文化振興財団に資料として寄贈を申し出たところ快諾いただけたのでそちらに送りました。雑誌類はそうやって処分しましたが、苦労して買い集めたスイスの鉄道書籍類は風景写真集、車両図面付き形式解説書、駅舎と線路配置図、模型参考書などがあり、重くて嵩ばるけれど捨てるに忍びないので鹿部に送ることにしました。せっかくなので再び身近に戻って来た本の紹介をしたいと思います。断っておきますが、半世紀近くあるいはそれ以上前に出版された本ですので、写っている車両はそのほとんどがもう活躍していなくて(私の大嫌いな)近代的デザインに更新されていると思います。建物や街の風情もかなり変わっているかもしれませんが、鉄道の背景にある大自然や人々の生活に垣間見える穏やかさは普遍であると信じています。なお、本投稿はあくまでも書籍の紹介というスタンスで、引用した写真の転載を本意とするものではありません。

 まずは鉄道風景写真集ですが、スイス各地の絶景に鉄道が映りこんだものと特定の鉄道の光景をまとめたものがあります。新婚旅行で初めて訪れたスイスの景色は「どこを切り取っても絵葉書になる」というのが第一印象でした。観光地として有名な場所に限らず、そこに向かう途中の田園地帯や住宅地、市街地の公園や路地裏でさえ見るものすべてが新鮮で美しい、と感じました。目を見張るような大地に架けられた石造りの橋梁や鮮やかな色の列車が上って行く草原の勾配、古城を背にぶどう畑を横切る単行の電車、石畳の道路を我が物顔でゆっくり進む列車からはゴロゴロという音が聞こえてくるようです。

Trains en Balade   (Ott Thoune)
 1冊目は”Trains en balade”(出版:Ott Thoune)、フランス語で「のんびり列車旅」といったタイトルでしょうか。表紙はイタリア国境を越えて相互乗り入れをしているセントバリ鉄道の連接車が教会の塔や白銀の山脈をバックにアーチ橋を渡っています。セントバリは百の谷と言う意味で名前通りの絶景の谷を縫うように走っています、と言いながら訪ねたことはありません。以下実際には見たことがない景色をあたかもそこに行ったかのように説明しますのでご了解ください。

Furka Oberalp Bahn
次はこの本に収められた一枚、フルカオーバーアルプ鉄道の列車が巨大な岩壁の素掘り穴から出たかと思うと荒々しい斜面に架けられた石橋を突き進む光景です。自然の脅威とそれを克服するかのような人の業に圧倒されます。どうやって撮影したのだろうかと思うような写真がページをめくるたびに次から次へと現れます。この写真にも言えることですが、多くが鉄道中心の構図ではなく壮大な景観の中のどこかに線路や列車が垣間見えるような構成になっています。全部見てほしいところですが別の本の説明に移ります。









SCHWEIZER BAHNEN IN FARBE (Editions du Cabli)
 ”SCHWEIZER BAHNEN IN FARBE”(出版:EDITIONS DU CABRI)「天然色スイスの鉄道」です。独仏両語併記で、1950-1980とあるように少し古い車両の写真が含まれています。
この本の写真はどちらかと言うと車両メインの構図で占められており、鉄道黎明期を思わせるクラシックトレインの復元運転から最新型電車まで、さらに路面電車、登山電車、SL、TEEと多種にわたっています。しかし車両の詳しい説明だけではなく、路線概要や歴史について解説されています。

















Trans Europe Express "Gotthard"
イタリアまで足を延ばしたかつてのTEEがゴッタルト峠の急こう配を上っていたと説明されていて、背景にはいかにも険しそうな山肌が見えます。
TEEはヨーロッパ各国が一定の条件下で独自に作り上げた国際特急列車(全車一等席)で、当初は気動車でした。2代目は電車化され、国際列車らしく交直4電源に対応するという技術的にも厳しい条件を乗り越えて実現されています。この本にはこれ以外にイタリア、フランスのTEEの写真が取り上げられています。2000年頃だったと思いますが、引退したTEE列車を旅行社がチャーターしてツアーが行われた、という記事がSchweizer Eisenbahn Revueに掲載されていたことを記憶しています。

Montreux–Oberland Bernois




ジュネーブの東モントルーから今はゴールデンパスルートをフリーゲージトレインの観光列車が運行されていますが、これはそれ以前から地元住民の足として運行していたローカル単行電車、レマン湖をバックにオメガループトンネルの勾配を上って来たところです。元はイタリア国境近くのルガノの路面電車だったようで、異端車ながら誇らしげにワッペンを飾っています。
Sernftal Bahn

チューリッヒの南東にあるゼルンフタルという美しい谷沿いに全長10㎞あまりの鉄道があったそうです。観光客が道端を歩くその脇を電車が通り過ぎるという、ジブリのアニメに出てきそうな光景はもう見られません。
最近になってWikipediaで見つけた情報によると、この写真に写っている車両が数奇な運命をたどって再びこの谷に戻って来て鉄道博物館になっているとのことです。ゼルンフタル鉄道の廃止後、レマン湖畔私鉄撮り歩き(2022/12/7投稿)で紹介したエグルオロンモンティシャムペリ鉄道に譲渡され、さらに僚車とともにオーストリアに移って働いた後、帰郷プロジェクトによって塗装や形態が復元されたそうです。








