2023/10/25

待避線(余談雑談) さらば昴よ

  過日、歌手の谷村新司さんが亡くなったとテレビで知りました。家内がアリスのファンで、私もテレビやカラオケで代表曲の「昴」を幾度も聞いたことがあります。ただその歌詞の意味を深く考えたことはありませんでした。受け売り的に説明すると昴はおうし座にある星団のことで、肉眼で6個の星が連なっているのが見えるそうです。古代中国では「財の星」と呼ばれ、「さらば昴よ」は物質的な豊かさに別れを告げて未知の世界に歩み出す情熱を歌ったものとのことです。

 私は仕事嫌いですが、エンジニアリングとか機械いじりは性に合っているというかそれしか能がないのが事実です。しかし企業の中でその地位や報酬額を同僚と競って勝ち上ることがどれだけ自分のためになるのか、いつも疑問に思っていました。とは言え家族を養い、世間体を繕うことも避けられない現実でした。そんな長い板挟みから解放されたのが定年退職でした。

 物質文明への積極的な決別と精神的豊かさを求める情熱の歌とは対照的に、定年は時の流れに乗って向こうから近づいてきました。この点で働き盛りに職を捨ててまで夢を追い求める人が命がけで行う決断とは次元が異なっています。さらに嘱託契約になって閑職に就いている間に退職後の生活設計をすることができたので、これまた実に恵まれた転機だったと言えます。ただここで選んだ夢が、幼い頃から望みながらずっと実現できなかった、自分が乗りこんで運転できる電車を庭に作ることでした。漠然と自分だけの鉄道建設を夢見ている間は楽しい時間が過ぎていきましたし、次から次へと作りたいものやアイデアが浮かんでくるものです。ところが憧れの地に移住して生活が落ち着くと、まず何から手を付けてよいものやら、何をどこで手に入れるのか、と自問する日が続きました。購入ルートが見つからなければ心配になり、複数あればどれを選ぶべきか悩みます。それまでは空想であったことが、現実にまとまったお金を支払わなければ先に進まないというプレッシャーがあり、その次には自分の力では簡単に持ち上げられないような重量物が目の前に送りつけられてきます。「こんなに買い込んでしまったけど本当に鉄道建設は出来るのだろうか?」と眠れぬ夜に何度も悩まされました。今ブログを読み返すとサラっと書いていますが、実のところそれは葛藤の日々であったりするのでした。

 昴の歌詞では

目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ

荒野に向かう道より 他に見えるものはなし

ああ砕け散る宿命の星たちよ

せめて密やかにこの身を照らせよ

とあります。「自分がどうすればよいのか、過去や未来に目を向けても、これから進もうとする険しい道しか見えない、だれか(星に願うしかない)私の行く先を照らして導いてくれ」とまさにその時の心情に重なります。

 歌は続きます

呼吸をすれば胸の中 凩は吠き続ける

されどわが胸は熱く 夢を追い続けるなり

ああ さんざめく 名も無き星たちよ

せめて鮮やかに その身を終われよ

「考えてみれば心に凩(こがらし)が吹いている、けれど私は情熱をもって夢を追い続ける、仲間の星たちよ、最期まで私と運命を同じくしよう」

 さらに

ああ いつの日か 誰かがこの道を

ああ いつの日か 誰かがこの道を

我は行く 蒼白き頬のままで

我は行く さらば昴よ

我は行く さらば昴よ

「いつか誰かが、私の辿ったこの道を歩くだろうか、私はなおも心の豊かさを求めて進む、さらば昴よ」

 最後の「誰かがこの道を」歩いてくれることを祈って私はブログを書き始めたわけです。と考えると転機を迎えたきっかけは全く恥ずかしい限りですが、先達わずかな15インチゲージの険しい道にあえて挑んだことに始まり、幾多の不安や困難を乗り越えてここまで辿り着けたのも、「わが胸は熱く夢を追い続ける」情熱があったればこそだと思います。谷村新司さんの訃報に接し、代表曲「昴」に思いを寄せました。