最初の投稿「事の始まり」(2020/10/08)で書いた通り、1969年(昭和44年)の春晴れて大学生になった私には半年近く自宅待機の日々が続いていました。昨今の感染症流行による外出自粛と違い、何の憚りもなく遊びまわっていいので気楽な身分でした。その年の11月1日限りで江若鉄道が廃止になるというので、カメラを持って浜大津を目指しました。当時から気動車好きではありましたが、旧型気動車となると加古川線か別府鉄道くらいしか接点がなかったので江若鉄道にもそれほど強い興味があったわけではありません。むしろ京津線のポール集電が翌年廃止されることの方が気になって、浜大津では電車の写真ばかり撮っていました。何しろ運転頻度が全然ちがうし江若の浜大津構内には1両の気動車も見当たりませんでしたから。ずいぶん待ってやっと来たのは元熊延鉄道のキハ51(または52だったか覚えていません)で、塗色が国鉄の交直両用電車(60Hz)と同じであるのに驚きました。その頃は鉄道雑誌のグラビアもほとんどが白黒で、敢えて色に興味がなければ勝手に想像していたからです。浜大津から雄琴温泉まで乗車し、交換した対向列車に乗って帰ってきたのですが、それが同じキハ50の片割れだったのでがっかりでした。今思えば、せめて三井寺下車庫で下車して他の車両の撮影をしておけばよかったのにと悔やまれます。三井寺下-浜大津間はたった600mしか離れていなかったのです。
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京津線のポール電車80型 熊延鉄道時代の江若キハ50型熊本県H.P.より |
そんな出会いの後すぐに江若鉄道は廃止されてしまい、結局まともな写真は残っていません。しかし地方私鉄の撮影行脚を始めてからは熱烈な旧型気動車マニアになり、現役時代を詳しく知らないまま16番模型を作ったり(こういうのはよくあります)、他の私鉄に散らばった仲間の撮影に出かけたりするようになります。翌年の春、鉄研を立ち上げたメンバーと連れ立って撮影旅行に出かけた折に岡山臨港鉄道で早速出会ったのが元江若のキハ12、キニ13で、キハ5001、5002として働いていました。5001の方は江若時代に車体が中途半端に近代化されて直視に耐えないような形相を呈していました。それは原形が「びわこ型」と呼ばれる独特の流線形車体だったのを無理やり鋼体化してアルミサッシやHゴム窓にしていたからです。びわこ型は山陽電鉄や神戸電鉄で見慣れていて、その変貌ぶりと正面/側面のアンバランスは雑誌などで予備知識があったものの、目の当たりにして驚いたり呆れたりしたものです。
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左:岡山臨港鉄道にて元江若鉄道DD1352と元中国鉄道のキハ3001 鉄研撮影旅行にて自身撮影 右:別の日のキハ5001 富田さん撮影 |
江若廃止前のキニ4と同型の元キニ6から__ 貫通総括制御化されたキハ5123 小林さん撮影 |
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御坊臨港鉄道(現紀州鉄道)キハ16 富田さん撮影 |