 “BAHNEN DER ALPEN”(出版:Orell Fuessli Verlag)「アルプスの鉄道」の表紙はご存知ユングフラウ鉄道です。山岳路線の写真を主に多くがモノクロでまとめてあります。その中からポスターみたいな美しいカラー写真を選んでみました。

BAHNEN DER ALPEN  (Orell Fuessli Verlag)

Wengernalp Bahn
アイガー北壁を背にしたウェンゲルンアルプ鉄道の250‰急勾配を線路にしがみつきながら歯車を嚙み合わせて登って行きます。終点で接続している表紙のユングフラウ鉄道とともに線路に沿ってトレッキングコースがあるので、電車を見ながらの散策はスイス鉄にとっては至上の喜びになることでしょう。線路際のログハウスに住んでみたいと夢見たこともありました。

Brienz Rothorn Bahn









これもスイスの山岳鉄道を代表するSL列車です。勾配路線でもボイラーを水平に保てるよう前のめりに傾けてあることはよく紹介されています。足元にブリエンツ湖を見下ろしながらジグザグの線路を登るわけですが、山肌には低木しか生えていないので前も後ろもさぞ見通しがいいだろうと想像します。SLファンではない私でもチャンスがあれば是非訪ねてみたい鉄道の一つです。


Schmalspurparadies Schweiz (Schweers+Wall)
 “Schmalspurparadies Schweiz”(出版:Schweers+Wall)「スイスナローゲージパラダイス」とは言っても森林鉄道や軽便鉄道ではありません。前にも触れたようにスイスではメーターゲージはSchmalspur(ナローゲージ)と呼ばれます。この本ではメーターゲージを主に、例外的に存する800㎜と750㎜も取り上げられています。何度も言いますがJR在来線とほぼ同じ大きさの車両で親近感があります。地域ごとに2分冊になっていて写真だけではなく、鉄道ごとの路線の特徴や歴史等についてかなり詳細な説明が書かれています。前の本の紹介と重ならないように、ここでは別の鉄道の写真を取り上げます。

Luzern Stans Engelberg Bahn
ルツェルンスタンスエンゲルベルク鉄道は、レーティッシェ鉄道、モントルーオーバーベルヌア鉄道と並んでスイスを代表するメーターゲージです。強力な電動車と制御車で付随客車を挟んで固定編成列車を組成し、古都ルツェルンから平坦線を高速で、ラックレール区間は強力に登坂して、山岳リゾートのエンゲルベルクまでを結んでいます。とこの本が出版された時点(1988年)では記述されていますが、2005年からSBB(国鉄)のブリューニッヒ線を統合してツェントラル鉄道となり、さらに2010年には新トンネルの開通で最大246‰だった勾配を105‰に緩和して輸送量が大幅に拡大されているそうです。


Waldenburger Bahn

ヴァルデンブルガー鉄道は本当のナローゲージ750㎜軌間です。かつての越後交通栃尾線や下津井電鉄みたいにボギー車を複数両連結した列車が比較的頻繁に走っていました。この写真は道路の片側に敷かれた線路が背景を含めて花巻電鉄を彷彿とさせる構図ですが、道路が広くて舗装されているだけではなく、鉄道も同様に軌道強化され車両や施設の近代化が弛まず行われているところが我が国と根本的に異なっています。その結果2022年にはメーターゲージに改軌されて7車体連接車が重連で運行されるまでになっています。鉄道衰退を時代の流れと決めつけて自動車偏重を進めてきた交通行政からは信じられない現実です。ちなみに起点のバーゼル市の人口は17万人で花巻市と同じレベル(北上市と併せた都市圏人口は20万人)ですから過疎が鉄道を衰退させたのではなく、その逆の結果と言えるのではないでしょうか。

 続く

2025/12/12

冬本番

 冬支度の次のタイトルは冬本番です。昨夜本格的な降雪があり、今朝は9ヶ月ぶりに雪かきをしました。12月にしては厳しい冷え込みで乾いた雪であったため、雪かきの練習にもってこいの状況でした。マイナス7、8℃で少し風がありましたが、完全防備で身を固めたので顔が少し冷たい程度、適度に体を動かしたおかげでコーヒーがとてもおいしく感じられました。 

 玄関やガレージ前に続いて線路の除雪をします。大型プラスティック製のシャベルで表層の雪をどけると下から褐色のレールの頭が出てきます。この瞬間、毎度のことながら森林鉄道の廃線跡で枯葉に埋まったレールを見つけた時のワクワク感がよみがえる気がします。そこにレールがあることがわかっているのに大げさだと言われるかもしれませんが、やはり鉄っちゃんの血が流れている所以でしょう、埋もれているレールの頭だけが見えるあの何とも言えない感動が過るのです。「路面鉄」「踏切鉄」の気持ちよくわかります。